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吉田健一 『金沢』

「金沢のように町であるのみならず町であることが少くとも何百年か続いた所ならば化けもの、幽霊が出ても可笑しくなかった。」
(吉田健一 『金沢』 より)


吉田健一 『金沢』

河出書房新社 1973年7月15日初版発行/1976年9月20日五版発行
217p 四六判 角背布装上製本 貼函 定価1,100円
装幀: 榛地和
新字・新かな



吉田健一の長篇小説。


金沢1


帯文:

「吉田健一 長篇小説 金沢
夕暮の似あう町金沢に別宅を構えた東京の男―本来あるべき生活の姿を語ることが今はもう夢にしても、その夢の相貌さえ亡くした日常にあって、独特の文体と鋭い感受性に支えられた堅牢な反リアリズムの世界の中に、確かな実在としてその肖像を彫上げる衝撃の長篇力作」



金沢2


帯背:

「最新長篇小説
吉田健一」



帯裏:

「川村二郎氏評 …作品の基調が単なる保守的心情にとどまらないのは物に執着しながら同時にその物を超えることのできる精神の強さが行きわたっているからである。この精神ないし性格の強さ、感覚の広大さ、それを追体験することはなんといっても容易でない。
しかしその上に浮んだ夢がはかない泡沫ではなく、むしろあわただしい動きにみちた時代の中で、ある動かぬものを、いわば人間性の不動の原質を指し示し、そのことによって時代を批判する契機になっていると理解する時、悠長な夢物語は普遍性を帯びた現実の物語化するのである。
(読売新聞「文芸時評」より)」



金沢3


本書より:

「内山は雨が好きだった。それは雨が出来損いの町も先ず見られるものにして町らしい町ならばその風格を増すからばかりでなくて内山自身が雨が降っているとその音と何かその時にいる場所の他は水の中になっている感じで神経が鎮められるようである為だった。従ってそれは雨でも風を伴わない静かな雨でなければならなくてその音はそれそのもののよりも雨垂れの音が望ましかった。そういう具合に降っている時に東京が一段と風格がある町になるかどうかは確かでなかったが金沢は明かに一層この金沢という町になって或る朝内山が金沢の家で目を覚すと丁度その雨垂れの音が聞えていた。まだガスを付けずにいられる程は春が近づいていなくて起きてから障子を開け放すという訳にも行かなかったが締め切った中でその音を聞きながら内山は金沢に来ているのだと思った。又その音の仕方が春を感じさせて濡れ縁に出て見れば遠くに川が煙っているに違いなかった。そういう雨では木の葉も光って温く感じられる。
内山は金沢に偶の商用の他は何をしに来るのでもなかった。それは何もしないでいる為に来るのと同じことで一日中そうしてその部屋で雨の音を聞いていてもそれで金沢に来ているのだった。その雨に濡れた町の様子も見なくても胸に描けて犀川に掛っている鉄橋も庭の木の葉に似て光っているのだろうと内山は思った。こういう降り方では川の水嵩が増すということもない。又金沢のような町ならば雨が降っている時のどこか寂しげな感じも取り戻せて例えば知っているものに送る菓子を頼みに菓子屋に入っていれば雨のせいで客が少いのが外も静かなのを裏付けして菓子を並べたガラス箱が雨の日の博物館を思わせる。その寂しいというのはその反対を騒々しいということに取ればであって騒々しいのが明るいことでない時に寂しいのが暗いことなのでもない。寧ろその寂しい方がものが陰翳の濃淡を鮮かにして眼に映じて明るかった。従ってそういう日は出掛けるのにもよかった。」



金沢4



















































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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