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川村二郎 『日本文学往還』

「しかし表面的な公正より、偏愛の直観的判断の方が、真に公正だということがあり得る。」
(川村二郎 「隻眼の新皇」 より)


川村二郎 
『日本文学往還』



福武書店 
1993年12月10日 第1刷印刷
1993年12月15日 第1刷発行
295p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,400円(本体2,330円)
装丁影印: 近松門左衛門「二本振袖始」より



本書「あとがき」より:

「この本に収めたのは、雑誌「海燕」一九九二年一月号から一九九三年六月号まで、一年半にわたって連載した文章である。」
「白は、単なる空無とは限らない。潜在力としてのみ存続する力の場でも、それはあり得る。そしてその力への思いが、われわれの文学のそこかしこ、多くはあまり目立たぬ道の曲り角や物蔭に、ひっそりと微光をたたえていることも確かだと考える。この「往還」は、つまりは、その微光をたしかめるために行きつ戻りつした道すがらの属目の記録である。」




川村二郎 日本文学往還



帯文:

「古典の様々なテクストと現代小説に登場する吉野・熊野など豊饒な文学空間から、日本文学の源泉を自在な精神で提示した画期的な日本文学論!」


帯背:

「画期的な日本文学論」


目次:

光厳天皇の死
維盛と補陀落
花の窟
蓬莱と楊貴妃
赤裸のスサノヲ
浄瑠璃の神
聖なる盲者
景清の断念
隻眼の新皇
不在の英雄
流離の少年たち
旅人と遍歴者
准后の廻国
女人の熊野
本地垂迹の謎
小童神と義経
白山の姫神
山国の御陵 

あとがき




◆本書より◆


●光厳天皇の死 (『太平記』)

「だが、男に通有の自己顕示欲、強がりや虚勢を一切示すことなく、外からの圧力に全く無防備なまま身を委ねて、成行に任せる態度が、徹底的に一貫している時、それは常人には及びがたい我執放棄の態度として、一種畏敬の念を呼び起し得るのではなかろうか。聖者とはいわぬまでも、その生涯にわたる不運の連鎖を通じて、生への意志の否定を体現してしまった、独特な殉教者の面影を、光厳の生と死からうかがうことができるのではなかろうか。」
「運命に抗して苦闘しながら、ついに志を遂げ得ず不遇のうちに世を去る後醍醐は、オイディプス王やアガメムノン王と同様に、古典悲劇の主人公となる充分な資格がある。」
「光厳はおよそその種の主人公には向かない。大体彼は何もしないのだから。後村上に向って「重祚の位に望(のぞみ)をもかけず、万機の政(まつりごと)に心をも留めざりしかども、一方の戦士我を強ひて本主とせしかば、遁(のが)れ出づべき隙(ひま)なくて」などと吉野訪問の際に口にしているのは、(中略)まがうことない心情の披瀝であり、事実に即した告白であったにちがいない。その人物が今は、「あはれいつか山深き栖(すみか)に雲を友とし松を隣りとして、心やすく生涯を尽くすべき」と、心にかけて念じた願いを叶えられ、侘しい隠者の境涯に自足している。この消極性の権化の晩年は、少くとも勇猛な行為者後醍醐のそれよりは、恵まれていたといえる。しかしその代り、死後の名声を恵まれるよすがもなく、殊に明治末期の南北朝正閏論の結果、皇統から削除された後は、墳墓すら公式の崇敬を受けてはいなかったのである。」
「このように全く無力な王を、しかし、近世悲劇は好んで主人公にしていた。バロックと呼ばれる時代に多かったその種の作の動機には、人間はすべて運命の力に対してはなす術もなく無力なもので、そうした性格を、人間の代表者たる王は、誰よりも濃く具えている筈であり、また具えていなければならぬ、という認識があった。」



●維盛と補陀落 (『平家物語』、浄瑠璃『義経千本桜』)

