ルイス・ブニュエル 『映画、わが自由の幻想』 (矢島翠 訳)

「場合によっては、科学に向ってくそくらえというべきだ。」
(ルイス・ブニュエル)


ルイス・ブニュエル 
『映画、わが自由の幻想』 
矢島翠 訳


早川書房 
1984年7月15日 初版発行
1991年2月28日 4版発行
466p(うち別丁モノクロ口絵16p) 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,200円(本体3,107円)
装幀: 辰巳四郎



本書「訳者あとがき」より:

「この自伝は Mon Dernier Soupir (《わが最後の吐息》)の原題で、一九八二年、パリの Editions Robert Laffont から出版された。ブニュエルは翌八三年七月二十九日、メキシコ市で、八十三歳の生涯を閉じた。」


本書より:

「わたしはもの書きではない。ジャン=クロード・カリエールがわたしと長時間話し合ったあとで、この本を書く手助けをしてくれたのだが、わたしのいったことはすべてそのまま、いかされている。」


ブニュエル 映画わが自由の幻想 01


カバーそで文:

「■本書は、モラリストで、慎み深く、きわめて機知に富んだ偉大な映画作家の、ありきたりからはほど遠い自伝である。
――フランソワ・トリュフォー
■本書で驚くのは幾つかの国と文化にまたがった長い生涯における豊かさと多様性である。それは中世に始まり、間にシュルレアリスム、スペイン内戦、ハリウッド、メキシコを挟んで現代に終り、諷刺、孤独、友情、想像力から成っている。そして現代で最も鋭く、最も奥深い視線の一つ、時に憂うつな嘲笑する隠者の視線でとらえられている。
次に驚くのはまるでスペインのピカレスク小説のような閑談、逸話、余談の面白さだ。ルイスは突然立ち止り、道端の木陰に腰を下ろすと、肝心なこと――酒、愛、神、偶然、夢、死について語り始める。それから陽の当る道に戻るのだ。
並外れた人物の心象、波瀾に満ちた世紀の驚くべき、時に背徳の散策である本書はまた、個人の厳格な倫理だけが人生を支配しうる唯一のものであるということの、粘り強い確認の書でもある。
人間はいかにして自己を形成するのか? 本書はこの古くからの問いに答えようともしている。運命への接近、すべての生と同じく偶然と自由の間で揺れる生の秘かな冒険が本書である。
――ジャン=クロード・カリエール」



目次:

1 記憶
2 中世の回想
3 カランダの太鼓
4 サラゴーサ
5 コンチータの回想
6 現世のたのしみ
7 マドリード――学生館 一九一七~一九二五年
8 パリ 一九二五~一九二九年
9 夢と夢想
10 シュルレアリスム 一九二九~一九三三年
11 アメリカ
12 スペイン、フランス 一九三一~一九三六年
13 愛情とそのさまざまな顔
14 スペイン内戦 一九三六~一九三九年
15 わが無神論も、神のおかげ
16 またアメリカで
17 ハリウッド、これにて完結
18 メキシコ 一九四六~一九六一年
19 好きなもの、きらいなもの
20 スペイン、メキシコ、フランス 一九六〇~一九七七年
21 白鳥の歌

訳註
ルイス・ブニュエル監督作品
訳者あとがき
映画タイトル索引



ブニュエル 映画わが自由の幻想 02



◆本書より◆


「記憶は絶え間なく想像と夢想の侵略をうけている。そして想像の現実を信じたいという誘惑がある以上、われわれは結局自分たちのうそを真実にしてしまう。だがその重要性は相対的なものだ。なぜなら、うそも真実も、ともにわれわれが生きたものであり、われわれ自身のものであることに変りはないのだから。」

