澤田瑞穂 『修訂 地獄変』

「人間に想像力というものがあるかぎり、その内容は荒唐無稽でも、想像するという精神作用を疑うことはできない。陰司に入って地獄を見たという話だって、その内容たる地獄は客観的には実在しないにしても、地獄を幻視する特殊な能力を具えた人があり、その人の観念の中では一時的にせよ地獄は実在したのである。」
(澤田瑞穂 『修訂 地獄変』 より)


澤田瑞穂 
『修訂 地獄変
― 中国の冥界説』


平河出版社 1991年7月15日初刷発行
299p 序ii 索引20p 口絵(カラー)2p 
四六判 丸背布装上製本 カバー 
定価2,500円(本体2,427円)
装丁: [中垣デザイン事務所] 奥りゑ



澤田瑞穂(さわだ・みずほ)は1912年生、中国文学。本書は著者による「中国妖異考の四部作」の一。
『地獄変』初版は、昭和43年3月、法蔵館「アジアの宗教文化」シリーズ巻三として刊行、本書はその修訂新版。
本文中図版(モノクロ)多数。


本書「序」より:

「地獄説は仏教だけのものではなく、道教の経典にも説かれているうえに、さらに中国の各種の宗教・思想・習俗・文芸のうちにも複雑に根をはっており、異様な冥界文化ともいうべき一体系をなしているのであるから、仏説の紹介だけで終るものではない。
 本書は(中略)仏典解説のような仏教専門の研究としてではなく、多くは道書・随筆・雑著および俗文学の資料に現われた習俗や説話に関する記事を用いて、むしろ民俗史的研究ともいうべき立場で、題名どおり地獄冥界説の変相を整理し展望することにつとめた。」



本書「後語」より:

「本文は、ほとんど原著のままにとどめ、ただ若干の誤植を校訂するほか、難読の字にはなるべく多くのルビを施し、言い足りない辞句には最少限度の補足を加え、あるいは削るなどの文辞上の修訂はしたけれども、新資料や新知見などの内容上の増添はしないことにした。(中略)その代り、本文の補充資料として、その後に書いた二篇の論考を加えて補編とし、「修訂」の名に副(そ)うよう配慮した。」


澤田瑞穂 地獄変1


目次 (初出):

口絵
 道教の冥途路引
 麒麟送子の新年版画 



一 地獄の経典
二 冥府とその神々
三 入冥譚
四 地蔵と目連
五 地獄文学
六 現世と冥界 (以上 『地獄変』 法蔵館 昭和四十三年、所収)
補編一 地獄めぐり譚 (講座・敦煌 第九巻 『敦煌の文学文献』 大東出版社 平成二年、所収)
補編二 泰山信仰 (世界の聖域 別巻一 『中国の泰山』 講談社 昭和五十七年、所収の「霊魂の山」「生育の山」の項)

修訂版『地獄変』後語

参考文献
初出一覧、図版・写真協力

書名索引
事項索引



澤田瑞穂 地獄変2



◆本書より◆


「序」より:

「世に地獄極楽のことを説いた書物は少なくない。(中略)ただその反面に、仏典の説――主として古代インドの地獄説――から一跳びに海を越えて日本に渡り、平安朝以来の地獄信仰を叙するというように、中間の中国大陸におけるこの信仰の種々相については、やや疎略であることをまぬがれない。しかし地獄説は仏教だけのものではなく、道教の経典にも説かれているうえに、さらに中国の各種の宗教・思想・習俗・文芸のうちにも複雑に根をはっており、異様な冥界文化ともいうべき一体系をなしているのであるから、仏説の紹介だけで終るものではない。
 本書はこの見地から、仏典解説のような仏教専門の研究としてではなく、多くは道書・随筆・雑著および俗文学の資料に現われた習俗や説話に関する記事を用いて、むしろ民俗史的研究というべき立場で、題名どおり地獄冥界説の変相を整理し展望することにつとめた。地獄説のように、合理主義の知識人からは荒唐無稽として排斥されてきたものについては、こうした一見雑駁な俚俗(りぞく)の伝承を通じてのみ、はじめてよくその実相が理解できると考えたからである。」



「一 地獄の経典」より:

「本来の閻羅王は、これほどの高い地位と権威をもつ王者であったのだが、中国に伝えられてからの閻羅王は、その王宮もせいぜい中都市の府城か、高官の邸宅くらいのものと考えられるようになり、王自身も法廷で直接に亡者を審判する法官とみなされるようになった。(中略)人々は、閻王が世人の所業を調べて容赦なく断罪するところから、現実世界の裁判官を連想し、やがてその姿態服装までも中国の法官に擬したのである。すべて地獄の規模も閻王の地位も、仏典に説かれるような誇張された空想的なものから、小規模の現実的なものへと後退している。」

