堀口大学 『水かがみ』

「コクトーはよく誤解される男だ。彼が何か書いたり言ったりすれば、必ず誤解されるときまっていると言っても言い過ぎではないほどだ。」
(堀口大學 「ジャン・コクトー」 より)


堀口大學 
『水かがみ』


昭和出版 
1977年6月20日初版発行
349p 口絵(モノクロ)4p 
21.6×14.6cm 
丸背紙装上製本 貼函 
定価2,400円
装本: 中島かほる
装画: ジャン・コクトー

付: 「水かがみ 栞」 (12p)
堀口大學の若々しさ(佐藤朔)/堀口大學の詩業(安藤元雄)/堀口大學とシュペルヴィエルの短篇小説(飯島耕一)/大學先生点描・『水かがみ』ノート(平田文也)



本書「あとがき」より:

「昭和出版からの話があって、あなたの自画像風な作品、つまり、短歌と詩と散文の集を、一冊まとめてみないかとのことだった。今年八十四歳、也有の〈目は遠山のかすみ棚引き、耳には鳥虫の声もうとく〉、というほどではないが、やはり歳月の荷重は争いがたく、記憶の脱落も否みがたい。このような折からとて、旧作を陳列展覧に供するだけの労で、メランジュ一冊が出してもらえるとは、まことに有難い幸せ、早速応諾に及んだ次第。」
「さて、表題は、と相談されて、咄嗟に、『水かがみ』と答えてしまったが、それがそのまま受入れられ、決定してしまったが、あとで落着いて考えると、水仙に変身したという、かのナーシサスの神話があったりして、これは嗤うべき自己陶酔の有頂天ぶりを言い表わす言葉ながら、ガラスに水銀の裏づけをした鏡とちがい、欠落して映さぬ部分のまるでない、あまさぬ姿を正直に映し出す鏡としての、水の機能をよろこんでいただきましょうか。」



堀口大学 水かがみ 01


「題詩 史書大小

大鏡
増鏡
水かがみ」



目次 (初出):

随想篇
 水かがみ
  小さな自叙伝 (『季節と詩心』 昭和10年8月)
  最初の記憶 (同上)
  おそ夏はや秋 (同上)
  年寄りの冷水――銷夏報告 (「新潮」 昭和31年10月号)
  念慈歌 (「風景」 昭和39年2月号)
  浄瑠璃寺の秋 (「群像」 昭和39年1月号)
 師友・文学
  与謝野晶子 (『詩と詩人』 昭和23年10月)
  永井荷風 (『日本現代文学全集』月報20 講談社 昭和37年5月 原題「恩師」)
  佐藤春夫 (『詩と詩人』)
  萩原朔太郎 (同上)
  二詩人の死――春夫と達治 (「新潮社・カタローグ17」 昭和37年6月 原題「二詩人の死」
  ルミ・ド・グールモン (『詩と詩人』)
  ポール・モーラン (「新潮」 昭和4年6月号 原題「モオランとの会談」)
  マリー・ローランサン (「芸術新潮」 昭和31年8月号 原題「ローランサンの想い出」)
  ジャン・コクトー (『詩と詩人』)
  『月下の一群』の頃 (同上)
  波すれすれに (「朝日新聞」 昭和42年7月15日)
  ジュネを訳して (『ジャン・ジュネ全集』付録2 新潮社 昭和42年6月)
  「三田文学」の思い出 (「三田文学」 昭和51年10月号)
 外遊・紀行
  わが半生の記――最初の外遊前後 (「新潮」 昭和28年9月号)
  わが半生の記――ブリュッセルにいた頃 (「群像」 昭和29年2月号)
  悲劇週間 (『白い花束』 昭和23年2月 原題「悲劇週間・その一)
 断想録(アフォリズム)
  危険な株 (『詩と詩人』)
  驪人漫語 (『季節と詩心』)
 エロス
  裸体のエステチック (同上)
  詩に於けるエロスの領分 (「批評」 昭和42年夏季増大号)

座談会
 詩人の軌跡――堀口大學の世界 (堀口大學・林房雄・吉田精一・佐藤朔・島田謹二)(「浪曼」 昭和49年1月号 原題「堀口大學――エロスの世界」より)

