井之口章次 『日本の葬式』 (ちくま学芸文庫)

「大村因幡守(いなばのかみ)様が備前(岡山県)の浦辺を船でお通りになったとき、向うのほうから一かたまりの黒雲がわきあがり、その中から「ああ悲しい」という声が聞えた。変だなと思っているうちに黒雲は船の上に来て、人間の足がぶらさがっている。家来たちがとびついて引きおろしてみると、老婆の死骸だった。(『新著聞集』)」
(井之口章次 『日本の葬式』 より)


井之口章次 
『日本の葬式』
 
ちくま学芸文庫 

2002年10月9日 第1刷発行
316p 
文庫判 並装 カバー 
定価1,200円+税
装幀: 安野光雅
カバー写真・デザイン: 工藤強勝


「本書は一九七七年三月二十日、筑摩書房より「筑摩叢書」240として刊行された。」



「筑摩叢書版はしがき」より:

「このたび筑摩書房から話があって、旧著『日本の葬式』(昭和四十年、早川書房刊)を、筑摩叢書の中に加えることになった。(中略)本文は旧著の原形を残すよう努めたが、写真のうち数枚は、差しかえたり追加したりした。」


本文中図版(モノクロ)多数。


井之口章次 日本の葬式 01


帯文:

「魂はどこに行く
たまよばい、耳ふさぎ、枕飯、願もどし
葬儀習俗から解き明かす日本人の死生観」



カバー裏文:

「私たちの祖先は死をどうとらえ、死者をどう弔ってきたのだろうか。広範に収集した資料を比較研究し、各地の葬送習俗のもつ意味、以前持っていた意義を探し求め、その推移変遷のあとをたどる。死者の魂はどこに行くのか、生き残った者の無事はどうすれば確保されるのか、あの世とこの世はどこで出会うのか、古来の祖霊信仰は仏教とどう結びついて儀礼に形を残しているのかなどのことがらを通して、葬式に込められた日本人の死生観と霊魂信仰を解き明かす。いまではもう見ることができない貴重な習俗を記録し、日本の葬儀民俗を考察した代表的著作。」


目次:

筑摩叢書版はしがき (昭和51年11月30日)

千ごり万ごり
出歩く魂
たまよばい
招魂と鎮魂
霊魂と水
猫のたましい
耳ふさぎ
死人の善光寺まいり
御霊前
死体のあつかい
葬列の意味
女と葬式
葬法の種類
あの世とこの世
よみがえる霊
忌あけ
願もどし・洗いざらし
神様になる
日本人の他界観
あの世の入口
土の中に生きのびた話
死神
たままつり
墓は必要なのか

初版あとがき (昭和40年4月1日)
解説 葬送の民俗と現在 (川村邦光)

索引



井之口章次 日本の葬式 02



◆本書より◆


「出歩く魂」より:

「人間の体の中に霊魂があり、それが遊離したり戻ったり、他人のものと入れかわったなどという話は多い。

   むかし、ある人が占いをしてもらうと、何月何日の何時に死ぬと言われた。心配して家にとじこもっていたが、その日になっても死なない。ばからしく思って遊びに出ようとすると、魂が外に出てしまった。魂が道を歩いて行くと、一軒の家の前に人だかりがしている。何ごとだろうと、魂が一所懸命にのぞいてみようとしたが、戸がしまっていて見えない。
 その家ではお産のさいちゅうだった。なおも見ている間に、つい、窪みに落ちこんでしまった。と同時に、家のなかで赤子ができたできたという声がして、赤子がぎゃあぎゃあ泣いている。ふと見ると、魂はボロにつつまれている。魂が「おれだ、おれだ」といっても、産婆さんは丈夫な赤子だといってボロにつつんでしまった。(中略)(栃木県那須郡大山田村)

 いくらか落語ふうになっているが、ある人の魂が抜け出て、赤子に入った経過が、よくあらわれている。」



「たまよばい」より:

「古い時代の考えかたでは、死と仮死との区別がはっきりしていなかった。先にのべたように、一人の人間には少くとも一つの霊魂があって、その霊魂が肉体から遊離すれば、仮死の状態になる。そしてそのまま永久に元の体に戻ってこないことが確認されると、はじめて死体としてあつかわれるのである。したがって、いったん息をひきとって、生理的には死んでしまった後までも、なお全く死に切ったとは認められず、呪術的な作法をほどこして、これをよみがえらせることができると考えられていた。」

