川村二郎 『黙示録と牧歌』

「自分だけの真実こそ今日の世界情勢の中では唯一の現実である。その真実に帰依することは革命的行為である。」
(ノサック)


川村二郎 
『黙示録と牧歌』


集英社 
1979年10月10日第1刷発行
258p 初出一覧1p 
四六判 丸背布装上製本 カバー 
定価1,500円
装丁: 後藤市三



本書「あとがき」より:

「ドイツ文学についてこれまでに書いた文章を一冊にした。ポーやボードレールのことを書いたものもまじってはいるけれども、彼らへの興味もホフマンなど、ドイツ・ロマン派への興味と結びついているし、一応、自分なりのドイツ文学小論集と名づけてよいと思っている。ただし、『限界の文学』、『懐古のトポス』といった旧著に収めたムシル論やトーマス・マン論などの再録はしていない。
 目次を改めて眺めると、解説風の短文の多いのにいささか気がひけるが、この後めたさに対しては、とにかく自分はドイツ文学が好きだから、片々たる文章にもその愛着がにじみ出ているのではなかろうか、という虫のいい期待を、弁疏の口実とするしかない。
なかでも、現代作家を扱った第四部は、多かれ少かれ、時評的な性格を帯びた文章だから、時間が経って見れば、具体的な事実内容に関して補うべき所が多々あるのはやむを得ない。特に最後の「黙示録と牧歌」は、十五年も前に書いたもので、現在では紹介文の役割すらほとんど果さないことは、よく承知している。(中略)それにもかかわらずあえてこの旧稿を収録したのは、『黙示録』と『牧歌』の照応という形をドイツの文学世界から読み取ろうとした自分の主観的欲求を、いとおしみたい気持が働いたからである。」



川村二郎 黙示録と牧歌


帯文:

「ホフマンスタール、トーマス・マン、ブロッホ、ノサック等、今世紀のドイツ文学を中心に論じながら自己の文学観を語る。ドイツ文学への格好のテキストでもある、ユニークな評論集。」


目次 (初出):


白夜の学匠 (「現代思想」 昭和48年9月号)
批評と音楽 (筑摩書房 世界批評大系2 昭和49年)
眠る不在 (「ユリイカ」 昭和49年2月号)
夢、旋律、現実 (集英社 世界短篇文学全集3 昭和38年)
ドイツの短篇小説 (集英社 ドイツ短篇24 昭和46年)


柳田國男とハイネ (東京都立大学人文学報 井上正蔵教授記念論文集 昭和51年)
ハイネとプラーテン (朝日出版社 井上正蔵記念論文集 昭和52年)
プラーテンの「日記」 (「ユリイカ」 昭和49年11月号)
石の夢 (新潮社 世界詩人全集11 昭和43年)
小さな絵 (東京都立大学人文学報 戸澤明教授記念論文集 昭和49年)


ヴェニスの死の音楽 (「ユリイカ」 エロティシズム特集号 昭和46年)
真率なパロディー (「すばる」 20号 昭和50年)
『ブッデンブローク家の人々』 (河出書房 世界文学全集II18 昭和43年)
認識の抒情 (河出書房 「三人の女」 昭和46年)
『ウェルギリウスの死』 (集英社 世界の文学13 昭和52年)


正直な綺譚作者 (中央公論社 新集世界の文学42 昭和46年)
北海の歌 あるいは海辺の文学 (集英社 世界文学全集21 昭和40年)
傷つけられた夢 (集英社 世界文学全集9 昭和42年)
魂と形式 (白水社 ルカーチ著作集I 昭和44年)
黙示録と牧歌 (「文学」 昭和39年12月号)

あとがき
初出一覧




◆本書より◆


「白夜の学匠」より:

「一九三九年、カール・ケレーニイが、オランダの一出版者をかたらって、一般人文科学、古代学、宗教史の研究シリーズを創刊した時、その叢書には「アルバエ・ウィギリアエ ALBAE VIGILIAE」すなわち「白い夜」という名が与えられた。(中略)この名は、ケレーニイ自身の説明するところでは、ウォルター・ペイターの小説『エピクロスの徒マリウス』からとられており、(中略)主人公マリウスが生れ育った古代ローマの田園の地名であって、ペイター自身はラテン語では AD VIGLIAS ALBAS と記している。
 「白い夜とは、おそらく、完全に空白な、しらじらとした忘却の夜ではなく、なかば睡りのヴェールをかけられたにすぎない、持続的な夢想の夜であろう。そうとすれば、この土地は、そのふしぎな名の示す通り、これに対する時、そこでは白日のもとでさえ夢みることが枢要な意味を持つのかもしれない、と考えていいのである。」
 そしてこの「白夜」の里で、主人公の母は、幼いマリウスにむかって、お前の魂は一羽の白い鳥なのだ、その鳥をお前は胸に抱いて、人々のむらがった広場を通り抜けなくてはならない、その鳥を驚かしも汚しもしないで、広場の向う側にいるお前自身の守護霊に手渡さなくてはならない、と語り聞かせるのである。」
「「白夜叢書」は、「一般人文科学」の研究をうたってはいるものの、実質的にはほぼ古代神話学、宗教学の研究によって占められており、しかもその半ば以上はケレーニイ自身の執筆である。当然のことながら、現代の神話学者としてのケレーニイの営為が、ここに最も集約された形で示されている。そしてこの営為の特性は、端的にいって、近代合理主義にもとづく古代解釈を排し、古代をその本来の相において見ようとする志向である。われわれ近代人の目には不合理、荒唐無稽な狂言綺語としか映らないような伝承や祭儀の表現を、そういうものとして、それなりに完全な、一貫した人間の生の表現として捉えようとする意欲である。
 いうまでもなくこの意欲は、貶せられ蟄せられた貴種の正統性を改めて確認し、しかるべき権威の座に復せしめようと願う要求と重なっている。近代が、自己の生き方の正しさをつゆ疑わず、これと異る原理による生のありようを、すべて未開蒙昧としてしりぞけたとすれば、この拒否にひそむ傲慢な楽天性と生に対する認識の浅薄さをあばきだし、より深く、より豊かな生のパースペクティヴをひらくことが、その志向のめざす最終的な目標であるといっていいだろう。」



