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アポリネール 『異端教祖株式会社』 窪田般彌 訳

アポリネール 
『異端教祖株式会社』 
窪田般彌 訳


晶文社 
1972年9月20日 印刷
1972年9月25日 発行
235p 図版(モノクロ)3葉 
18×15.6cm 
角背紙装上製本 
貼函 函プラカバー 
定価1,200円
装丁・装画: 司修



本書「あとがき」より:

「これは詩人ギヨーム・アポリネールの異色ある短篇集『異端教祖株式会社』(L'Hérésiarque et Cie, Paris Stock 1910)の全訳である。この訳書はかつて『ヒルデスハイムの薔薇』というリリカルな表題で刊行(角川文庫、一九六〇)されたが、今回新版を出すにあたって原題に復した。」


本書は表紙のみならず天地・小口までまっ黒な瀟洒な造本です。司修氏による別丁コラージュ装画3点収録。


アポリネール 異端教祖株式会社 01


アポリネール 異端教祖株式会社 02


目次:

プラーグで行き逢った男
涜聖
ラテン系のユダヤ人
異端教祖
教皇無謬
神罰三つの物語
魔術師シモン
オトゥミカ
ケ・ヴロ・ヴェ?
ヒルデスハイムの薔薇
ピエモンテ人の巡礼
オノレ・シュブラックの失踪
アムステルダムの船員
徳高い一家庭と負籠と膀胱結石の話
詩人のナプキン
贋救世主アンフィオン

あとがき (窪田般彌)



アポリネール 異端教祖株式会社 03



◆本書より◆


「プラーグで行き逢った男」より:

「かれは答えた。
 ――私はさまよえるユダヤ人です。きっともうそんなこともおわかりになっていたことと思いますが。私はドイツ人どもに呼びすてにされているように、永遠のユダヤ人なのです。私の名前はイサアク・ラケデムです。」
「――あなたが、とぼくはいった。実在する方とは思っていませんでした。あなたの伝説は、さまよえるあなたの人種を象徴しているものと思っていたのです……ぼくはユダヤ人が好きですよ。かれらは楽しそうに放浪していますが、不幸な人が多いんですね……ところで本当なんでしょうか、キリストがあなたを追放したというのは?
 ――そうなんです。でも、そんな話はやめましょう。私は終りも、休みもないこの生活に、今ではすっかり慣れているんです。なにしろ眠ったりすることもないのですからね。私はたえず歩いています。きっと、最後の審判の十五の兆がみえるときまで、歩くことでしょう。しかし、私は十字架の道を歩きません。私の道は幸せなものです。この世にキリストが現存されたことを知っている唯一の不死の証人として、ゴルゴタの丘に大団円をみた神聖な贖罪の劇は事実あったことだ、と人々に私は証言しているのです。それはなんという光栄でしょう! なんという喜びでしょう! だが、私はまた、千九百年来、すばらしい余興を演じてくれた人類の観客でもあります。私の罪は天才の犯した罪です。だから、もう久しく前からそれを悔いたりすることなどはすっかりやめてしまいました。」

「二人は外にでた。前々から気狂いになることを非常に怖れていたぼくは、今、眼の前に狂った自分の姿をみせつけられて、蒼ざめ、やりきれない気持になっていたのだった。」

「――私の一瞬の恋ごころは、一世紀にわたる恋に値するものです。幸せなことに、誰一人として私についてくるものはいませんから、私にはいわゆる嫉妬心が生じてくる、あの世の習いをもつ暇もないのです。さあ、くさるのをおやめなさい! 未来も死もこわがってはいけません。人間は絶対に死ぬというもんじゃありません。一体あなたは、死なないのは私だけだと思っているんですか! エノクや、エリヤや、エンペドクレスや、テュアナのアポロニウスのことを思いだしてみて下さい。ナポレオンが今なおこの世に生きていると信じている人間が、世界中に全くいないでしょうか? また、あの不幸なバヴァリアの国王ルードヴィッヒ二世は! バヴァリア人にきいてごらんなさい。かれらはみんな断言しますよ、気の違った気高い国王は、今も生きていると。だからあなた自身だって、もしかすると死なないかもしれません。」

「ぼくは、かれのがさがさした長い手を握った。
 ――さようなら、さまようユダヤ人、幸せな、いずこの当もない旅人。あなたの楽天主義も大したものですよ。あなたのことを、悔恨にやつれ、憔悴しきったぺてん師などと思っている奴は、気狂いのたぐいですよ。
 ――悔恨ですって! なぜですか? 魂の平和をお保ちなさい。そして悪人になることです。善人どもは、きっとあなたに感謝しますよ。キリストなんてものは! 私はかれを嘲笑してやったんです。だから、かれは私を超人にしたのです。さようなら! ……」



