平出隆 『伊良子清白』

「余は今日以後詩の故郷を逐はれたる一箇漂泊の孤児のみ」
(伊良子清白)


平出隆 
『伊良子清白』


月光抄
Das Licht des Mondes sagt, dass
日光抄
Das Licht der Sonne sagt, dass

新潮社 
2003年10月30日発行
190p/190p 
A5判 角背紙装上製本 貼函
定価5,600円+税
函 装画: 清白による気象学書欄外への書き込み
装幀: 新潮社装幀室



月光抄:

「本書は、「新潮」二〇〇二年七月号および二〇〇二年十月号に「月光抄――小説 伊良子清白(一)」「月光抄続――小説 伊良子清白(二)」として掲載され、単行本化にあたって大幅な加筆訂正がおこなわれた。」

日光抄:

「本書は、「新潮」二〇〇三年二月号および二〇〇三年五月号に「日光抄――小説 伊良子清白(三)」「日光抄続――小説 伊良子清白(四)」として掲載され、単行本化にあたって大幅な加筆訂正がおこなわれた。」


本書は清白の詩「月光日光」にちなんで、前篇を「月光抄」、後篇を「日光抄」と題した二冊の本が一つの函に収められています。


平出隆 伊良子清白01


帯文:

「わずか18の詩篇だけを積んだ『孔雀船』を残して、
明治の詩壇から消え去った清白。
捨てられた多数の詩と厖大な日記を読み解き、
ゆかりの地を歩きながら辿るその峻烈な生涯の謎。」



帯背:

「月光抄*
四半世紀をかけた渾身の伝記
日光抄**」



「月光抄」 目次:

その一 小浜の家
その二 鎮西丸
その三 旋光
その四 淡路を過ぎて
その五 幻華と爽朗
その六 乳母
その七 母
その八 溝川
その九 離郷
その十 京都医学校
その十一 「文庫」
その十二 あたら明玉を
その十三 少年
その十四 憤激
その十五 著者所蔵初版本
その十六 友と鬼
その十七 論争
その十八 手綱
その十九 山崩海立
その二十 エンヂミオン
その二十一 月蝕して
その二十二 うたゝ寝のまに
その二十三 広野
その二十四 「明星」
その二十五 くろき炎
その二十六 一九〇〇年
その二十七 実験
その二十八 無口
その二十九 丸潰れ
その三十 奇態の卜
その三十一 日記とともに
その三十二 胆を奪ふ
その三十三 『日本風景論』
その三十四 秋和まで
その三十五 愚鈍者
その三十六 父窮す
その三十七 月日の破壊
その三十八 幻想
その三十九 「漂泊」
その四十 啄木
その四十一 零度
その四十二 存外複雑な
その四十三 家長
その四十四 顕微鏡
その四十五 船旅
その四十六 蒋淵
その四十七 海の幸
その四十八 空腹
その四十九 結婚
その五十 好める魚
その五十一 底
その五十二 十年の先
その五十三 計リ難キ
その五十四 照魔鏡
その五十五 哀
その五十六 いそがしければ
その五十七 漱石勧誘
その五十八 求人
その五十九 浜田行
その六十 流離
その六十一 天保山岸壁
主要文献



「日光抄」 目次:

その一 細菌検査所
その二 山阿海陬
その三 壊れ荷
その四 月姫
その五 書評
その六 かかる愉快
その七 浮木
その八 かけちがひ
その九 赤インク
その十 路頭の犬
その十一 七騎落
その十二 塵溜
その十三 疾風
その十四 関門
その十五 臼杵
その十六 書置き
その十七 発奮渡台
その十八 大嵙崁城
その十九 花柊
その二十 自緘
その二十一 タワオへ
その二十二 進退窮す
その二十三 南部旅行記あるいは新緑の行脚
その二十四 ライオン吼ゆ
その二十五 招牌
その二十六 菜の花
その二十七 見送り
その二十八 飛脚探勝
その二十九 狂に類す
その三十 間食
その三十一 荷物と子供
その三十二 大洪水
その三十三 杵の音
その三十四 八坂の塔
その三十五 藁と骨
その三十六 残菊
その三十七 浴み
その三十八 大騒ぎ
その三十九 古雛
その四十 緑川丸ふたたび
その四十一 市木をへて鳥羽小浜
その四十二 天稟の技能
その四十三 彗星
その四十四 殉情と鬼語
その四十五 水姫
その四十六 海やまのあひだ
その四十七 生誕五十年
その四十八 白毛の芽
その四十九 陋劣
その五十 村医
その五十一 敗壁断礎
その五十二 再生
その五十三 打瀬船
その五十四 三等分
その五十五 そこり
その五十六 酔茗来
その五十七 省三郎来
その五十八 白秋来
その五十九 島影
その六十 ひるの月
その六十一 薬箱
主要文献



