清水徹・出口裕弘 編 『バタイユの世界』 (新版)

清水徹・出口裕弘 編 
『バタイユの世界』
(新版)


青土社 
1990年12月19日 第1刷印刷
1991年1月29日 第1刷発行
618p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,400円
装幀: 菊地信義



本書「まえがき」より:

「ジョルジュ・バタイユともっとも親しく交り、たがいに深く尊敬しあい、許しあっていたモーリス・ブランショが、バタイユを追悼する文章の末尾でこんなことを言っている。バタイユの全作品は人間という「不可能なもの」へと寄せる友愛を表明している。われわれが彼の作品から受けとるのは、この友愛の贈物なのだ。だからこそ、この作品は完全に孤絶している、と。
 完全に孤絶した位置、――こんな言葉はふつうは特異な気質のマイナー・ポエトやいわゆる異端の思想家にふさわしい。(中略)バタイユは、いまや、ミシェル・フーコーが「バタイユ全集刊行の辞」の冒頭で言いきったように、今世紀でもっとも重要な作家・思想家のひとりなのである。しかも同時に、依然として彼は孤絶した存在でありつづけている。ここにバタイユの秘密がある。」
「ここに収録したバタイユ論は、フィリップ・ソレルスおよびベルナール・ノエルのもの二篇を除いて、いずれも『クリティック』誌バタイユ特集号(一九六三年八-九月合併号)と、二冊の『アルク』誌バタイユ特集号(一九六七年第三十二号、七一年第四十四号)から選んだ。(中略)モーリス・ブランショの名前が落ちているのは、筑摩世界文学大系『ベケット・ブランショ』の巻に「バタイユ論集成」として全六篇がまとめて訳出・刊行される予定なので、重複を避けたからである。バタイユ論のほかに彼の著作から短いもの数点を収めることにした。」



バタイユの世界 01


本書のカバー(表、背)のタイトル部分には楕円形の穴があいていて(穴の部分も含めてカバーは透明フィルムでコーティングされています)、そこから本体表紙・背表紙の文字がみえるようになっています。


バタイユの世界 02


帯文:

「〈現代思想〉誕生の現場
〈現代思想〉のすべての問題群を、孤絶した営為のなかに燦かせた今世紀最大の思想家ジョルジュ・バタイユ。その畏怖すべきまでの今日性を、「エロティシズム」「死」といった抽象から奪い取り、サルトルとの直接討論をはじめ彼自身の肉声のなかに甦らせるとともに、フーコーが、デリダが、バルトが、クロソウスキーが、人間という「不可能なもの」を追い求めたバタイユと格闘しつつ自らの思想を鍛え上げていく生々しい現場を再現する。」



帯背:

「バタイユの全体像」


帯裏:

「ジョルジュ・バタイユ Georges Bataille (1897-1962)
フランスの作家・思想家。『眼球譚』『マダム・エドワルダ』などでエロティシズム文学の最高峰を極める一方、シュルレアリスム脱退者を集めた雑誌「ドキュマン」、反ファシズム共闘「コントル・アタック」、秘密結社「アセファル」、「社会学研究会」、批評誌「クリティック」と、知識人運動を次々に組織。死と性の限界体験のなかに〈不可能なもの〉〈非-知〉を追究する『内的体験』『エロティシズム』、消費の理論に基づく〈一般経済学〉を提唱する『呪われた部分』などの著作は、いまもなお現代思想界に黒々とした影を投げかけている。本書は、自らその思想のエッセンスを語った講演、討論、論文に加え、フランス思想・文学界の巨星たちによるバタイユ論を収録。」



目次:

まえがき (清水徹、1978年1月)
再版のための追記 (清水徹、1990年10月)

