粟津則雄 『オディロン・ルドン 神秘と象徴』

「黒はもっとも本質的な色彩である。」
(オディロン・ルドン)


粟津則雄 
『オディロン・ルドン 
神秘と象徴』


美術出版社 
1984年9月30日 第1刷発行
326p モノクロ口絵32p カラー口絵2葉
A5判 並装 カバー 
定価2,600円
装幀: 桜井芳樹



本書「あとがき」より:

「本書の第一部をなす文章は、一九六六年に、美術選書の一冊として、『ルドン 生と死の幻想』と題して発表したものである。今回、第二部として、その後さまざまな機会にルドンについて書いた文章を集めた。」


粟津則雄 オディロンルドン 01


本書「あとがき」より:

「ルドンは一八四〇年の生れだが、同じ年に生れたモネが、外光の作用で微妙に変化する色彩の探究に身を委ねたのと対照的に、ただひたすら人間の内面の世界を凝視し続けた。ルドンとモネとのこのような対照は、文学における象徴詩と自然主義小説との対照にほぼ相応ずるのであって、両者がそれぞれおのれの志向と方法を純化徹底することによって、絵画における近代性を形作っていると言ってよい。
 というわけで、ルドンは近代絵画の流れのうえできわめて重要な位置を占めている。彼は、初期から中期までは、主として木炭素描と石版画によって、恐怖と神秘にあふれた悪夢のような内面世界を描き続けたが、九〇年代のはじめ頃から色彩の世界に入りこんだ。これは、印象主義的絵画の色彩とはまったく異なるのであって、言わば象徴的色彩とでも言うべきものだ。彼は、この色彩によって、花やペガサスやさまざまな神話的主題を描く。このような彼の歩みは、絵画の内面性の見事な達成であって、改めて辿り直すに足りるのである。」



目次:

図版目次

[Ⅰ]
I ペイルルバード
II 少年期
III 形成期
IV ブレダン
V 自然観念の変貌
VI 戦争
VII 成熟
VIII 黒
IX ユイスマンス
X 生と死
XI マラルメとゴーギャン
XII 色彩の世界
XIII 二十世紀

[Ⅱ]
I 幻想の誕生――ルドン、クレー、エルンスト、ウィーン幻想派
II ルドン――夢と神話
III 二重の闇――ルドンと日本
IV ルドンと日本
V 形とことば――オディロン・ルドン
VI ルドンと樹
VII ボードレールの誘惑――ルドンの場合

石版画集目録
ルドン年譜
あとがき
参考文献



粟津則雄 オディロンルドン 02



◆本書より◆


「私は口数も少なかったし、喧嘩もしませんでした。他の連中が野原を歩きまわろうと誘ってくれましたが、そんなことも得意ではありませんでした。私はそんなことより、中庭や庭にいて、しずかなあそびに夢中になっている方が好きでした」
(ルドン「芸術家の打明話」)

「子供のとき、私はくらがりが好きでした。厚いカーテンのしたや、家の暗い片すみや、いろいろな遊びをする部屋などに身を潜ませると、不思議な深いよろこびを味わったことを覚えています。そして外に出、野原へ行くと、空が私に対してなんという幻惑的な力をふるったことでしょう! 
 ずっとあとになっても、これはうんと後になってからのことですけれども、――いくつの時かは申しあげる勇気がありません、足りない人間だと思われかねませんからね――私は野原のひと気のないところで、地面に寝そべり、雲が動いてゆくのを眺めたり、その束の間の変化が作る夢幻的なきらめきを限りないよろこびを覚えながら眼で追ったりして、何時間も、というよりまる一日、過したものです」
(ルドン「芸術家の打明話」)

「住み馴れた場所を離れることは、私にとっては、いつも一種の死でした」
(ルドン「私記」)

「他のところへ行っても、あとになれば、生が立戻って来ます。だが、それは別の生であり、この未知の生はこわいものなのです。ちょっと場所が変るだけで、引越しをするだけで私がどんなに深い苦痛を味わうか申しあげられそうもない。私は澱んでしまっているのです。これから住もうとしている新しい住まいで、生命と仕事に対する興味を取り戻すためには、私には、時間が、たくさんの時間が必要です。いくつもの季節をすごすことさえ必要なのです。」
(ルドン「私記」)

