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石塚尊俊 『日本の憑きもの』 (復刊)

「巫女が外道のものを竹や壷に納めて、これを人里離れた所へ持って行って捨てるということは、大分県の速見郡でも聞いた。かの地では、その捨てる場所を犬神藪とか犬神小路(シウジと発音する)とかいい、いずれもうら淋しい所で、犬神はそういう所にいるものとされ、したがってそこへ捨てるが、時にはそこから迎えて来るともいっている。」
(石塚尊俊 『日本の憑きもの』 より)


石塚尊俊 
『日本の憑きもの
― 俗信は
今も生きている』



未來社 
1972年8月31日 復刊第1刷発行
1989年2月20日 第7刷発行
297p 口絵(モノクロ)2p 
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価2,000円



本書「憑きもの概説」より:

「全体を分かって七章とし、第一章では伝承の梗概を記し、第二章ではいわゆる家筋というものをその正確な数字を求めつつ眺め、第三章ではこれによる社会緊張の実態をたずね、第四章では問題を憑くものと憑かれるものと憑けるものとに分けて、それぞれの特徴を抽出し、第五章ではこれに介入しこれを歪曲したろう行者の系統をたずね、第六章ではその最も基根である固有信仰の祖型にまでさかのぼらんとし、そして第七章ではこれを結び、同時にこの俗信の生きる社会基盤をとらえようとした次第である。」


別丁口絵図版(モノクロ)3点。本文中図版(モノクロ)11点、図10点、表8点。
初版は昭和34年。著者は柳田国男の指導を仰いでいます。

でてきたのでひさしぶりによんでみました。



石塚尊俊 日本の憑きもの 01



目次:

一 憑きもの梗概
 1 課題と研究の立場
 2 種類と分布
   A おさき
   B くだ
   C いづな
   D 人狐
   E 外道
   F とうびょう
   G 犬神
   H やこ
   I その他の動物霊
   J とりつきすじ
   K イチジャマとクチ

二 憑きもの筋の残留
 1 少数地帯と多数地帯
 2 多数地帯の実態
  A 島根県出雲地方の実態
  B 島根県隠岐島前地方の実態
  C 大分県南部Y村の実態
  D 高知県西南部T村の実態
 3 多数地帯の成立

三 憑きものによる社会緊張
 1 憑きもの筋自身の態度
 2 非憑きもの筋側の態度
 3 婚姻統計に現われた社会緊張

四 憑きもの及び憑きもの筋の特徴
 1 憑依動物の特徴
 2 憑依症状の特徴
 3 憑きもの筋の特徴
  A 島根県東部N部落の場合
  B  島根県半島部D浦の場合
  C 大分県南部O浦の場合
  D 高知県西南部G部落の場合

五 憑きものと行者
 1 憑きもの落としとその方法 その一
   A 憑きものの予防法
   B 狐憑き発見法
   C 薬物鍼灸療法
 2 憑きもの落としとその方法 その二
   A 神道加持
   B 日蓮宗中山派の加持
   C 修験加持
   D 巫女の祈祷
 3 憑きもの使いの問題 その一
   A 憑きもの使いの存在
   B 文献に現われた憑きもの使い
   C 大陸の蠱道
 4 憑きもの使いの問題 その二
   A 飯綱と荼吉尼
   B 荼吉尼信仰の本山
   C 外法・式神・護法
 5 日本蠱道史上の問題点

六 憑きものと家の神
 1 守護神としての動物霊
 2 動物霊の勧請
   A 狐託宣・蛇託宣
   B 動物の予兆力
   C 動物霊勧請の次第
 3 家の神の司祭者

七 憑きものと社会倫理

あとがき (昭和34年7月7日)




石塚尊俊 日本の憑きもの 02



◆本書より◆


「一 憑きもの概説」より:

「ところで、憑きものといっても、今日大部分の地方では、もはや遠い昔の思い出ぐらいのことにしかなっていないかも知れない。したがってそういう所では、時たま狐が憑いた、狸が憑いたというような騒ぎがあったとしても、それはどこか野原にでもいる狐が偶然に憑いたのであり、いわゆる化かされたというのに等しい現象としてあきらめ、別にそれを駆使する特定の家筋があるなどというふうには考えないであろう。したがって、そういう地方ではこれによる弊害もまた少ない。ところが、地方によっては、この家筋というものを真剣に考え、常日頃、実際にそういう動物を飼っている家があるとし、それを「狐持ち」とか「犬神持ち」とか呼び、村で「憑かれた」というような騒ぎが起こると、それはそういう家からけしかけられた結果であると信じ、したがってこれを極度に非難し、また、そういう家と縁組をすれば、その飼っている狐なり犬神なりが嫁婿と一緒にやってくる、そうすれば自分の家もその「憑きもの筋」になってしまう、だからそういう家とは絶対に縁組をしないといっている所がある。」

