FC2ブログ

アントナン・アルトー 『神の裁きと訣別するため』 宇野邦一 訳

「人間に器官なき身体を作ってやるなら、
人間をそのあらゆる自動性から解放してその真の自由にもどしてやることになるだろう。
そのとき人間は再び裏返しになって踊ることを覚えるだろう。
まるで舞踏会の熱狂のようなもので
この裏とは人間の真の表となるだろう。」

(アントナン・アルトー 『神の裁きと訣別するため』 より)


アントナン・アルトー 
『神の裁きと訣別するため』 
宇野邦一 訳


ペヨトル工房 
1989年7月14日 発行
136p 著者・訳者紹介2p
四六判 角背紙装上製本 函 
定価3,000円(本体2,913円)
装幀: ミルキィ・イソベ+馬場かおる

付: カセットテープ (46分) 

Antonin Artaud : Pour en Finir avec le Jugement de Dieu
Le Theatre de la cruaute



アルトーによるラジオドラマの音源を収録したカセットテープと訳書が入ったボックスセット。1989年にはCDが主流になりつつあったはずですが、カセットテープです。
本は帯とビニカバを付けて単独でも売られていました(定価1,800円/本体1,748円)。


アルトー 神の裁きと訣別するため 01


帯文:

「ドゥルーズ=ガタリに
“器官なき身体”を
もたらした
アルトーのラジオドラマ。
今、甦える
アルトーの
肉声!
シュルレアリスムの
詩人にして演劇の革命家、
アルトーの
肉体言語の真髄が
ここにある。

●カセットテープ46分
●一四四頁上製本」



帯裏:

「アントナン・アルトー
1896年マルセイユに生まれる。詩人、映画俳優、演劇人。一時はシュルレアリスム運動の中心的な存在として積極的に活動したが、後に除名される。明晰な狂気をもつ天才と称され、その狂気は、分裂症とも、幼児期に患った骨髄膜炎の後遺症とも、鎮痛のために常用した麻薬のためともいわれる。この作品は晩年のアルトーがラジオ放送のために制作、収録したものだが、フランス国営放送は内容のあまりの過激さゆえに放送を拒絶した。後年、ドゥルーズ=ガタリから土方巽、寺山修司まで、厖大な影響を与えたこの録音には、アルトー解読のキーワード“器官なき身体”の真髄がこめられている。」



アルトー 神の裁きと訣別するため 03


左より、函、本体(元パラ付)、カセット(まわりの白い部分は発泡スチロール)。


目次:

神の裁きと訣別するため
 トゥトゥグリ――黒い太陽の儀式
 糞便性の探究
 問いが提出される……
 結論

残酷劇
 残酷劇
 〈追伸〉
 《追伸》

『神の裁きと訣別するため』をめぐる書簡

アルトーの問い (宇野邦一)



アルトー 神の裁きと訣別するため 02



◆本書より◆


「糞便性の探究」より:

「そこには血だけが存在し
骸骨の鉄くずだけが存在し
かちとるべき存在などはなく
生を失うだけでよかったのに。」

「私は洗礼もミサも否定する。
内面的性欲的次元にあって、
いわゆるイエス・キリストの
祭壇への降臨ほどに
いまわしい人間の行為は
ほかにない。

人はわたしを信じまい
みんなが肩をすくめるのがここから見える
しかしキリストという名の男は
神という毛虱を前にして
身体なしで生きることに同意したものにほかならない、
ところが十字架から降りてきた
人々の一団がある、
神は久しい前から彼らを十字架に釘付けしたものと信じていたが、
彼らは反乱し、
鉄、
血、
炎と骨で武装し、
〈見えないもの〉を罵倒しながら進んでいく
《神の裁き》と訣別するためである。」



宇野邦一「アルトーの問い」より:

「アントナン・アルトーは一九四八年三月に肛門にできたガンがもとで死ぬ直前に、一つのラジオ・ドラマを作った。(中略)四七年一一月に、アルトーはいくつかのテキストを口述筆記させ、彼自身と、三人の俳優(マリア・カザーレス、ロジェ・ブラン、ポール・テヴナン)でこれを演じて録音を完了した。アルトーのテキストそのものが、瀆神的、糞尿的な言語に充満した破格なものであるばかりでなく、彼はそれに、意味のない音声、激しい叫びを挿入して、確かにラジオ・ドラマや、詩人自らによる詩の朗読といった枠をまったく逸脱するユニークなパフォーマンスを実現したのだった。
 作品のタイトルは『神の裁きと訣別するため』(Pour en finir avec le jugement de Dieu)である。一九四八年二月二日月曜日の午後一〇時四五分という遅い時間帯にセットされていたこの番組は、しかし放送中止になってしまう。」

「録音された『神の裁きと訣別するため』の構成を、簡単にふりかえっておこう。
1 まずアルトー自身の朗読による導入部――さまざまな年令、人格のあいだを移動するように変化するアルトーの声色は、人工受精と高度なテクノロジーによる新たな世界戦争の予感を、乾いた激しい口調でのべる。世界戦争の危機をはらみながら、資本とテクノロジーの支配はたえまなく進行し、生命と身体に深く浸透するだろう。権力はじかに生命にかかわる技術となるだろう。奇妙に正確な予告を、アルトーは脅迫し、嘲笑するような演出で、まず電波にのせようとした。
2 アルトー自身の鋭い叫びと太鼓
3 マリア・カザーレスの朗読による「トゥトゥグリ、黒い太陽の儀式」――「トゥトゥグリ」は、アルトーがメキシコのタラウマラ族を訪れたときに見た儀式で、太陽神の庇護を祈願するダンスを含むものであったらしい。(中略)タラウマラは古来の民俗に、キリスト教を折衷的にとりいれていたが、アルトーはこれをあくまで「十字架の廃棄」と読み、キリストの否定と理解する。馬と人と大地と岩と太陽の間に、力強い交感が生まれ、潜在的な世界戦争とはまったく異質な速度をもつ「残酷な」力の循環が確かめられる。
4 シロフォンによる効果音
5 ロジェ・ブランの朗読による「糞便性の探究」――神と糞と肉に対する悪罵、これらは「細々とした内部の道」を強いる。これに対置されるのは、鉄と血と炎と骨であり、このような無機質の身体こそが、「神の裁きと訣別し」、「無限の外部への道」を開くだろう。身体の有機性は、神の支配のなかに組み込まれている。権力は有機的な身体においてたえず機能するのである。
6 アルトーとブランの間の意味不明な音声(舌語)いよるかけあい、太鼓とシロフォンの伴奏が入る。(中略)
7 ポール・テヴナンの朗読による「問いが提出される……」(中略)アルトーは「意識」の限定について語る。そして、あらゆる拘束と限定のシステムにとってかわるべき実在を「私の内部の夜の身体」、「無の身体」、「無思考」として提起する。彼の狂気とは、この「夜の身体」の叫びにほかならないのである。
8 再びアルトーの絶叫、長くこだまする叫びの繰り返し、太鼓と銅羅による効果音。
9 アルトー自身の朗読による「結論」――アルトーがアルトー自身に問いかけるインタビューの形をとっている。まずこの放送の目的について。(中略)一気に「残酷」が定義される。「残酷とは、神という、人間の無意識の獣性の、動物的な偶然を、それが存在するいたるところで、血によって、血にいたるまで、根こそぎにすることである」。神は、身体を生まれながらにして剥奪する。身体器官とは、すでに神の手先である。そこで人間は、「器官なき身体」を発見し、「裏返しになって踊ること」を学ばなくてはならない。
10 太鼓による一種のマーチ、「器官なき身体」たちのパレードだろうか。」

「アルトーは自らの狂気のなかで、たえずどこからこの狂気がやってきたか問う。彼の狂気は、世界の狂気からやってきた。彼は世界の狂気と闘おうとする。この闘いによって、ほんとうに狂っている世界に、彼はもう一つの狂気を対立させる。彼はしかし、自己の狂気から覚めることによって、世界の狂気に妥協しようとはしないだろう。彼は世界の狂気をわが身に引受け、世界の狂気を自分の身体に地図のように書込み、世界と一緒に狂うようにして、世界の狂気の根源を切開するのである。アルトーの「狂気」の生きのび方には、何か不思議な戦略がこめられているように感じられる。」




Antonin Artaud : Pour en Finir avec le Jugement de Dieu
































































関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本