高田衛 『江戸幻想文学誌』 (平凡社選書)

「少女の切願は、青年が永遠に悟りをひらかず迷い抜くことにある。いいかえれば煩悩への徹底であり解脱(げだつ)という救済の拒否であった。」
(高田衛 『江戸幻想文学誌』 より)


高田衛 
『江戸幻想文学誌』
 
平凡社選書 106

平凡社 
1987年4月10日 初版第1刷発行
258p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,000円



本文中図版(モノクロ)11点。
本書はのちに増補改訂版が ちくま学芸文庫から『新編 江戸幻想文学誌』として刊行(2000年6月)されています。


高田衛 江戸幻想文学誌 01


カバー文:

「百物語の法式化は、近世町人によって点ぜられた開化の火が、闇のなかの自然霊を克服してゆく儀式であった。しかし、その法式では一話ごとに蝋燭の火は一つずつ消されてゆく。すなわち、一つには禁忌の〈犯し〉の方法によって、近世人たちが自分たちの〈夜〉をとりもどす――〈闇〉はまた聖なる世界でもあった――儀式でもあった。」


カバー裏文:

「なまじの現実よりも
夢であることによっていっそう
生き生きとした
物語世界の存在。
開化してゆく人間の意識と
零落してゆく自然霊の怨念との
交錯と対比。
〈王化〉の力学に対する
〈化外〉〈異界〉の蜂起と反攻。
現世と幽界の交錯する
雨と月の刻(とき)。
聖なるケガレによって開示される
ハレの空間。
……………
都賀庭鐘、建部綾足、上田秋成、
山東京伝、滝沢馬琴らの
豊饒なる文学言語が
いま、あざやかに
読み解かれる――」



カバーそで文:

「寛政十一年己未春三月十七日、馬琴は冥土へ行った夢を見た。いま流にいえば三月十八日あけがたのことである。ふしぎにその夢は目がさめてからもはっきり覚えていた。筆まめな彼はそれを克明にノートした。「夢に冥土」という題で、それが『烹雑の記』に載っている。……そこに、おどろおどろしい地獄図があったわけではない。亡友を打擲するのは荒唐なる牛鬼・馬鬼どもではなく、「六尺あまりなる」盲法師であった。外姑は、とある屋敷の門前に筵をしいて糸くりをしていた。非日常というにはあまりに日常的な、そのくせ唐突な冥府の夢の光景ではあった。そして、それゆえにかえって、馬琴は、この夢にまがう方なき「冥府」を実感したようである。……
「三月十八日は決して普通の日の一日ではなかった」(柳田国男)。生涯にただ一度の馬琴の夢野冥府訪問が、盆の精霊会でもなく、ましてただの日でもなく、さまよえる精霊たちの復活の日、そして闇の語り手たちの目ざめる日、三月十八日以外のどの日でもなかったという事実は強烈にすぎる。」



目次 (初出):

怪談の論理――文学史の個から (「國文學」 昭和49年8月号)
 三月十八日の夢
 闇の語り手たち
 闇・夢・そして怪異文学の成立
 禁忌と犯し――怪談の論理

幻語の構造――雨と月への私注 (「別冊現代詩手帖 上田秋成」 昭和47年10月)
 宗貞の韜晦
 二重な心性の中のことば
 「わやく」の両義性と『雨月物語』の言語
 幻語――その表層と深層
 「恨みの秋」
 連鎖の物語・水の秩序
 キイワードとしての「雨」と「月」
 雨月の夜の光と影
 幻語の方法

奇談作者と夢語り――秋成・庭鐘・綾足たちの世界 (「文学」 昭和50年6~7月号/原題「奇談作者と夢語――秋成・庭鐘・綾足をめぐって」)
 夢みる老人
 庭鐘の「紀の関守」の物語
 夢託の思想
 「愛」という主題の出現
 夢語りの構図
 夢現象とその表現
 宣長の「夢」理解
 綾足の「よみの巻」
 深草という闇の空間
 境界――夢語りの必然性として
 冥婚の幻想
 綾足、この夢想家の論理
 喜多村金吾の恋

狂蕩の夢想者――上田秋成 (「伝統と現代」第16号 昭和47年7月/原題「上田秋成の狂蕩」)
 余斎乞食
 三余斎から天罰七十余斎へ
 故郷喪失の論理
 「狂蕩」――聖と俗のはざまにて

亡命、そして蜂起へ向かう物語――『本朝水滸伝』を読む(I) (「文学」 昭和59年4月号)
 東宮出奔
 反勧懲小説としての『本朝水滸伝』
 古代中央政権と亡命者たち
 連帯する異族王たち
 大納言姫君の密通
 過激なる虚構
 山中他界の神々の蜂起