Ⅰ バタイユの思想
アレクサンドル・コジェーヴ ジョルジュ・バタイユの著作への序 (伊藤晃訳)
ジャック・デリダ 限定経済学から一般経済学へ (三好郁朗訳)
ピエール・クロソウスキー ジョルジュ・バタイユの交感におけるシュミラクルについて (豊崎光一訳)
ミシェル・フーコー 侵犯行為への序言 (豊崎光一訳)
フィリップ・ソレルス 屋根 (岩崎力訳)
ベルナール・ノエル 問い (與謝野文子訳)

Ⅱ 作品論
ミシェル・レリス ロード・オーシュの時代について (後藤辰男訳)
ロラン・バルト 眼の隠喩 (高坂和彦訳)
ミシェル・レリス 「不可能的存在」バタイユから「反理的」雑誌『ドキュマン』へ (後藤辰男訳)
ロドルフ・ガッシェ 思考の早産児 (伊藤晃訳)
マルセル・モレ バタイユとロール (橋本綱訳)
ジャン-ミシェル・レイ 賭 (横張誠訳)
ミシェル・ドゥギー エロティック物理学 (橋本綱訳)
ジャン・ドゥヴィニョー 富の利用 (高坂和彦訳)
マニュエル・レノワール コミュニカシオン (高坂和彦訳)
クロード・オリエ 残酷劇におけるジル・ド・レの悲劇 (佐藤東洋麿訳)
ジャン-ミシェル・レイ 盲目の徴 (横張誠訳)
ジャン・プフェフェール ゴヤとマネのあいだで (岡谷公二訳)
ジルベール・ラスコー 『涙』への寸評 (森本和夫訳)

Ⅲ 未紹介作品
ジョルジュ・バタイユ 「老練なもぐら」と超人および超現実主義者なる言葉に含まれる超という接辞について (出口裕弘訳)
ジョルジュ・バタイユ 魔法使の弟子 (入沢康夫訳)
ジョルジュ・バタイユ D・A・F・ド・サドの使用価値 (出口裕弘訳)
ジョルジュ・バタイユ 反キリスト教徒の心得 (山本功訳)
ジョルジュ・バタイユ 幸福・エロティシズム・文学 (安藤元雄訳)
ジョルジュ・バタイユ エロティシズム―結論の草案― (出口裕弘訳)
ジョルジュ・バタイユ 『死者』のための序 (生田耕作訳)
ジョルジュ・バタイユ他 討論 罪について (恒川邦夫訳)
ジョルジュ・バタイユ 講演 「非-知」について (渡辺守章訳)

バタイユ略年譜




◆本書より◆


ジャック・デリダ「限定経済学から一般経済学へ」より:

「哲学(ヘーゲル哲学)を笑わんとする――これこそがまさに覚醒の形式である――ならば、即座に一個の《規則》、一個の《瞑想の方法》が、そっくりまるごと必要になってくる。つまり、かの哲学者の通った道をそのままに辿り、そのやり口を理解し、その詭計を借り、その持札で勝負し、思うがままに策略を繰り拡げさせておいて、実はそのテクストを横領してしまう、そういう方法が必要になるのだ。そうして、こうした労働――バタイユによれば、哲学とはまさしくそのような労働なのである――が準備してくれたおかげで、しかもそれとは未練なく、ひそやかに、予測しがたく、縁を切り、裏切りか離脱か、冷淡に、笑いが爆発する。さらに言えば、ある種の特権的瞬間に爆発するのであるが、実はこうした瞬間は、漠然とながら常に体験的に看取されるものであり、稀有で、秘めやかで、軽やかで、愚にもつかぬ驕慢に流れることなく、俗流の場にまじらず、まさしく笑いが笑うものに密着しているのだから、むしろ運動とでも言うべきものなのである。ところで、この笑いがまず何を笑うのかというと、それは苦悩なのであるが、だからと言って苦悩を笑いの否定と称するべきではない。さもないと、またもやヘーゲルの言説にとらえられてしまうことになるであろう。」




こちらもご参照下さい:

「L'Arc No.44 : Bataille **」 (1971)







































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

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