「眠る不在」より:

「ポーの魅力とは、結局この不在の魅力、さらにいえば、不在のリアリティーの魅力である。時には大仰ですらある細密な外界や事物の叙述が、次第に求心的な方向を取り、ついにある窮極の一点に達する。しかしその中点は、「静かな、しかも魔術的な輝き a tranquil but magical radiance」を、すべての上に投げかける空白なのである。」
「パースペクティヴ図法を発明したブルネレスキは、絵の消点に穴をあけ、絵の観察者に、後から穴を通して前方の鏡に映った画面を眺めさせたという。その眺めが、実際にどのように見えたものかは知らない。しかし『ランダーの別荘』を最後まで読み終えた時、読者は、ブルネレスキの穴(空白)から改めて画面全体を眺め、同時に、その画面の中心に、ほかならぬこの穴が意味の要(かなめ)として位置しているのを認めるという、実に奇態な経験を味うのではないだろうか。その時彼はいわばパノラマの外と中とに同時にいる。言葉を換えれば、黄金時代の楽園をはるかに展望しつつ楽園の滞在者となることができる。この幻覚的な二重性の経験を支える中心の空白が、ぼくにとっては、ポーそのものである。」



「石の夢」より:

「高い形式への欲求と、一切の形式を打ち破ろうとする破壊衝動と――この両者が矛盾しせめぎ合いながら、それにもかかわらず作品という一つの形象の中に接点を見いだすところに、ゲオルゲの最大の魅力があり、彼の詩的空間における内面と外面の融合の秘密がある。あるイメージが発見され、吟味され、練りに練った詩語の中にぬきさしならず定着される。しかし同時にそのイメージは、あらゆる静止した形姿のかなたをめざす、あるときはいらだたしげな、あるときは甘美な解体へのあこがれにみちた情念のたゆたいによって、たえず内側から崩されそうな気配をうかがわせる。「美」についてボードレールはいみじくも「石の夢」と形容したが、ゲオルゲの美は石からなる夢であると同時に、石が夢みる夢、みずから砕け去り散り失せようと願う石の夢なのである。」


「認識の抒情」より:

「もちろん(幻想を捨てよ、事実を直視せよと勧告する)『カンディード』流の教訓に対しては、その現実順応の浅薄さを排撃し、幻想の積極的な意義を宣揚しようとする文学観が存在する。この文学観、つまり大ざっぱにいってロマン主義は、必ずしも現実の重さを知らないわけではない。演劇への夢を放棄してささやかな市民生活に埋没する『ウィルヘルム・マイスター』を、ノヴァーリスが「文学に対する『カンディード』」と罵倒した時、彼は市民生活の厚い壁をたしかに見てはいたのだ。盲目のまま、壁の上を無邪気に遊弋(ゆうよく)いていたなどと考えるのは、ロマン主義者に対する不当な過小評価である。ただ彼は、見えるものより見えないものにあえて賭けようとした。見えないものを、見える現実の中であえて仮構し、その栄光をたたえようとした。この試みは、もちろん現実主義者から見れば滑稽の一語につきるだろうが、滑稽を承知の上で仮構の真実をもとめた所に、ロマン主義者の悲愴な思いの深さがある。」


「傷つけられた夢」より:

「たしかに(ギュンター・)グラスの世界は広闊とはいえないし、狭さへの彼の固執は、時として息苦しささえ感じさせる。感覚に頼りすぎる才能の弱点は、特に劇作の場合、露骨にあらわれる傾向にある。しかしいうまでもなく、弱みとはほとんどすべての場合強みと紙一重のものである。感覚の依怙地な一徹さが、まさしくその徹しかたにおいてある種の普遍性を獲得し、奇矯きわまりないとしか見えないイメージが、夢の痛みや悲哀や憤激の、幾重にもたたみかさなった重層的な心の構造の所産であることを明らかにし、それなりにぬきさしならず定着されるとき、グラスの文学はどう動かしようもなく重くなる。それは厳粛な軽口となり、哄笑を誘う悲歌となり、心にしみるパロディーとなり、――要するに、相矛盾する特性がせめぎあいながら乱舞する舞踏場となる。そしてこの意味において、彼の狭さは実に広大なのである。」
























































































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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