「ある宗教の冥界説が、地獄をも含めて完備したものになるためには、次の三つの要件を具(そな)えなければならない。一は冥界の主宰者と官曹、二は業報(ごうほう)と死後裁判、三は牢獄と刑罰である。道教が右の三要素を具備した冥界説を所有するまでには、仏教の地獄説を次々に摂取したことはいうまでもないが、道教で、かなり早くから進められていたのは、主として冥界の官僚組織に関する方面であった。」

「仏教の地獄は上下無数の層をなして重なると考えられているが、道教では新趣向として五行の方位に配した九方の地獄を説く、これを九幽地獄という。『太上九真妙戒金籙度命抜罪妙経』によれば、北帝の支配する鄷都冥司には、東方風雷之獄・南方 火翳(かえい)之獄・西方金剛之獄・北方 溟冷(めいれい)之獄・中央普掠(ふりゃく)之獄・東南方銅柱之獄・西南方屠割之獄・西北方火車之獄・東北方鑊湯之獄がある。『太上消滅地獄 昇陟天堂懺(しょうちょくてんどうさん)』でも、南方を烽輪之獄とするのを除くと、他の八方は同じであるが、さらに八万四千重の鬼獄ありとして無数の地獄名を列挙する。刀山劔樹脱落地獄・鑊湯鑪炭焼煮(かくとうろたんしょうしゃ)地獄・鉄牀(てっしょう)銅柱焦然地獄・刀輪火車 霹靂(へきれき)地獄・抜舌耕犂楚痛(ばつぜつこうりそつう)地獄・釘身鋸解断截(ていしんきょかいだんせつ)地獄・鉄網肢節分離(てつもうしせつぶんり)地獄・火坑炮炙猛然(かこうほうしゃもうぜん)地獄・刀兵 爪距搏撮(そうきょはくせつ)地獄・虎狼鷹犬残害(ころうようけんざんがい)地獄・呑噉鉄丸消爛(どんかんてつがんしょうらん)地獄・暗黒肉山斬剉(あんこくにくざんざんざ)地獄・洋銅飲鉄爛潰(ようどういんてつらんかい)地獄・鹹水 寒氷坼裂(かんぴょうたくれつ)地獄・大鉄囲山門地獄・鉄馬鉄牛地獄・鉄驢鉄鳥(てつろうてっちょう)地獄・鉄山鉄屋(てつざんてつおく)地獄・鉄車鉄衣地獄・飛刀掣電(ひとうせいでん)地獄・解身爪頭(かいしんそうとう)地獄・八寒八極地獄・両舌両石地獄・然手焼脚(ねんしゅしょうきゃく)地獄・剥皮飲血(はくひいんけつ)地獄・糞尿地獄・鱠肉(かいにく)地獄・〓(漢字: 金+疾)〓(漢字: 金+梨)(しつり)地獄・崩埋(ほうまい)地獄・阿波波地獄・阿婆婆地獄・阿吒吒(あたた)地獄・阿羅羅地獄。(中略)こういう地獄を次々に考え出した人は、もはや悪人を畏怖させるという程度をこえて、残虐な刑罰法そのものを愉しむ変態趣味に陥っているようだ。」



「三 入冥譚」より:

「ある人が夢の中で、あるいは一旦死んで冥府に拘引され、幸に無罪放免になる。ついでに地獄を案内されたのちに蘇生し、その見聞を世人に語って勧善戒悪の資とする――この型の説話を入冥譚と名づける。いわゆる地獄めぐりの物語である。」
「夢というのは虚構を語るのに最も好都合な設定であるが、ただの便宜のためだけに夢を持ち出すのではない。神に祈願してわが未来や過去を知りたいと希(ねが)う者は、夜をこめて神殿に参籠し、仮睡の状態で積極的に夢を求める。夢の中でこの神魂は冥府に導かれ、そこで過去や未来を告げられる。神仏の啓示は夢の中に現われるから、夢をみることこそ重要な占卜法であった。」
「入冥譚の主人公は、冥府から放免されて帰り、地獄の実相を伝えるというのが初めからの約束なのだから、善人ではないまでも、動きのとれない罪過があっては困る。ところが、善人や常人が理由もなく冥府に召喚されるというのはおかしい。だが召喚されなければ物語にならない。この矛盾を調和するために、入冥譚ではよく「錯名誤追(さくめいごつい)」という苦肉の策を用いる。発音上では同姓同名だが、名の一字が違う別人だったとか、同姓同名でも本籍・住所・職業が違っていたとか、とにかく使者の早合点で人違い逮捕をしたことにするのである。吏に命じて原簿と照合すると、なるほど別人であったことが判明する。使者はただちに問責され、改めて本物の罪人の逮捕が命ぜられる。」
「さて人違いされた彼は、罪人どころか、平素から『金剛経』を読誦するなどの功徳を修しており、長官を感心させる。かつは人違い逮捕についてのお詫びの意味もかねて、彼は原簿に記された自分の寿命を教えられる。うまくゆくと寿命を幾年分か延ばしてくれることもある。いよいよ放免されるにあたり、案内の冥吏がつけられて、話に聞く地獄というものを見学する。」