自選短歌篇
 『パンの笛』抄 (大正8年1月)
 『男ごころ』抄 (昭和4年6月)
 場合の歌

自選詩篇
 自画像 (『夕の虹』 昭和32年7月)
 母の声 (『人間の歌』 昭和22年5月)
 老いたカマキリ (『月かげの虹』 昭和46年8月)
 紫陽花 (同上)
 越びとに (同上)
 秋の小径 (同上)
 人生 (同上)
 老いてすこやか (同上)
 野分の風が見て来たもの (同上)
 或る誕生日に (同上)
 詩の友 (同上)
 わが山 (同上)
 美の復讐 (同上)
 自嘲 (同上)
 初夢 (同上)
 蝶も詩人も (同上)
 中国名陶百選展 (同上)
 月の裏側 (同上)
 わが詩碑に題す (同上)
 日記 (同上)
 仏家と詩人 (同上)
 段違い平行棒 (同上)
 わが時点 (同上)
 近況 (同上)
 余生 (『沖に立つ虹』 昭和49年12月)
 僕と明治 (同上)
 石ころの歌 (同上)
 家紋 (同上)
 三位一体 (同上)
 温胎の時間 (同上)
 わが詩法 (『月かげの虹』)
 魂よ (『人間の歌』)
 雪につぶやく (『夕の虹』)
 一壺天 (同上)
 古梅 (同上)
 ある序詩 (同上)
 火打石 (同上)
 白と黒 (同上)
 関川の里 (同上)
 自らに (『白い花束』)
 歴史 (同上)
 老雪 (『夕の虹』)
 こころ (同上)
 高田に残す (同上)
 橋 (同上)
 詩人 又 (同上)
 車中偶成 (同上)
 病身 又 (同上)

堀口大學年表 (平田文也編)

あとがき

初稿発表等覚書



堀口大学 水かがみ 02


「念慈歌」より:

「慢性小児病というのだそうだ。白痴とは別ものだが、患者の精神と肉体の双方が、いつまでも成熟し切らないのが、この病気の特徴だという。他にこれといって目立つほどの異状はないが「時間」に置去られるのか、(中略)精神も小児のままいつまでも頑是ないのだという。老後も童顔で、頭髪なぞも、ふさふさしているそうだ。芸術家、特に画家と詩人に、しばしばこの慢性病の顕著な例が見られるという。以上は四十年ほど前、あるあちらの雑誌の「医学時評」欄で読んだ記事のあらましだ。」


「萩原朔太郎」より:

「詩人のエッセンスのような萩原君の人柄は、昔からそうだったが、近年ことに、何事も窮屈になってゆくこの世に、行き難きを嘆き、在り難きをかこっているように見えて、僕には気の毒で仕方がなかった。繁雑な時間と空間の交叉するポイントを継ぎ合わせて成立している実際生活のこんぐらがりが、君には非常に厭わしく、また難儀らしかった。
 会合なぞの場合にも、定められた日の定められた時刻に、定められた場所へ出席するということ自体が、君にはかなり困難だったらしい。三、四年前に一度、こんなことがあった。「文芸汎論詩集賞」の銓衡会が、銀座の京花で行われたことがあった。行ってみると審査員も岩佐、城、両君もみんな集っているが、萩原君だけがまだ見えていない。
 ――萩原君は?」
と訊ねると、
 ――今夜はお見えになりません。昨晩おいでになって下さったんです。これです」
と言いながら、困ったらしい、申しわけのなさそうな顔になって、岩佐君が差出す一枚の半紙を受取ってみると、それには紙いっぱいに、大きな太い鉛筆の走り書きで神経質に、「雪の中を出かけて来てみたが、会合は明晩だと判った。明日もう一度出直すのはいやだから、これこれの詩集を推薦して帰る」との意味がしたためてあった。萩原君の詩には、どの一篇にもこの人独特の声がひそんでいて、それがいつも僕の心を強く打つのだが、そして僕の心を痛ませるのだが、あの晩、僕は萩原君のあの置手紙を読んで、彼の詩の奥にひそむあの悲痛な声を聞くような気がして目がしらを熱くした。それは萩原君の魂が生き難い現世をかこちまどうて発するS・O・Sのサインであった。君の如き詩人は、人生の荒海に、最初から難破船として生れてきているのかも知れない。そして一生の間、救いのないS・O・Sを叫び続ける。それが君の詩であり、作品であるのかも知れない。」