「生死の境にのぞんで重態の人の名を呼び、ふたたび日の目をあおがせようとする努力は、呼びもどし、よぼりかえし、魂呼び、呼びいける、などと呼ばれて、北は青森県、南は沖縄永良部島に及んでいる。」
「それらの報告を検討してみると、枕もとで呼ぶもの、屋根など高いところへ上って呼ぶもの、呼ぶ人の位置に関係なく、山・海・井戸の底などに向って呼ぶもの、以上三つの形式が見られ、屋根の上に上って呼ぶものの中には、さらに棟に穴をあけるとか、瓦をはぐという類の作法をともなっている場合と、そうでないものとがあるが、その要点とするところは、死体に向って叫ぶか、または他に向って叫ぶかの、二つの態度に分けることができる。」

「呼ばれるものが何であるかを考えてみれば、それは体から遊離していった霊魂に違いない。」

「静岡県庵原郡には、屋根の上からお天道様の方向に向って呼ぶところがあり、岩手県では山に向い、青森県では恐山の方角を向いて呼ぶところがある。恐山は祖霊のとどまるところ、もしくは幽顕の境の地と考えて、おそれ敬われてきたが、全国各地に同様の山はいくつもあって、身近に祖霊のとどまるところを考えていたようである。
 つぎには井戸に向って呼ぶものがある。」
「井戸の底は地下の他界――あの世――に通じているという信仰が、古くからあったから、井戸に向って呼ぶというのも、山に向って呼ぶというのも、まったく別のことではない。その土地その時代に、他界と考えているところに向って、死者の霊が行こうとするのを呼びもどすのが目的であった。」



「招魂と鎮魂」より:

   「難産で産婦が気絶したときは、屋根にのぼり傘をさして、「もどれよ、もどれよ」と大声で叫ぶとよい。(岡山)
   お産で死んだときには、屋根の瓦をめくって少しあけ、雨傘をさして名を呼ぶ。(徳島)

 雨も降らぬのに雨傘をさすのも奇妙なことであるが、盆踊りの音頭をとる人が、やぐらのそばで傘をさすところがあるので知れるように、(中略)傘もまた招(お)ぎ代(しろ)であり依(よ)り代(しろ)であった。」



「霊魂と水」より:

「また、死んだ人の上を猫がとびこえると、猫の魂が入って死者が生きかえるという類の俗信は、知らない土地がないほどに広くおこなわれているが、宮城県のある村では、猫の魂が入って歩きだしたときには、歩きだした死人が水を飲まないうちに、鎌と箒とではたくとよいと伝えている。(中略)水を飲まないうちにたたけばよいということは、もし水を飲んでしまうと、猫の魂が入ったままで「生きかえる」ということにちがいない。」


「猫のたましい」より:

「ふつうの人生を送って子も孫もあり、平和な一生を終えた人の魂は、三十三年とか五十年のとむらい上げのすんだあと、祖霊という一かたまりのものに融合同化し、(中略)また非業の最期をとげたとか、若死にや独身で死んだために、祭りや供養をしてくれる子孫を持たぬ者の霊は、祖霊体系の外にとりのこされ、一まとめにして邪霊・悪霊と呼ばれるようになった。
 それらの無縁の霊は、(中略)いつもそのへんをうろうろしていて、事あれば寄ってきて悪事をはたらく。魂の抜け出た、ぬけがらの肉体でもあると、それに入りたがっている。(中略)その肉体に入りこんで、霊肉そろった人間にもどろうとする。
 死者にとっても遺族にとっても、これははなはだ迷惑なことだ。他の霊が入って死体が動きだし、まったくの別人になってしまうのだから、死体を取られたことになる。無縁の霊は霊魂だから、本来具象の形を持たぬはずであるが、空想上の動物の姿を考えるようになり、さらに現実的になると、それは猫の魂だと断定することになる。
 死者の枕もとや胸の上には、刃物を横たえて防ぎ、びょうぶを立てまわして死体をまもり、たえず猫の行動に注意して近づけないようにする。死者の胸の上を猫がとびこえると、猫魂が入って死人がたちあがるとか、テンマルと称する妖怪が死体を食うとか、火車(かしゃ)が死体を取りにくるとかいう俗説はすべて無縁の魂を、いろいろな姿に想定したための結果なのである。

