入沢康夫 『宮沢賢治 プリオシン海岸からの報告』

「未完成とはいえ賢治童話の白眉である「銀河鉄道の夜」が、透明な光に満ちた銀河を舞台としていながら、その底に一種異様な暗さを湛えていることは、おそらく誰しも否定し得ないところでありましょう。この点に関しては、あるいは、むしろ、その底深い暗さが作品の美しさを支え、高めているとさえ言うべきかもしれません。」
(入沢康夫 「「銀河鉄道の夜」の発想について」 より)


入沢康夫 
『宮沢賢治 
プリオシン海岸からの報告』


筑摩書房 
1991年7月25日 初版第1刷発行
490p 目次6p 索引v 
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価5,500(本体5,340)円
造本・装訂: 間村俊一



本書「覚え書」より:

「ここには、私がこれまで宮沢賢治について多少とも公の場で書いた散文のほとんどすべてが集められている。(「ほとんど」といったのは、あまりにも言及が断片的なものや、内容にいちじるしく重複のあるもの、さらに全集や選集の解説として書かれていて本文がなければ意味を持たないものなど、そうした何点かが省いてあるためである。)
 これらの文章は、一賢治作品愛読者の折にふれての《雑感》か、さもなければ(このほうが量的には遥かに多いのだが)、一九七〇年代以降何度かの賢治全集の編集に参加した者としての《報告文》であって、研究論文とか評論とか呼ばれるには価しないものばかりである。それを、今回一巻にまとめるのは、したがって、「私の賢治論」を世に問おうという意味合いからでは毛頭ない。上記のような内容からいって、これが、ひょっとしたら、過去から今日までの《賢治受容の歴史》の一側面に対して、限られた角度からではあれ、ある程度の照明を当てられる、そういった意味での《資料》にはどうやら成り得るのではなかろうかと、ふと思ったからにほかならない。」
「ⅠからⅢの章分けは、Ⅰは、私が『校本宮沢賢治全集』の仕事に携わるよりも以前に(つまり、賢治の原稿の実態について、ほとんど知るところなしに)書いたもの、Ⅱは、上記全集に関わる編集校訂作業と、それと直接につながる後始末の時期、そしてⅢは、それ以後今日までのもの、といったつもりでなされてある。」



入沢康夫 宮沢賢治 01


帯文:

「草稿の
森の
なかへ

校本宮沢賢治全集の
草稿調査を通じて、
テクスト研究の最前線でつねに
洞察に満ちた着想と
緻密で卓越した批評を
発信しつづけてきた詩人の
四半世紀にわたる全賢治論考。
待望の刊行!

探索と
発見の旅」



目次:

序に代えて
 四次元世界の修羅 宮沢賢治の作品創造

Ⅰ 1966―1970
 「若い木霊」の問題
 賢治研究の進展への期待
 空洞考 あるいは《内なる異空間》についてのむだ話
 「銀河鉄道の夜」の発想について
 賢治童話との出会い

Ⅱ 1971―1978
 妙な記数法のはなし
 「グスコーブドリの伝記」下書稿のこと
 詩集『春と修羅』の成立
 訂正二件
 『校本宮沢賢治全集』の特色
 近況報告 賢治全集のジレンマ
 宮沢賢治――深淵
 「ポラーノの広場」についての報告
 黒インク手入れの意味
 混成怪獣キマイラと宮沢賢治
 賢治作品の新しい貌
 「空洞考」後日譚
 「銀河鉄道の夜」の本文の変遷についての対話
 賢治の一詩篇をめぐって
 スウェン・ヘディンの空想
 四十五元の魔界 ある「銀河鉄道の夜」論における確率的難点を論じて、そば屋の品書きの宇宙的照応性に及ぶ
 幻の「凍れる木(フローズン・ツリー)」
 準平原の詩情 「風の又三郎」と種山ヶ原
 カフカと賢治と
 迂路から迂路へ
 開かれた全集
 騙(かた)る主体
 化鳥の変貌
 宮沢賢治と数学
 「冬のスケッチ」現存稿の位置
 雪の朝花巻に着いて

Ⅲ 1978―1990
 「生」と「聖」 中也における賢治問題
 詩の本文のことなど
 書坊余録
 詩と体験 現実と作品化
 賢治と「心象スケッチ」 一つの随想として
 賢治と十年
 日記から
 鴾という鳥 賢治童話の魅力の一つの核
 廃墟の美
 小沢さんのこと
 小沢さんを送った日
 『春と修羅』成立過程に関する佐藤勝治氏の新説について
 賢治文学の魅力
 「冬のスケッチ」草稿の原順序推定について
 賢治と現代 「宮沢賢治展」によせて
 賢治詩稿中の謎の一篇
 東京
 原色複製「セロ弾きのゴーシュ」草稿について
 「失われた部分」のこと 『春と修羅』成立過程に関する若干の随想
 宮沢賢治と文房具
 宮沢賢治と音楽
 雪の日のアイスクリーム 白秋と賢治
 宮沢清六さんのこと
 作者のリアリティ 「作品は手段、読みの対象は作者」か?
 映画「風の又三郎――ガラスのマント」を観て
 「風の又三郎」の位置
 「ヒドリ」か「ヒデリ」か
 「ヒドリ」再説