「異端教祖」より:

「というのは、真理は次のようなことだからです。三位一体が三人の人間となり、三つの化肉ができたのです。ただ一人の神から生れた三人の人間が、同じ日に、人類の罪の贖いに必要な受難の苦しみを耐えたのです。右側の盗賊は父なる神でした。そのことは、かれが最愛の子のために、十字架上から投げかけた心遣いにみちみちた言葉によっても、容易に認められることです。かれの一生は悲しく、耐え難きを耐えるものでした。不当にも、誤って賊とみなされた苦しみを耐えたのです。全能の無限の尊厳さをかね具えているのに、かれは一人として弟子をもとうとはしませんでした。神なる二人の盗賊を左右にして死なれたキリストは「言葉」であり、「言葉」であるがゆえに「立法者」だったのです。人間たちへの訓えとして伝えられねばならなかったのは、キリストの言葉と行為であって、それ以外の何ものでもありません。左側の盗賊は聖霊でした。人間となり、恥ずべき人間の愛そのものになろうとした「慰めの主」であり、永遠の愛なのです。だからかれは、まぎれもない盗賊となって、正当に苦しみを耐えたのです。さて、神が人間となったという、この神聖侵すべからざる神秘さについてお話しするならば、それは次のようなわけです。化身された父なる神は、全能の力をわが身に課するために苦しみに耐え、卑下して人にも知られぬよう、話にも語られないようになさったのです。化身された子なる神は、その訓えの真理なことを証し、殉教の範を示そうとして苦しみに耐えたのです。かれは、人間たちの精神を覚醒させるために、不当ではあるが輝かしい苦しみに耐えたのです。かれは人間の最も悪しき弱さを身につけて化身され、人類への憐れみと深い愛から、一切の罪にわが身を委ねたのです。次の歌はこの真理をよく伝えています。

  ゴルゴタの
  三人男
  天国さながら
  三位一体」

「ベネデット・オルフェイと別懇の間柄で、カトリック信者たちが過ちとみなしたかれの邪説を何度か放棄させようとした一司祭が、私に教祖の最後を話してくれた。かれは消化不良のあげく死んだらしかったが、かれの肉体は、オルフェイが自らに課した苦行の跡を示す傷痕で、覆いつくされていたという。それで医者たちも、その死亡理由を、大食のせいにすべきか、苦行のせいにすべきか、と断定しかねた。だが、本当は、教祖もあらゆる人たちと何ら変るところはなかったのだ。なぜなら、人間というものはすべて、罪人にして殉教者でなければ、罪あるものにして聖者にほかならないものなのだから。」



「神罰三つの物語」より:

「美しい踊りで王の眼をしばたたかしめたサロメは、踊りながら死んだ。それは踊り子たちが羨むような不思議な死であった。
 かつてこの女は、ある宴のおりに、一地方総督の邸で、蛇紋岩をはめこんだ大理石のテラスの上で踊った。地方総督はユダヤを去り、ダニューブ川のほとりに面した未開の地方におもむく際に、かの女をつれていった。
 ある冬の一日、凍った河岸をただ一人さまようかの女は、青みがかった氷に心を奪われ、その上を踊りながら突き進んだ。かの女はいつもと変らず、華やかな着物をつけ、身を飾るには、細かな環のついた黄金の鎖をもってした。この鎖は、後に同じようなものをヴェニスの宝石細工人がつくったが、この仕事は三十ぐらいになると人を盲にするというものだった。かの女は長い間、愛や死や狂気を身ぶりに現わして踊った。だが本当のことをいって、かの女の優雅さ美しさのなかには、少しばかり気狂いじみた点がみえた。すんなりとしたからだを操りながら、両の手は何かを指し示しているような振りをしていたのだった。また郷愁にかられでもしたのか、熟れたオリーブが地に落ちるころ、手袋をはめ、しゃがみこんだユダヤのオリーブ採りの女たちの、あのゆったりとした動作を真似るのだった。
 それから、眼をなかば閉じ、ほとんど忘れてしまっていた昔のステップをふんだ。これは、かつてバプティストの首を代償に求めた地獄ゆきの踊りである。突如、足下で氷が割れ、かの女はダニューブ川に、からだは水に浸り、頭だけが、再び近づき結合した氷の上に残るといった具合に落ちこんだ。二た声三声、恐怖の叫びが、重たげに飛び舞う大きな鳥たちを脅かした。そして、この不幸な女が沈黙したとき、頭は斬り落され、銀の皿の上に置かれたように思えた。
 すんだ、冷たい夜がきた。星たちがきらめいていた。野獣どもがまさに死にかけた女の臭いをかぎにきた。かの女は野獣どもをまだ恐怖をもって見つめていた。ついに、最後の努力を払って、地上の牝熊から天上の牝熊座へと眼をむけると、かの女は息をひきとった。
 つやをなくした宝石のように、首は長い間、かの女の周りの、滑らかな氷の上に残っていた。肉食鳥や野獣はこの首を遠慮した。そして冬は過ぎた。踰越祭(すぎこしのいわい)の太陽をあびて氷はとけた。衣裳に飾りたてられ、宝石を鮮やかにつけた肉体が岸に打ち上げられたが、どうしようもないほど腐敗していた。
 何人かのユダヤの律法教師(ラビ)たちは、アダムの魂がモーゼやダビテにも乗り移った、と思っている。私としては次のように信じたいと思う。サロメの魂はエフタの娘の魂を満たし、爾後、一度たりとも休むことなく、スペインに、トルコに、おそらくはダニューブ川流域の諸地方にも、コロ――この淫らなロンドを人はあるいは尻振りダンスと呼ぶかもしれないが――の踊り子の肉体のなかに生きつづけたのだと。」