「補堕落渡海の現実は、現実の平面に即して見る限りにおいて、陰惨であり、残酷である。その側に密着し続ける限り、渡海の観念は非人間的な迷妄以外のものではない。逆に観念を信じていて、死は極楽往生、つまり再生の喜ばしい機縁だと真底思うことのできる心には、渡海を前に取り乱すのは、見苦しい卑怯未練の振舞いでしかない。双方の判断基準は根本から異っているのだから、双方の間に折合いがつけられることは想像されない。ただ、判断を保留して、そのような対立を作りだす渡海という事象全体を眺める時、ほかならぬその対立を作りだす要因としての、この事象の複合性が、実に途方もないと思われるのである。
 その途方もなさは、人間にとって死の途方もなさと、結局重なり合う。途方もないからこそ、人間の限られた智慧をしぼって、死を理解し、理解を通じて克服しようと試みる。」
「維盛が一方で死に、他方で生きているのは、物語の語り手たちが、対立のはざまに落ちこんで、思うように身動きが取れなくなっているせいかもしれない。『平家物語』では死においても、浄土への再生、さらには転生がほのめかされている。つまり希望の光が微かにではあれさしているのに対し、『義経千本桜』では、身代りの首を鎌倉方に渡してひとり高野へ登る形を取っているものの、高野への遁世は生とはいえど死にひとしいと考えれば、これは那智の入水より荒涼とした、灰色の絶望に染められているとも見える。その時、死といっても生といってもそれはほとんど言葉の違いにすぎない。ただし、たとえば死生一如といった決然たる悟達とは程遠く、むしろ「生は暗く死は暗い」という歌声が、陰鬱な狂熱をこめてひびかせる大地の哀愁が、その場に立ちこめるかのようである。」



●花の窟 (『神道集』、説経『熊野之御本地』)

「日本の物語の主人公は生命力の乏しい優しい母に庇護されて、その愛の領域に、いつまでもくるみこまれていることを願っている。(中略)亡母イザナミを慕って「妣(はは)の国」へ行きたいと泣き叫び、父イザナキの怒りを買って追放されるスサノヲが、すべてそれら「海の中にいる母」へ引かれる子たちの、原型であることはいうまでもない。」


●蓬莱と楊貴妃 (保田與重郎『民族と文芸』)

「だが、一見居直りめいて見えるかもしれぬ「蒙」の強調が、決して無知蒙昧そのものの讃美でないことは、理解されてしかるべきだと考える。
 つまり「蒙」とは、幼くて未熟で、暗くかすかなことである。熟した明るい知慧の光の前で、その暗さがいかにも心細くとりとめないとしても当然である。ただそこで明るさが、一方的に自己の優位を誇り、おのれの光によって闇を完全に抹殺し得ると思い上る時、その傲慢は罰せられずにはいない。明るさは無影照明灯の下の手術室のような、浅薄な健康第一主義の衛生思想の圏内に頽落する。
 それに対して蒙は、暗いだけさまざまなものを包みこんでおくことができる。闇の中ではすべての牛は灰色だといわれる。しかしそれならば闇は、機会が訪れれば多様な彩りと輝きを披露するであろう、おびただしい生命の可能性を内に秘めているのである。」



●赤裸のスサノヲ (『古事記』、折口信夫)