「私は悲しくなるほど努力しても勉強しても、クラスではいつも人よりおくれていました。うんざりするような本のうえに、どれほど涙をこぼしたことか。そういう本を、一語一語覚えろと言いつけられるんですからね。十一歳から十八歳まで、私はいつも勉強というやつに、うらみばかり感じていたと言えるでしょう」
(ルドン「芸術家の打明話」)

「私は、私流の芸術を作りあげてきました」
(ルドン「芸術家の打明話」)

「私はいかなる党派にも属してはいません。いつも私には、芸術家とは孤独である、孤独でしかありえぬと思われていました。現在、私は、自分をどこに区分していいかわかりませんが、自分がどこにいないかはわかっています。それ以外のことはわかりません」(ルドン「ボンゲル宛、一九〇九年三月十二日」)

「私には、人々が『譲歩』と呼んでいるものが、まったく理解出来ないのです。世間の連中は、自分がのぞむ芸術を作っていないのです。芸術家という者は、毎日、自分をとりまくさまざまな事物の受容器となってゆくんです。外部から、さまざまな感覚を受けとり、それを、ただ自分の思うがままに、宿命的な、妥協を許さぬ、執拗な道を通じて、変形させるのです。どうしても表出したいというようなかたちで、何か言うことがあったとき、はじめて物が作れるのです」
(ルドン「芸術家の打明話」)

「一番身近な人々が一番冷酷無惨である。心を許した一言もなく、同情のかけらもない。真理を求めてただひとりゆく者、おのれの方法、おのれの努力の法則を求めて心魂を尽している者、かかる者が人々の支持をうるのは、彼が見下せる人間で、彼の創案が俗っぽいものである場合に限られている。ダンテの一ページを読んで、心高められ、心支えられる日、このような日は、衝撃と傷とを受けた日である。おまえだってゆくゆくはおれと同じ人間になるさ、われわれの額に高貴な夢想のあとを認めた仲間は、そんなふうに考える。そして嘲笑するのだ。馬鹿者と呼ばれ、人でなしと呼ばれた人々よ、君たちが受けた侮蔑は、君たちよりも、いっさいの眼に見えぬものよりも価値あるものであろうか? 君たちが示す苦しみは、君たちのなかに、もっともよきものと魂とのいくらかを残すであろうか? ついには君たちは、君たちの役割こそ究極のものと感ずるようになるであろうか? 苦しむ人間は、おのれを高める人間である。戸をたたくがよい。たたき続けるがよい。傷は実り多きものなのである。
 批判するのは理解することではない。
 すべてを理解するとは、すべてを愛することだ」
(ルドン「私記」)

「孤独のなかにおいてこそ、芸術家は、自分が、人知れぬ深みで、強く生きているのを感ずる。外部の世間の何ものも彼をそそのかしはしないし、彼はおのれをいつわらせもしない。孤独においてこそ、彼はおのれを感じ、おのれを見出すのだ。本能という始源において、ものを見、見出し、欲し、愛し、自然さにたんのうするのだ。他のいかなる社会的環境よりも、孤独な状態でこそ、彼には、おのれを純粋に高揚する力が、おのれの精神で素材を照らしそれを開示展開する力が与えられるのだ」
(ルドン「オランダでの講演のための草稿」)

「こんなことをお話しするのは、あなたがおっしゃるような、あらかじめ持つ観念などというものは、間接的な作用しか及ぼさぬということを理解していただくためですよ。それは多くの場合、おそらく出発の試みのごときものにはなるでしょう。でも、そんなものは途中で捨ててしまって、あの幻想の、魅力ある予期を絶した小道を辿るようになるんですよ。この幻想というすばらしい女性が、突如としてわれわれの眼のまえに、見事な、おどろくべき眺めを現出させてくれ、われわれを服従させるのです。彼女こそ、私の守護天使でした。以前は、今よりももっとそうでした。悲しいことですけどね。彼女は、道に窮してゆらめき動いているような額が好みなんです。特に若者や子供が好きなんですよ。ですから、何かを創造するためには、いつも多少子供のままでいることが利口なやりくちなのです。
 それにまた、彼女は、あの『無意識』というきわめて身分の高い神秘的な人物の言葉を伝える女なのです。老年などという分別くさい年齢になると、彼女のことを空しく待ちのぞむだけですよ。彼女は、時や場所やまた季節に応じて、自分が来たいときにやって来るのです。」
(ルドン「メルリオ宛、一八九八年八月」)



粟津則雄 オディロンルドン 03








































































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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