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種村季弘 編 『ドイツ怪談集』 (河出文庫)

「想像もつかぬ憂愁のまっただなかでぼくは幸福だった。」
(ハンス・ヘニー・ヤーン 「庭男」 より)


種村季弘 編 
『ドイツ怪談集』

河出文庫 126F

河出書房新社 
昭和63年12月2日 初版発行
昭和64年1月20日 再版発行
326p iv 
文庫判 並装 カバー 
定価560円
カバー: ブレダン「死の勝利」(部分)
カバーデザイン: 中島かほる
デザイン/フォーマット: 粟津潔



「世界の怪談の傑作を集めた短篇シリーズ」第一弾。
各篇の冒頭にそれぞれの訳者による「著者紹介」が付されています。


種村季弘編 ドイツ怪談集


内容(「BOOK」データベースより):

「超自然の顕現! ありふれたモノに宿った未知なるものの影…存在の恐怖を形象化する16の不可思議な物語。」


目次:

ロカルノの女乞食 ハインリヒ・フォン・クライスト (種村季弘訳)
廃屋 E・T・A・ホフマン (池内紀訳)
金髪のエックベルト ルートヴィッヒ・ティーク (前川道介訳)
オルラッハの娘 ユスティーヌス・ケルナー (佐藤恵三訳)
幽霊船の話 ヴィルヘルム・ハウフ (種村季弘訳)
奇妙な幽霊物語 ヨーハン・ペーター・ヘーベル (種村季弘訳)
騎士バッソンピエールの奇妙な冒険 フーゴー・フォン・ホーフマンスタール (小堀桂一郎訳)
こおろぎ遊び グスタフ・マイリンク (種村季弘訳)
カディスのカーニヴァル ハンス・ハインツ・エーヴェルス (石川實訳)
死の舞踏 カール・ハンス・シュトローブル (前川道介訳)
ハーシェルと幽霊 アルブレヒト・シェッファー (石川實訳)
庭男 ハンス・ヘニー・ヤーン (種村季弘訳)
三位一体亭 オスカル・パニッツァ (種村季弘訳)
怪談 マリー・ルイーゼ・カシュニッツ (前川道介訳)
ものいう髑髏 ヘルベルト・マイヤー (池田香代子訳)
写真 フランツ・ホーラー (土合文夫訳)

超自然の露出 (編者あとがきにかえて) (種村季弘)

初出一覧
原著者、原題、制作発表年一覧/訳者紹介



初出:

種村季弘編 『ドイツ幻想小説傑作集』 (白水社Uブックス 白水社 1985年)
 「ロカルノの女乞食」「写真」
池内紀編訳 『ホフマン短篇集』 (岩波文庫 岩波書店 1984年)
 「廃屋」
『ティーク』 (ドイツ・ロマン派全集 第1巻 国書刊行会 1983年)
 「金髪のエックベルト」
前川道介編 『月下の幻視者』 (ドイツ・ロマン派全集 第8巻 国書刊行会 1983年)
 「オルラッハの娘」
『フーゴー・フォン・ホーフマンスタール選集 2 小説/散文』 (河出書房新社 1972年)
 「騎士バッソンピエールの奇妙な冒険」
前川道介編 『現代ドイツ幻想短篇集』 (世界幻想文学大系 第13巻 国書刊行会 1975年)
 「カディスのカーニヴァル」「ハーシェルと幽霊」
『シュトローブル短篇集 刺絡・死の舞踏他』 (創土社 1974年)
 「死の舞踏」
ハンス・ヘニー・ヤーン 『十三の不気味な物語』 (白水社Uブックス 白水社 1984年)
 「庭男」
『パニッツァ小説全集 三位一体亭』 (南柯書局 1983年)
 「三位一体亭」
種村季弘編 『現代ドイツ幻想小説』 (白水社 1970年)
 「怪談」

「幽霊船の話」「奇妙な幽霊物語」「こおろぎ遊び」「ものいう髑髏」は新訳。



◆本書より◆


ホフマン「廃屋」(池内紀訳)より:

「「けっこうな鏡をおもちですね」
 かたわらで声がした。気がついて周りを見まわすと、左右には意味ありげな微笑を浮かべたいくつもの顔が並んでいる。いく人もの人々が同じベンチに坐っていたのだが、一心不乱に鏡をのぞきこみ無我夢中のあまり臆面もなく変てこな百面相をやらかしている道化者をひそかにたのしんでいたらしいのだ。
 「けっこうな鏡をおもちじゃないですか」
 こちらが答えないとみてとると、目つきまで物見高くして同じ言葉をくり返した。
 「だけどそんなに熱心にのぞきこんで、いったい何が見えるというのです?」」



種村季弘「超自然の露出(編者あとがきにかえて)」より:

「夢をみていたのだろう、といわれてしまえばそれまでである。あるいは、同じことだが、ひとりよがりの思いこみだろう、とくる。これで万事休すだ。幽霊もUFOも、たしかに見たのだから見たのだと、いい募ればそれだけ、鼻の先であしらわれるのが関の山だ。物証のない自白は、犯罪事件に限らず、こと怪談についても無効である。ブツがなければお話しにならない。共同主観としての物語としては成立しない。それ以上悪くしがみつけば、ではこちらへと、しかるべき施設に案内されて一巻の終わりとなる。
 ただ怖い話、不気味な物語というだけでは怪談にならない。怪談が怪談として成立するためには恐怖が手ににぎれる物質と化していなくてはならない。死神がずっと道連れになっていたのはうすうす感づいていたのだ。信号機のところでならんで立っていた黒ソフトの男、あれがそうだったのかもしれない。しかし、ああ、こいつだったのか、と気がついてからではもうおそい。そのときにはもうあちら側の世界に引きずりこまれている。万一そちら側から奇蹟の生還を果たして、その体験を人に聞かせたとしても、ブツが、超自然のこちら側への露出であるような、だれの眼にもまざまざと見える何かがなくては物語にはならない。すくなくともいたって拡散した物語効果しか期待できない。
 そのものはなんでもいい。ひょっとすると、なんでもないものであればそれだけいい。それ自体として身の毛もよだつような事物である必要などさらさらない。できればごくありふれた、日常の事物。たとえば犬のピンと立った耳、シガレットケース、一枚の写真、みがいた、あるいはみがいてない長靴、一にぎりの土、瓶のなかの昆虫、シュトローミアンという犬の名、廃屋の窓。そんなありふれたものが、ある日、突然意味を変え、まったく別の顔になって立ちあらわれる。そうでなければ意味と思っていたものが無であったことを、仮面をかなぐりすてるようにして劇的に、あるいはさりげなく、みせつける。
 そういう物語に重点をおいて怪談集を編んでみた。中世以来黒死病の記憶のいまだに失せないドイツだけあって、さすがにペストにまつわる話が多い。肉体の無意志的記憶は、フォークロアの共同性が色あせたあとにもまだしぶとく生きのこるらしい。
 何篇かはすでに怪談の時代が過ぎたことを如実に語っているかもしれない。闇は啓蒙と合理主義の光にくまなく照らし出されて、幽霊の正体が枯れ尾花であったことの消息をはしなくも漏らしてしまう。幽霊譚は十八世紀のヘーベルあたりから、そろそろ滑稽話と紙一重になりかかっていた。だからといって恐怖そのものが消滅したわけではあるまい。むしろより狡猾にかくれ、変身して、人目を韜晦しているというのが実情なのではあるまいか。」




こちらもご参照ください:

ヴィルヘルム・ハウフ 『魔法物語』 (種村季弘 訳)






















































































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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