「では、これらの地方では、こうした状態に対して何らの手も打ってはいないかというと、もちろんそのようなことはない。すでに旧藩時代からこれが啓蒙運動はおこなわれてきた。(中略)しかしその効果は必ずしも歴然たるものではない。表面的にはいわぬようになっていても、心の中ではほとんどの者がまだこだわっているというのが、遺憾ながら実情である。」

「以前は学校の教室で児童の席をきめるというような折にも、「うちの子を狐つき(狐持ちの意味)の家の子と並ばせるな」などという親があったほどだという。縁組を嫌うのはもちろん、土地や馬を買う場合にも、やはりそれについて来るといって恐れたという。最近でもいわゆる生活改善問題としてこれがとりあげられ、それが却って逆効果に終わったというような例もあったらしい。」

「由来、クダ狐とは管に入れて持ち歩く故にこの名があるとされている。」
「愛知県一宮市では、明神森の東のうどん屋の前へ毎市日に八卦見が出るが、この八卦見がこの狐を使っていて、それは伏見の稲荷から受けて来たものだという。そして大きさは奉書につつんだ指くらいの竹であったというから、(中略)この中に入るクダ狐はよほど小さなものにならざるを得ない。かと思うと、さきにも記した横須賀市の婆さんは、マッチ箱大の箱の中へ二匹入れて飼っていたというから、こうなるといよいよその形態は現実から遠のいてくる。」
「山梨県の南巨摩郡三里村では、今から六十年くらい前頃までは、正月や祝い日などにはイチッコが廻って来たが、これが小型のラジオくらいの箱を黒木綿の風呂敷に包んで背負って歩いており、口寄せをするときにはこの箱に両肘をついて寄りかかり、また箱の上には皿か丼に水を満たして置き、この水を笹の葉でかきまわしながら神おろしの詞を唱えて諸国の神々を呼びおろす。箱の中には雌雄のクダ狐が入っていて、これをイヅナとも呼び、鼠くらいの大きさであるが、普通の人には見えない。イチッコが命ずると、これが方々をまわって来ていろいろのことを教えるという。」
「ともあれ、こうしてクダ狐は、ある特定の家に飼われているものというより、ある特定の術者に使われているものというような性格が甚だ強い。」

「犬神はイヅナとともに、この種のものの中では比較的早くから文献に現われてくる。」
「延宝三年の序のある黒川道祐の『遠碧軒記』には、これが起源に関する伝承を載せ、「田舎にある犬神と云事は、其人先代に犬を生ながら土中に埋て、咒を誦してをけば、其人子孫まで人をにくきと思ふと、その犬の念その人につき煩ふなり。それをしりてわび言をして犬を祭れば忽愈」と記しているが、本居内遠の『賤者考』には、里老の話を載せて、「猛くすぐれたる犬を多く嚙み合せて、ことごとく他を嚙み殺して、残れる一匹の犬を生きながらへしめたる上にて、魚食をあたへ食はしめて、やがてその頭を切りて筪に封じ、残れる魚食をくらへば其術成就す」とやや異なる伝承を収めている。しかし飢えた犬の首を切るという話は今も人口に膾炙しており、四国ではどこでも聞くが、九州大分県速見郡山香町では、現にその通りのことを実行している巫女がいるという。それは、かくして獲た犬の首を腐敗させ、それに湧いたウジをかわかして、それを犬神だといって、一匹千円だかで希望者に頒けているというのである。」



「三 憑きものによる社会緊張」より:

「憑きもの筋に対する非憑きもの筋側の態度にも、いろいろの段階があった。今日では、いわゆる多数地帯においてさえ、もうこれを知らぬというほどの人もあるようになったが、ひと年とった階層の間となるとそうはゆかぬ。仮りに、憑きものが恐ろしいというようなことは全く信じなくても、一つには世間体からやはりこれにこだわるのである。それが昔となると、とてもその程度のことではすまされなかった。ずっと古く、人がまだこのことを本気に信じていた時代には、このものを、それこそ災厄の根源であるとして追放し、時には焼打ちにしたような事件さえあったのである。」
「しかし、こうした殺伐な弾圧は、いくら旧藩時代でもおおむね前期までで終わっている。そしてこれ以後になると、少なくとも為政者の側としては、反対にこういうことをしようとする者を努めて鎮圧しようとする態度に変わるのである。」
「とにかく近世も後半になると、為政者としてはもっぱら保護者の立場に立つようになる。しかし、それは表面のこと、一般常民の間においてはなお依然として緊張が解けない。焼打ち等のことはないが、追放程度のことならばどこでも珍らしいことではなかった。」
「これはしかし、旧藩時代の話、今日ではもちろんこのようなことはない。しかし、正面きっての追放こそせぬが、無言の圧迫はやはり強く、とうてい堪えきれぬために、憑きもの筋の者自身、ついに所を払って他出してしまったという例ならばいくらもあるようだ。静岡地方では、前記の如くクダ屋が有名であるが、これも今では世人から忌まれ、交際もできにくいので、次第に立退き、今ではほとんどもとの土地にいないという。
 そういう悲劇が、隠岐島では近頃まで甚だしかったようだ。知夫島のF浦ではもと二戸あったが、あまりの迫害に堪えかねて、明治の終り頃逃げ出してしまった。実にかわいそうであったとは横山弥四郎氏の感慨である。西ノ島のC浦でも一戸あったが、西郷へ出、O部落の一戸はH浦へ、K浦の一戸は三十年くらい前に一家をあげてブラジルへ移民してしまった、と、これは松浦康磨氏の記憶である。」
「日常の交際ないし起居進退に関するようなことはなかなかわかりにくいが、問題の多い所ではやはり相応の苦心を払っているらしい。山梨県西山梨郡千代田村では、狐持ちの家をワンワン(覗くこと)すると狐に憑かれるという俗信があるから、覗き見もしないであろう。徳島県三好郡地方では、憑いて困るという場合には、その家の周囲に糞を撒くという伝承があるが、青森県八戸市附近では、先年それを実際にやったという事件があった。高知県幡多郡大方町では、犬神持ちの家の前を通る時には、憑かれぬ呪いとして胸に縫針をさして歩くという女学生の報告がある。
 ところが、『夕刊山陰』の昭和二十五年二月一五日版をみると、「出雲より」として次のような記事がある。
  出雲市高浜里方町農業法田静子(二二)=仮名=は、昨年暮ごろから二月初めまでに、近所の金山キンさん方ほか七戸から、毛糸、モチ、現金など空巣ねらいを働き、十三日市署員に捕ったが、近所の者もキツネ持ちの家だから仕方がないと、ほとんど盗難をあきらめて届出なかったもので、同人も嫁入り前に迷信から来る白い視線が禍いし、なかばヤケになって盗み回っていたもよう。
と、わずか数行の記事ではあるが、筋だとされている側の者の落ちてゆく一つの場合、またこれに対する周囲の者の態度を、ともによく語って余すところがないと思う。」
「憑きものによる社会緊張が、最後まで残るのが、縁組の場合である。」
「もっとも甚だしい出雲地方においても、他のことに関してはもうほとんどいわず、それどころか縁組に際しても、一応の態度としては、つまらぬことだからこだわるまい、と誰もがいうが、それでは、実際に自分の娘を狐持ちにやるかというと、ちょっと待ってくれ、もう少し考えさせてくれ、というのが遺憾ながら実情である。そのため、筋の相違を超越して一緒になるというようなことはなかなかむずかしく、それによる悲劇がなお跡を絶たぬのである。」



「四 憑きもの及び憑きもの筋の特徴」より:

「さて、かようにして、イヅナ・オサキ・クダ・人狐・ヤコ・トマッコ狸・犬神・外道などは、それぞれ、イイヅナ・オコジョ・イタチ・ヂネズミ・などであるらしいが、ここに一つ、何としても合点のいかぬ憑きものがいる。それはトウビョウである。トウビョウといっても、狐の方のトウビョウはやはり鼬の類であろうが、問題は蛇のトウビョウである。そして、これだけがあらゆる憑きものの中で哺乳類ではない。
 およその伝承についてはさきに示したが、それらを通じて見たところ、その形はいずれも小さく、せいぜい五、六寸くらいから、短かきは杉箸くらい、もっとも短かきはミミズぐらいというような表現もあるから、もしかしたらこれは蛇ではなく、ミミズの類であるかも知れぬ。色は黒く、首には黄色い輪があるというが、石見ではそれが白い輪だとなっている。しかるに広島県双三郡地方では、中太で、その形、鰹節の如しなどとあるから、こうなるといよいよわからない。
 とにかく、犬神にしても狐蠱にしても、その正体に擬せられる何らかの動物がいることは「事実」であるから、これにはやはり何らかの拠りどころはあるのかも知れない。だがそういうことよりも、ここで大きく問題にしたいことは、総じて、トビョウに限らず、犬神にしても、人狐にしても、あるいは外道・クダの場合にしても、第一には、その眷族が七十五匹もいるといわれるくらい非常に多いこと、第二には、その伝育者が女だとされ、その故に、女から女に伝わるものだという考えがあること、そして、さらに大きな問題は、既にして、その正体はイタチだとか、ヂネズミだとかいいながら、しかもなおかつそれを狐であるとか犬であるとかいっているということである。つまり、犬らしからぬものを摑まえながら犬だと呼び、狐らしからぬものを見ながらなおそれを狐だと考えているということであって、ここにわれわれは、その正体が何だということよりも、そうした信仰が何によって起こったかということの方が、より先決の問題のように思われてくる。つまり、正体がわかったというだけでは問題を解決したことにはならぬのであって、その前にまず、いうところの、狐なり、犬なり、あるいは蛇なりの信仰をたずねて見ねばならぬのである。」