「ジャン・コクトー」より:

「生れた時からすでに、コクトーは虚弱で神経質だったそうだ。少年時代から交感神経に故障があって、ずっと悩みつづけてきたらしい。あの病身らしい様子も、あの極度の内気さも、そこに原因しているらしい。
 ものを書くとあんなに勇敢に極端な自説を堂々と言ってのけるコクトーを、内気だの、はにかみ屋だのといっても信じない人があるかも知れないが、彼のティミディテは実に病的なものがある。そのため彼は人に会うとひどく疲れるので、フランスにいても、殆ど誰にも会わずに生活しているのだと言っていた。」

「――僕らの国の画家は、自然を描く場合にも絶えず自己を主張しつづけるので、その気持が画面にまで現われて、どんな風景の中にも、画家の『おれが!』『おれが!』と叫ぶ声が残っていてうるさくってしかたがない。これらの日本画を見ると、画家は全然自然の中に没入していて、画面には自然そのものだけが現われているので気持がよい」と言った。」

「滞京中、彼は一度も新聞を読もうとしないので、不思議に思って訊ねてみた。するとコクトーは、一九一七年以来、一度も新聞を手にしたことがないと答えて僕を驚かした。自分はあまりにも新聞に悪口を書かれてきたので、果ては、新聞を見ただけでも気持がわるくなるのだ、と言っていた。それでは世界の出来事なぞが判らなくなって困るだろうと言うと、そんな心配は絶対にない、と言うのだ。どうして判るのか知らないが、僕にはなんでも判る、と言うのだ。不審の眼を僕が秘書のキル君の方に向けると、その通りだ、と答える。ジャンはなんでもちゃんと知っている、然も誰よりもよく知っている、と彼は答える。するとコクトーが、「それは当り前のことさ、僕は詩人なのだもの」と疑うところのない様子だ。コクトーにあっては、詩人という言葉は、僕らが普通に考えている意味よりはよほど高い意味、神性に近いものを意味している。」

「帝国ホテルに同宿の一アメリカ婦人がコクトーにくつわ虫を一匹贈った。彼はことのほかよろこんで、子供のように有頂天な気持で虫にものを言っては遊んでいる。一秒毎に大きくなると言っては、籠を振ってよろこんでいた。粗末な竹のきりぎりす籠を、その形からアクロポリスに見立ててよろこんだりした。またくつわ虫の形が、急に大きくなった黴菌(ミクローブ)としか見えないというのでミクロビュスと呼んで可愛がった。横浜へ行く自動車の中でもニュー・グランドから船へ行く途中でも、他人には渡さず絶えず自分でこの籠を持ち歩いた。自分の好物の苺をぜひ食べさせたいというので、餌の生瓜と並べて、苺を入れてやったが、ミクロビュスはいっこう食べようとはしないので、残念がった。貰った晩は、くつわ虫が鳴きつづけて一睡もできなかった。その間に彼は、どうしてこのくつわ虫が中国の或る皇帝からジャン・コクトーへ贈られたかという長い長いお伽噺を夢とうつつのあいだに思いつづけていたらしく、翌朝目が覚めるといきなり僕に語ってきかせるのであった。」

「僕は子供の時から算数がまるで分らなかったと言っていた。今でも分らない。無理に数えようとするといよいよ分らなくなり、必ずまちがってしまう。金は全部秘書のキル君に任せきりで、自分では一文も持っていなかった。彼はまた名刺というものを持ったことがないと言っていた。」

「僕ら詩人の仕事は無為である、そして必要な場合に必要なことをなし得る用意を絶えずしていることにある。
 この状態を始終保ちつづけるために、僕は世間のことには一切交渉を持たないようにしている。」
「僕は自分の力と才能の全部を自分の芸術に捧げたいのだ。ほかのことなんかはどうでもいい。世間の誤解を是正したりしている時間や労力があったら、僕は一行でも自分のポエジーに加えたいのだ。
 幸いに、阿片が僕と世間との間を隔てる壁になってくれる。阿片は僕の世間的な行動を一切不可能にする。阿片は僕にとってはアスピリンのようなものである。阿片が、幼少の頃から病気の僕の交感神経に均整を与えてくれるのだ。阿片が僕に与えるよい効果を知ったなら、僕が阿片を飲むと言って責める人々も、跪いて詫びるだろう。阿片は、堀口君、地球の上で、最も美しい物質だよ。」
「詩人はいつも貧しい。僕も財産らしいものは何一つ持たない。取れば取っただけ使うその日その日の暮しをしている。キルは僕が老後を考えないと言って責めるが、僕には老いさらばえて生活に苦しんでいる自分を想像することはできないのだ。ここでも僕は天慮(プロヴィダンス)を信じる。僕を富ますことができなかったら、天は、老いない前に僕の生命を奪ってくれるはずだ。」