「オノレ・シュブラックの失踪」より:

「――びっくりしたかね! とかれはいった。しかし、きみには今やっと、なんでぼくがこんな変てこな服装をしているかがわかったろう。でも、ぼくがどうやって、きみの眼の前で完全に消えてしまったかはわからなかったろう。そいつはとても簡単なことさ。擬態現象というやつを考えてくれればいいんだ……自然はやさしき母だ。かの女は自分たちの子供たちのなかで、危険にたえず脅かされ、そのくせ自分を守るにはあまりに弱いものたちに対し、自分をとりまくものと一つになることのできる能力を与えた……でも、きみのことだからこんなことは何でも承知していることだろう。ねえ、そうだろう、蝶は花に似ているし、ある昆虫どもは木の葉と区別がつかない。カメレオンは自分を最もよく隠してくれるものの色になってしまうし、われわれが田畑にみる野兎に劣らず臆病な北極の兎は、一面に氷のはったその地方と同じ白色となるから、逃げるときはほとんど眼にもつかないというわけさ。
 こんなふうに弱い動物たちは、その外貌を変えてしまう器用な本能がそなわっていて、それで敵から脱れることができるのだ。
 そしてね、ぼくもたえず敵に追われているのだ。だがぼくは弱虫で、闘って自分を守ることなんかとてもできないことを知っている。まさにぼくは、あの弱い動物と同じさ。だからぼくは望むときに、とりわけ恐怖を感じたときには、いつでも周囲のものと一体になることができるのだ。
 ぼくがこの本能を始めて用いたのは、もう大分前のことだ。二十五歳のときだったね。女たちからは、ぼくはまあまあ愛想のいい美男子と思われていた。かの女たちの一人は人妻だったが、ぼくに尋常ならぬ厚意をよせてくれるので、ぼくも拒むわけにはいかなくなった。宿命的な関係! ってやつさ……ある晩、ぼくはこの恋人のところにいた。かれの自称亭主はもう数日も家をあけていた。ぼくたちは神々のように裸だった。そのときだ。ドアが突然開いて、亭主がピストルを手にもって、現われたのさ。その恐怖といったら説明できるもんじゃない。ぼくは昔もそうだったが今も臆病だから、ただただ、姿を消してしまいたいというたった一つの願いしかなかったわけだ。壁に背をもたせかけると、壁に溶けこんでしまいたいと願った。するとどうだろう、たちまち思いもよらぬことが実現したのさ。ぼくは壁紙の色になり、手足が自分の思いどおりに驚くほど延びひろがって、ぺちゃんこになったんだ。ぼくは壁と合体し、もう誰もぼくをみることができないような気がした。そいつは本当だった。亭主はぼくを殺してやろうと探しまわっていたんだから。かれからいえば、ぼくの顔をみたんだから、ぼくが逃げだしたなんてことはありえないわけだ。かれは気狂いのようだった。そして、女房にむけて烈しい怒りをぶちまけ、とうとうかの女の頭にピストルの弾を六発ぶちこんで手荒にも殺してしまった。それから絶望したように泣きながらでていった。かれがいってしまうと、ぼくの肉体は本能的に、平生の形と本来の色とにもどった。ぼくは服をつけ、誰もやってこないうちに逃げだすことができた……それ以来というもの、ぼくにはこの擬態現象から生じる幸せな能力をもつことになったのだ。ぼくを殺せなかった亭主は、その仕事を果すことに生涯を賭けた。かれは長い間、世界中をかけめぐってぼくを追いかけている。」



アポリネール 異端教祖株式会社 04





































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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