『中井英夫全集 [1] 虚無への供物』 (創元ライブラリ)

「でも、もしかしたら五月って、喪服が一番似合う季節なのかも知れないわね。ときどき変なことを考えちゃうのよ。たとえば、いままでは雪が降ると楽しいなんて思っていたけど、雪って、本当はひどく不吉な、凶々しいものを持っているんじゃないかしら。このごろの明るい緑だって、油断はならないわ。」
(中井英夫 『虚無への供物』 より)


『中井英夫全集 [1] 
虚無への供物』

創元ライブラリ L な 1 1

東京創元社 
1996年12月10日初版
760p 付録4p
文庫判 並装 カバー 
定価1,500円(本体1,456円)



本書「解題」より:

「『虚無への供物』
 一九六四年二月二十九日、塔晶夫名義、講談社刊行、四六判、三六九頁、四九〇円、著者近影は高橋利武、挿図は吉中道夫、装幀は吉田幸子。」



「創元ライブラリ版『中井英夫全集』編集付記」より:

「一、本全集は中井英夫(塔晶夫)の生前の全単行本を小説、エッセイ、日記、詩篇・短歌論とほぼテーマ別、編年体順に再構成し、また初刊時ビジュアル的に配慮された四冊を別巻に収録、中井文学の全貌を集成する。
一、底本は初版単行本を用い、他の刊本も参照した。著者の赤字書き入れ等はこれを生かした。」



中井英夫全集01 01


帯文:

「小説は天帝に捧げる果物、一行でも腐っていてはならない。」
NHK BSドラマ化決定
幻の塔晶夫本『虚無への供物』
中井さんの文学はきっとこれからほんとうに理解されるようになるでしょう。そう思います。
武満徹」



カバー裏文:

「黒ビロードのカーテンは、ゆるやかに波をうって、少しずつ左右へ開きはじめた。―十二月十日に開幕する中井文学。現実と非現実、虚実の間(あわい)に人間存在の悲劇を紡ぎ出し、翔び立つ凶鳥の黒い影と共に壁画は残された。塔晶夫の捧げた“失われた美酒(オフランド・オウ・ネアン)”、唯一無二(スイ・ゲネリス)の探偵小説『虚無への供物』を――その人々に」


目次:

 序章
1 サロメの夜
2 牧羊神のむれ
3 月の夜の散歩
4 蛇神伝説
5 ザ・ヒヌマ・マーダー
6 鱗光の館
7 未来の犯人
8 被害者のリスト
9 井戸の底で
10 『凶鳥の黒影』前編
 第一章
11 第一の死者
12 十字架と毬
13 『凶鳥の黒影』後編
14 透明人間の呟き
15 五つの棺 (亜利夫の推理)
16 薔薇のお告げ (久生の推理)
17 第三の業 (久生の推理・続き)
18 密室と供物殿 (藍ちゃんの推理)
19 ハムレットの死 (藤木田老の推理)
20 『虚無への供物』
 第二章
21 黒月の呪い
22 死人の誕生日
23 犯人たちの合唱
24 好ましくない容疑者 (亜利夫の日記 I)
25 皺だらけの眼
26 算術の問題
27 予言者の帰国
28 殺人問答
29 ギニヨール風な死
30 畸型な月
 第三章
31 顔のない顔
32 瞋る者の死
33 閉された扉
34 オイディプスの末裔
35 殺人日暦
36 第四次元の断面
37 放火日暦
38 タイム・マシンに乗って (亜利夫の日記 II)
39 ゴーレムの正体
40 犯罪函数方程式
 第四章
41 白い手の持主
42 第三の薔薇園
43 死体エレベーター
44 痴れ者の死
45 密室ではない密室
46 ワンダランドへの誘(いざな)い
47 薔薇と経文
48 三枚のレコード
49 童子変相図
50 “驚くべき真相”
 終章
51 非誕生日の贈り物
52 夜の蓑虫
53 仮面の人
54 黒と白
55 非現実の鞭
56 幸福な殺人者
57 鉄格子の内そと
58 五月は喪服の季(とき)
59 壁画の前で
60 翔び立つ凶鳥
 あとがき

解説 (相澤啓三)
解題 (本多正一)

付録 3 
 文学の特別席 (埴谷雄高)
 塔晶夫へのオード (齋藤愼爾)



