松岡正剛 『ルナティックス』 (中公文庫)

「もはや「月」とは必ずしも「月そのもの」であるのではない。(中略)「月的なるもの」が魂におよぼす玲瓏な月色の飛沫こそ主題となってきたのである。月はその幽かな発振体であればよい。」
(松岡正剛 『ルナティックス』 より)


松岡正剛 
『ルナティックス
― 月を遊学する』

中公文庫 ま-34-4

中央公論新社 
2005年7月25日 初版発行
342p 
文庫判 並装 カバー 
定価933円+税
カバーデザイン: 松田行正


「『ルナティックス――月を遊学する』 一九九三年八月 作品社刊」



本書「文庫版あとがき」より:

「世の中、ルナティックな一派がいささか見えにくくなっているように思う。ルナティックであろうとするとは、世の中からの誤解を恐れずに、月光りんりん、断乎として非生産的な夜陰の思索に耽けるということなのである。堀口大學の「月下の一群」に与することなのだ。この一冊の文庫がふたたび月明派の台頭を促すことを期待したい。」


本文中図版(モノクロ)。


松岡正剛 ルナティックス 01


カバー裏文:

「いかがわしいほどに高貴で、すましているのに何をしでかすかわからない――。“月明派”を自認する著者が、文学から奇想科学、神話、宗教、現代思想、先端科学に至る古今東西の月知を集成した「月の百科全書」。長年の月への憧れを結晶化させた美しい連続エッセイ。」


目次:

睦月 月球儀に乗って
如月 遊星的失望をこめて
花月 月がとっても青いから
卯月 月のタブローは窓越しに
遊月図集 Ⅰ
皐月 月は今宵も遠ざかっている
水無月 お盆のような月が出る
文月 神々はモノリスの月に棲む
葉月 月の女王の帝国
遊月図集 Ⅱ
菊月 熱い月と冷たい月
神無月 花鳥風月の裾をからげて
霜月 遠い月の顛末
極月 今夜もブリキの月が昇った

旧版あとがき
新月 われわれはいかにして月をめざしたか
月神譜
文庫版あとがき

解説 (鎌田東二)




◆本書より◆


「太陽というもの、それは活動をせきたて、いたずらに生産を奨励し、人々に頑丈な健康を押しつけ、法の裁きを決定づける。それに大きすぎるし、熱すぎる。」
「それにくらべ、月はなんともつつましく、なんと清冽で、なんとたよりないダンディズムに包まれていることか。なによりも太陽は熱源であり、月はただ反射をこころがけているだけなのである。これでは、どうみても月の懐かしさに分があると言うべきだ。すでにハネカーが『月光発狂者』の中に次の言葉を綴っていた、「われわれは太陽の暗示のない夢を織り出したいのです」。」

「あえてその未知の原郷に分け入る者もいた。二十世紀初頭でいえば、最後のケルト観念の照射を知るロード・ダンセーニやウィリアム・バトラー・イエイツがその偉大な介入者の代表である。かれらは詩の言葉を使いつつ“直観の月”の構造の内側に入りこみ、その裏側へも回っていった。方法は二つあった。ひとつはダンセーニがそうだったのだが、月をスーパートリックスターにしてしまうという方法だ。」
「月には裏返しの邪険な意図(引用者注: 「邪険な意図」に傍点)というものがあり、その月知神的な裏腹の意図をつかんでやることが重要なのである。たしかに月に入門するには、まずもって月光の無常や月影の美学を堪能することもよい。これがなければ何もはじまらない。これはしかし第一歩でしかない。次の段階は、月がわれわれをあしらう準超越的な存在であることである。それはひょっとしてカラクリ仕掛けじゃないのかとおもえることなのだ。とりわけ何か“別のもの”を掠めるという盗賊的な感覚とお月様にはそれが見破られているという感覚とを、ふたつながら結んでしまうことなのだ。(中略)月には何もないから、そこに贅沢を賭けたくなるのだ。
 もうひとつの方法は、イエイツが得意な方法であるが、月の見えない部分からなんらかの消息を耳をすまし目を凝らして聞くということだ。月をヴィジョンそのものとする方法だ。(中略)月の消息なんて何もなさそうなのだが、その何もないところから、何かを聞く。あるときそこに、ふいにシュメール人やエジプト人がシン神やトート神に託した謎の文字が浮かび上がってくる。」
「イエイツは詩やエッセイのなかで「何もないところに神様がいらっしゃる」ということをよく言うが、その何もない場所こそ月だった。」

「ふたたび強調しておくが、月はともかく変なところ(引用者注: 「変なところ」に傍点)がいいのである。いかがわしいほどに高貴で、すましているのに何をしでかすかわからないところが月らしさというものなのだ。」

「一般人なら誰だってまずもって太陽を享受するものだ。まぶしい朝の光に生命のかぐわしき発端をおぼえ、健康にはちきれた肉体を太陽からもらおうとするものだ。その王者たる太陽に叛いたラフォルグが少数の人々のみに愛されるしかなかったとしてもやむをえなかった。」
「なにも私は白昼を嫌って真夜中に心酔しようという鳥目人をめざすわけではない。ただ、「太陽は野暮だ、月は粋だ」と断言しているだけなのだ。「鉄屑色の空にむかって、そこでは月が自分の葬式をしているのだ」(ピエロたちの話)といった倫理が太陽に欠けているのは、致命傷ではないかと言っているまでなのだ。」

「私はこの、無の発祥(引用者注: 「無の発祥」に傍点)に立ち会おうとするラフォルグの立場に「遊星的失望者」というすばらしい称号を贈る。誰がこの宇宙を闇からひきずりだしたのか。ラフォルグのこの苛烈な問いこそが、私の主題「香ばしい失望」にふさわしいものなのだ。これは絶望ではない。もはや絶望はチャチなのだ。」





こちらもご参照ください:

Michel Butor 『Herbier lunaire』




wyeth - moon madness 1982

アンドリュー・ワイエス「ムーン・マッドネス」(1982年)。



















































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