「先にふれたように宣長は、大蛇退治によってスサノヲの穢れはみな尽き果てたと見ている。その見方を教養小説風と呼んでみたが、しかしまた考え直すと、宣長がその文脈で、「蛇を殺して、民の害を除きたまふを以て功とするは、あたらず」と述べているのが注目される。つまり悪人ないし愚人が、苦労を重ねた末、世のため人のためになる仕事を果し得る程度に成長する、というのが、教養小説の一つの定式だが、その筋道を宣長は想定していないのである。民の害を除くなどという、「其(ソレ)ばかりの事は、此ノ神の御上(ミウヘ)にとりては、何ばかりの功にもあらじをや」と彼は断言する。
 では功は何か。「無上霊剣(ウヘナキアヤシキタチ)」を得たことこそが、スサノヲのたぐいなき功なのである。思い切って一般化してしまえば、この場合、霊剣というのは超越の契機であり、その発見は現実を超えた奇蹟なのだ。本性が悪だとすれば、善行を積もうが積むまいが、変りようはない。ただ奇蹟だけが、本性、すなわち運命を変える力がある。救われようのない者は奇蹟によってのみ救われる。宣長の言葉に触発されて、こちらの流儀で敷衍するなら、それが草薙剣の秘儀である。」
「アダムに対応するスサノヲ。その表象だけでも相当に刺戟的だが、折口の同化的想像力はそこにとどまらない。『神道に見えた古代論理』では、「天つ罪」に関連してまず、「素戔嗚尊が天上に於て、田その他の農作に関係ある行事の妨害をせられた、其行為に対する贖罪をば、地上に於ける或種の人々が負担してゐるのだと言ふ考へ方」を紹介している。しかしすぐに続けて逆の考え方が紹介される。
 《この考へ方は勿論逆にもなるのであつて、地上の者が田その他農作に関聯した行事を妨げる事が屡(しばしば)であるから、その罪・穢れをば過去に於て、一人で引き受けて贖つてくれる神があると考へて、そこに素戔嗚尊が考へられるのである。》
 人間の罪を一人で引き受けて贖ってくれる神。これは明らかにキリストの表象である。アダムにして同時にキリストなるスサノヲ。罪の創始者であり同時に救済者でもある神。矛盾といえばきわめて矛盾に富んだ、そのような神のありようを思い描いたのは、折口が、世界宗教としての日本宗教の可能性を探り続けていたからにほかならぬだろう。
 ただしこの矛盾は、原始信仰における神のありようにとっては、矛盾ともいえぬ、ごく自然な事態にすぎない。つまり災厄をもたらす神と恵みを与える神とは通例一体の神の双面である。」



●浄瑠璃の神 (近松門左衛門『日本振袖始』)


●聖なる盲者 (謡曲『蝉丸』)

「山でまず、蝉丸は宣旨に従って剃髪する。出家としては当然と一応はいえる。しかしその後、清貫は、王子の姿のままでは盗人に襲われるおそれがあるからと、衣を取り上げ、代りに蓑と笠を与える。旅に出るならいざ知らず、山中の藁屋に住むべき身に、蓑笠は何かそぐわない。しかしスサノヲが鬚や爪を抜かれ、青草を結(ゆ)い束ねて蓑笠とし、身にまとうたという伝承を振り返る時、それは日常からの脱落ないし引退を指し示す、象徴的な装具なのだと思い当る。「蓑は、人間でないしるしに著るものである」と折口信夫はいっていた。
 「神と怪物との間のもの」とも、折口は蓑笠姿を指して述べていた。「間」とは両方に関るわけだから、神でもあり怪物でもあるといっても同じことである。蓑笠を与えられた時、蝉丸はそのような人間でない存在に変身している。」
「天皇の子、皇胤とされているからこそ、蝉丸は神でもあり怪物でもあるという性格を、格別強烈に印象づけることができる。卑しい者が獣にひとしい悲惨に陥ったとしても、見方によればほんのわずか下にずり落ちたにすぎない。王子の没落はそれとは比較にならない。光から闇への唐突な逆転にこれはひとしい。普通の人間は、極端な明るさからも暗さからもへだたった、ほどほどの薄明りの中に生きるのを常とする。それならば、光と闇の激しい交替を経験し得るのは、やはり彼が人間でないしるしだということになる。」
「『百人一首一夕話』は、蝉丸の皇胤説を「拠り所なき説」と一蹴し、また彼を盲人とする説は別人と取り違えたので、「蝉丸の像を盲人の様に描く事、笑ふに堪へたり」と軽蔑している。考証家から見ればすこぶる胡乱であろうとも、しかし、民間の伝承が、山に捨てられた人外の徒を、天皇の血を引く盲目の天才音楽家たらしめたのは、栄光と悲惨のイロニーを正しく捉えた、伝承の想像力(創造力)による認識の成果にほかならない。」
「どこから見ても英雄の性格からは程遠い、薄命の乞食楽師が、死後、畏怖をふり撒く神霊と化する。冤罪に沈み恨みをのんで世を去ったとか、不条理な暴力によって虐殺されたとかの理由で、恐るべき怨霊となった死者の例は乏しくない。しかし蝉丸のような、力ある者の庇護を頼るばかりのよるべない魂が、道を遮り旅人を脅かす力に転ずるというのは、かなり異例でもあるが、日本における力と無力との関係について、いっとき思案に耽らせることでもある。」