・書評・詩時評
 堀尾青史著『年譜宮沢賢治伝』
 「雨ニモマケズ」評価の展開
 斎藤文一著『宮沢賢治とその展開――氷窒素の世界』
 斎藤文一著『宮沢賢治とその展開――氷窒素の世界』
 中村文昭著『「銀河鉄道の夜」と夜」
 小倉豊文著『「雨ニモマケズ手帳」新考』
 没後五十年の宮沢賢治
 見田宗介著『宮沢賢治』
 宮沢賢治論の盛況
 栗原敦・杉浦静編『小沢俊郎宮沢賢治論集』1作家研究・童話研究

覚え書
索引



入沢康夫 宮沢賢治 02



◆本書より◆


「四次元世界の修羅」より:

「詩集『春と修羅』におさめられている長詩「小岩井農場」は、五月のある朝、橋場線小岩井駅から出発して、歩いて広大な農場をよこ切り、さらにその向うの姥屋敷部落の手前まで行ったところで雨に会い、ふたたび同じ道をとって返して小岩井駅へと至る道程の、属目および心象を綴った、それこそ心象スケッチの名にふさわしく思われる作品だが、我々が詩集の本文として読む作品は、その時手帖にしるされたスケッチとは非常に違った形のものである。この詩については、この詩集の詩としては例外的に、数次の草稿が一部欠落はあるがのこっている。手帖こそ失われているが、おそらくその手帖から語句をととのえながら書き写したと思われる、使用ずみ原稿紙裏を使った下書稿、それにいろいろと加筆訂正した結果を、今度は四百字詰原稿用紙に清書した稿(やはり清書後に多くの加筆や削除がなされている)、そして、詩集の出版のときの六百字詰原稿用紙への清書稿が、それだが、この最後の原稿も、作者のつけた紙ノンブル(何度か書き直されている)を丹念にしらべてみると、この詩にあたる二十六枚については、そのうち八枚が一ぺんまとめて印刷屋の手に渡されたあとで、そっくり新しく書き改められていることがわかる(特に最終パートにあたるパート九は、全体が新しい稿にとりかえられている)。しかも、このような原稿の最終形態と、実際の詩集本文の間にもまたいくつかの異文が生じていて、校正段階での推敲があったことを示している。
 そして、このような執拗なまでの手直しは、この作品に限ったことではないらしいのであって、しかも、この詩集全体の構成も、原稿が印刷屋に渡ってからでさえ何度か練り直されていることも判明している。」
「それにしても、ここまでのことならば、詩集が世に出るそのぎりぎりの時まで手入れを怠らぬ作者の誠実さと見ることもできるわけだが、賢治はこの詩集が出版されたあとで、手もとにあった本に、またしても数多い手入れをしたのである。しかもこのような自筆手入れ本は一冊だけではなく、現在所在が判明しているものだけでも三冊(中略)あり、それぞれの手入れの数も(中略)、約三百カ所(宮沢家本)、約八十カ所(菊池家本)、約十五カ所(藤原家本)という多きに及び、このほか、その所在は確認されていないが、藤原家本に書きうつされていることで概要が知られる一冊(あるいは数冊?)には二百数十カ所の書き入れがあったらしい。そして、これら諸本の書き入れについて、他のどれかの本と同一のものは、それぞれ一割くらいしかなく、あとはみな異なっているのである。」

「「小岩井農場」は、そして『春と修羅』は、単なる一例にすぎない。これらが他に比べて特に推敲が甚だしいというのでもない。生前の数少ない雑誌発表作品についても、そのページを切りとって、他の原稿と同じような表紙をつけ、中にペンや墨で手入れをしているものがあり、また発表形と現存草稿をつき合わせてみると、発表形は、数次にわたって清書された草稿の、何重にも及ぶ推敲の層の、ごく初期の一段階を示しているにすぎないといったケースも、そこここで生じている。生前未発表作品についても事情はほぼ同じで、下書、清書、ルビ付け、手入れ、再清書、手入れといったことが、何重にも積み重なり、童話では、その間に主人公も話の筋も大きく変って、全く別の話のようになってしまうものが二、三にとどまらない。」
「賢治の推敲は、一部の語句の修辞上の手直しももちろんあるにしても、それよりも、作品のはじめからおわりまで通して、一度に手が加えられるということが、ある時間をへだてては起っているという場合の方が普通であるという、大きな特徴をもっている。作品がいくつかの層にはがして考えられるということは、つまりその結果なのである。
 そして、それら一つ一つの層は、どれもそれなりの完成を示しているのであって、この点でも、終極の完成をめざして、長い時間をかけて、作品のあちらを直したり、こちらをととのえたり、といった、普通に考えられる推敲とは歴然と異なっているのだ。」

