飯吉光夫 『傷ついた記憶 ベルリン、パリの作家』

「ネリー・ザックスは、物質的な事柄に関しては、まったくアナクロニスティクな人間でした。資本主義が分らない人間がいるが、彼女はそのような一人でした。お金に無関心な人がいるが、彼女はその一人でした。きれいな着物とか、ご馳走とかには関心がなく、それにほとんど外出することもないし、ともかくも、そんなことはみんな、どうでもいいことだった。宗教的な諦念のようなものも持っていました。アナクロニスティクだったのはこのような点でばかりではなく――ぼくはいまアナクロニスティクということばをいい意味でつかいますが――彼女は、そもそもこの時代の社会にまるで適応しないという点でも、アナクロニスティクでした。しかも、それは彼女にとって不幸なことでさえありませんでした。彼女にとってのほんとうの不幸は、他人の不幸でした。」
(エンツェンスベルガー)


飯吉光夫 
『傷ついた記憶 
ベルリン、パリの作家』


筑摩書房 
1986年11月30日第1刷発行
226p 
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価1,800円



本書「あとがき」より:

「現代ドイツ文学についてこれまでに書いたものを一つにまとめて出すことになった。
 エンツェンスベルガー、グラス、ヘレラー、ツェランに関するものである。このうちツェランについては、別書『パウル・ツェラン』(一九七七年、小沢書店)がある。
 第二次大戦によって、これら一口に《(一九)四七年グループ》と呼び慣わされる文学者たちが心に受けた傷がテーマになっていると思う。
 この傷は心の傷にはちがいないが、戦後という困難な時期を生きていく上でこれらの文学者たちの生活に影響を及ぼし、彼らの文学にも微妙な影を落していると思われる。」



本文中図版(モノクロ)多数(レナーテ・フォン・マンゴルトによる各作家の肖像写真、ギュンター・グラスによる版画ニ点、その他)。


飯吉光夫 傷ついた記憶01


カバー表紙: レナーテ・フォン・マンゴルト(Renate von Mangoldt)のベルリンの廃墟の写真。
カバー裏表紙: ジゼル・ツェラン=レストランジュ(Gisele Celan-Lestrange)の銅版画「Sans Ciel」。


カバー文:

「die>Gruppe 47<:
Enzensperger, Grass,
Hoellerer und Celan.
爆撃によって廃墟と化し
たこの街の瓦礫をつみあ
げて造られた《悪魔の山》
にも、今では草木が生い
茂る。しかし世界は崩れ
つづけ、不吉な《怪獣(シメーレン)》は
徘徊しているのだ。ふた
つの都市を往復して、困
難な戦後を生き抜いた者
たちと語り、生を断念し
た者を想う、予感に満ち
たこの書物は……」



目次 (初出):

プロローグ――白樺の林 (「学燈」 1974年10月号)
1 椅子とゴミ Hans Magnus Enzensberger 1929~
 椅子とゴミ (「暮しの設計」 1975年6月号)
 エンツェンスベルガー宅で (「ユリイカ」 1976年5月号、7月号)
 エンツェンスベルガーの詩の性格 (『エンツェンスベルガー全詩集』 人文書院)
2 厨房から閨房へ Guenter Grass 1927~
 動物園駅 (「青春と読書」 1974年9月号)
 厨房から閨房へ (「みずゑ」 1975年12月号)
 グラスの詩をめぐる暴論 (「ユリイカ」 1969年9月号)
 『ひらめ』を味わう (「図書新聞」 1981年4月号)
 ダンツィヒからの流浪民 (「プレイボーイ」 1978年6月号)
3 悪魔の山 Walter Hoellerer 1922~
 悪魔の山 (『世界文学大系』65 筑摩書房)
 グランヴィル再発見 (「青春と読書」 1975年4月号)
 忌わしい機会からの文学 (「ユリイカ」 1986年4月号)
 ヘレラーの詩の拠点 (「海」 1982年3月号)
 ヴァルター・ヘレラーと戦後 (「Brunnen」 1984年10月号、後半部は書き下し)
4 もう一枚の空 Paul Celan 1920~1970
 もう一枚の空 (「暮しの設計」 1975年6月号)
 ネルヴァルとツェラン (「カイエ」 1979年2月号)
 離群の詩人 (「ユリイカ」 1975年10月号)
エピローグ――わが昇天 (「ユリイカ」 1974年10月号)