●景清の断念 (謡曲『景清』、近松門左衛門『出世景清』)


●隻眼の新皇 (『将門記』)


●不在の英雄 (常磐津『将門』、山東京伝『善知(うとう)安方忠義伝』)

「しかし固有の肉体をもって登場し、現実に直接に関与するより、肉体の束縛から解放され、現実の中では明確な存在の形を持たぬまま、血族の肉体その他、他者の形を借りて間接にのみかかわっている方が、かえって本来の力を無制限に発動し、持続する作用を及ぼしやすい、ということは考えられるだろう。そこにいない者はどこにでもいる。不在は遍在に通ずる。そこにいない者の力は、どこにでも溢れて行く。そして彼がいたはずの、今はぽっかりと空いている場所は、あたかもその力が不断に湧き出てくる場であるかのような幻想を抱かせる。」


●流離の少年たち (幸若舞『信田(しだ)』、説経節『しだの小太郎』)


●旅人と遍歴者 (松尾芭蕉『おくのほそ道』)

「《旅をする人の状態は漂遊である。より深く土地に根づいている他の人間にとっては、いや遍歴者にとってすらも、旅人は間断なく逃亡しているかのように見える。実際に旅人は、万人に対して、また自分自身に対しても逃走しているのだ。旅人にとっては自分の身の回りのあらゆるものが亡霊的・贋物的になり、自分自身さえもが霊的なもののように思われてくる。旅人は自分の移動にいわば一心不乱であるが、絶対に自分を拘束するような人間的な共同体に同化することはない。》
 この漂う旅人の典型として、ケレーニイは『オデュッセイア』の主人公、「奈落と深淵の上を漂う」オデュッセウス、「堅固な大地の上に立脚することなくひたすら生と死の間(あわい)を漂いつづける」人間を名指すのだが、そのような人間の守護神が、常に途上にあり旅人を導く役割を果す神、ヘルメスなのである。「旅の途上に住み、道そのものを故郷とする」旅人が、ヘルメスをその神とする。
 すべての神々同様、ヘルメスの性格も多義的だが、最も古い形ではわれわれの側のサエノカミ、道祖神にひとしいだろう。」



●准后の廻国 (道興准后『廻国雑記』)

「到る所に熊野のゆかりがある。それは、到る所が熊野であるというのと同じことである。」


●女人の熊野 (柳田国男『女性と民間伝承』、秋元松代『かさぶた式部考』、中上健次『日輪の翼』)

「『女性と民間伝承』は和泉式部の話から始まっている。もちろん歴史に実在した歌人ではなく、彼女をめぐる伝説が日本各地にあることを問題にしている。同じような話が、全く無関係と思われる遠く離れた土地土地に伝えられている。それが各箇独立して発生したはずはないので、必ず運搬者があって甲から乙へと話を運んで行ったにちがいない。その役割を担ったのが歌を歌う旅の女、そして話を聞かされる土地の人間は、話の主人公と語り手とを混同し、和泉式部を語る女は和泉式部だと信じてしまう。かくしてそこにもここにも和泉式部の遺跡や墓が生じることになる、という次第である。
 和泉式部の名は場合によっては小野小町ともなる、小野お通も当然、代替可能な名の一つである。これらの代表的な名のもとに、数知れぬ無名の歌比丘尼たちが、国々を巡り、人々に慰めを与え、ひっそりと死んだ後には、彼らを代表していた名の記憶のみをとどめたのである。
 その歌比丘尼の本拠は熊野である。」