「このような推敲の結果、はじめは別々の作品として成立していた数篇の童話が、のちには一つの作品の中に、その部分として組み込まれるケース(たとえば「種山ヶ原」「さいかち淵」「風野又三郎」→「風の又三郎」)や、それとは逆に、元は一つであったのが、のちに非常に異なった二つの作品に分離し、それぞれに発展していくというケース(「チューリップの幻術」と「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」)も見られる。
 空間の三次元に対する第四の次元である時間の軸にそって移動しながら、賢治の作品は、変貌し、分離し、あるいは合体して行く。これは、もはや推敲という段階を明らかに超えた事態であって、いうなれば作品自体の実存的運動――その都度その都度の達成とそこからの自己否定的脱出――のくり返しなのである。」

「やや奇矯で極端なイメージ化をあえてすれば、賢治の個々の作品は(少なくとも我々の前に遺されたそれらは)、頭もなく(というのは現存稿の最初形の前に、さらに下書稿があったことが考えられるからだ)、また尾もない(賢治が生きつづけたら、必ずや、また何がしかずつの時間をおいては手入れをしたであろうからだ)一本の管のようなものとして、時間の中にうねうねと延びているのであり、賢治作品の全体はそのような管の数百本の同時併存だということになる。そして、われわれが作品本文として読むのは、そのような管の、ある時点での一つの切り口にすぎないのだ。」
「かねて、賢治の作品については、限られた自筆日付けのあるもの以外は、成立年次あるいは順序の確定がはなはだ困難であると嘆かれて来た。しかし、賢治作品のありようが今まで見て来たようなものであって見れば、成立年代といったこともかなりちがった角度で考え直さねばならず、場合によっては全く意味を失うかも知れない。日付けのある作品の場合でも、賢治が書いている日付けは、そのほとんどは、成立日付けではなく、発想の日付け(あるいは最初の着手の日付け)であるらしいのだ。」



「宮沢賢治――深淵」:

「宮沢賢治の作品の《真の魅力》は、文学が真に文学の名に価するものであるときに不可避的に喚び起してしまう《深淵》の《おそろしさ》と、同じもののことである。賢治の作品を読みすすんで行くとき、表面の筋の上では別にどうということもない、ささいな部分から、一種異様な、日常の私たちの生活では全くなじみのない空間が、ぽっかりとあおぐろい口を開くのが感じられる。私たちは、その空間を前後の文脈や意味から何とかして定義づけようとするが、そのような努力は一切むなしい。そこには、現れてはならないものが出現しているのであり、その「現れてはならないもの」こそが、おそらくは「ものを書く」ということの真の支えである「この世界」に他ならないのだと気付くとき、我々の戦慄は二重になる。
 賢治のオリジナリティは、科学と宗教と文学とを一つに綜合しようとした点にあるといった物言いは、それ自体として見当違いではさらさらないのだけれど、今述べた《戦慄》を解く鍵としては、尚あまりに迂遠という他ない。
 「ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。」と、童話集《注文の多い料理店》の序文に賢治は書きつけているが、このようにして定着されたその作品世界は、合わせ鏡の無限廊下に青ざめて立ちすくむような、文学作品の作者および読者の本源的孤独を、したたかに味わわせてくれるのである。
 そして、ここでやや奇矯な言い方をあえてすれば、賢治は、上記のような《作品が喚び起す深淵》を、作品の外でも、つまり実生活のさなかにあっても感じていたと思われるのである。彼はつねに《作品を書くごとくに生きて》いたのではなかったか。そして、彼もある詩の中で記しているように

  感ずることのあまりに新鮮にすぎるとき
  それをがいねん化することは
  きちがひにならないための
  生物体の一つの自衛作用

である以上、この《深淵》に、理念の脈絡を課すことは不可欠の急務であったはずで、幼いときからそのような生を生きて来た彼が、やがて法華経に出会ってあれほどの感動を覚えるのも、それはそこに表されているヒューマニスチックな観点への共感といった甘っちょろいものではなく、必死の自己救出のための最良の手引きを見出した感動だったと思う。
「自己救出」。しかし、それは、そのような賢治にあっては、とりもなおさず《世界》の救出の願いなのであった。
 しかし、農業技師としての彼の実践、あるいは石灰肥料の販売に示した捨身の努力、それらは、賢治の健康をむしばみ、生命を奪うもとになったほどのものであるけれど、それらが《実践》という見地からのみ見るとき、どこかひよわな感じ、夢幻の中の彷徨のようなたよりなさをともなっているように見えるのは、それらが、実際にいかに献身的なものであったにしても、《深淵》をふさぐどころか、ますます大きく口を開かせることにしかなっていないことから来ている。」




こちらもご参照下さい:

入沢康夫 『ネルヴァル覚書』






































































































































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Author:ひとでなしの猫
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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