「補編一 地獄めぐり譚」より:

「各時代の地獄文献を概観すると、唐以前は地獄紹介の漢訳経典、唐五代は『目連変文』に代表される変文文学、元から明清時代は『香山宝巻』に代表される宝巻文学であった。しかし清代では宝巻と並行して総合的な地獄解説の通俗勧善書も普及した。その代表が『玉暦鈔伝(ぎょくれきしょうでん)』である。」

「欣求浄土(ごんぐじょうど)とは古来あまりにも使いふるされた法語である。それほど渇仰された天堂仏国の荘厳世界ではあるが、いかに宝楼台閣が彩雲に入り、諸仏菩薩が妙法を説き、耳には迦陵頻伽(かりょうびんが)の微妙声(みみょうしょう)と、天女の奏する天楽を聴くとしても、すべて世は事もなく、永劫に蓮台に坐していなければならないとすれば、在世中に日夜営々と辛苦して働き通した亡者にとっては、その浄土の無為の歳月が、あまりにも退屈で、かえって大きな苦痛となりはしないか。
 そこへいくと、冥府は一殿から十殿まであり、趣向を凝らした刑罰を施す無数の大小地獄と、業報を受ける幾千万の亡者なかまがいて、その変化に富み熱気に溢れることは平穏無事な天堂の比ではない。亡者はその生前の善悪により六道に分れて転生するが、冥界にいるあいだは殺されても二度と死ぬことはない。牛頭馬面の鬼卒によって無残な刑罰を受け、身は推磨(ひきうす)で粉砕されようとも、それが終ると、どこからともなく一陣の清風が吹いてきて元の亡者の姿に復し、次の審判に移されて別の刑罰を受けるというから、地獄説はすこぶる巧妙に辻褄を合わせている。
 地獄遍歴の文学が各時代を通じてあんなにも繁栄したのはなぜだろう。それは世人を勧化して正道に入らしめるという目的から出たことはいうまでもないが、その根源には、世人がそれを聴きたがること、すなわち必ずしも無為の平和を希求せず、かえって残虐な刺激を欲する人間性が潜在するからではなかろうか。平和を招来するためという名分のもとに、平和(天堂)との対極にあるもの――擾乱・闘争・掠奪・姦淫・殺戮の地獄相が、いつの世にも現出するのをみればわかる。
 清末の作家李伯元に『活地獄』と題する小説がある。それは清末の官界における最大の暗黒面である地方官庁の刑獄の諸相を記述したもので、虚構も誇張も加わっているだろうが、これを読むと、まさしく題名どおり活(い)きた地獄を見る思いがする。贈収賄によって有罪も無罪となり、無罪も有罪となるばかりでなく、囚人に対する刑吏の暴行は、いわゆる拷問の域を越えて、まさに残虐な殺戮そのものである。李伯元はこれを現実に存在する地獄として活写したもので、かの『玉暦鈔伝』の虚構も決して虚構ではないような気になる。近き世の『玉暦鈔伝』の読者も、おそらく彼らの見聞した官府の刑獄と重ねあわせて、冥界の地獄刑罰を事実と錯覚したに相違ない。
 この意味での地獄は現代只今でも実在し進行中である。どこかの国での戦闘と大量の人民虐殺あるいは難民掠奪、それは訛伝(かでん)も誤報もまじりながら刻々と報道されており、それはさながらの地獄である。ただその実況を報道するレポーターが、昔は宗教や道徳の宣布者であったのが、今は新聞記者やカメラマンなどの現代的な職業人に変っただけである。」






























































































































































































































































































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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