平出隆 伊良子清白02



◆本書より◆


『月光抄』より:


「その三 旋光」より:

「伊良子暉造は、伊良子清白という、詩の作者でもある。「せいはく」と訓む。」
「明治十年十月、因幡国八上(やかみ)郡曳田(ひけた)村に生れた。」

「悠々とした叙景のことばに、不意に電光のようなものが走っている。癇癖というのだろうか、清白という人にはそれが生涯つきまとったらしく、似かよったものが詩句にまであらわれた。それでも、潔癖というのだろう、清白の詩句は結晶したもののようにフォルムを失うことがない。」



「その四 淡路を過ぎて」より:

「明治三十九年に入るとおよそ二百篇から厳選し、ついに十八篇だけ収める案をととのえた。入念に手を入れ、ルビも補って完稿とした。画家長原止水に口絵を依頼し、装本についても、前年に出たばかりだった上田敏の訳詩集『海潮音』に倣うよう、書肆に希望を示した。(中略)保険医の仕事のあわただしい中、そうやって去る年から準備をつづけてきた詩集が、ようやく陽の目を見ることになった。しかも、少年時から夢に描いてきた第一詩集である。それなのに、清白は刊行を待たずに東京を去った。
 これについては、詩集の反響を待たずに詩壇を去った、ともいいえた。あるいは、詩集上梓は、もともと詩壇を去ろうとする意識のもたらしたものだったか、とも謎めいた。結果として、ここから、伊良子清白という詩人の、浜田、臼杵、大分、台湾、京都、市木、鳥羽という長い流浪がはじまることとなった。
 詩をやめた清白、とそう呼ばれた。そればかりか、詩人をも詩集をも、いったんは忘却の波が呑んだ。だが、その消えていくものの波間の姿に、どうしても解きほぐしたい、と思わせるような心の骨組が透ける。そこに、私を惹きつける眺めがあった。詩をやめる、というその衝動に私自身、ひそかな覚えがあったのかもしれない。
 詩をやめる、とはしかし、どういうことだろうか。やめる、とは瞬間的な決定のようだが、その瞬間はどのような心をとおして準備されるのか。それに、書くことはいつでもまた可能である以上、だれにとっても、自分は詩をやめた、と真の意味で揚言することはできないのではないか。とするならば、詩をやめたように見えるそのあとの旅、そればかりか、そこに至る日々の旅の中にも、その瞬間につながるものがあるはずだろう。いくつもの旅の襞に、私は手懸りのひそむのを感じはじめた。」



「その五 幻華と爽朗」より:

「私がはじめて『孔雀船』を手に取ったのは、昭和四十八年か九年のことで、昭和十三年に刊行された岩波文庫版が第四刷となったものであった。手に取ったときから、十八篇の形質がすべて異なるという光学に魅せられ、鍾愛措くあたわざるものとなった。そればかりか、そこから私なりの詩への考えを汲みあげることができるものとなった。」


「その九 離郷」より:

「清白伊良子暉造にとって、故郷と呼べる地は次第に二つになってきた。文字通りの故郷、乳母の生温かい香りのする鳥取山間のすでにない家と、父の漂泊とともに微妙に位置を変えていく紀伊半島東側の海岸線の、いわば異郷の実家との二つである。母の非在としての鳥取と、父の落魄としての紀伊、といってもよかった。」


「その二十七 実験」より:

「小島烏水は次のように見た。

 酔茗は、飽くまで酔茗調を固守せよ、夜雨は亦頑として夜雨の好む所に従へ、その他の諸君亦応に斯の如くなるべし。今日藤村を加味し、明日晩翠を調合する如くんば千万年に亘りて底止を知らざらむ。況んや霸を称ふることをや。今日の計、破格でも晦渋でも、大醇大疵でも何でも彼でも、自己流を遠慮なく極端にまで推し進むるにあり、而して文庫派万歳ならむ。」



「その二十八 無口」より:

「清白みずからがいう「無口の山出し」という表現が、自己戯画化の過ぎるものだとしても、大筋をそんなには逸れたものではないと知られる。「無口」がいったん詩に口をひらくと、反対する「対者を説き伏せるまでは止まなかつた」のだし、「古典を引拠として真正面から芸術を説いた」同じ青年が、若くして「世故」に通じている面も、ある苦さとしてその風貌に染みつかせていた。無口と噴火と――清白のもったこの二つの性質は、じつはさまざまなかたちに変りながら彼の生涯にくり返された。」
「ここと決めたら黙ってのめるように進むところが、彼にはあった。」
「この「無口」は、旅先からの音信不通となってあらわれたり、「詩を廃する」考えの、(中略)ひそかな披瀝となってあらわれたりした。」



「その三十五 愚鈍者」より:

「  顔(かほ)蒼白(あをじろ)き若者(わかもの)に
  秘(ひそ)める不思議(ふしぎ)きかばやと
  村人(むらびと)数多(あまた)来(きた)れども
  彼(かれ)はさびしく笑(わら)ふのみ

  前(きそ)の日(ひ)村(むら)を立出(たちい)でゝ
  仙者(せんじや)が嶽(たけ)に登(のぼ)りしが
  恐怖(おそれ)を抱(いだ)くものゝごと
  山(やま)の景色(けしき)を語(かた)らはず

  伝(つた)へ聞(き)くらく此河(このかは)の
  きはまる所(ところ)滝(たき)ありて
  其(そ)れより奥(おく)に入(い)るものは
  必(かなら)ず山(やま)の祟(たゝり)あり

  蝦蟇(がま)気(き)を吹(ふ)いて立曇(たちくも)る
  篠竹原(しのだけはら)を分(わ)け行(ゆ)けば
  冷(ひ)えし掌(てのひら)あらはれて
  項(うなじ)に顔(かほ)に触(ふ)るゝとぞ
 
  陽炎(かげろふ)高(たか)さ二万尺(まんじゃく)
  黄山(きやま)赤山(あかやま)黒山(くろやま)の
  剣(けん)を植(う)ゑたる頂(いたゞき)に
  秘密(ひみつ)の主(ぬし)は宿(やど)るなり

  盆(ぼに)の一日(ひとひ)は暮(く)れはてゝ
  淋(さび)しき雨(あめ)と成(な)りにけり
  怪(け)しく光(ひか)りし若者(わかもの)の
  眼(まなこ)の色(いろ)は冴(さ)え行(ゆ)きぬ

  劉邦(りうはう)未(いま)だ若(わか)うして
  谷路(たにぢ)の底(そこ)に蛇(じや)を斬(き)りつ
  而(しか)うして彼(か)れ漢王(かんわう)の
  位(くらゐ)をつひに贏(か)ち獲(え)たり

  この子(こ)も非凡(ひぼん)山(やま)の気(け)に
  中(あ)たりて床(とこ)に隠(こも)れども
  禁(きん)を守(まも)りて愚鈍者(ぐどんじや)に
  鬼(おに)の語(ことば)を語(かた)らはず

