大林太良 『葬制の起源』 (中公文庫)

「人間は元来は死ななかった。また若くなったのである。もしも古い褐色の皮膚が醜くなり皺(しわ)が寄ってくると、人々は水中に身を沈めて水浴中に皮を脱いだ。その古い皮膚の下には、新しく若々しい白い皮膚が現われるのであった。」
(大林太良 『葬制の起源』 より)


大林太良 
『葬制の起源』
 
中公文庫 お-57-1

中央公論社 
1997年9月3日 印刷
1997年9月18日 発行
323p 
文庫判 並装 カバー 
定価743円+税
カバー画: 北ボルネオ、ロンキプツ族の墓
レイアウト: 丸山邦彦



本書「文庫版あとがき」より:

「『葬制の起源』が最初、角川新書として出版されたのが、一九六五年九月、増補して角川選書に入ったのが一九七七年八月であった。」
「中公文庫として再び公けにするに当たり、誤記、誤植の訂正、(中略)海外の地名を現行のものにするとか、少数の語句を改めたりしたが、基本的には角川選書版と変わりはない。」



本文中図版(モノクロ)多数。


大林太良 葬制の起源 01


カバー裏文:

「死は人類にとって永遠の課題であり、死に直面した人類は、さまざまな習俗や他界観を発達させてきた。本書では世界各地の葬法の諸相を概観し、さらに日本の葬制の文化史を、日本文化の形成に参与したと考えられるいくつかの文化複合との関連において検討する。人類の精神史の重要問題=葬制をテーマに、日本民族文化の源流を探る画期的論考。」


目次:

第一章 死と人間
 死の起源
 葬制と社会

第二章 先史時代の葬制
 葬制のはじめ
 洞窟や岩かげに
 農耕とともに

第三章 民族学的研究の歩み
 葬制と民族学
 葬制の文化圏説
 地域研究の進展
 葬制と流行
 葬制流行説批判

第四章 葬制の諸形式
 死者に対する二つの態度
 死者への恐れと尊敬
 死体放棄
 死体破壊 ― 鳥葬
 沈黙の塔
 火葬
 燃える未亡人
 サティとインド神話
 殉死
 台上葬と樹上葬
 死者の家
 洞窟葬
 埋葬
 屈葬
 ひっくり返しの原則
 坐葬
 埋めない埋葬
 墳丘
 墓小屋
 死体の方位と民族移動の方向
 方位の不一致
 舟葬
 死体保存と頭蓋骨崇拝
 ミイラと火葬の結合
 族内食人俗
 複葬
 複葬と他界観
 霊魂の表象と複葬
 葬制・他界・男女

第五章 死後の幸福
 死後の応報は普遍的か
 産女の怪
 葬儀の有無
 祖先崇拝と死者の幸福
 文身は他界のパスポート
 首狩りと勲功祭宴
 身分と他界
 二つの共通点

第六章 日本の葬制
 骨掛けの木
 火葬との結びつきで
 朝鮮の樹上葬
 北アジアの樹上葬
 日本の樹上葬
 死者の山
 山上他界
 死と生としての山
 山中他界と焼畑耕作文化
 複葬と両墓制
 沖縄の洗骨
 沖縄の風葬
 洗骨と風葬はどちらが先行か
 内地の改葬
 改葬と両墓制
 朝鮮の複葬
 中国古代の葬礼
 東南アジアの複葬と民族移動
 ティワー
 死者の舟と霊魂
 ティワーの段階
 テムポン・テロンの役割
 舟葬と太陽信仰
 根の国と海上他界
 海上他界観念の分布
 天鳥船
 ドンソン文化と「天鳥船」
 珍敷塚の壁画と文化移動
 天鳥船と複葬
 天鳥船のにない手はだれか
 黄泉国と地下他界
 哀悼傷身の系譜
 葬礼競技

第七章 エピローグ――ヴェラの挽歌

あとがき
増補版あとがき
文庫版あとがき
参考文献
解説 (小林達雄)



大林太良 葬制の起源 02



◆本書より◆


「葬制の諸形式」より:

