ジャック・デリダ 『シボレート』 飯吉・小林・守中 訳 (岩波モダンクラシックス)




ジャック・デリダ 
『シボレート
― パウル・ツェランのために』

飯吉光夫・小林康夫・守中高明 訳
岩波モダンクラシックス

岩波書店 
2000年7月7日 第1刷発行
228p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,000円+税


「本書は一九九〇年三月、岩波書店より刊行された。」



本書「訳者あとがき」より:

「この書物は、Jacques Derrida “Schibboleth――pour Paul Celan”, éd. Galilée, 1986, Paris の全訳である。」


本訳書は、守中氏によるフランス語本文の訳に小林氏が手を加えた共訳で、ドイツ語詩の訳は飯吉氏が担当、「岩波モダンクラシックス」版は初版の新装版であり、内容に関してはおそらく同一で、改訳などはされていないようです。


デリダ シボレート


帯文:

「唯一のものである
詩は翻訳(複数化)
可能か」



カバーそで文:

「ショアーを生き延びたユダヤ系詩人ツェランの詩をめぐって、一回性と反復性、単一性と多様性の問題を考察する。「シボレート」とは、殺戮を逃れて越境しようとするエフライム人を見分けるため、「シ」を発音できない彼らに課された「合言葉」(旧約)、詩という唯一のものの翻訳(=越境・複数化)可能性をめぐる脱構築批評。」


目次:

Ⅰ章
Ⅱ章
Ⅲ章
Ⅳ章
Ⅴ章
Ⅵ章
Ⅶ章

原註
訳者あとがき (小林康夫/飯吉光夫/訳者)



本書より:

「シボレート――私がヘブライ語のものであると言うこの語は、ご存知のように、一個の語族全体にわたって見出される。すなわちフェニキア語にも、ユダヤ-アラム語にも、シリア語にも。それは〈大河〉、〈川〉、〈麦の穂〉、〈オリーヴの小枝〉といった意味の多数多様性に横断されているのである。だが、これらの意味の彼方で、この語は一個の合言葉(モ・ド・パス)の価値を獲得した。人々は、戦争中あるいは戦後に、警戒下の国境線の通行(パサージュ)時にこれを用いたのである。その際この語が重要だったのは、その意味ゆえにであるよりも、それが発音される仕方によってであった。意味あるいは事物への関係は宙吊りにされ、中性化され、括弧に入れられていたのである――これは、こう言ってよければ、まず第一に意味を保持する現象学的「エポケー」と正反対のことである。エフライム人たちは、エフター軍に敗れた、――そして兵士たちが河を渡って逃亡するのを阻止するために、人は各人にシボレートと口にすることを要求したのだった。つまり、エフライム人たちはシボレート schibboleth の schi を正確に発音できないことで知られていたのであり、それゆえに彼らにとってそれは、発音し得ぬ=口にしてはならない名と化していたのである。彼らは sibboleth と言い、schi と si のあいだのこの目に見えぬ境界線上で、歩哨に己れの正体を明かし、みずからの生命を危険にさらしてしまうのだった。彼らは、schi と si のあいだの弁別的差異(ディフェランス)に無関心(アンディフェラン)になることによって己れの差異を明かす。つまり彼らは、このようにコード化された刻印(マルク)を再(ル)-刻印(マルク)し得ぬことで識別(マルケ)されるのであった。
 こうしたことが起ったのは、ヨルダンの国境線においてである。」

「一個のシボレート、シボレートという語は、それが一つだけのときにも、その一般性ないし慣用のおよそ最も広い外延において、あらゆる非有意的で恣意的な刻印を名指している。例えば、弁別的で、決定的、切断的なものとなったときの shi と si のあいだの音素論上の差異がそれである。この差異には、それ自体としてはいかなる意味もない、けれどもそれは、歩をすすめる faire le pas ためには――つまり或る場所への境界線あるいは或る詩篇への閾を通過し、安住の場ないしは一国語に合法的に住まうことへの権利を与えられるためには、すなわちもはや法の外に身を置かずにすむためにはということだ――それを識別し、とりわけ刻印するすべを知らねばならぬものと化しているのである。かつまた、一つの国語に住まうためには、すでにしてシボレートを己れの意のままにしている必要がある――つまりその際必要なのは、ただ単にこの語の意味を理解しているということだけではないし、またただ単にこの意味を知っていることだとか、一つの語をどのように発音すべきことになっているかを知っているということだけではない(h ないし ch という文字のあるなしによる shi と si との区別――そのことは、エフライム人たちも知っていた)。そればかりではなしに、必要なのは、その語をしかるべく口にすることができるということ、つまり、しなければならないとおりにその語を口にすることができる、ということである。区別を知っているというだけでは十分ではなく、区別ができること、つまり実際に区別することができること、もしくは区別するすべを知っていることが必要なのだ――そしてここで区別するというのは、それを刻印するという意味である。ちょうど何か或る定理と同じように、それを知っているだけでは十分でないこの刻印、そこにこそ秘密がある。一個の秘密なき秘密が。同盟への権利には、クリプトの中に隠蔽された意味のような隠された秘密などいささかもないのである。
 語の内部においては、shi と si のあいだの差異には何の意味もない。だがそれこそは、他者と分け持つことができねばならない暗号化された刻印なのであり、そうした弁別能力は、自己の内部に、すなわち己れ自身の国語の身体にと同様、己れ固有の身体に、互いの尺度に応じて刻み込まれているにちがいない。身体へのこうした差異の記刻(例えば、これこれの語を発音することに関しての発声適性)は、とはいえ生まれつきのものではなく、生得的器官能力に属するものでは全くない。その起源はそれ自体、なんらかの文化的かつ言語的共同体への、生育環境への、要するに一個の同盟関係への帰属を前提とするものなのである。」











































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