中井英夫全集01 02


「むかし、S・S・ヴァン・ダインは、ジャッコーと名づけたスコッチ・テリアを愛玩し、『ケンネル殺人事件』にもその美徳を讃えているが、どうみてもあれは黒い角(つの)毛虫といったふぜいで、馴染み難い。テリア種は、エアデールの金茶と黒の巻毛に包まれて始めて味わい深いというのが、私の意見である。
 そのせいであろうか、コロネーション・ブルースの愛娘、母方に遠くアズマホープの引くこのローラ嬢を引き連れながら私の考え続けていたのは、アンチ・ミステリー、反推理小説ということであった。」




◆本書より◆


「この当時、――だが、一九五四年という昔の出来事を正確に記憶されている向きも、いまは少ないであろう。日本流にいって昭和二十九年というこの年には、すこぶる陰惨な事件が多く、警視庁の調べによると、年間の殺人件数も、未遂を含めて三千八十一件、一日あたりほぼ八件という未曾有(みぞう)の新記録を樹立しているほどだが、そのほかにもこの年が特に意味深いのは、たとえば新年早々に二重橋圧死事件、春には第五福竜丸の死の灰、夏は黄変米(おうへんまい)、秋は台風十五号のさなかを出航した洞爺丸(とうやまる)の顚覆といった具合に、新形式の殺人が次から次へと案出された年だからでもある。
 それは、確かに殺人だった。」

「「一口にいえば、それはまったくの“無意味な死”の連続だろう。ひとりとして人間らしい死に方をした人はいない。……これくらい無意味な死が続けば、氷沼家に潜在する力が爆発しても不思議はない。どこかでそれを押し留めようとする働きが起るのは当然なんだ。」」

「「そうなんだ。S・B園の事件くらい、氷沼家を象徴しているものはない。殺人か、それとも無意味な死か、どちらを選ぶかというのが氷沼家の問題さ。いいかい、君はS・B園が放火だとすると、あまりに陰惨すぎるというけれども、それじゃ百人近いお婆さんたちが、カイロ灰の不始末なんていう、無意味きわまりない事故で焼け死んで、おまけに、どこからともなく余分な死体がひとつ紛れこんだまま説明もつかないという現在の状態は陰惨じゃないのか。どちらが人間世界にふさわしい出来事かといえば、むしろ、どこかに凶悪な殺人者がいて、計画的な放火なり死体遺棄なりをしたと解釈したほうが、まだしも救われる、まだしもそのほうが人間世界の出来事といえるじゃないか。ぼくにはあのS・B園の事件が殺人であり、放火であるほうが望ましい。望ましいというより、人間世界の名誉のために、犯罪だと断定したいくらいだ」」

「いわれて、初めて亜利夫も、荒れ果てた庭の奧で、紅司の植え遺した薔薇“虚無への供物”が、紅い膿のような新芽をふくらませているさまを思い浮べた。肥料も貰えず、剪定もされぬままとすれば、まともな育ち方をする筈もないが、紅司の執念が籠っている限りその芽は次第に色をおさめて白緑に輝きはじめ、やがて柔らかい葉を噴き、細い茎を差し出し、蜜のように透きとおる棘を初々しく光らせながら見るまに逞しくのびて、ついには高々と血の色の蕾をかかげるに違いない。」

「「解決する方法はひとつあるさ」
 牟礼田が力強く答えた。
 「ぼくたちの手で、その第四の密室殺人を、先に作り出してしまうんだ」
 「なんですって」
 「つまりタイム・マシンに乗って、未来の殺人現場を先に覗いてこようというんだ。(中略)なんならぼくが小説の形式で書いてみせてもいい。そして、それをあくまでも実際に起ったこととして点検してゆけば、紅司君のいっていた“驚くべき真相”も浮かんでくるだろう。それ以外に、この事件の進行を喰いとめる方法はないね」」



「虚無なる日々に――未公開日記抄」より:

「小説ひとつ。  水道橋(大寿司)の殺人現場を歩きながら、男の考えが、しだいにひとつの奇怪な想念を結んでゆく。太古の部落ならば、長く忌み怖れられる筈の現場を、いまはもう翌朝平気な顔で誰もが歩き、車がゆくことのおそろしさ。」



































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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