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『ジャコメッティ エクリ』 (矢内原・宇佐見・吉田 共訳)

「今では、旅行をするとかしないとか、そんなことは全くどうでもいい! ものを見たいという好奇心は前よりも狭く限られるようになった。なぜならテーブルの上の一つのコップが前よりもずっと大きく私を驚かすからだ。」
(アルベルト・ジャコメッティ)


アルベルト・ジャコメッティ
『ジャコメッティ|エクリ』
 
矢内原伊作・宇佐見英治・吉田加南子 共訳

みすず書房 
1994年7月7日 第1刷発行
1999年4月15日 第2刷発行
455p 目次v 著者・訳者略歴1p 
A5判 丸背布装上製本 カバー 
定価6,400円+税

Alberto Giacometti : Ecrits, présentés par Michel Leiris et Jacques Dupin, 1990



本書「読者に」より:

「本書はアルベルト・ジャコメッティの存命中に発表された文章はすべて収録され、死後発表された三篇がそれに加えられている。(中略)未刊の文章の大部分は、アルベルト・ジャコメッティ自身は失くしたと思っていた手帖やノートから採られた。(中略)対話については、(中略)すべてを収録するのは不可能なため、残念ながら取捨選択(中略)せざるをえなかった。」


本文中図版(モノクロ)多数。


ジャコメッティ エクリ 01


カバー: 「アトリエのジャコメッティ(ロベール・ドアノー撮影、一九五七)」


カバー裏文:

「形をなしている文章においても、走り書きのメモにおいても、アルベルト・ジャコメッティは、その造型作品において様式を目ざしたりしてはいないのと同様に、文体というものを目ざしたりしてはいない。彼がしようとしているのはただ、何かをとらえること、言うべきことをつかむことだけだ。今、死の暗いサロンの高い暖炉の上に身を置いて、頭も体もないジャコメッティは、ここに集められた文章と対話を通して語っている。渦をまいて燃える火であることをやめない彼の言葉を。
――ミシェル・レリス
この本を開いて現れる頁のどの片隅においても、アルベルト・ジャコメッティの作品と生をつかさどっていった三つの主な欲動の競合と連動とが疑う余地なく見えてくる。この彫刻家のエネルギーと輝きが、それらの欲動を突き動かし、引っぱり、方向を与え、明確な形を与える。三つの、そのひとつひとつが全きものである源、幼年期、女性、そして死。決してひとつに結ばれたことはなく、決して本当にはばらばらにほどかれたこともない……。書かれた文の一つ一つに、空虚の存在が緊張を、息を、絶えず疑いを忘れぬ力を、そして無限に開かれてゆくその動きを与えている。
――ジャック・デュパン」



ジャコメッティ エクリ 02


本体表紙: 「「そんなものはみな大したことでない」原稿」


目次:

読者に (k)
語るジャコメッティ、書くジャコメッティ (ミシェル・レリス)
終わりなきエクリチュール (ジャック・デュパン)
ジャコメッティ年譜

既刊の文章
 物いわぬ動くオブジェ
 七つの空間の詩
 褐色のカーテン
 灰となった草
 昨日、動く砂は
 実験的研究
 アンケートへの回答
 一九三四年の対話
 私は私の彫刻については間接にしか語れない
 アンリ・ローランス
 ジャック・カロについて
 夢・スフィンクス楼・Tの死
 ピエール・マティスへの手紙(一)
 作品の補足リスト
 ピエール・マティスへの手紙(二)
 盲人が夜の中に手をさしのべる……
 物いわぬ動くオブジェ(新版)
 灰色、褐色、黒……
 一九二〇年五月
 ドラン
 私の現実
 自転車と彫刻
 ディドロとファルコネは考えが同じだった
 私の芸術の意図
 『脚』について
 今日絵についてどのように語ればよいのか?
 ジョルジュ・ブラック
 終わりなきパリ
 模写についてのノート
 イエドリカ教授の訃に接し
 そんなものはみな大したことでない