「六 憑きものと家の神」より:

「こうして、憑きものには、これを鄭重に祀り込めば、位がなおって神になる、あるいは逆に神であっても、これをおろそかにすれば位が下がって憑きものになる、という伝承がある。したがって、この考えをさらに突き詰めてゆけば、憑きものとして、今は嫌われているこの俗信も、もとは家の守り神として、むしろ良いものに思われていた時代がありはしなかったかということになる。」
「一つの例は岡山県美作地方のトマッコ狸であって、トマッコとは鼬であろうが、これを飼っているといわれる家が西美作には非常に多い。その数は一戸で数百匹、数千匹もいるといわれ、(中略)飼うのはその家の主婦の仕事で、夜半に桶に粥を満たしてその端を杓子で叩くと、どこからともなく無数に出てきて食うというから、その説くところは全く通常の憑きものと変りないが、しかるにもかかわらず、これに対しては通婚を忌まず、したがって、通婚によって家筋ができるとはいわないという。
 これとは少し違うが、やや似た例が鳥取県倉吉市の在にもある。この村で狐持ちだといわれるのはこの家一軒であるが、(中略)別に縁組を嫌うというようなことはないという。
 さらにいま一つ、やはりこの近くの村で、村一番の旧家であり、もとは倉吉まで出るのによその土地は踏まぬくらいであったというが、それというのも先祖が白狐を祀ったからであって、今に方三尺くらいの邸内祠があり、守護神として粗末にしない。しかしこの家に対しては通常狐持ちといわず、したがって通婚も忌まない。
 ここまでくると、出雲の例もあげねばならぬ。ここは憑きものの中心地であるから、狐持ちだといわれぬというようなことはあり得ないが、ただその起こりについて、右と同じく白狐(野狐ともいう)の威力を説く家が一軒ある。(中略)やはりかつては郡役人を勤めたほどの豪農であるが、そうなったのも、先祖がいまださほどでもなかった頃、木綿の行商に出て道端で狐を助け、つれて帰って家の守り神に祀ったのがそもそもの始まりだという。こうなると、今はともかく、発生的にはまさしく家の守護神であり、ファミリーゴッドであって、少なくとも厄介ものではなかったということになる。」
「とにかく、狐にしても、蛇にしても、一方ではこれを神に祀り、稲荷とか、荒神とか、竜蛇とかいうことにして、その託宣を求めるというふうが今に絶えないとするならば、かかる動物を余地なく気味悪がり、これに憑かれることを恥とするようなふうは、もう少し考え直してみねばならぬと思う。少なくとも古い時代の人々は、もっとかかる動物に対しては畏敬の念をもって接していたものではないかと思えるのであるが、そのことは、『万葉集』や『伊勢物語』などに見える狐の歌や、中世の説話物に見える狐と人間との婚姻の話などから想像する場合においても同様である。」

「そこでわれわれは、最後のものとして、どうしても柳田国男先生のお考えに入ってゆかざるを得ない。」
「先生のお考えは、それまでの古くからの考えとは違って、狐というものを初めから悪い動物だとはきめてかからぬというところに特徴があった。それまでの見方によれば、たとえば寛延三年、多田義信の『南嶺子』に、「野狐を敬して稲荷の神号を潜し、福を祈、慶を求むる頑愚の匹夫世に甚多し」とあるように、狐とはとにかく悪い動物であるという観方がもっぱらであった。ところが、先生は、少なくとも古い時代には決して悪い動物ではなかった、のみならず、人に真似のできない霊力を備えた神秘な動物であって、そこからして神の使令、なかんずく田の神の使令と考えられていたから、これが田の神である稲荷神と重なってくるのは自然であったとされたのである。」




石塚尊俊 日本の憑きもの 03






こちらもご参照ください:

吉田禎吾 『日本の憑きもの』 (中公新書)
小松和彦 編 『民衆宗教史双書 30 憑霊信仰』
小松和彦 『憑霊信仰論』 (ありな書房 新装増補)
C・ブラッカー 『あずさ弓 ― 日本におけるシャーマン的行為』 秋山さと子 訳 (岩波現代選書)


































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