「コクトーはよく誤解される男だ。彼が何か書いたり言ったりすれば、必ず誤解されるときまっていると言っても言い過ぎではないほどだ。誤解の一部の責めは、コクトー自身が負わなければならないのではないかと思われるような場合がないでもないことに、今度僕は気がついた。それはコクトーの言葉に対する好みに原因している。しかもこの好みはコクトーにあっては、運命的なもので、今さらどうにも変えようのないものなのである。
 例えば、今度の滞京中にも、日本に対する感想を求められると、彼は、
 ――日本は極めて religieux な国だ」
と答えていたが、これを聞いて、コクトーが「日本を宗教的な国だ」と観ているのだと大抵の人は思うだろうが(中略)、しかし、それはコクトーの真意ではないのであって、彼が言おうとする意味は、「日本は、生真面目な、厳粛な国だ」と言いたいのである。」



「詩人の軌跡――堀口大學の世界」より:

堀口 それはもう敵の多い人間でねえ、僕は。
 日夏耿之介さんの名前が出ますけれども……。
堀口 (中略)「共同便所の落書にも劣る」と。
 あの人の『明治大正詩史』にも出てるんだ。
堀口 書き換えたんです、あそこを。それで彼は非常に人望を落しちゃったの。あれは最初「中央公論」に連載したものなんだ。そのころは僕とまだ絶交していなかったころで、非常にほめそやして、今晩のあなた方みたいにほめて書いてくれた。それがひとたび本にする時になったら、その間に絶交ということがありましたから、書き換えてあるんですよ。それだもんだから知ってる人は怒っちゃって、川路柳虹君なんていうのは正義感の強い人だから黙ってられないで、また憎まれることも承知でしょうね、「読売新聞」に三回にわたってそれを書いてくれた。
 私は敬老派ですからね、堀口先生も含めて偶然日夏先生とも、久保田万太郎先生ともずっとお付合い願ったんですよ。僕の家に来てお酒飲んだりしてさ。しかし、「共同便所の落書」のことからぼくが怒っちゃってね。日夏先生と遠ざかったんですよ。(中略)
堀口 (中略)彼はやっぱり日本の詩の歴史家として、詩の批評家として、りっぱでした。あれだけのものを作り上げたのは、たいへんなことですよ。ただあすこを書き換えたのだけが、これは私の真情ですけれども、本当に残念だと思ってます。
 ただ、あの人がいろんな意味で、いい友だちだったと私が今も言うのはね、ここが大事なところなのよね、本当に日夏を、兄として、父として、師として慕ってたんですよね。それがああいうことになって、もうそれは「捨て子」ですよ、「みなしご」ですよ。コイン・ロッカーに捨てられたような状態ですよ。三十七歳の時ですかな。もうそこらじゅう、どこを見ても敵ばっかりなのよ、今は言わないけれど。そんな際に、杖とも柱とも頼っていた日夏にあんなに書かれちまったのでは、こいつは大きいなと思ったね。これからどうしたらよいかと、実は思い悩みましたよ。
吉田 書き直すような何か理由があったんですか。
堀口 私が腹を立てて彼と絶交したんです。それは、私どもの間に共通の弟子があるでしょう。そういう連中の中には絶えず日夏の所の様子を僕の所に告げにくる悪いのがいるんだ。もっとも無理ないんですよ。「パンテオン」という雑誌をね、三人でやってた、日夏と西条八十と僕と。それでみんながパートを持っていた。ぼくは「エロスの領分」というパートを持っていたんですね。何かが癇に障ったんでしょう、僕に言ってくれないで、集る人にだけ言うんだねえ、弟子どもに。それが僕の耳に入って来て、これはいかんと思ったんだ。自分の詩集の扉に、「この書汝によりてあり」と書くほど、慕っているのにさ。こんなことじゃ、われわれの友情は意味ないと思って言ったの、「日夏君、こういうことを君は言ってるそうだけれども、なぜそれを僕にじかに言ってくれないか」と。つまりこういうことなんです。日夏君は「パンテオン」が来ると「エロスの領分」は油紙で密封して、それから開く、とね。これじゃあ意味ないと思ってさ、われわれの友情の。それで「それ事実か」て言ったのよ、私が。そしたら「ああ」、「なぜそれを僕にじかに言ってくれないか。僕はそんな時、君からそういう忠告を得たいために、君を大事にして来た。君も知っているじゃないか」、ところが「言えなかった」と言うんです。「そうか、今後も言えないか」、「言えない」と言うんですね。「それじゃ、しょうがないわ。ぼくの思い違いだった。これで交わりを断とう。ただ交わりを断っても、君と僕との友情は世間で非常に尊ばれているものだ。めずらしいもので、美しいものとされているものだ。それの手前もあるし、どうか往来で会ったら帽子を脱いで挨拶をしよう。会合の席で会ったら手を握ろう」と言ったら、「うん」と言ってくれた。それで、さよならと言って帰って来たわけだ。そしたらまるで違うんだね。大學攻撃ののろしをあげて、とうとうあの書き換えをしたんです。
島田 戦後に日夏さんにお目にかかった時、日夏さんの口から「林房雄論」を聞いたことがあります。非常に高い評価でしたね。人柄として、大へん親近感を抱いていた。それから、かりにどんな非難があなたの上にあろうとも、最後まで自分は助けるという心意気でしたね。それが爽快だった。あの一言をうかがったために、日夏さんという人は、いろいろ誤解されるような点のあった方と思うのですが、私はやっぱり立派な見識の方だったという印象をいまだに持っています。
 それは立派でしょう。『明治大正詩史』は名著だし。
吉田 『明治大正詩史』は非常な名著ですが、公私を混同するところがありましたね、あの人は。
堀口 そうそう、うまいことをおっしゃる。実際そうでしたね。
 それで、さっきのところへまた話をもどしますが、私はもうどうしたらいいか分らなかった。途方に暮れましたよ。孤立無援でしょう。日夏にああまで叩きのめされたら、もう立つ瀬がなかったの。それでじっと考えまして、これは日夏の共同便所説が誤りだということを立証するような仕事をするより他にしようがないと思いましたね。その意味で、彼は僕にいい鞭を当ててくれたわけなの。」



