飯吉光夫 編・訳 『パウル・ツェラン詩文集』

「芸術を拡大する?
いや、そうではありません。そうではなくて、芸術とともにひたすらおまえ自身に固有のせまさのなかへ入れ、そしてきみ自身を解放せよ、です。」

(パウル・ツェラン)


飯吉光夫 編・訳 
『パウル・ツェラン詩文集』


白水社 
2012年2月1日印刷
2012年2月20日発行
202p 
四六判 丸背紙装幀上製本 カバー 
定価2,400円+税
装幀: 奥定泰之



本書「解説」より:

「本書はパウル・ツェランの代表的な詩、そしてほとんどすべての詩論(講演と散文)を納めたものである。」

「ツェランの人怖じする性癖はことのほか強かったといわれる。むこうから人ごみがこちらへ向かってきただけでも逃げだしたといわれる。ひとことで迫害妄想といわれるもので、同様の運命の持ち主ネリー・ザックスも同種の病いに終生悩まされた。ツェランは彼女を病院に見舞ったことがあるが、彼自身、治癒不能の病人だった。」



本文中モノクロ図版3点(ジゼル・ツェラン=レストランジュ1点、エドガー・ジュネ2点)。


ツェラン 詩文集 01


帯文:

「未曾有の破壊と
喪失の時代を生き抜き、
言葉だけを信じ続けた
20世紀ドイツ最高の詩人の
代表詩篇と全詩論。改訳決定版!」



帯裏:

「もろもろの喪失のなかで、
ただ「言葉」だけが、手に届くもの、身近なもの、
失われていないものとして残りました。(本文より)
パウル・ツェラン」



目次:

I 詩
罌粟(けし)と記憶
 死のフーガ
 光冠(コロナ)
 数えろ、アーモンドの実を
敷居から敷居へ
 入れ替わる鍵で
 夜ごとゆがむ
 沈黙からの証(あか)しだて
ことばの格子
 声たち
 白く軽やかに
 ことばの格子
 引き潮
 迫奏(ストレッタ)
誰でもないものの薔薇
 ぼくらにさしだされた
 頌歌
 あかるい石たち
息のめぐらし
 わたしをどうぞ
 立っていること
 糸の太陽たち
 灼きはらわれた
 ひとつのどよめき
糸の太陽たち
 刻々
 咬傷
 そのさなかへ
 おまえは
 アイルランド風に
 時がきた
 力、暴力
迫る光
 かつて
 ブランクーシ宅に、ふたりで
 さえぎられて
 あなたが
 祈りの手を断ちきれ
 狂気への道をたどる者の眼
 あらかじめはたらきかけることをやめよ
雪の区域(パート)
 落石

II 詩論
講演
 ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶
 子午線
 ヘブライ文芸家協会での挨拶
散文
 エドガー・ジュネと夢のまた夢
 逆光
 パリのフリンカー書店主のアンケートへの回答
 山中の対話
 ハンス・ベンダーへの手紙
 フリンカー書店主のアンケートへの回答
 真実、雨蛙、作家、赤ん坊を運んでくる鸛(こうのとり)
 シュピーゲル誌のアンケートへの回答
 詩(ポエジー)は……

解説 (飯吉光夫)
パウル・ツェラン年譜



ツェラン 詩文集 02



◆本書より◆


本書収録詩より:


「夜ごとゆがむ」より:

「かれらは世界にはなればなれに立っている、
それぞれがそれぞれの夜のもとに、
それぞれがそれぞれの死のもとに、」



「声たち」より:

「傷口は
塞がろうとしない。」



「迫奏(ストレツタ)」より:

「この夜に
星はいらない、どこにも
お前を尋ねる声はない。」



「立っていること」より:

「だれのためでもなく――なにのためでもなく――立っていること。
だれにも気づかれず、
ただ
おまえひとりだけのために。」



本書収録散文より:


「ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶」より:

「詩は言葉の一形態であり、その本質上対話的なものである以上、いつの日にかはどこかの岸辺に――おそらくは心の岸辺に――流れつくという(かならずしもいつも期待にみちてはいない)信念の下に投げこまれる投壜通信のようなものかもしれません。詩は、このような意味でも、途上にあるものです――何かをめざすものです。」


「子午線」より:

「これは人間的なものからの踏みだし、人間的なものに対峙している無気味な領域への(中略)踏みだしです。」

「ゲオルク・ビューヒナーには――わたしはいまこう問いかけざるをえません――「みじめな生き物」の詩人であるゲオルク・ビューヒナーには、芸術に対するごく低声な、もしかするとごく無意識な、しかしだからといって決して不徹底ではない、いやむしろそれゆえにこそ最も本来的な意味で徹底的(ラディカル)な芸術に対する問いかけが、(中略)存在するのではないでしょうか。つまり今日すべての詩がなお問いかけようとするならば、必ずそこへ立ちもどって行かなければならない問いかけが? 別のいくらか飛躍的な言葉でいうなら――わたしたちは、今日多くの場所で行なわれているように、芸術に対して、それがあたかもあらかじめ与えられたもの、無条件に前提されたものとして、取りかかっていいものでしょうか。わたしたちは、はっきりと具体的に言うならば、とりわけマラルメを――と申しましょう――最後まで徹底的に考えなくてもよいものでしょうか。」

