川村二郎 『伊勢の闇から』

「花は散りても春は咲く
鳥は古巣へ帰れども
行きて帰らぬ死出の旅」

(間の山節)


川村二郎 
『伊勢の闇から』


講談社 
1997年11月19日 第1刷発行
249p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,500円+税
装幀: ミルキィ・イソベ



本書「あとがき」より:

「これは雑誌「群像」一九九六年一月号から一九九七年四月号まで、ただし「群像」創刊五十周年記念号の一九九六年十月号を除いて、十五回にわたって連載された文章である。
 連載を終えた後、「群像」一九九七年五月号で、富岡多恵子さんと対談をした。その時富岡さんに、「伊勢の闇から」で一番書きたかったのはどういうことかと質問されて、ぼくは、「一言でいえば、女のさすらいというんですか」と答えている。」
「日本の古い物語の中で、女ばかりでなく男もさすらうことはいうまでもない。だから人間のさすらいといってもいいのである。しかし日本の物語の場合、人間の代表は女であって男ではない。太陽神が女として表象されることが、そもそも特徴的だといえる。その素姓が本来は男神に奉仕する巫女だったとしても、巫女を至高神の代表とし、さらには至高神そのものと仰ぐに到るのは、原初の想像力の特異な偏向である。
 そしてその巫女=女神の原型は、さまざまなヴァリエーションを通じて、さすらいの相を開示する。巡行か、遍歴か、漂泊か、場合に応じてさすらいの相はニュアンスを異にするとはいえ、その相が受難の色調を濃く帯びている点ではおおよそ共通している。
 あわれっぽい結末が、単なる人間の悲惨として、感傷的に受け取られるのではなく、あわれなままに神のあかし、人間が神となる苦しい過程のあかしとして印象づけられるのが、この「さすらい」の隠微な消息である。
 たけだけしく残酷な女神たち英雄たち、デメーテルやオデュッセウス、ヴァルキュリアやジークフリートの世界とは全くさま変り、刻薄な何物かの恣意に弄ばれて、よるべなくさまよう、われわれの英雄や巫女たちの、たどたどしい足どり。そのさまよいが神化を約束すると信じたのは、烈しい対立の生む悲劇性とも超越的な力に向い合う恐しい緊張関係とも無縁のまま、受身の姿勢でひそかに耐えることのみを知っていた、われわれの古代人の願望である。
 目には見えぬその願望を、今でも辛うじて目に見えるもの、風景、古社寺、遺跡などに寄り添いながら、少しでも縁取ろうと試みた結果がこの本である。」



川村二郎 伊勢の闇から


「講談社BOOK倶楽部」より:

「旅と古典の最新評論
社(やしろ)の杜(もり)深く、信仰の古層に、浮きつ沈みつ。女のさすらい。
旅と古典でふちどる古代の神々

たけだけしく残酷な女神たち英雄たち、デメーテルやオデュッセウス、ヴァルキュリアやジークフリートの世界とは全くさま変り、刻薄な何物かの恣意に弄ばれて、よるべなくさまよう、われわれの英雄や巫女たちの、たどたどしい足どり。─あとがきより」



目次:

一章 間の山
二章 間の山節
三章 斎宮
四章 巫女巡行
五章 聖婚
六章 羽衣
七章 水の女
八章 鬼の棲(すみか)
九章 逃げる女
十章 天若日子
十一章 下照姫
十二章 天照御魂
十三章 磐船
十四章 雷と女
十五章 長谷

あとがき




◆本書より◆


「間の山」より:

「伊勢の空は暗かった。
 朝出かける時には、新横浜駅の高いプラットフォームを、かなり強い風が吹き抜けていたけれども、空は淡い乳色で、雨の心配はないと思われた。しかし新幹線が西へ向って進むにつれ、静岡あたりから、短い切れ切れの光の筋が車窓を真横に走り始め、窓の外には、線路に沿うて伸びる道が、ぬめぬめと黒く染まっているのが眺められた。」
「行先は伊勢神宮、生れてから一度もしたことのないお伊勢参りを、初めてしてみる気になったのである。」
「どこでも名ある神の社ならば、社叢(しゃそう)は深く厚いのが通例だが、外宮の杜はさすがに格別だった。社殿など建造物の結構には何の期待も抱かなかったし、また実際、予想に反することは少しもなかった。それに対して社殿を包む神域全体のたたずまいは、予想を大いに超えていた。木々の巨大さには、あらかじめそういうものだろうと思っていたから、特に驚きはしなかったものの、林立する巨木が、場所によっては原生林かと見えるほどほしいままにひしめき合って、神域風な森厳というより、むしろ野趣を印象づけたのは、全く思案の外だった。
 そのような木々のひしめきの下は、たださえ暗いであろうのに、折からの雨天、木下闇といえば夏の季語だが、十月初旬のこの日、まだ昼過ぎというのに、あたりはすでに夕暮の気配だった。
 もちろん初めてこの地を訪れた旅行者の、その一日の印象である。(中略)しかしたとえたまたまのことであるにせよ、その一日に、神域でまず昼の闇を感得したのは、心の内にあるおぼろげな観念の核がゆれ動いているのを知り、その観念に形を与えようと思い立ち、そのためにここへ来ている旅行者にとって、偶然のこととはやはり思えなかったのである。
         *
 八年前に出した『日本廻国記 一宮巡歴』(河出書房新社)のうち、「伊勢一宮」の条で、自分はまだ参宮をしていないといい、次のように書いた。
 《ここを抜きにして日本の神を語ることができない位は、ぼくといえども心得ている。ただ、信仰の古層を探れば実に興味津々だろうとは思いながら、その古層を覆っている教条的統制的な権威、簡単にいえば国家神道の権威に対する反感が強すぎて、この方向へなかなか足を向けさせない。》
 八年経って、反感が薄らいだというわけではない。ただ反感よりも、古層に対する興味の方が上回ってきたのだといえる。」

「しかし清潔と格式と威厳でもって律し切れない場所が、外宮と内宮の間にある。信仰の古層と直接かかわりがあるとはいえないけれども、とにかく古く、古いだけ時間の澱(おり)がよどみ、およそ清潔とは無縁の場所。
 律し切れないというより、正確には、律し切れなかったというべきかもしれない。外宮と内宮とをつなぐ道は、(中略)本来は(中略)より距離の短い山道が参宮路とされていた。その道の通じる所が外宮と内宮の「間(あい)の山」にほかならない。
 「山」といっても、ありようは小規模な台地のようなもので、上はほぼ平坦だが、御幸通りから登る道はかなり急な坂である。」
「最盛期には妓楼七十軒、娼妓千人を数えたという、精進落しのための一大歓楽地帯。間の山の名も伊勢音頭の名も、随分昔から知っていた。ただ自認しているが、名を知るだけで何となく満足して、実体をたしかめる気にならない傾向がある。間の山といえばたしかに「山」、そして外宮と内宮の「間」ということは分っているはずなのに、実地に立つと、この影のない小高い一画に、華やぐ影に満ちた悪所がかつて存在したとは、なかなかもって合点しかねるのだった。」



「鬼の棲」より:

「大江山の鬼退治は、いうまでもなく一般には、源頼光と彼の四天王たちの手柄として知られている。この場合はどう見ても、頼光たちが鬼を討ち得たのは、彼らが鬼の同類だったからだとはいいがたい。彼らは天皇=中央権力の走狗にすぎない。」
「そしてそれに対して、大江山の鬼ははるかに柄が大きく、しかも優雅な相さえ見せている。お伽草子の『酒呑童子』では、人間の肉を食ったり血を飲んだりと、一応鬼らしく振舞ってはいる。しかしそれでも、にせ山伏の頼光の尤もらしげな虚言をあっさり真に受け、すすめられた毒酒を疑うこともなしに心行くまで飲んだ末、やみやみと討ち取られてしまう所は、生れながらの高貴な資質を感じさせずにはいない。
 謡曲『大江山』ならその感触は一層鮮明である。ここでの酒呑童子は、比叡山の地主神だったが伝教大師に追いだされ、役行者のように日本の空を飛行(ひぎょう)して、彦山、大山(だいせん)、白山、立山、富士と名山を訪ね巡った後、この大江の山にこもったということになっている。倭姫命が天照の神霊を負うて大和から伊賀、近江、美濃と巡った挙句、伊勢に落ち着いたのを、何とはなく思い起させる。とにかく童子自身のいう所では、大江山に忍び隠れていただけで、何も悪いことはしていない。頼光たちの側からすれば、「王地に住んで人を取り、世の妨げとはなりけるぞ」というのが鬼退治の理由で、人を取るのはなるほどよくないことだろうが、要するに王地の人をほしいままに扱うというなら、力点は「王地」にあって「人」にはないのだと考えられる。
 「土も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の宿りなるらん。」
 鬼退治のスローガンともいうべき『大江山』のこの歌は、葛城山の土蜘蛛退治を劇化した謡曲『土蜘蛛』にも出てくる。この歌が露骨に示しているような独占と排除の論理は、権威を一元化しその下で肩を寄せ合いたいわれわれ日本人の心性には、まことに受け入れやすいものだが、そうした温順な心性にとっては、権威が「鬼」と名づけて排除せねばならぬほどの対抗勢力は、権威同様に、事によると権威以上に畏敬すべき存在であり得たろう。
 「鬼の宿り」、大江山が、「大君」の祖神たる天照の聖地となる。「大君」の勝利にはちがいなかろうが、ドルイド教の遺跡の上に十字架が押し立てられたような、チグハグな感じに近いかもしれない。しかも十字架の圧力の下では、ドルイドの精霊はおどろおどろしい悪霊に化するよりほかないのだが、伊勢の神はここでは、装われた森厳にもかかわらず、鬼の隠れたエネルギーを供給されることによって、鬼との隠微な共存を果しているのではないかと思われる。」



