安東次男 『藤原定家』 (日本詩人選)

安東次男 
『藤原定家』 

日本詩人選 11

筑摩書房 
昭和52年11月30日 第1刷発行
276p 和歌索引6p 
口絵(モノクロ)4p
四六判 
丸背布装上製本 機械函 
定価1,400円



本書「抄出附言」より:

「必ずしも筆者の好みの歌ばかりではないが、和歌の詞がようやく新しい工夫を逼られた時代の技法の特色は、概ね説いたつもりである。歌を歌として読むのに、作者の名前や背景などは第一義のことではない。遣われた詞のどこが、なぜ、面白いかというだけで充分である。略伝・年譜のたぐいは一切これを省き、必要最小限度の背景を加えるにとどめたのは、興味があれば読者自ら歴史のなかにさぐって、もう一度歌に立戻ってほしい、と念願したからにほかならない。その意味では八十首の抄出がこの本のすべてで、略解さえも蛇足である。」


安東次男 藤原定家 01


帯文:

「藤原定家、この名ほど日本詩史に大きく記される名はない。古来さまざまの歌人・学者がその注釈に立向い、日本美学の祖としてその影響は文化の基礎を決定した。詩心は何処にあり詞はいかに創意されたか、百首歌の中に一首を発見し、有情の態をその発想の域に探る。マラルメにも比すべき象徴詩人の業が鮮やかに定着された本書は、また、古典を読むすべての人々に贈る現代の歌道指南の書でもある。」


目次:

初学百首
 一 天の原おもへばかはる色もなし秋こそ月のひかりなりけれ
 二 さみだれに水波まさるまこもぐさ短くてのみ明くる夏の夜
二見浦百首
 三 なにとなく心ぞとまる山の端にことし見そむる三日月のかげ
 四 つづきたつ蝉のもろごゑはるかにて梢も見えぬならの下陰
 五 見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやの秋のゆふぐれ
 六 やまがつの身のために擣つ衣ゆゑ秋のあはれを手にまかすらむ
 七 あぢきなく辛きあらしの声も憂しなど夕暮に待ちならひけむ
殷富門院大輔百首
 八 あぢさゐの下葉にすだく蛍をばよひらの数の添ふかとぞ見る
 九 葦垣の人目ひまなきまぢかさを分けてつたふるまぼろしもがな
 一〇 かへるさのものとや人のながむらむ待つ夜ながらの有明の月
重奉和早卒百首 良経第雪十首
 一一 ふりにけりたれか砌のかきつばたなれのみ春の色ふかくして
 一ニ 松虫の声だにつらき夜な夜なをはては梢に風よわるなり
 一三 待つ人のふもとの道はたえぬらむのきばの杉に雪おもるなり
一字百首 一句百首
 一四 すぎがてに摘めどたまらぬ唐薺うらわかく啼くうぐひすの声
 一五 虫の音は寐ざめの夢におぼえつつ秋の春にもなりにけるかな
 一六 きのくにや吹上のはまの浜かぜも春はのどけくなりぬべらなり
 一七 これまでも心こころは別れけり苗代水もおのが引きひき
 一八 思ふこと誰にのこして詠めおかむ心にあまる春のあけぼの
花月百首
 一九 かすみたつ峯のさくらのあさぼらけくれなゐくくる天の川波
 二〇 花の香はかをるばかりをゆくへとて風よりつらき夕やみの空
 二一 さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月を片敷く宇治のはしひめ
 二二 山ふかみ岩きりとほす谿川をひかりにせける秋の夜の月
十題百首
 二三 かきくらすのきばの空に数みえてながめもあへずおつるしら雪
 二四 うつ波の間なく時なき玉かしはたまたま見ればあかぬ色かも
 二五 屋戸ごとに心ぞみゆるまとゐする花のみやこの弥生きさらぎ
 二六 風立ちて沢べに駈けるはやぶさのはやくも秋のけしきなるかな
 二七 夕立のくもまの日影はれそめて山のこなたをわたる白鷺
 二八 人とはぬ冬の山路のさびしさよ垣根のそばにしとと下りゐて
無常歌一首
 二九 たまゆらの露も涕もとどまらず亡き人恋ふる屋戸のあきかぜ
六百番歌合
 三〇 かすみあへずなほ降る雪に空とぢて春ものふかき埋火のもと
 三一 くりかへし春のいとゆふいくよ経ておなじ緑の空に見ゆらむ
 三二 木のもとは日数ばかりを匂にて花ものこらぬ春のふるさと
 三三 時わかぬ波さへ色にいづみ川ははその杜にあらしふくらし
 三四 年も経ぬいのるちぎりは初瀬山をのへの鐘のよそのゆふぐれ
 三五 風つらき本疎の小萩袖に見てふけゆく夜半におもる白露
韻歌百二十八首
 三六 ゆきなやむ牛のあゆみに立つちりの風さへあつき夏の小車
 三七 旅人の袖吹き返すあきかぜに夕日さびしき山の梯
 三八 面影のひかふるかたにかへりみる都の山は月繊くして
 三九 もろともにめぐりあひける旅まくら涕ぞそそぐ春のさかづき
仁和寺宮五十首
 四〇 大空は梅のにほひにかすみつつくもりもはてぬ春の夜の月
 四一 霜まよふ空にしをれし雁がねのかへるつばさに春雨ぞ降る
 四二 春の夜の夢のうきはしとだえして峯にわかるるよこ雲の空
 四三 夕暮はいづれの雲のなごりとてはなたちばなに風の吹くらむ
 四四 こと問へよ思ひおき津の浜ちどりなくなくいでし跡の月かげ
後鳥羽院初度百首
 四五 梅の花にほひをうつす袖のうへにのきもる月のかげぞあらそふ
 四六 おのづからそこともしらぬ月は見つ暮れなばなげの花をたのみて
 四七 駒とめて袖うちはらふ陰もなしさののわたりの雪のゆふぐれ
千五百番歌合
 四八 ひさかたの中なる川のうかひ舟いかに契りて闇を待つらむ
 四九 ひとりぬる山鳥の尾のしだり尾に霜置きまよふ床の月かげ
 五〇 消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの杜の下露
 五一 たづねみるつらき心のおくの海よ潮干の潟のいふかひもなし
水無瀬殿恋十五首歌合 最勝四天王院名所障子歌
 五二 しらたへの袖のわかれに露おちて身にしむ色のあきかぜぞ吹く
 五三 泉川かは波きよくさす棹のうたかた夏をおのれ消ちつつ
 五四 大淀の浦に刈り干すみるめだに霞に絶えてかへるかりがね
内裏詩歌合 後仁和寺宮花鳥
 五五 名取川春の日数はあらはれて花にぞしづむせぜのうもれ木
 五六 名もしるし峯のあらしも雪とふる山さくら戸のあけぼのの空
 五七 真木の戸をたたく水鶏のあけぼのに人やあやめの軒のうつり香
内裏名所百首
 五八 をぐら山秋のあはれやのこらまし牡鹿のつまのつれなからずば
 五九 いこま山あらしも秋の色にふく手染の糸のよるぞかなしき
仙洞百首 内裏歌合
 六〇 さゆりばのしられぬ恋もあるものを身よりあまりて行く蛍かな
 六一 いとどしく降りそふ雪に谿ふかみしられぬ松のうづもれぬらむ
 六二 夜もすがら月にうれへて哭をぞなく命にむかふ物思ふとて
 六三 こぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ
庚申五首 恋十首 三宮十五首
 六四 山の端の月まつ空のにほふより花にそむくる春のともし火
 六五 小倉山しぐるるころの朝な朝な昨日はうすき四方のもみぢ葉
 六六 こひ死なぬ身のおこたりぞ年へぬる有らば逢ふよの心づよさに
 六七 たれもこのあはれみじかき玉の緒にみだれて物を思はずもがな
 六八 神無月くれやすき日の色なれば霜の下葉に風もたまらず
韻字四季歌
 六九 おのづから秋のあはれを身につけて帰る小坂の夕暮の歌
 七〇 おもひいづる雪ふる年よ己のみ玉きはるよの憂きに堪へたる
 七一 白妙のいろはひとつに身に沁めど雪月花のをりふしは見つ
文集百首 仁和寺宮五十首
 七二 風のうへに星のひかりは冴えながらわざとも降らぬ霰をぞ聞く
 七三 しるや月やど占め初むる老いらくのわが山の端の影や幾夜と
 七四 みどりごをありふるままの友とみて馴れしはうとき夕ぐれの空
 七五 つくづくと明けゆく窓のともし火の有りやとばかりとふ人もなし
日吉社歌合 四季題百首
 七六 雁がねの鳴きてもいはむ方ぞなき昔のつらの今のゆふぐれ
 七七 わがこころ弥生ののちの月の名に白き垣根のはなざかりかな
 七八 冴えくらす都は雪もまじらねど山の端しろきゆふぐれの雨
関白左大臣家百首
 七九 にほふより春は暮れゆく山吹の花こそはなのなかにつらけれ
 八〇 吹きはらふ紅葉のうへの霧はれて峯たしかなるあらし山かな