あとがき



飯吉光夫 傷ついた記憶02



◆本書より◆


「プロローグ」より:

「ロシアのがらんとした空間はわれわれにふと、われわれがいつかはこのような自然本来のひろがりの中に目に見えないものとして没していく存在であることを実感させる。」
「ウィーンでは子供っぽいものが実に楽しかった。きらびやかなお菓子屋、紫色の野苺のジュースを飲ます地下の円形レストラン、そして(中略)大遊園地プラーターへ行くと、東京ではついぞお目にかかったことのない殺人的勾配のジェット・コースターがあった。(中略)偏屈者の女流詩人クリスティーネ・ラーヴァントが田舎から出て来てやはりそれに乗り、その話ばかりして帰っていったとのことだった。すでに物故したこの詩人は聾者だったが、まったくの片田舎に隠棲して編物などしながら、痛苦にみちた核をもつ詩を書いていた。」
「ベルリンといわずドイツの町には東京以上に緑地が多い。しかしその雰囲気を東京のごみごみした路地以上に〈牧歌的〉と呼べないのは、この緑地の中にいつも人間の手が、管理し保護する人間の手が見えているためだ。あまりに整いすぎている美というものは、ぼくには結局、人間の気もちを救うところのないもう一つの野蛮さ、一種のノイローゼの産物のように思えた。」
「人間のどのような悲哀をも晴朗なものに転換しようとする力があるとすれば、それはもっとアルプス寄りの、例えばザルツブルクの空だろう。冬期であったにもかかわらず、ぼくが見た空はメルヘン的というほかない真青な空だった。飛行機雲が縦に一直線に走り、あまりにもお伽話めいていて、滑稽ですらあった。(中略)この笑いだしたくなるような無垢の青空を見ただけで十分だった。」
「パウル・ツェランは悲劇的な死をとげた詩人だったが、そのあとネリー・ザックスもギュンター・アイヒも苦悩にみちた晩年を経過して死を迎えた。ネリー・ザックスについて、ドイツ人の詩人の中で彼女に最も近かったエンツェンスベルガーは、「あのひとは何しろ、自分だけが助かったことをいつも苦にしていたから」と言った。迫害されたユダヤ人としてネリー・ザックスが背負っていた心の傷を言ったものだった。ギュンター・アイヒの晩年は死病を通しての生の不協和の凝視であったと言われる。そして、パウル・ツェランの場合も、ユダヤ人詩人としての心傷は測り知られざるほど大きかった。そのような傷は、われわれの内なる自然の傷ではないだろうか? 外なる自然も、そして詩=芸術もついには救うことのできない傷。」



「エンツェンスベルガー宅で」より:

「E (エンツェンスベルガー): ところでぼくは、きのうまったく偶然日本の映画を見ました(中略)。脱走したアメリカ兵が、西も東も分らなくなってしまう。アメリカ兵は冗談をやるのだが、日本人はそれをまったくイヤなことだと思う。とても面白い映画です。日本でまったく孤立してしまった外国人の物語だから、文化の問題だ。異国人のやることが何もかも間違ってしまう。日本人の冗談も、こっちにはまったく通じない。政治的な映画だが、異文化の中でまったく孤立してしまった人間の問題を政治的な題材で扱ったものと見たほうがずっと面白い。そのような実存的な問題を理論的に取扱ったものでしょう。(中略)日本では、ぼく自身まるで文盲になって、徹頭徹尾文盲になって、一つの文化の中を右往左往して、いつも自分が何か間違ったことをしているのではないかと疑わなければならない、もちろん事情は多少は分るが、いちばん肝心なことが分っていないらしい、というようなわけだったんです。(中略)ぼくらがただ一つの世界を、同質の世界をもっているというのは本当じゃない、フィクションです。」
「主人公はまったくのアウトサイダーだ。泣きたいほど切ないことですよ、外国へ来てやることが何もかも間違っていて、誰にも分ってもらえないのは。おまけに日本人が自分にやってくれることも、何もかも間違っている。一方でとても滑稽な状況ですが、滑稽というなら、むしろ残酷なユーモアとでもいうべきです。
 この映画では、アメリカ兵は娼婦と知りあいになって、二人ともアウトサイダーである点で理解しあえるのですが、それもある点以上になると、おたがいまったく分らなくなる。」
「ぼくはペシミスティクじゃない。ぼくは、世界がどこからどこまで同質でないのがいいと言っているのです。世界中にいまでも大きな違いがあることは、いいことだ。どこからどこまで同じになったらおぞましい限りだ。」

「I (飯吉): ネリー・ザックスのことについて少しうかがいたいのです。(中略)たとえば、彼女は、どの程度貧乏だったのですか、どの程度みじめだったのですか、病気だったのですか。
E : ええ、彼女はもちろんノーベル賞を受けたあとは、それほど貧乏ではなかった。でも、病気だったし、その暮らしがとてもつましかった。戦後最初の時期は、つまり一九四〇年代の後半は、とても貧乏だった。その後、暮らしがつましいだけになりましたが、でもどっちみち、そのようなことはまったく彼女の問題ではなかった。ネリー・ザックスは、物質的な事柄に関しては、まったくアナクロニスティクな人間でした。資本主義が分らない人間がいるが、彼女はそのような一人でした。お金に無関心な人がいるが、彼女はその一人でした。きれいな着物とか、ご馳走とかには関心がなく、それにほとんど外出することもないし、ともかくも、そんなことはみんな、どうでもいいことだった。宗教的な諦念のようなものも持っていました。アナクロニスティクだったのはこのような点でばかりではなく――ぼくはいまアナクロニスティクということばをいい意味でつかいますが――彼女は、そもそもこの時代の社会にまるで適応しないという点でも、アナクロニスティクでした。しかも、それは彼女にとって不幸なことでさえありませんでした。彼女にとってのほんとうの不幸は、他人の不幸でした。彼女が精神的に破綻したのは自分の不幸のせいではなく、他人の不幸のためでした。彼女はいい家庭の娘だったが、婚約者を強制収容所で失い、よくは知りませんが、結婚はしなかったようです。このベルリンに一九四〇年までずっと住んでいました。ということはつまり、ユダヤ人として七年間をヒットラー政権下に過ごし、そのあとは、亡命できたほんとうに最後のユダヤ人として、ストックホルムの女流詩人ラーゲルレフのもとに逃れました。しかし、彼女の周囲の人間の多くは殺された。(中略)彼女の家庭は大ブルジョアだったけれど、彼女はそれを無視して、(中略)遺産と関係のある家族関係には無関心だったし、ついでに言うなら、町の人々とのつきあいにも無関心でした。掃除婦のおばさんには、まるでスウェーデン女王みたいな口をきいていました。そういう意味では、彼女は、矛盾した言い方になるかも知れないけれど、まるで“聖者”のようだった。現代にはもはや“聖者”はいないという意味の上での矛盾したアナクロニスティクな“聖者”です。でも彼女は、この一風変った位置から、もう一度というか、たぶんこれを最後に、ひじょうに古典的な詩人の立場を、たとえばヘルダーリンの立場を、とっていた。ぼくらの文学史の上で、ヘルダーリンは完全に“外(そと)”の人間だった。このぼくらの社会的規範の外に立って、ヘルダーリンは狂気の淵へおちていったのですが、ネリー・ザックスも(中略)ひじょうに重い精神の病気をやんでいました。ひどいデプレッションのために病院に入れられたりしていました。」

































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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