手帖と紙葉
 子供時代の思い出
 「芸術」のための…
 魂と肉体は…
 ぼくは今カフェに…
 ぼくは同じ道を…
 全身像と二つの…
 彫像の作り方
 彫刻
 「すべての事物の…
 純粋芸術
 明日 一九二五年…
 ぼくは散歩して…
 「いかなる統御も…
 光の中の金の…
 水がきしる
 帰ってきたら…
 ぼくには哲学は…
 あらゆるものの…
 ぼくは、オブジェ…
 問題
 女が息子を…
 決してフォルムの…
 男と女
 私達は、裸
 生まれたのだ
 オブジェか
 批評、否
 おれはすべての
 リュリュ、リュリュ!
 まだ九時だ
 アルゴ船の乗組員
 ぼくはもうこわく…
 やさしい
 すべてが夢の…
 鐘が鳴る
 批評、否
 おぞましい
 曖昧さが…
 髪、剃った
 三次元にわたる…
 ブルトンは詩に
 またAEARについて
 無理だ、できない
 もっと先まで…
 ふう、ふう
 いささかも調整…
 女に対しての…
 ウ、ア
 フォルムの精神
 ぼくは自分の…
 すべてを歪曲する…
 過去に作られた…
 書くべきことは…
 外の世界と…
 あ、いたた!
 実物を写して…
 だが終わりという…
 書く、何頁も…
 ここで括弧に…
 一覧表。何の…
 奇妙な生
 ぼくは絵や…
 骨と化して…
 空間を現実に…
 ぼく、君
 風景! 風景
 ユーラシア
 [G] 多面体の…
 テリアードのための…
 ひと月のうちに…
 これらのちょっと…
 瞬間
 ローマに旅行…
 ぼくにはもう…
 言う? 何を?
 この部屋で…
 まったく常軌を…
 来週の初めに…
 ディエゴがそのうち…
 起きたら…
 もし仕事をしたいなら…
 ぼくは自分が…
 このコワールの…
 明日の朝は…
 ぼくの手は…
 そのことが起きて…
 ぼくは状況を…
 ぼくは今晩チューリヒを…
 A. I. OU

対話
 ジョルジュ・シャルボニエとの対話
 ゴットハルト・イエドリカ博士との対話
 矢内原伊作との対話
 ピエール・シュネーデルとの対話
 アンドレ・パリノとの対話
 ピエール・デュマイエとの対話
 ダヴィッド・シルヴェステルとの対話

原題・初出一覧
あとがき



ジャコメッティ エクリ 04



◆本書より◆


「子供の頃(四歳から七歳までの間)、私が外界のうちに見ていたものといえば、私の悦びに役立つようなものだけだった。とりわけそれは石と樹であり、また、同時に二つ以上のものであることは稀だった。私は想い出すが、少くとも二夏の間、私は私の周囲のものの中で、私の村から八〇〇メートルばかりのところにある一つの大きな石、この石とこれに直接関係のあるものしか見ていなかった。」

「同じ時期の終り頃、私は雪を待ち焦れた。(中略)雪の牧場に出かけて行って私は、ちょうど身体がはいるだけの大きさの穴を掘ろうと試みるのだった。表面からは丸い穴が見えるだけにすぎず、その穴はできるだけ小さくて、ぽっかり開いているだけである。(中略)そして一度そこにはいってしまえば、その場所は非常に暖かくて暗いだろうと私は想像した。私は大きな喜びを味わうに違いない……その日が来る前から私はしばしばこの悦びの幻覚を経験した。私はこの構築のすべての技術を考えてみることで時を過ごした。頭の中で私はこの仕事全体を、その隅々にいたるまで完成した。一つ一つの動作を私はあらかじめ知りつくしていた。すべてが崩壊するのを避けるにはどういう時に用心しなければならないかを私は考えた。完全に整備された私の穴を見、そこに入って行くことを思うと私は歓喜で満たされた。私はただ一人そこに閉じこめられて冬中を過ごしたかったのだ。そして食べたり寝たりするために家に帰らなければならないと考えるのは残念でならなかった。あらゆる私の努力にもかかわらず、またおそらくは外部の事情が悪かったために、私の願望はついに実現されなかったことを私は打ち明けなければならない。」



「手帖と紙葉」より:

「我々はあるものに興味を抱き、他のものより特にあるものに興味を抱いたりするが、それは我々の成り立ちが我々にそうさせるからなのだ。別の考え方や行動をすることは我々にはおそらく不可能であるからだ。自分の脚の長さや病気を選ぶことができないように、我々は自分の考え方や表現の方法を選ぶことができない。そして我々がどうしても表現したいと思って夢中になるこの熱中は、朝消えているランプの球のまわりを回っている蠅の動きと同じ種類のこと、まったく同じ種類のことなのだ。」

「水がきしる

石は柔かだ

ぼくの足はからまって動けない

くずおれる脚の中で

そして腕は落ちてゆく

傍らの空虚の中に」

「ぼくは自分が曖昧で少しぼやけていて、まちがった場所に置かれている人間だという気がしている。
考えてみること。」



「ダヴィッド・シルヴェステルとの対話」より:

「戦争になるまで、デッサンするとき私は、自分が見ていると思っているものよりもいつも一層小さくデッサンしていた。つまり、デッサンするとき私は、それがそんなに小さくなることに驚いたのだが、デッサンしないときは、私は人々の頭を実際の大きさで見ているような印象をもっていたのだ。それから、少しづつ次第に、特に戦後、私は仕事をするときにもつヴィジョンを、仕事をしていないときにも持つようになった。それほどそれは私の本性となり、それほど深くなったのだ。人物像を実物大にすることはもはや決して出来ない。私がカフェにいるとき、目の前の歩道を往き来する人々が私には見える。その人々は私には非常に小さく見え、それは非常に小さな人物像のようで、私はそれをすばらしいものと思う。しかしその人物たちを実物大に想像することは私には不可能だ。(中略)同じその人物が近づいてくると、それは別のものになる。しかしそれが近づきすぎると、例えば二メートルまで近づくと、本当のところ私にはもはやその人物が見えない。そこでは、それはもはや実物大ではない。それは視界全体を掩ってしまう。そしてそれはぼんやりとしか見えない。そしてそれ以上にもう少しでも近づくと、ヴィジョンは完全に消えてしまう。(中略)私は何かを見るたびごとに見えるもののすばらしさに驚嘆する。なぜなら私はもはや現実――どういえばいいのか――物質的、絶対的な現実を信じることができないからだ。すべては外見にすぎない。そうではないか。人物が近づいてくる場合、私がその人物を眺めるのをやめれば、その人物もまた存在するのをやめる!」

「われわれは、ごく小さな領域に自分を限定するのでなければ、何かをつくることはできない。」

「しかしともかく、テーブルと椅子とのあいだの五〇センチメートルほどの距離に対して前よりもずっと敏感になって以来、どの部屋であっても、一つの部屋は前よりも限りなく大きくなった。それは或る意味では世界ほどに広大になった。だから私はここで十分生きられる。だからそれは出歩くことを次第に不必要にする。私がもう散歩をしないのはこのためだ。私がする散歩は、カフェに行くのに必要な歩行をすることくらいだ。(中略)だがこれはもはや散歩をする楽しみのためではない。森のなかを散歩する楽しみは、私にとっては全く消滅してしまった。なぜなら、パリの歩道で最初に見る樹、それだけでもうたくさんだからだ。樹としては、私には、それだけでもう十分だ。樹を二本見るのはもう私には怖ろしい。昔はいろいろと旅行をしてみたいとも思ったが、今では、旅行をするとかしないとか、そんなことは全くどうでもいい! ものを見たいという好奇心は前よりも狭く限られるようになった。なぜならテーブルの上の一つのコップが前よりもずっと大きく私を驚かすからだ。
 私の前にある一つのコップが、私が絵のなかで見たすべてのコップ以上に私を驚かすとすれば、またもしも私が、建築における最高にすばらしいものもこのコップ以上に強い印象を与えることはないだろうと思うならば、しかじかの神殿を見るためにインドまで行く必要は全くないわけだ、それ以上にすばらしいものが目の前にあるのだからね。さらにまた、このコップが最高にすばらしいものとなれば、地上のすべてのコップもまた最高にすばらしいものになる。とすれば、他のすべての物もまた最高にすばらしいものになる。だから、ただ一つのコップだけを描こうとすることによって、きみは、すべてを描こうとする場合よりも、他のすべての物についてのいっそう大きな理解を得ることができるのだ。何かを半センチメートル把握すれば、きみは、空全体を描こうとする場合よりも、或る宇宙的な感情をもついっそう大きなチャンスをもつことになる。これとは反対に、一つのコップを見える通りにデッサンしようとだけ試みること、これはきわめてつつましい企てのように見える。しかし、ほんとうはこれはほとんど不可能な企てなのだから、これはつつましさなのか傲慢なのか、もはやわからない。」

「一つの彫刻作品が成功しているか失敗しているか、それは私にとっては全くどうでもいいことだ。一枚の絵が成功か失敗か、それは私にとっては全くどうでもいいことだ。絵が成功しているとか失敗だとか、デッサンが成功したとか失敗したとか、そんなことは全く意味がない。失敗したものには、成功したものに対してと全く同じように関心をもつ。」



ジャコメッティ エクリ 05






























































































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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