抄出附言

定家和歌索引



安東次男 藤原定家 02



◆本書より◆


「見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやの秋のゆふぐれ」より:

「この歌には、古来たくさんの註解がある。あるいは、花も紅葉もない眺だからかえって言うに言われぬ景気があると説き、あるいは、この浦の秋夕の眺には花も紅葉もいらぬと言い、または花も紅葉もなくて淋しいと説くなど、埒もないことを争っているが、無益なことを言うものだ。この歌が道理の歌であり、風情を言うならこれ一首だけでは不充分だ、と見抜いた茶匠たちの目のほかには、とくに説くべきこともない歌である。」


「大空は梅のにほひにかすみつつくもりもはてぬ春の夜の月」より:

「仁和寺宮五十首、春十二首。建久九年夏、三十七歳の詠。建久九年といえば後鳥羽天皇譲位の年にあたり、院が和歌に熱意を見せはじめるのは翌々年の正治二年以降である。建久末年ごろは、宮中での歌合など催された形跡はまったくない。当然、この時期の定家の作歌はもっぱら良経第歌会を中心にしたものであって、新古今時代の幕あきを目前に控えての沈潜・修練の時期であったと言ってよいが、そういう時期に詠まれた仁和寺宮五十首のなかから、のちの新古今集に撰入された歌が、頭書の歌を含めてじつに六首もある。これは注目されてよいだろう。言うところの仁和寺宮は後白河の第二皇子守覚法親王、俊成の歌風を好み、長秋詠藻は法親王の召によって献ぜられたものである。
 一首はおなじく新古今集春の部に、「文集嘉陵春夜詩、明ラカナラ不暗カラ不朧々ノ月といへることをよみ侍る」として撰入する大江千里の歌、「照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものぞなき」(中略)を本歌とし、これは頓阿の井蛙抄(せいあしょう)以下にも註している。愚問賢註には、「本歌の心になりかへりて、しかも本歌をへつらはずして、あたらしき心をよめる体」とし、東野州聞書に「不明不暗の朧月に向ひて感情(かんせい)無極に、朧月夜にしく物ぞなき、と心にうかぶをたねとして、梅のにほひにかすみつつとまうけられしと侍り」と言っている。抄書は、「本歌をとる手本の歌とぞ。ただの霞ならば、月のくもりはつべけれども、梅のにほひの霞なれば、うすく曇りておもしろき月のさま也」とやや具体的である。
 千里が句題とした白楽天の七言「嘉陵ノ夜懷有リ」は、「明ラカナラ不、暗カラ不朧々ノ月、暖カキニ非ズ寒キニ非ズ慢々ノ風、独リ空牀ニ臥シテ天気好シ、平明間事心中ニ到ル」とあり、定家の歌は、千里が汲みえなかった原詩の心を捉えた工夫、と読んで面白い。いずれにせよ、視覚や触覚ではなく嗅覚によって、一瞬、朧夜の醒不醒の間を感得したところが歌の新しみであり、作者は、匂を朧そのものと感じたからこそ、月を「くもりもはてぬ」と見ているのである。これを「梅のにほひ、かけ合たる詞なき故にはたらかず。此句をのぞきて、ただかすみつつにても聞ゆなればなり」(本居宣長、美濃の家苞)というように読むと、本歌を取る意味はなくなってしまう。」
























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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