 山岳への近づきが清白に吹き込んだ怪異の息吹きは、かくも清新だった。
 「鬼の語」は、神秘の言語を平明な言葉に語る。怪異そのものを語るのでなく、怪異を身に浴びたと噂される一人の若者を、その蒼白い表情や寂しい笑い、怪しく冴える眼の色などをとらえて語るのである。間接性がかえって、背後の怪異を読む者に伝える。」
「清白がこの佳篇を得たのは、前の年の上信越の旅からだけではなかった。父のいる紀伊の国に帰省をつづける中で彼は、すでに日本の山水窟の神秘に「項(うなじ)」や「顔(かほ)」を触られていた。だから、海と山との攻めあうようなこの国の地形への本能的な共鳴から、その襞に住む者たちの住みかたを直接につかんでいた。彼らの住みかたの中にこそ、鬼の棲むことをつかんでいた。」
「山の生活者たちと詩人との距離が前提になっている。」
「山の生活に対するその場限りの同情や思い入れと、清白は無縁である。むしろ反対に、「村人数多(むらびとあまた)」を「愚鈍者(ぐどんじや)」と呼ぶことを憚りもしない。こんなところに「非凡」が、すなわち「鬼」があらわれた。なぜならば清白にとって、鬼とはただの怪異ではなく、ある名づけえぬ高さだったからである。」



「その四十一 零度」より:

「清白におけるロマン主義的詩風の達成の高峰は、(中略)「月光日光」である。より正確には、高踏派的な非情をふくんだロマンティシズムといえる。清白独特の五五調の六連で成るこの詩は、月光と日光とが、それぞれの見た二人の姫について交互に語るという、簡素だが深い構成をもっている。

  月光(げつくわう)の
       語(かた)るらく
  わが見(み)しは一(いち)の姫(ひめ)
    古(ふる)あをき笛(ふえ)吹(ふ)いて
    夜(よ)も深(ふか)く塔(あらゝぎ)の
    階級(きざはし)に白々(しらじら)と
       立(た)ちにけり

  日光(につくわう)の
       語(かた)るらく
  わが見(み)しは二(つぎ)の姫(ひめ)
    香木(かうぼく)の髄(ずゐ)香(かを)る
    槽桁(ふなげた)や白乳(はくにう)に
    浴(ゆあ)みして降(ふ)りかゝる
    花姿(はなすがた)天人(てんにん)の
    喜悦(よろこび)に地(つち)どよみ
       虹(にじ)たちぬ

  月光(げつくわう)の
       語(かた)るらく
  わが見(み)しは一(いち)の姫(ひめ)
    一葉舟(ひとはぶね)湖(こ)にうけて
  霧(きり)の下(した)まよひては
    髪(かみ)かたちなやましく
       乱(みだ)れけり

  日光(につくわう)の
       語(かた)るらく
  わが見(み)しは二(つぎ)の姫(ひめ)
    顔(かほ)映(うつ)る円柱(まろばしら)
    驕(おご)り鳥(どり)尾(を)を触(ふ)れて
    風(かぜ)起(おこ)り波(なみ)怒(いか)る
    霞立(かすみた)つ空殿(くうでん)を
    七尺(せき)の裾(すそ)曳(ひ)いて
    黄金(わうごん)の跡(あと)印(つ)けぬ

  月光(げつくわう)の
       語(かた)るらく
  わが見(み)しは一(いち)の姫(ひめ)
    死(し)の島(しま)の岩陰(いはかげ)に
    青白(あをしろ)くころび伏(ふ)し
    花(はな)もなくむくろのみ
       冷(ひ)えにけり

  日光(につくわう)の
       語(かた)るらく
  わが見(み)しは二(つぎ)の姫(ひめ)
    城(しろ)近(ちか)く草(くさ)ふみて
    妻(つま)覓(ま)ぐと来(こ)し王子(みこ)は
    太刀取(たちとり)の耻(はぢ)見(み)じと
    火(ひ)を散(ち)らす駿足(しゆんそく)に
    かきのせて直走(ひたばせ)に
    国領(こくりやう)を去(さ)りし時(とき)
    春風(はるかぜ)は微吹(そよふ)きぬ

 月と日との二つの非人称的な視線は、姉妹であるだろう二人の姫を、対照的な光線のもとに照し出している。月光の見た「一(いち)の姫(ひめ)」は死と悲痛とに色どられている。日光の見た「二(つぎ)の姫(ひめ)」は生と歓喜に縁どられている。」
「生の姫と死の姫とのあらわな姿の交互の客観は、たがいの微妙な際立ちとずれとを起し、大きな歳月を感じさせながら最終連に入っていく。
 月光のもと、島の岩陰に死骸となった「一の姫」に対して、「二の姫」は妻を探し求めてきた王子によって、人さらいのように連れ去られる。最終行の、