   寛文七年(一六六七)閏の二月六日、にわかに雹がふり、雷のさわがしいとき、ちょうど江戸牛込の人が死んで高田の焼場に送るところだったが、一かたまりの黒雲が舞いおり、死体をさらって行ってしまった。死人の両足が、雲の中からぶらぶらとさがっていたのを、たくさんの人が見ていた。(『新著聞集』)」

「庶民の言いつたえによると、その人が一生のうちに多くの悪事をした罪によって、地獄の火車が迎えにきたのだという。その死体は引きさかれて、山中の木の枝や岩かどにかかっていることがある。」
「その火車につかまれるというのは、和漢とも多くあることで、ほんとうは「もうりょう」というけもののしわざである。好んで亡者の肝を食うので、漢土では葬列の出るとき、熊の皮をかぶって目四つある険道神というものに魔はらいをさせるし、日本で葬列に竜頭(たつがしら)を先頭にたてるのも、この趣旨の遺風である。秦代に陳倉の人が猟してとらえたことがある。形は猪のようでもあり、羊のようでもある。これを古くから庶民がまちがえて火車というものだから、地獄の火車と思い込んだのだ。笑うべきことだと、『茅窓漫録』の著者は述べている。」

「それにしてもどうして猫だけが、多くの動物の中からえらばれて犯人に指名されたのか、という疑問は残るのだが、結局は猫の態度や習性にもとづくものと見るほかはなさそうである。この疑問の解決にはほど遠いが、

   つらつら古の物がたりを見るに、釈尊入滅の折から、もろもろの畜類集りなげきしに、猫はその座にいたらず、これその性ひがみてあしきを、仏にくみたまいしゆえなり。または火車となりて人の死体をうばい、あるいは化けて人をだますのみか、命をも取る。そのあやしさかぎりなしといえり。(『諸国怪談帳』)

 これも動物昔話のモチーフで、お釈迦様が亡くなったのに猫だけが来なかったので、にくまれて悪い役割をせおうことになったというのである。」



「よみがえる霊」より:

   「むかし播磨国(兵庫県)に坊さんが住んでいた。家の軒先にミカンの木があり、実がたくさん実るばかりか、その味もよかったので、何よりもたいせつにしてしていた。その隣りに年とった尼が一人住んでおり、重い病気になって日ごとに死期が迫ってきた。
   その尼が垣根越しにミカンを見て、あれが食べたいというので、看病の者が人をやってもらいに行かせた。ところがミカンの主は惜しんで、一枝もやるのは嫌だと言いはる。病人はこれを聞いて心中おだやかでない。私の病気は日々に重く、食べたいといっても、二つ三つ以上は食べられもしない。日ごろ極楽に行くことを願っていたが、今となってはあの木を食い枯らす虫になって、あの主人に損をさせ、うっぷん晴らしをしようと祈念して死んだ。
 隣りの僧はそんなこととは知らず、あいかわらずミカンをたいせつにしていた。そのうちこのミカンがポトリと落ちる。ふしぎに思って見ると、一袋毎に五、六分ばかりの虫が入っており、落ちてくるどれにも虫がついている。それからは毎年こうなり、ミカンも小さく虫ばかりでくさるので、とうとう木を切りすててしまった。(中略)(『三国伝記』)」



「死神」より:

「日本には貧乏神や厄病神はあるが、死神には伝統がない。くわしくしらべたわけではないが、近世の町人文学の中に、ようやくこの言葉が出てくるくらいのものだと思っている。
 近松の『心中天網島』の「死神ついた耳へは、異見も道理も入るまじとは思えども」とか、『心中刃氷朔日』に「死神のさそう命のはかなさよ」などとあるのはその一例である。『百物語』には、「心に死を思うときは、たちまちこの気に感ずるなり。されば刃傷(にんじょう)の場を清めておかないと後をひき、首くくりのあった木を切りすてないと、また首をくくる者が出ると言いならわし、心中など同じところにあるのも、みなこれ死ぬときの悪念なり」などといっている。
 そういうわけで、紹介するほどの話もないのだが、一つだけ、『想山著聞奇集』から引用しておこう。