●本地垂迹の謎 (中上健次『日輪の翼』、森敦『月山』)

「本地垂迹説など仏徒の恣意的な牽強附会にほかならず、日本固有の神の正体を隠蔽する邪説にすぎないと、国粋主義的な近世の学者思想家たちが慨嘆し指弾してきたことはいうまでもない。(中略)だが、分離独立して回復されるべき、本来の面目がそもそも神の側にあったかどうか。高取正男の『神道の成立』によれば、仏教が伝来して初めて、日本の神祇信仰は明確に意識化されるようになった、「仏教から多くの影響をうけ、仏教との習合を重ねながら、仏教に対する神道としての自立性を維持しようとした」のである。あっさりいってしまえば、従属を通じて自立するということ。倚りかかりながら立つこと。こうした立ち方の是非はともかく、そのようにして立ってきたものが倚りかかるものを失えば、立ちにくくなるのは自然の道理である。明治の国家神道は、それをむりやり立たせようとするために発案された、人工的な装置にすぎなかったろう。
 今いいたいのは、垂迹説が一見恣意的な、あるいは荒唐無稽な歪曲や捏造に見えるとしても、意外に本来の信仰に叶った、合理性を持っていたのではないか、ということである。」



●少童神と義経 (『義経記』)

「神が人のように苦しむ。それをさらに突きつめれば、神は人だということになるが、それならば、人も神のように、ではなく神として、苦しんでもよいはずである。
 苦しむ神。その姿はスサノヲのように、途方もない規模にふくれ上りもするけれど、むしろ小さくひそかにある方が、われわれの昔の心には深く沁みやすかったのだと思われる。」



●白山の姫神 (泉鏡花)

「喪失は保有のあかしである。転落は高さの証明である。無一物の赤裸で泥土にまみれていようと、泥土を故郷とする者とそこへ落ちてきた者とは、おのずからへだたっている。無知と忘却とが異るのと同様に。(中略)忘却は一見空白にひとしいようだが、何らかの機会に恵まれて記憶がよみがえれば、その瞬間に何もなかった心の空間は具体的な心象でもって満たされる。失われたものは潜在的には常に回復されるものであり、落ちたものは常に浮ぶものである。」