  春風(はるかぜ)は微吹(そよふ)きぬ

 という詩句は、この素朴な婚姻への抑制した叙述がする抑制した頌(ほめうた)である。この微かなるものへの頌に絶妙の陰翳を与えているのは、いうまでもなく「一の姫」の亡骸である。」



「その四十二 存外複雑な」より:

「私のこの「評論」とも「評伝」とも、むろん「小説」とも呼びにくいだろう書きもので用いる清白周辺の「描写」は、すべて清白をふくむ過去の文学者による記述に依拠している。私が想像して付け加える「描写」は、なにもない。もし、それが清白を外側から描くものであれば、たとえば河井酔茗のそれのようにその生身を伝える一次的証言か、たとえば河井酔茗夫人であった島本久恵のそれのように、一次的証言者の保証を得たと思われる叙述に基礎を置いている。
 だが、清白の視点をとおした日記の場合は、いささか註釈を要する。主観による記述をもういちど客体化しなければならない。しかも清白の日記はほとんど文語で書かれているために、これを引用する場合以外は、私による、いわば翻訳が行なわれている。(中略)私は文語による清白の日録文を自分の文章のうちに溶かし込み、最低限の措辞や説明を補って口語文として組み替えている。そしてこの場合も、私はいわば直訳を心掛け、あらたな「描写」は付け加えていない。もし大きく叙述を補う場合は、改行を行なって私だけの叙述の領分と区別を明らかにするように努める。」



「その六十 流離」より:

「伊良子正さんと私とのあいだの会話はいつも、清白がなぜあんなにも潔く、あるいはたちまちにして詩の世界をあとにしたか、という謎をめぐってのものであった。」
「そこには怒りに似たものがあった。(中略)伊良子清白を追い払う力が、今の世にもはたらいていることを確信するところがあり、そのために、なぜ、という問は過去のものではなかった。そればかりか、追い払う力を、わが身の上に感じつづけてもきたのである。しかも、それはよくは筋の通らない力である。なぜなら、その力はいつも、やがてその力自身を追い払ってしまうような力だからである。」
「だが、たとえばこんな疑問がある。(中略)長原止水を訪問した清白は、あたりまえのようにして止水を保険に勧誘して、その激怒を買った。「それでも貴方は詩人か」と一喝され、画室を締め出されて怱々に門を出なければならなかった、という。
 日記に目を凝らしてみるが、その記述はない。むろん、記述の向うに隠されたのかもしれない。

  けれども清白には、どうも相手のその怒りを、どう考え、そしてそれから受けた衝撃をなだめるすべも自分にはなかった。傷ついた、しかし何となく承服できぬ面持ちで友達に語り、そして友達の同感が、長原さんの側にあるらしいことがわかると、すうっと顔から生色が引いて、そしてそれがもう友達からの孤立と別離を決める瀬戸へといそぐはずみになるようで

 『明治詩人伝』(引用者注: 河井酔茗夫人島本久恵の著書)の、胸を衝く一節である。」




『日光抄』より:


「その二十 自緘」より:

「また別の日、(中略)医学校校長堀内先生よりの「あまり苛細にすぎて人の感情を害せざるやうに」との忠告を、医学校の吉田恒蔵教授を介して聞いたとき、清白は、まったく顔より火の出る思いがした。
 「夜社交上の注意につきいろいろ苦心す」と日記本欄に記し、日記補遺欄には(中略)「自緘」を列挙した。これまでの「失敗」が逆算されるだろう。」



「その三十二 大洪水」より:

「「清子何もせず、女中奉公にやらんかと思ふ」などと、清白の日記には相変らずの峻烈が示されている。癇癪を破裂させると、折檻、体罰に及び、食事もせずに早く寝ることがたびたびあった。」


「その三十五 藁と骨」より:

「いまにして思えば、とつづくのは、幾美の逝去した、二十一日夜の記述であるからだ。「今にして思へば此日に医師をよぶべかりしにけふの様子にてあすはどこかに行かんなどいへり、我乍ら同情の足らざること今や幾美の霊に対して申訳なし あゝ」
 そしてさらに、「死んだと思ふと胸が一杯に成る、自分の同情が足らざりしため手おくれしたるはかへすがへすも残念なり」とかさねた。」



「その三十六 残菊」より:

「幾美を失って子供を抱えたまま、清白は覚束ない暮しに入った。(中略)すぐに(中略)はたらきかけて、彼の日記の符牒でいう Frau 探しに入った。」

「年内の結婚を望む清白に対して、聖護院の鵜飼家側は、(中略)一月二十日を望んだ。清白は十日にと焦った。(中略)翌々日の勤め帰りに、通りで偶然、寿と出会った。十二月三十日、六ヵ月間祀っていた幾美の写真を取り払うこととした。」



「その三十八 大騒ぎ」より:

「芯のつよい寿の若さが、清白の桁外れの癇癖ととうとう正面からぶつかって、聖護院の実家に帰る騒ぎになった。婚姻から半年の七月十九日のことである。」

「清白日記にはもともと、子供の行状にかんして、「困る」という記述が多い。人一倍厳しく子に接したからだが、理想の枠から子は逸れていく。少しでも逸れれば立腹に至り、夕食の膳で茶碗が割れた。」
「千里と力はいつも喧嘩、力は千里の毬を破り、千里は泣き叫び、寿が千里を打ち、清白は力を打って隣家の主婦の前で大修羅場を演じ、とこれも行事のようになっていった。」



「その五十三 打瀬船」より:

「台湾時代にも里子に出されたことがある不二子は、内地へ帰住してからほどない幾美の死後、鳥取県(中略)の岡田政治(引用者注: 清白の父)(中略)の許に置かれた。そのために、清白から精神的にも遠くあるほかなく、外で会った清子(引用者注: 清白の長女)には、もう父親とは思っていない、と話したこともあった。」


「その五十四 三等分」より:

「千里は夕飯のとき(中略)怒り出した。またその結婚問題で、夜おそくまで騒ぎになった。
 千里は翌朝起きてこず、戸を締めて十時頃まで寝ていた。昼飯も夕飯も縁側で、茶碗を敷居に置いて食べていた。「をかしな奴なり 病起りたるらし」と清白は書いたが、どこか自分に近いものを見ていた。」
「千里は無言で、遅くまで押入の中にもぐっていた。「狂ひのふるまひ也」と清白は書いた。」
「千里の無言がつづいた。」



「その五十七 省三郎来」より:

「不二子から、親も肉親もない、という手紙が来た。失敬極まる、人非人の言葉なり、と書き留めた。」


「その五十九 島影」より:

「十一月十九日、夜八時頃、フジコキトク、との電報が電話で来た。」
「二十日午前八時頃、フジコイマシンダ、と飛電が来た。」
「死因を聞くと、毒薬自殺――その薬は多分モルヒネらしかった。」



「その六十 ひるの月」より:

「だが、昭和四年のその復活は、『孔雀船』の復活であっても、けっして伊良子清白の復活ではなかった。たしかに、その詩は詩史の評価の上に蘇った。だがそれで、清白が詩人として詩壇に復帰する、というものではなかった。詩壇という塵界に復帰させる力よりも、眼前の海の引きつけてくる力のほうが、自分にはなおはるかにつよくはたらくことを、清白は身をもって知っていた。すでにそうやって、遠く岸を離れ、旅をしてきたのだった。」

「おのれの「白」をかぎりなく淡く、薄く、はかないもの、また透明なものへと変えていきながら、清白は、あたらしい時代の光に消えることを、むしろ積極的に思念していた。」

「昭和二十一年一月十日は小雪が舞った。寒い日だった。伊良子清白は(中略)畦道で、急患の往診途上、脳溢血で倒れ、戸板に乗せて自宅に運ばれる途中、絶命した。」


























































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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