「ことによると――わたしはただ問いかけます――ことによると詩もまた芸術同様、われを忘れた「わたし」とともに、この気味の悪いもの、この疎ましいもののもとまで行ってそこで自身を――と言ってもそこはどこなのでしょう? そこはどんな場所なのでしょう? 誰とともにというのでしょう? 何になりかわってというのでしょう?――そこで自身をふたたび解放するのではないでしょうか?」

「わたしたちは今もしかして、あの疎ましいものの住んでいた場所、ひとりの人物がみずからを一つの――疎ましいものとされる――「わたし」へ解放することのできた場所を見出すのではないでしょうか? そのような場所、足を一歩踏みだすそのような行為を、わたしたちはいま見出すのではないでしょうか?
 「逆立ちして歩けないことだけが、彼にはときおり不快だった」〔『レンツ』参照〕――これこそがまさしく彼、レンツです。」
「逆立ちして歩くものは、足下に空を深淵として持ちます。」

「詩――それは息のめぐらしを意味するものであるかもしれません。詩はもしかするとその道のりを(中略)このような息のめぐらしのために進むのではないでしょうか? もしかすると詩は、疎ましいもの、つまり奈落ならびに(引用者注: 「ならびに」に傍点、以下同)メドゥーサの首、深淵ならびに自動機械が、まったく同じ方向に並ぶように思われるところ――まさしくそこで、疎ましいものから疎ましいものを区別することに成功するのではないでしょうか。もしかするとまさしくそこで、メドゥーサの首はたじろぎすくみ、自動機械は停止してしまうのではないでしょうか――一度しかないこの短い瞬間に? もしかするとそこで、一つの「わたし」とともに――そこでそのようにして(引用者注: 「そこでそのようにして」に傍点)解き放たれ疎ましいものとなった「わたし」とともに―ーもう一つの「別のもの」が、自由の身の上となるのではないでしょうか?」

「詩は、まぎれようもなく、沈黙へのつよい傾斜をしめしています。」
「詩は、おのれみずからのぎりぎりの限界において自己主張するものです、――それは、みずからの「もはやない」からみずからの「まだある」の中になおも存続しうるために、みずからを呼びもどし連れもどすものです。」
「詩は(中略)ひとりびとりの人間の、姿をとった言葉であり、――そのひたすらに内面的な本質からいって、現在であり現前であるのです。
 詩はひとりぼっちなものです。詩はひとりぼっちなものであり、道の途上にあります。詩を書くものは詩につきそって行きます。
 しかし詩はまさしくそれゆえに、つまりこの点においてすでに、出会いの中に置かれているのではないでしょうか?――出会いの神秘のうちに。」

「芸術を拡大する?
 いや、そうではありません。そうではなくて、芸術とともにひたすらおまえ自身に固有のせまさのなかへ入れ、そしてきみ自身を解放せよ、です。」

「わたしは……わたし自身に出会いました。」

「わたしは見つけます、わたしがみなさまの面前でこのありえない道を、このありえないものの道を進んできたことへのいささかの慰めともなりうる何ものかを。
 わたしは見つけます、むすびつけるもの、詩のように出会いへとみちびくものを。
 わたしは見つけます、なにか――言葉のように――非物質的に、しかも地上的なもの、現実的なもの、円環をなすもの、両極をこえておのれ自身に立ちもどるもの、しかも――愉快なことに――熱帯地方をもよぎっているものを。わたしは見つけます……子午線(引用者注: 「子午線」に傍点)を。」



「エドガー・ジュネと夢のまた夢」より:

「ところで、ぼくは簡潔な言葉を好む人間である。もちろんぼくは、今回の旅行に出かけるまえ、自分が背後にする世界ではひどいこと、間違ったことが行なわれていることを知っていた。しかもぼくは、もし自分がそれらの事柄を名指しにするなら、それらを根底からゆさぶることができると信じていた。そのような振舞いに出るためには、絶対的な無垢に戻ることが前提となることを、ぼくは知っていた。この無垢をぼくは、過去何世紀にもわたるこの世界の嘘の滓(かす)を洗い落とした末の初源的な光景と見なしていた。」
「人間が外的生活の鎖にしばられて呻吟しているばかりでなく、さるぐつわをかまされて話もできない状態になっていることは、ぼくには明らかだった(中略)なにしろ人間の言語(身振り、動作)は、千年にもわたる捩(ね)じまげられた偽の誠実さの重荷に喘いでいるのだから。」



「詩(ポエジー)は……」:

「詩(ポエジー)はもはやみずからを押しつけようとするものではなく、みずからを曝(さら)そうとするものである。」

























































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本