堀口大學 訳 『シュペルヴィエル抄』

「ところが海は、相変らず空っぽで、流星以外、彼女をたずねる者は何もなかった。」
(シュペルヴィエル 「沖の小娘」 より)


堀口大學 訳 
『シュペルヴィエル抄』


小沢書店 
平成4年3月20日初版発行
285p 目次vi 
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,090円(本体3,000円)
装幀: 望月玲



本書「解説」(安藤元雄)より:

「この本は、(中略)堀口大學によるシュペルヴィエル作品の翻訳のすべてを集め、整理して、初めて一冊にまとめたものである。詩はそのほとんどを『堀口大學全集』第三巻の「シュペルヴィエル詩集」に依拠して、新字新仮名遣による訳者生前の最新のテクストを採用しているが、『世界の寓話』の部はここに初めて「詩集」の本文に繰り込まれるもので、『全集』では正字旧仮名遣のままだったテクストを新字新仮名遣に改めてある。散文作品は訳者生前の刊本である青銅社版の二冊の短篇集『沖の小娘』と『ノアの方舟』に加えて、彌生書房版『シュペルヴィエル詩集』から『善意爆弾』以下の諸篇を採り、さらに雑誌発表のままだった「オロ―プレト紀行」を新字新仮名遣に改めて収録した。」


二段組。


シュペルヴィエル抄1


帯文:

「ジュール・シュペルヴィエル(1884~1960)――ファンタジックなイメージと奔放な想像力によって、日本の現代文学にも多大な影響をあたえつづけた南米ウルグアイのモンテヴィデオ生まれのフランス詩人。わが国への紹介者、また最適の訳者として詩人堀口大學が遺した、愛誦すべき佳什七十七篇ほか短篇(コント)集「沖の小娘」「ノアの方舟」などシュペルヴィエル作品をめぐる全訳業新訳版。」


帯背:

「南米生まれのフランス
詩人シュペルヴィエル。
堀口大學新訳版による
詩とコント、作品集成。」



目次:

詩集
 荷揚場 (1922年)
  死を待ちながら
  林
  あのどんよりした雲のうしろ
  ブラジルの寄港地
  闘牛
  戦友
  乗込み
  椰子の木影で
  逃走
 引力 (1925年)
  肖像
  生存者
  炎の尖端
  ロートレアモンに
  海へ投身した男
  生きる
  一つの声が
  死美人
  昨日と今日
  動作
  沖合
  出帆
  上甲板
  沖の下
  交換
  巡回の道
 無実の囚人 (1930年)
  囚人
  心臓
  捉える
   捉える……
   煙と叫喚の……
   この顔の……
   平野の女よ……
   あらゆるものが……
   或る顔が……
  しばらくひとりで……
  分散
  おきき……
  ドアよ、ドアよ……
  僕は一本のポプラを……
  オロロン―サント―マリー
  Whisper in agony
  請願書
  無神
  カルナヴァレ博物館
  天の火
  ねざめ
   光りが……
   夜の斜面に……
   自分さえない……
   モンテヴィデオの……
  それ
   それは……
   今日の一日が……
  この沈黙のうしろ
   夕ぐれ……
   明るい鐘の音を……
   厳めしい肩つきの……
  君の心臓……
  天空
  仔鹿
  灰色の支那の牛が……
  太陽が……
  森の奥
  眠る湖
 未知の友ら (1934年)
  時間の馬たち
  顔
  呼びかけ
  魂
  舟あと
  この手……
  恋愛
  或る詩人
  すると物体が……
  ドア
  犬
  追従者
  魚
  羚羊
  漂泊びと
  彼ひとり
  第二の自我
  難破
  他界の忍者
  川と一緒に歌うには……
  席を讓る
 世界の寓話 (1938年)
  神さまが仰しゃる
  未知なる神への祈り
  闇が渇きを
  僕は一人海上に
  知られぬ海
 その他の詩篇
  古参の地平線
  この孤独の……

沖の小娘 (1930年)
 沖の小娘
 秣槽の牡牛と驢馬
 セーヌ川の名無し女
 天空の跛行者たち
 ラーニ
 ヴィオロン声の少女
 或る競馬のつづき
 犯跡と沼

ノアの方舟 (1938年)
 ノアの方舟
 エジプトへの逃亡
 沙漠のアントワーヌ
 少女
 牛乳の椀
 蝋人形
 また見る妻

その他の作品
 善意爆弾 (1949年)
  善意爆弾
  ありがたち
  幼女ひとり
  牝牛
  巨人たち
 宇宙の発足 (1950年)
  イオ
  羊三頭つれた後家さん
    *
 泉に飲む (1933年)
  オロ―プレト紀行

解説 (安藤元雄)
年譜 (田口啓子 編)



シュペルヴィエル抄2



◆本書より◆


「海へ投身した男」より:

「航海中の汽船から
僕は身を投げた
さて早速船のまわりを駈けめぐる。
幸い誰にも見られなかったが、
見たら人は自分の理性を疑う筈。

光線同様の気易さで僕は海面に立って
波と自分の靴底の奇蹟的間隔を考える。
泳ぎと来たら浮身さえ知らぬ僕だが、仰向けに寝ころんでみる
そのくせやはり濡れもしない。
水の松葉杖をついて掌(て)をあげて
人たちが近づいて来る、
来ても彼らは死んでしまう、大きな口から泡を吐いて。」



「動作」:

「ひょいと後(うしろ)を向いたあの馬は
かつてまだ誰も見た事のないものを見た
次いで彼はユーカリプスの木蔭で
また牧草(くさ)を食い続けた。

馬がその時見たものは
人間でも樹木でもなかった
それはまた牝馬(ひんば)でもなかった、
といってまた、木の葉を動かしていた
風の形見でもなかった。

それは彼より二万世紀も以前
丁度この時刻に、他の或る馬が
急に後(うしろ)を向いた時
見たそのものだった。

それは、地球が、腕もとれ、脚もとれ、首もとれてしまった
彫像の遺骸となり果てる時まで経っても
人間も、馬も、魚も、鳥も、虫も、誰も、
二度とふたたび見ることの出来ないものだった。」



「灰色の支那の牛が……」:

「灰色の支那の牛が
家畜小屋に寝ころんで
背のびをする
するとこの同じ瞬間に
ウルグヮイの牛が
誰か動いたかと思って
ふりかえって後(うしろ)を見る。
この双方の牛の上を
昼となく夜となく
翔(と)びつづけ
音も立てずに
地球のまわりを廻り
しかもいつになっても
とどまりもしなければ
とまりもしない鳥が飛ぶ。」



「知られぬ海」:

「誰も見ていない時
海はもう海でなく
誰も見ていない時の
僕らと同じものになる。
別な魚が住み
別な波が立つ。
それは海のための海、
今僕がしているように
夢みる人の海になる。」



「沖の小娘」より:

「この小さな村にたった一筋しかない往来を歩きながら、小娘はときどき、右を見たり左を見たりするのであった、どうやら彼女に向って軽く手を上げて挨拶をしたり、頭を動かして友情を示したりする者でもあるらしく。しかしこれは自分でも知らずに、彼女が与える印象にしかすぎないのであった、なぜかというに、絶えず今にも消え失せようとしているこのさびしい村に、何事の起るはずもなく、また誰あって来るはずもないのだから。
 何を食べて彼女は生きているのだろうか? 魚をとってかしら? ところが、どうやらそうではないらしかった。というのが、彼女は、台所の戸棚と蠅帳の中に、食物を見出すのであった。二、三日目には牛肉までが、ちゃんと入っていた。その他、彼女のために、馬鈴薯や、ほかの野菜類や、ときどきは鶏卵まであった。
 それらの食料品は、たちどころに戸棚の中に現われるのであった。そして小娘が壺の中からジャムをとり出しても、それは依然として少しも減らなかった、あたかも、一度あっただけのものは、何時までもそのままあるべしと定められてでもいるかのように。」

「ときどき小娘は、或る種類の句が書いてみたくってたまらなくなった。そんな時、彼女は熱心に書くのであった。
 たくさんの中から抜いて、次にその四つ五つをお目にかける。
 ――これを二人で分けましょうね?
 ――よく私の言うことをお聞きなさい。どうぞお席に腰かけて、動かずにおいで下さい!
 ――わたしにもし、高山の雪があったら、一日はもっと早く過ぎるでしょうに。
 ――泡よ、わたしのまわりの泡よ、何時になったら、おまえは固いものになるのか?
 ――輪踊(ロンド)を踊るには、少なくも三人いなければ駄目。
 ――頭のない二つの影が、埃の多い道を歩いて行った。
 ――夜、昼、昼、夜、雲と飛魚と。
 ――わたしは、物音が聞えたように思った、ところがそれは海の音でしかなかった。
 彼女はまた、手紙に、自分の小さな村と、自分自身のニュースを書くのであった。
 (中略)
 手紙を書き上げると、彼女はそれを海へ投げた――捨てるつもりではないのだけれど、必ずそうするものだと彼女は思っているのである――、またもしかするとこれは、難破した航海者が、彼らの最後の便りを、絶望の空壜につめて、波に任すと同じ気持なのかも知れない。
 水に浮んだこの村では、時は経たなかった。小娘は幾年たっても十二歳だった。」



「セーヌ川の名無し女」より:

「「あたし、川の底に沈んでしまうものとばっかり思っていたのに、どうやら浮ぶらしいわ」。浮いたり沈んだりして流れながら、この溺死した十九歳の娘はぼんやり考えた。
 アレキサンドル橋を過ぎて間もないあたりで、水上警察のうるさい人たちが各自(てんで)に竿をふりまわして、彼女の着物にひっ掛けようと肩を打ったり突いたりしたあの時は、どうなることかと怖ろしかった。
 幸い、折から日が暮れた。それで彼らはそれ以上追いかけては来なかった。
 (中略)
 どうやら彼女は、今ではパリを過ぎていた。そして樹木と牧場の美しい左右の岸の間を流れていた、昼の間はなるべく人目につかない川の隠れ場所にもぐり込んで、月と星だけが魚たちの鱗を撫でに来る夜だけしか旅はしないようにして。
 「今ではどんな大きな波でもあたしにはもうこわくないのだから、海へ出られたらよいのになあ」
 彼女は自分の顔に、明るい生き生きした微笑が浮んでいるとは知らずに流れていた。それは、あらゆるものに絶えず影響されて、じきに消えてしまわなければならないような生きた女たちの微笑よりは、かえって永続きのする微笑であった。
 海へ出る、今ではこの言葉が、川の中での彼女の道づれになっていた。」

「あたしの可哀そうな頭の中には、今ではもう海草や貝殻などが住んでいるだけだ。どういうものかあたしには、寂しくてならないと言いたくってならないのだが、そのくせあたしは実は、この言葉がどんな意味かさえ知らないのだ」



「少女」より:

「二人の姉妹のうち、姉の方は、多少ぞんざいではあるが実質的な料理を作った。妹の方は、先頃から実に奇想天外なご馳走を作るので、食べる方の人たちは、果して自分が食べているのか、それとも自分の口が夢を見ているのか、けじめがつかなくなるほどだった。」



この記事を見た人間や馬は、こんな記事も見るとよいです:

吉田健一 譯 『ラフォルグ抄』
































































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趣味: 図書館ごっこ。

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