   私が壮年のころ、うちへ出入りしていた按摩に可悦という盲人があった。この男は若いころ、江戸のお屋敷に奉公しており、武道のこともあらかた心得、女遊びなども人一倍していたそうだ。
   それが内瘴(そこひ)のやまいにかかって、たちまち盲人になってしまったので、すぐに按摩となって郷里の尾張へ帰り、名古屋に住むことになった。
 この男が人のおともをして、前に大阪へ行っていたとき、ふと島の内の女郎屋へ行って、わずか二、三度遊んだだけなのに、その女郎がいっしょに死んでくれという。なぜ死にたがるのかと問うと、あなたが好きになったからだという。その気持が本当なら、すきなようにするがいいと答えると、それでは明日の晩死にましょうという。
   その夜は楽しく遊んで帰ったが、考えてみると話がおかしい。あくる夜は友だちといっしょに出て、途中で酒など飲み、おそくなってからその女郎屋へ行ってみた。
   女はなぜこんなにおそかったのかと言うので、道で友だちに出あって逃げられず、皆々も同道でやっといま来た。時刻こそおそくなったが、来た上は疑いも晴らしなさいというと、それはうれしゅうございます。しかしもう今夜は時刻もおそくなり、連れがあっては邪魔にもなりましょう。どうしたらよろしいでしょうと、反対に聞いてくるので、今夜でなければ死ねぬわけでもあるまい。この世のいとまごいに、今夜は思いきりさわいで遊ぶことにしようと提案した。
   それでは明晩は必ず早く一人で来てくださいということになった。翌日になってよくよく考えると、私のような者を好きになるというのも変だ。家柄がいいとか財産があるというのでもなく、なじみで情が深くなったというのでもない。そのうえたがいに生きていては義理がわるいという事情もない。この上はどうなるのか、いずれにしても今夜もまた行ってみようと、八時前に女郎屋へつくと、女は待っていて、かねての約束通り夜芝居に行くのだと、家の者にも話をつけ、つれだって出かけた。
   それからえびす橋まで行くと、橋のたもとに、ぞうり・わらじなども売る八百屋がある。女はげたでは歩きにくいからと、ぞうりを二足買った。ここは有名な道頓堀で、大阪一のにぎやかなところだから、橋の下には行きちがう船も群れをなしているのに、そんなことは気にもとめず、橋の上からげたを蹴こむ。これを見てはじめて、この女は本気で死ぬつもりだなと思った。男にもぞうりにかえよというので、このあたらしいのを捨てるのはつまらぬ。いまの八百屋にあずけてくるというと、いま死ぬというのにそんなことを気にすることはない。いや、死ぬにしても無駄は無駄だ。八百屋におけば八百屋のものになるだろうからと、立ちもどって八百屋にあずけた。それから浪花新地を通りぬけるころ、その女の顔色をよく見ると、もはや一途に死ぬことと思いさだめたようすなので、それまではうかうかと女郎のいう通りになっていたが、長い命をこの場かぎりにちぢめるというのも智慧のないことだ。どうしたものかと思いつづけたが、もう口実になるような義理もない。(中略)どうしよう、どうしようと思ううちに、今宮の森まで来てしまった。女はあらかじめ用意して持ってきたひもで、いっしょに首をくくろうというが、(中略)少しでも時間をかせごうと、ここで煙草を一ぷくすおうという。
   「いよいよこの世の名残りだ。ここまで逃げてきた上は、そんなに急ぐことはない。すきな煙草くらいはのませてくれ」「それでは私も一ぷくのみましょう。男の心はちがったものだ」と、社前で火打を出して一打二打打つと、すぐうしろの戸ががらりとあいて、社から夜番の者が出、「火を打つのはだれだ」と大きな声でしかる。
   二人はびっくり仰天したが、そのとき女はつかんでいた手をはなしたので、男はすぐにしげみの中へ逃げこんだ。道もないところをやたらに走って、元のえびす橋の八百屋で裏つけぞうりを返してもらい、足早やに走り帰り、それから一、二日は外へも出ずに家にこもっていた。三日目ほどに今度は方角をかえて天満のほうへ出かけ、ある茶店で休んでいると、荷物を背負った商人が来て、男のそばで休みながら話すには、夜前、今宮の森で心中があった。女は島の内の女郎だということだったという。
   それから人にもさぐらせ、自分もよくたずねてみると、やはり自分と死のうとした女で、相手の男は遠国から来ていて、これもわずか四、五度通い、よほど年をとった男だという。この女には、世にいう死神がとりついているので、心中した男にも取りついていたのだろうか。」





こちらもご参照ください:

渡辺照宏 『死後の世界』 (岩波新書)
栗原成郎 『スラヴ吸血鬼伝説考』
泉鏡花 『春昼・春昼後刻』 (岩波文庫)

































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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