●山国の御陵

「山から里へ出て、聖性を失う姫神もあれば、里で汚辱にまみれた後、山に入ってひっそりと行い澄まし、そのまま生を終える貴種もある。
 この本の第一章に呼びだした光厳天皇も、そのような貴種の模範的な一人だった。きわめてゆるやかながら、一応主題とその変奏といった心づもりで書き綴ってきた文章の最後に、彼をふたたび呼び寄せるのは、構成のためにふさわしいだろう。」
「これら河内の陵墓を偲ばせるよすがは、光厳の墓にはほんの僅かもうかがわれない。時代が違うといえばそれまでである。しかし先に意志を持たない人間と書いたが、ひたすらささやかであること、小さくあることを念じていたとすれば、それは積極的な野心や自己顕示欲とは対極に位置しながら、決してその欲望と強度においては劣らない、鞏固な自己放下の意志であるといってもいいのである。光厳の墓はこの意志の具象と見ることができる。」
「貴種流離の物語の主人公たちにしても、おおよそ、因果応報の理法の中に捉えられている点では、隠岐や吉野に追放された天皇たちと同じことである。罪を犯して天界から追われたスサノヲから、光源氏や在原業平、小栗判官たちに到るまで、実在と虚構とを問わず、その物語の主人公たちは、おしなべて何がしかの禁忌に触れたり掟に背いたりして、その結果流亡の運命をたどらねばならなくなっている。
 しかし中には、無辜の犠牲と呼ぶよりほかないような貴種も存在している。たとえば幼い日に親を失ったために悲惨な境涯に落ち、辛酸を嘗めねばならない少年たち。信田の小太郎、しんとく丸、愛護若、厨子王。彼らはみな罪なくして罰のみを受けている。勝とうとして敗れたのでもなければ、野心を実現しようとして挫折したのでもない。最初から負けているのだといってもよいが、負けと勝ちは対概念だから、勝ちのない所には負けもない道理である。その意味では彼らは勝敗の彼岸におり、勝敗を超越している。
 判官びいきも権威崇拝も、そのような貴種に向っては、ふさわしい心の態度となり得ないだろう。彼らはさながら、ホメーロスの描いた、英雄オデュッセウスが冥界でめぐり合った母の魂にひとしく、輪郭はあるけれども実体のない幻で、心をこめてかき抱こうとすれば、そのたびに影か夢でもあるかのように、ふわりとすり抜けてしまうのである。」
「彼らは、愛護若などを別にすれば、大体物語の結びには、ほどほどの生の幸福を恵まれる。しかしそれまでは、生きていても死にひとしい、あるいは生とも死ともつかない、曖昧な薄明の領域の中を漂っている。生と死との激烈な対比、一方と他方とを分つ截然たる境界線は存在せず、みな生きながら死んでいるかのように見える。そのことが、幻を捉え得ないもどかしさを味わせもするが、また、英雄の強靭な生への感嘆とも悲劇的な死への畏怖とも違った、どこと定めがたい鈍い痛みのような悲哀を感じさせもする。そしてその悲哀は、奇妙な慰めに似ている。なぜなら、生が死にひとしいならば、死もまた生の一つの相だと考えることも可能なので、境界線の不在は、存在の状態に断絶も激変もなく、悲惨は悲惨なりに恒常不変、それ故に独特な安定の印象を生じさせるからである。」
「むしろ雄大壮大とは無縁に、小さな片隅にひたすら後退し、断念と静観のうちにひっそりと沈みこむ、英雄というより反英雄の姿の方が、こちらの文学の世界では、その世界の特徴的な風土によりしっくりしているといえるのかもしれない。
その風土の名が熊野。改めて念を押すまでもないが、現実の地理上の地域ではなく、象徴的な風土の名である。(中略)一切の生の力を剥奪され、一切の生の恵みに見捨てられた人間の行き着く所、(中略)行き着いた場の圧迫的な気分は、やはりそこで、終り、行き止りといった感想を呼び起さずにはいない。
 熊野は象徴的な名だから、いくらでも代替可能である。出羽三山、白山、日吉山王。そしてその象徴としての意味を直観した人間にのみ、共通の秘密を明している。白山の姫神と姫神に庇護される少年をくり返し語っていた泉鏡花から、熊野の路地の少年と彼らを少童神のようにいつくしむ老女を(中略)諸作品を通じて倦むことなしに書き綴った中上健次まで、この秘密の闡明者を、近代文学の場でも幾人か名指すことができる。大岡昇平は鏡花についてこう書いていた。
 《鏡花は身体も弱く、学歴もなく、鬼神をおそれた庶民的な人間であった。ただその完全な受動性によって一宇宙を喚起し、映像の土俗的な粘着性によって人を魅了したのである。》
 完全な受動性の喚起した一宇宙。この文章が行きつ戻りつしながら観察を重ねてきたのは、結局その宇宙の消息にほかならない。」






こちらもご参照ください:

谷崎潤一郎 『吉野葛・蘆刈』 (岩波文庫)



































































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うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

すきなことば: 「だれもいない」「ギブアウェイ」「ウポポイ」「隠密」
きらいなことば: 「人と人とのつながり」「キャリアアップ」「ほぼほぼ」「三密」

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歴史における自閉症の役割。

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