堀口大学 水かがみ 03

口絵(左)と、扉ページ裏のコクトーによるデッサン(右)。献辞は「この似ていない肖像画をニコに。ジャン☆」(拙訳)。コクトーは堀口を「ニコ(Nico)」と呼んでいたようです。



◆参考◆


日夏耿之介『明治大正詩史』(『日夏耿之介全集』第三巻)より:

「輓近の「新しき小径」は、一切の古きものから去って全く新らしい九折の山径に彳んでゐる。彼を筆者は「六号活字で書くべきものを二号活字で書く事を否まない」男とかつて評したが、佳品も些かあれば拙作も夥しく、一集毎に、殉情曲から象徴派から未来派から立体派から等、等、等と無限に変化してゆくのが、彼の詩程であつた。堀口のこの変化性は、かれのフレクシビリティーをあらはし、受感性を示すものであり、同時に又、齢を加ふるに連れて重積しなければならぬ経験が、一向に彼の精神生活の深刻性と個性の鮮かなるものとを将来する能はざる「魂の未熟」を暴露し、詩家としてのスケイルの浅薄を裏書きし、更に、その人間性の輪郭の狭小を雄弁に物語るものに外ならぬ。彼の輓近に及んで、特色づけられたその色情詩は、何等人間生活の本能的桎梏にまつはる痛烈深刻の体験に根ざさざる、遊戯的淫慾の文字上小技巧の小産物にすぎざる点に於て、共同後架の不良的楽書きにも如(し)かざる、風俗史上の興味を牽く程度の価値あるものにすぎない。堀口大學は、爰に於て夙くも徒らに詩齢老いたる全き永久の小未成品たるにすぎないのである。」













































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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