J・ゴールディング 『デュシャン 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』 (東野芳明 訳)

「おそらく、これまででもっともよく自分を語った私語と思われる言葉で、デュシャンはかつてきわめて簡単にこういっている、「機械に投影したほうが、人間どもに八つ当りするよりいいんだ」と。」
(J・ゴールディング 『デュシャン 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』 より)


ジョン・ゴールディング 
『デュシャン 
彼女の独身者たちによって
裸にされた花嫁、さえも』
東野芳明 訳

アート・イン・コンテクスト 8

みすず書房
1981年7月15日 印刷
1981年7月25日 発行
121p 著者略歴・訳者略歴1p 
巻末折込図版(カラー)1葉
23×18.6cm 角背布装上製本 カバー 
定価2,900円

John Golding "Duchamp : The Bride Stripped Bare by her Bachelors, Even"



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、本来、瀧口修造さんの手によって翻訳、出版される予定だった。(中略)最初は高取利尚氏が訳したものに瀧口さんが手を入れるという形で作業ははじめられようとしていた。しかし、それもつかの間、1979年7月1日、瀧口さんは、(中略)急逝されてしまった。訳者は瀧口さんの代りに最終稿を作りあげる役目をお引き受けする破目になったのである。」



「アート・イン・コンテクスト」シリーズの一冊。本文アート紙、横組。本文中図版(モノクロ)多数。


デュシャン アートインコンテクスト 01


カバーそで文:

「現在《大ガラス》という通称でよく知られているこの特異な傑作は、あらゆる時代を通じてもっとも複雑で謎めいた、捉えどころのない芸術作品の一つである。これはまったく模倣を寄せつけないユニークな作品であるが、それでいて20世紀芸術の進路を変え、その多くはオリジナルを見たことがない三世代の芸術家に影響を与えてきた。
 ジョン・ゴールディングは洞察にみちたこの研究を、まず歴史的な問題から始め、キュビズムや未来派との関係、さらに、グループの声明には加わらなかったけれども、それを創り出すのにかなりの力を及ぼしたダダやシュルレアリスムとの関係が論じられる。ついで彼はこの作品を現代文学、特にアルフレッド・ジャリとレーモン・ルッセルに照らして検証し、その影響関係を考察する。また彼は《大ガラス》における性的な表現を詳細に分析し、錬金術の過程と思想にたいする興味深い類似を示唆する。
 しかし、ジョン・ゴールディングが指摘するように、この作品の真の意味はどのような完全な説明も解答も与えられないということである。《大ガラス》は解答のない謎である。この作品について尋ねられた時、デュシャンは、「解答はない、なぜなら問題がないのだから」と答えた。これに付け加えてゴールディングは、問題はない、なぜならそれに隠された謎は解答が得られないように仕組まれているから、と言っている。
 たしかに、この《大ガラス》は出口を示されるよりも迷ったままでいた方がはるかに面白くて刺戟的な作品である。しかし、ゴールディングはこの特異な迷宮にわれわれをしだいに深く導くことにより、解答の得られない疑問のいくつかに新たな光を当て、その隠された意味を照らし出している。」



カバー裏文:

「アート・イン・コンテクスト
 この叢書は、それぞれ名作とされている絵画や彫刻を、そのイメージと思想の両面から、すなわち様式、技法、文学的背景、心理、宗教、社会、政治など多様なコンテクストにおいて検討いたします。」



目次:

年表


1 花嫁
2 独身者たち
3 脱衣
エピローグ

原注
参考文献
図版リスト
訳者あとがき
索引

全図・原色版



デュシャン アートインコンテクスト 02



◆本書より◆


「しかし、すべての中でいちばん重要なことは、デュシャンがレーモン・ルッセルの作品を発見したことである。(中略)彼は後年こう語っている。「わたしはただちにルッセルが手本として使えることがわかった。私は画家としてほかの画家から影響を受けるよりも、文学者によって影響される方がはるかにましだと思った。そしてルッセルはその方法を教えてくれた。」」
「ルッセルの作品を分析したミシェル・レイリスはこう書いている、「自然、感情、人間性といった一切のものからほとんど完全に隔絶することを目指し、また、自分自身でも一点の疑いもはさみようがないほどはっきりと無意味な素材を磨きあげることによって、ルッセルは真正の神話の創造をなしとげた。」この意見はひとしくデュシャンにも当てはめることができよう。(中略)デュシャンはのちに、ルッセルが彼にとり重要なのは、彼の作品自体に具体的にあらわれている態度のためであって、ルッセルの作品が彼の作品に与えたどのような有形の、または、視覚的にはっきりと示せる影響のせいではない、と強調した。デュシャンは正しかったのである。彼にとってのルッセルの意義とは、この文学者が彼に、抽象的もしくは非人間化された知的な象徴を創りあげることこそが、幻想と憑依世界に生命を与える道を開くと暗示した、という事実にあった。しかも、その象徴世界は、きわめて繊細な彼の感受性を損わない形で言語と視覚の面で操作しうるものでなければならなかったのである。おそらく、これまででもっともよく自分を語った私語と思われる言葉で、デュシャンはかつてきわめて簡単にこういっている、「機械に投影したほうが、人間どもに八つ当りするよりいいんだ」と。」

「最後に、デュシャンは「反芸術(アンチ・アート)」という言葉を、あまりにも独断的な美学的態度を表わしていると思い、拒否するようになった。彼はいった、「アンチ・アートという言葉にはいささか悩まされる。というは、あなたは反対(アンチ)か賛成(フォア)かという時、それは同じものの二つの面であるからだ」と。そして実際に、彼を強烈な個性のダダの芸術家たちから区別しているものは、まさに彼の方法の受動性である。彼はかつていった、「アイロニーはなにかを受け入れる遊びの精神であり、私のは無関心のアイロニーなのだ」。そしてまた、「ダダが否定の運動であり、その否定というまぎれもない事実によって、ダダは、否定していたまさにその事物の付加物になり下がったのに対して、ピカビアと私は、直ちに夢の空想世界に、そしてそれ故シュルレアリスムに通ずる、ユーモアの廊下を開こうと思った」。」

「1911年のいくつかの作品で、背景の地がデュシャンにとってほとんど焦慮とか困惑の原因だったということがはっきり見てとれるのである。(中略)彼はかつて述べた、「背景の地の描き方の問題は、画家にとっては大したことではない。表現したいと思っているものは背景の地にはない」。一方、透明なガラスにはめこまれたイメージは、その状況がおしつけようとするどんな背景の地でも受け入れる。「……ガラスを使うことによって図形に集中することができるのである」。」

「錬金術の教義や言語と《大ガラス》の図像との類似点はたくさんあり、それはかなり偶然のものかもしれないにせよ、ある種の錬金術的な仮定がデュシャンに一連の命題を与えたことはありうる。」

「デュシャンが彼の世代のもっとも貴族的な芸術家であることは論証できるし、彼は疑いもなく最良の20世紀のサンボリストなのである。」



デュシャン アートインコンテクスト 03


巻末の折込を開くと、本文をよみながら「全図・原色版」を参照できるようになっています。




































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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