「『アンダルシアの犬』
 この映画は、二つの夢の出会いから生れた。フィゲラースのダリの家に二、三日泊りに来ないかという誘いをうけて行った時、わたしは、少し前に見た夢の話をした。細い横雲が月をよぎり、かみそりの刃が目を切り裂く。ダリの方も昨夜夢に見たばかりだといって、てのひらにアリがいっぱいいる光景を話した。彼が続けていうには、「そこを出発点にして、二人で映画をつくったらどうだい?」
 この提案にはじめのうちわたしは迷っていたが、話は一足飛びに運んで、わたしたちはフィゲーラスで仕事に入った。
 シナリオは、二人が意見一致で採択した、簡単きわまる規則によって、一週間足らずで書きあげられた。合理的、心理的ないし文化的な説明を成り立たせるような発想もイメージも、いっさい、うけいれぬこと。非合理的なるものに向けて、あらゆる戸口を開け放つこと。われわれに衝撃を与えるイメージのみをうけいれ、その理由について、穿鑿(せんさく)しないこと――である。
 ダリとの間には、わずかな意見の相違だろうと一度も生じなかった。完璧な一身同体の一週間だった。たとえば、一方がこういう。「男がコントラバスを引きずる」。相手は、「そうじゃない」という。するとアイデアを出した方は、この拒否をその場でうけいれるのだった。拒否されるのが当然という気になるのだ。その反対に、ひとりが提案したイメージを相手もうけいれた場合には、そのイメージはとたんに異論をさしはさむ余地のない名案に思えて、即座にシナリオにとりあげられた。
 シナリオが完成してみると、これはまったく異例の、挑発的な映画で、普通の製作システムにはおよそうけいれてもらえないということに気がついた。そこでわたしは自主製作するために、母にまとまった金を無心した。公証人が口をきいてくれたので母も納得し、金を出してくれた。」

「お前はあと二十年しか生きられない。これから毎日二十四時間を生きる間に、何をするつもりだね、と聞かれたとしよう。わたしの答えはこうだ。二時間は活動的に、二十二時間は夢のうちに過させて下さい。ただし、その夢を思い出せるという条件で。――なぜなら夢というものは、それをいとおしむ記憶によってしか、存在しないのだから。
 たといわたしの夢が悪夢であるにせよ、わたしは夢を熱愛する。悪夢である場合が一番多いのだが。いつも夢の中には、それとわかる、おなじみのさまざまな邪魔物が、あちこちに顔を出している。だがそれでも構いはしない。
 夢――夢見ることの快楽に対するこの物狂いは、どんな説明を加えようとしてもまったく手がかりは見つからない。それはわたしに深く根ざし、わたしをシュルレアリスムに近づけた好みのひとつである。」

「それでもわたしが(中略)シュルレアリスムの隊列に身を置いていたことは、生涯、わたしにとって何かを残した。残ったもの、それはまず、認識と願望を問わず、存在の深みにこうして自由に立ち入りできること、非合理を、曖昧さを、われらの内奥の自我から生じるありとあらゆる衝動をよび出そうとする、この声である。最初あれほど力強く(中略)ひびき渡った呼び声に付随して、稀有の不遜が、あそび心が、われらにとってまがまがしく映るものすべてに向って闘うときの、生き生きとした持続力が、あった。それらすべてのうち、ひとつとして、わたしは否認していない。
 付け加えていえば、シュルレアリストの直観はそのほとんどが正確だった。例をひとつだけあげておくが、労働についての――(中略)社会における聖なるきわみの価値、不可侵のことばである労働についての、直観である。シュルレアリストは労働に組織的な攻撃をかけ、その虚偽をあばき、賃金労働は恥であると天下に告げた、最初の人々だった。『哀しみのトリスターナ』でドン・ロペが、口のきけない青年に向っていうことばに、この誹謗がこだましていることがわかるだろう。
 「あわれなるかな、働く者よ。(中略)サトゥルノ、労働は呪いだよ。生計のためにやむを得ざる労働なんて、棄てちまえ! (中略)それとは反対に、たのしみでする仕事、自分に向いてるからする仕事は、人間を高貴にする。(中略)わたしをご覧、働いていないだろ。首をくくられたって、働くものか。ご覧の通り、わたしは生きているぞ。(中略)働かずに生きているぞ」」