「磐船」より:

「アマノイワフネといえば、ニギハヤヒである。『書紀』、神武紀の初めに、神武天皇が老翁から「東に美(よ)き地(くに)有り。青山四(よもに)周(めぐ)れり。其の中に亦、天磐船に乗りて飛び降(くだ)る者有り」という話を聞いて、(中略)九州の日向から東の大和へ向ったとある。(中略)とにかくニギハヤヒは神武に先立って大和へ天降った神、そしてその時の乗物がイワフネだったというわけである。」
「だがイワクスフネというと、『日本書紀』、神代紀の一書に、この名称があらわれるのを見逃すわけに行かない。イザナキとイザナミが、夫婦となって国を生み、山川草木を生み、日神月神を生んだ後、「蛭児(ひるこ)」を生んだという話。この蛭児は、
 「已(すで)に三歳(みとせ)になるまで、脚猶(なほ)し立たず。故、天磐櫲樟船(あまのいはくすぶね)に載せて、風の順(まにま)に放ち棄つ」
 と記されている。」
「イワフネはニギハヤヒにかかわる限りでは、栄誉ある降臨ないし進攻の手段、しかしヒルコにかかわれば、否応なしに流浪、流離のニュアンスを孕む。だが逆からいえば、ヒルコの乗るのがイワフネであるならば、その旅は単なる流離ではなく、未来の栄誉を求める遊行の道とも映じてくる。」



「長谷」より:

「長谷寺はこれまでに五度ばかり訪れているが、伊勢信仰とのかかわりを考えたことはなかった。かかわりをたしかめようと思って出かけたのはこの一月半ばだったが、写真で目にした天照大神像は、当然本堂の外に安置されていると思い、それらしい御堂を探して境内を巡り歩いても見当らない。まさか本堂の中にあるとは予想もしていなかったので、「天照皇大神」の札も最初は見れども見えぬ状態だったのだ。盲点というものがあるにしても、われながらこれはひどいと、気づいた後でひとり大いに恥じた。
 実のところ、本堂内の大神像を、この目で見たのではなかった。格子の奧の厨子の扉は閉じられている。大体人にものをきくのが嫌いなたちだから、大神のありかを寺僧に訊ねもしなかったし、いわんや、厨子の扉を開けてくれなどと、どうせ駄目にきまっている願い事をするわけもない。ただ扉の前の鏡を見て、あれを御神体と思えばよいのだと自分を納得させたばかりだった。しかしそれにしても、写真でしか知らぬ大神像は、一目見て忘れがたい、記憶に強く刻まれる造型である。
 多分近世の作だが、神像の威厳よりも、一見して童形の可憐さを印象づける像。唐草風の宝冠を頂き、髪をみずらに結い、背子(からぎぬ)と領巾(ひれ)を衣の上にまとった、奈良朝の官女めいた礼装で、左手には桃の実のような宝珠を持ち、右手には杖を握っている。」

「大和国原に、三輪山から朝日は昇り、二上山に夕日は沈む。その太陽を迎え送りしてさまよう女たちの信仰は、大和を離れてさらに東へ向い、伊勢に定着した後、絶対の権威に高められた。しかし定着し高められた権威の、取り澄ました森厳の領域の内ですら、後々までも、寂滅為楽の陰々たる俗謡を唄って口に糊する女芸人が、聖域の片隅に場を占めていた。それは遊行の女聖(おんなひじり)の零落した姿。その元の形を求めて時間を遡るほどに、時間はやがて茫漠と拡散し、その中で硬直した権威の様相は次第に曖昧にぼやけ、流動化し、さすらう女たちの群をさながらに西へ東へと揺れ動き、やさしく崩れ始める。その崩れの跡をたどった紙上の遍歴を終えようとする今、目を閉じて振り返ると、最も鮮かに浮ぶ心象は、現実には見たことのない、杖を執って行方も知れぬ旅路に歩みだそうとする長谷寺の天照大神、甲斐甲斐しいがどこかいじらしげで、心もとなげで、無益と知りながら行路の平安を祈らずにはいられない、旅姿の美少女の面影なのである。」



















































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本