遊行、そしてまつろわぬ人々の物語――『本朝水滸伝』を読む(II) (書きおろし)
 作者と国家――綾足の父について
 異説の中の津軽校尉
 鼻彦軍談
 闇の物語としての「正史」
 〈倭建命〉モチーフの問題
 浮び上る遊行の伝統

怪異の江戸文学――世の中は地獄の上の花見かな(一茶) (「日本文学」 昭和53年4月号/原題「化政期の文学的原質をもとめて」)
 江戸文学と「悪」
 「地獄」と「花見」
 一茶の〈人鬼〉認識
 京伝の「美少年」と「女侠」
 『桜姫全伝曙草紙』の世界
 松平定信の「怪異」事件
 怨念の構図とその現実的根拠
 アニミズムの復権
 京伝の骸骨モチーフ
 化政期江戸文学の原質をめぐって

稗史と美少年――馬琴の童子神信仰 (「夜想」第15号 昭和60年4月/原題「稗史美少年録――馬琴の童子神信仰」)
 『近世説美少年録』のこと
 馬琴の「美童」論
 美少年――終末論的世界として
 『封神演義』と『八犬伝』

あとがき
初出一覧




◆本書より◆


「奇談作者と夢語り」より:

「「よみの巻」の夢語りの趣向は、そういう綾足の「夢想の世界」一般と重なりつつ、もう一歩踏みこんだ段階にあるようだ。
 青年の「夢の女」である、少女亡霊は次のように、願いをのべる。

  もしいつまでもかく逢ひみむと思(おぼ)さば、かならず仏(ほとけ)の道にいりて、悟心(さとりごころ)にな帰(かへ)したまひそ。たとへ御身を墨染になしたまふとも、御心だに晴れやらずば、恋しとも思(おぼ)す御心につきて、幾度もまぼろしの中に、在(あ)りし姿を見せ奉らむ。

 また重ねていう。

  かへすがへす吾を愛(め)ぐしと思(おぼ)さば、御心の悟りを開きたまふな。又御心の悟りだちたまふときは、我かへり来べきたよりなし。さる時ぞながき御わかれと知りたまへ。」

「少女の切願は、青年が永遠に悟りをひらかず迷い抜くことにある。いいかえれば煩悩への徹底であり解脱(げだつ)という救済の拒否であった。ここには当時の通念を二重に逆転するものがある。
 一般に死者回向とは、第一に生者の死者に対する追福行為であり、第二に死者煩悩の解脱による冥福を祈る儀式であった。その二つながら、ここでは逆転されている。第一に、ここでは死者が生者に切望するのであり、第二にその内容は、先のごとく解脱の拒否、つまり堕獄の意志であった。
 つまり、死者の成仏という仏教の基本図式は、まことにラジカルに無視されてしまっているわけである。ここに、「愛」について、重大で、決定的な撰択がなされているのではないだろうか。
 愛は、その本質において、鎮魂による死か、地獄に堕つる生かという二者択一を迫られるという問題がここに提起されているし、「よみの巻」はここで、鎮魂の静謐よりは地獄の業火をえらぶという愛のかたちを書いて、そのエロス的本質を決定したのである。」
「地獄の業火の中への同行――。少女の亡霊がそれを望んだわけではない。彼女が望んだのは「恋しとも思(おぼ)す御心」の永続であった。現世の忘却の論理を意識し、それにたいする愛の永遠への「わりなきねがひ」であった。(中略)成仏せず、中有(ちゅうう)に迷うことが、わが中世以来、現世来世を通じて最大の苦患(くげん)と解されていたとき、彼女の「わりなきねがひ」は、みずからその苦患の火に焼かれ、迷い抜くことを撰んだのである。このような選択は、わが国文学史の中でもはじめて見られるものでなかったか。
 近松すら書くことをしなかった、このような情熱と溶け合う道は男にとってひとつしかないだろう。青年は、小オルフェウスとなって地獄に下り、彼女を焼く炎に、ともに焼かれるしかなかったのである。そういうかたちでしか、彼女を奪還する道はなかった。そして、夢は覚める――。」



「狂蕩の夢想者――上田秋成」より:

「昭和初期の頃まで、京都南禅寺のあたりでは「余斎(よさい)さん」といういかつく怖ろしい老人のことが語られていたと、岩橋小彌太さんがどこかで書いていた。といっても、その内容はけっして秋成にとって名誉なものではない。この辺の土地の人たちは、子供がむずがったり泣いたりすると、「余斎さんが来るぞ」とおどかし、どんなにむずがる子供でも、その名を聞くとピタリと泣き止むというのである。(中略)それと似たような話を、わたしも晩年の秋成がしばしば漂泊の足だまりとした地、河内国日下(くさか)村を訪ねたときに土地の故老から聞いた。秋成がどこからともなく、この土地にやってくるとき、彼はうす汚い襤褸(ぼろ)をまとい、帯のかわりに縄を腰のあたりに巻きつけ、垢だらけであたりに異臭を漂わせていたから、村人は「余斎乞食」と呼んだというのである。乞食とは、晩年の彼がみずから称していたことであり、漂泊・放浪・寄食の生活は、彼の晩年にとってはむしろ正常ななりわいでさえあったから、村人の言には嘘も誇大表現もなかったであろう。」
「こうした他愛ない口碑から浮びあがってくるのは、貧寒で孤独でいささか偏屈な老いたる風狂者の外貌である。(中略)そして、そのような外貌こそ彼が望んだみてくれであったかもしれない。

  老て友なきには茶の酔泣して、いよよ人にうとまるる事をもとむるなれ。 

 と書いたのは七十四歳のときであるが、嫌人癖がいやましにつのり、秋成の自称「癇癖(かんぺき)の病(やまい)」がしばしば暴発して、「物狂ハシクナリテ、スズロ言(ゴト)シアルキ、弟子ナドハサラシ、サラヌ人ヲモ心ニ叶ハヌ事アレバ杖ニテ打タタキナドシテ、ボケタルガゴトキニナリシ」(伴信友)などといった類の悪評が絶えなかったことを、しいて否定する必要はないからだ。
 その外貌からは、彼の悲痛な真実、たとえば、
 
  老懶今年六十七、今度下阪ニツキテ何処ニ終リ候ヤハカリガタク候故、檀寺ノ送券書ヲ首ニカケウカレ出申候。若(モシ)落命ト御耳ニ入候ハバ、イツニテモ十五日ヲ忌日ニ御祭シタマハルベク… (実法院あて書簡)

 行路病死(ゆきだおれ)を予期して、「檀寺ノ送券書」(死体を檀那寺へ送り届けてほしいという依頼状と金子)を懐中にしていた覚悟などは、誰にもうかがいようがなかったであろう。行路死を予期しつつ「ウカレ出」と自嘲し、そしてこのことは「必ズ人々ニカタリテ恥ヲアタヘタマフベカラズ」と秘密を依頼するこの書簡から、たんなる強情っぱりの心的構造がみられるだけではない。所詮、人は人を理解し得ず、自己が他者に理解されることの不可能性を知ってしまった者の、こわばった外貌の裏側の生理が見えるであろう。
 『雨月物語』を秋成が書いたのは三十五歳の時である。そのなかに「夢応の鯉魚」という短編がある。これは、興義という画僧が鯉になった話で、佐藤春夫・三島由紀夫などの文人たちは、そこに人間という拘束を脱した、いささか老荘風な自由な遊戯的世界への夢想のロマンチシズムや美を見出してたのしんだ様子だが、(中略)しかし秋成がいいたいことは、じつはそのような自由な世界への夢想と欲求であると同時に、その反面に自由の夢想に迫られるきびしい現実ではなかったか。鯉になった僧はおもう存分に自由をたのしんだが、飢えを避けることはできなかった。空腹のあまり、知合いであるがゆえに許されることだろうと、漁師某の釣針の餌を呑んで釣り上げられる。そして、既知のだれかれの前に持ちだされ、「鯉はわたしだ、興義だ、許してくれ」と、呼べど叫べど鯉の叫びが人に聞えようはずがなく、無残、なますにされてしまうのである。
 「自由」を得たとたんに、その声はもはや現実界に疎通し得ないという凄惨な事実が、ここに語られているように思えてならないのである。それだけではない。自由を得ることは、すなわち日常生活の現実的論理のまないたにのせられて切りきざまれ、殺されるという帰結しかないことをまで、この話は暗示しているようだ。現実から脱出することは、現実に殺されることに他ならぬという「自由」夢想の二律背反――考えてみれば、それは秋成が若い日からそうであった〈浮浪子(のらもの)〉、社会的はみだし者の宿命的な生意識でもあったようだ。「夢応の鯉魚」は美しくたのしい綺譚にすぎぬ。現実の上田秋成は、生涯このような主題にこだわり抜いた人であった。「余斎さん」という鬼、「余斎乞食」という老風狂者は、いわば秋成が得た「自由」の、うすぎたなくもしたたかな外貌でなければならぬ。」
「秋成は世間なみな生活人としての規格にのっとった、平凡な日常生活を平凡に送ることへの熱望がありながら、それと逆に、まったく心外な風狂の生き方に押し流されていったという意識を最後まで持ちつづけた人であった。」



高田衛 江戸幻想文学誌 02


「馬琴の稗史は大いなる幻影の世界でもある。図は『美少年録』発端部の挿絵で、宙いっぱいに飛びかう霊蛇と鳥類の闘諍を描いている。」






























































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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