「モンゴルの死体放棄の凄惨(せいさん)な光景を描き出したのは、ロシアの旅行家プルシェヴァルスキーである。

   「ウルガ(現、ウランバートル)のモンゴル人地区の外観は嘔吐を催すほど汚(きたな)い。ありとあらゆる汚物が街路にほうり出される。……市場の広場では、おまけに大ぜいの飢えた乞食がいる。乞食のうちの何人か、ことに貧乏な年老いた女乞食は、ここに定住さえしている。(中略)一人の衰えた体の不自由な女が市場のまん中に腰をおろす。……目撃者の語ったところによると、もしもこの不幸な女に最後の瞬間が近づいてくると、彼女のまわりに腹の減った犬どもがあつまってくる。犬どもは円を描いて、死の苦悶(くもん)が終わるのを待っている。それから女の顔やからだの匂(にお)いをかいで、不幸な老女がほんとうに死んだのかどうか、確信するために、ただちにそばに跳(と)んでくる。しかし、(中略)彼女がふたたび呼吸をしたり身動きを始めると、犬どもはまた彼女から遠ざかって、前の位置にもどり、辛抱づよく待つのである。しかし、最後の呼吸が彼女の生命の終わったのを告げるやいなや、空腹な犬どもは死体を食べつくし、あいた場所はまもなく同じような老人によって占められる。しかし、これはこの神聖な都市における人生の全体像ではまだない。(中略)ウルガのすぐほとりの墓場(中略)では死体は土葬されず、直接犬や猛鳥が食べるように投げ出される。(中略)ここは骨の山でおおわれており、その上を影のように犬どもが歩きまわっている。この犬どもはもっぱら人間の肉を食べて生きているのだ。新鮮な死体が投げ出されるやいなや、もうこの犬どもは、カラスや大鷹といっしょになって死体を引っぱりはじめる。だから、一時間か、せいぜい二時間もしたら、何ものこっていないのである。……ウルガの犬どもはこのごちそうにすっかりなじんでいるので、死体が市街を運ばれて行くときにも、必ず遺族とともに死体のおともをするのである。死者のユルテ(テント)から犬どもが来ることすらしばしばである」

 このような死体放棄の、特殊な形態がイラン文化のなかに生まれた。《沈黙の塔》である。これは先に述べた分類でいくと死体破壊の部にはいる。」

「さてポンペイには有名な《沈黙の塔》がある。これは一〇世紀に拝火教(ゾロアスター)を信ずるゆえに故郷イランを捨てて逃げてきたパルシー族の墓である。マラバール丘陵の上たかく、この塔の上でパルシー族の死体はハゲタカの食うにゆだねられる。ハゲタカは信じられないほど短い時間のあいだに骨から肉を引きちぎって食べ、骨はそのあとで雨によって塔のなかで洗われる。一九世紀末のオットー・エーラースの旅行記には、このような塔は五つあって、それぞれの塔は七二人の男の死体、七二人の女の死体、七二人の子供の死体を収容できるとでている。塔の内部はじょうご形になっていて、同心円状に、中心は子供、そのつぎは女、いちばん外側に男の死体をおくようになっている。「死体を食べるのが役目のハゲタカは、静観的な生活をおくっており、大きな群をなして塔の囲壁の上にかがみこんで食後の休憩をしたり、新しい死体を待っている」。古代イランでは、死者はたんに野原に放棄されるだけであって、そこで猛獣によって、バクトリア人の場合には、神聖と考えられた特別の犬によって食べられたのであった。このことは、《沈黙の塔》も、じつは単純な死体放棄から発達したものであることをよく示している。」