「だがわたしは、科学には関心がない。科学は生意気で、分析的で、浅薄に思える。夢、偶然、笑い、感情、矛盾、すべてわたしにとって大切なものを、科学は無視している。(中略)わたしが選んだ自分の居場所は、神秘のうちにある。あとはそれを尊重するまで。」

「わたしの作品について、ありとあらゆるたぐいの精神医学者や分析家が、ふんだんに書きまくった。(中略)分析家のなかには、(中略)わたしは〈分析不可能〉だと断じた奴がいることを、つけ加えておく。まるでわたしがほかの文化、ほかの時代に属しているかのようないい分だが、とどのつまり、それは大いにあり得ることだ。
 このとしになっては、人にいわせておこう。わが想像力はつねに健在で、わが末期のときに至るまで、指一本させぬその無垢の力をもって、わたしを支えてくれるだろう。理解することのおぞましさよ。予期せぬことを迎えるしあわせよ。そうした、むかしからの性向は、歳月とともに強まってきた。」

「その時までわたしは、サドのことをまったく知らなかった。読むにつれてわたしは心底から驚かされた。(中略)教師のごとく、系統立てて、社会をあらゆる視点から検討し、文化を白紙状態(タブラ・ラサ)に戻すことを提案しているこのどえらい本の存在を、なぜわたしは知らなかったのか?(中略)わたしは心につぶやいた。何より先にサドを読ませてもらえればよかったのに! 何とまあ無駄に本を読んだことか!」「自分を焼いた灰はどこでもいいから棄ててしまい、作品も、名前までも、人類の記憶に残らないでほしいというサドの遺言にも、わたしは深く心をうたれた。自分も同じことをいえたらいい、と思う。(中略)忘却万歳だ。わたしにとって、尊厳は虚無のうちにしかない。」

「わたしは雨の音が好きだ。記憶のなかにこの世で最も美しい音として残っている。(中略)雨は偉大な民族をつくる。」

「わたしは群集にはぞっとする。」

「わたしは職人が好きだ。」

「わたしは統計がきらいだ。」

「わたしは蛇と、特にねずみが好きだ。」

「わたしは生体解剖がこわい。学生時代のある日のこと、蛙をはりつけにして、生きたままかみそりの刃で解剖し、その心臓のはたらきを観察しなければならなかった。それはひとつの体験であり――なおかつ、まるきり役に立たぬまま――わたしに生涯残る印象を与え、今日でもまだわたしはみずからを赦しかねている。甥のひとりに、アメリカ人で、行く行くはノーベル賞ものの大神経学者だったのに、生体解剖が理由で研究を途中でやめてしまったのがいるが、わたしは彼に熱烈な拍手を送りたい。場合によっては、科学に向ってくそくらえというべきだ。」

「わたしは変装が好きでたまらないが、子供のころからそうだった。」

「わたしは宴会が死ぬほどきらいだし、賞の授与もだ。」

「わたしはきまったことを守るのと、前から知っている場所が好きだ。トレドかセゴビアに行く時には、いつも同じ道を通って行く。いつも同じ場所に降り立って、あたりを眺め、同じものを食べる。」

「わたしはマニアが実に好きだ。(中略)マニアは生きて行く助けともなり得る。マニアのない人たちはかわいそうだ。」

「わたしは政治がきらいだ。この領域においては、わたしは四十年来、あらゆる迷夢から解放されている。もはや政治は、信じていない。」

「いまや、これだけはたしかだ――科学は、人類の敵である。科学はわれらのうちなる全能たらんとする本能をおだてあげるが、その道はわれわれの破滅に通じている。(中略)何年か前から黙示録のラッパがわれらの戸口で吹き鳴らされているが、われわれは耳をふさいでいる。この新たな黙示録は、いにしえの場合と同様に、疾駆する騎馬の四者となって来たる。人口過剰、科学、テクノロジー、それに情報。」

「想像の上では人間の生命は、わたしにとって蠅の生命とひとしなみだ。実際にはわたしにとってあらゆる生命は尊く、蠅の生命でさえ例外ではない。こいつは妖精と同じくらい謎めいていて、感嘆すべき生きものである。」











































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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