「ところで、自殺してみずからを犠牲としてささげるという観念は南インドでは顕著である。つまり、未亡人がサティ女神の手本にならって夫のために自殺するように、かつては王も星辰の運行に従って、自殺したのであった。昔は王が即位するにあたっては、彼の妻妾や、廷臣たちは、新たに即位した王とともに死ぬことを誓ったのである。もしこの王が死ねば、王の護衛兵、王の妻妾、年とった兵士たち、召使いたちは自殺したのである。」
「ところで、このような南インドの一連の習俗や伝承は、ここだけに孤立してあるものではない。驚くほどよく似た伝承は、アフリカのローデシア地方にも、また古代西アジアにも存在するのである。」
「ローデシア地方のジンバブウェの遺跡は、一八世紀の初めごろにほろんだモノモタパ王国の遺跡である。そして、この地方の住民のあいだには、今もなおジンバブウェ王国について数多くの伝説が伝えられている。そのなかにはかつて行なわれていた神聖な王殺しを物語るものもある。また他の一つによれば、昔、兄が妹に恋をしたという。兄は妹を妻とするように両親に要求した。しかし両親は彼の要求をはねつけた。兄は持ち物をいっさいもって湖のなかに入った。湖の底から兄は彼の悲しい死の歌をうたった。両親はこのことを聞いて、彼をもどらせようとした。両親は一人の美しい少女をつれて湖に行き、おまえの妹をつれてきたよと、いつわって彼を呼び返した。兄は少女に、水の下の彼のところに来るように要求した。しかしその少女はびっくりして村に逃げ帰った。もう一度、同じことを試みたが、同様に失敗した。どんなことがあっても自分の息子を救いたいと思った両親は、ついに娘をつれて湖に行き、息子に妻として与えた。兄はうたいながら、少女に、水の下の彼のところに来るように要求した。少女は着物を脱ぎ、足輪をはずし、腕輪をはずし、髪につけた真珠の飾りをはずす。彼女は湖のなかに歩んで行く。すると兄は水中から出てきた。岸べで彼女は真珠の飾り、腕輪、足輪をまた身につけ、そして着物をまとった。兄妹は村に帰り、結婚し、彼はこの国の最初の王となった。
 この伝承は、葬儀とも大幅な一致をみせている。伝説によると、昔、王が死んで彼の二番目の妹の王妃が彼のあとを追って死ななくてはならなかったとき、彼女から、あらゆる衣服と装飾品が一つまた一つと取り去られたのであった。死ぬときに彼女は裸になり、そして死体が墓穴に入るときになってふたたび衣服を着せられ、装飾品がつけられたのである。つまり、前の伝説は、王が死ぬと、妹の王妃が殉死して、それによって二人は救われることを物語っているわけで、インドのシヴァとサティの場合と同様である。
 こういう神話は古代バビロニアにもすでに存在していた。バビロニアの男神タムムズは、春に成長し、夏には女神イシュタルへの熱烈な恋のなかに死の芽をやどし、秋には死ぬ神であった。タムムズは死んで、死者の国は彼をうけいれた。女神イシュタルは愛人をさがし求めた。彼女は生命の門にやってきて、門番に、死者の国への入国許可を求めた。彼女は地下界への入国をむりに行なおうとしたが、昔からの規則に従って彼女はとりあつかわれた。彼女は八つの門を通らねばならなかった。そして、それぞれの門で彼女は身にまとっていたものを一片ずつおいていかなくてはならなかった。宝冠、耳飾り、首飾り、胸飾り、帯、腕輪、足輪、そして腰布。地下界では身体の八つの部分が病気に冒された。二つの目、身体の両側、二本の足、心臓、そして頭。イシュタルが立ち去ったために、地上では、すべての性行為はやみ、不毛となった。そこで大神たちは使者たちをつかわした。使いは笛を吹いて地下界の神々を征服した。タムムズは地下界からあがってきた。生命の水をかけられたイシュタルは彼のあとについてきた。帰途、イシュタルは、八片の衣服や装身具をふたたび身につけた。
 ここでは私はフロベニウスに従って記述した。ただ、(中略)ふつうこの神話では八つの門、八つの部分でなく、七つの門、七つの部分になっていることをつけ加えておこう。」



「日本の葬制」より:

「日本にも樹上葬がかつて存在したのではないかという問題を提出したのは、(中略)民俗学者中山太郎氏であった。彼は、「日本民俗源流考」という論文のなかで、日本における北方系と思われるさまざまの習俗を論じたことがあるが、そのなかにこの樹上葬の問題もあった。
 筑前糟屋(かすや)郡香椎(かしい)村(現、福岡市)の香椎宮の由来は、伝説によると、仲哀天皇の遺骸を黄金の棺に納めて椎の木の枝に掛けておいたところが、そこから霊香を発したので香椎と称するようになったという。また京都嵯峨(さが)の清涼寺に近い八宗論池のそばに棺掛け桜というのがある。土地の伝えに、嵯峨上皇の崩御(ほうぎょ)のとき、遺詔によって御棺をこの木に掛けたのでそう呼ばれる。岩代国耶麻郡熱塩村(現、福島県熱塩加納村)の互峰山慈眼寺は、僧空海が開いた名刹(めいさつ)という。境内に人掛け松というのがあるが、死人を掛けたものである。」





こちらもご参照ください:

金関丈夫 『発掘から推理する』 (岩波現代文庫)




























































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本