デューナ・バーンズ 『夜の森』 (野島秀勝 訳)

「われわれは高みに、『登ってゆく』のではない、蝕ばまれて、その果てで高みに達するのだ。そうなれば、こぎれいな画一性はもはやわれわれを喜ばさない。人間は清潔さを呪いながら死ぬときに、はじめて生れる。」
(デューナ・バーンズ 『夜の森』 より)


デューナ・バーンズ 
『夜の森』 
野島秀勝 訳


国書刊行会 
1983年1月30日初版第1刷刊行
1989年11月10日新装版第1刷刊行
1993年4月10日新装版第3刷刊行
187p 
21.6×14.8cm 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,600円(本体2,000円)
装幀: 坂川栄治



デューナ・バーンズ(Djuna Barnes)の小説「Nightwood」(1936年) 。
邦訳は1983年に国書刊行会「ゴシック叢書」の一冊として刊行されました。本書はその新装版です。

ソログープ「白い犬」と中勘助「犬」をよんだら本書をおもいだしたので、よんでみました。
本書で描かれているのは他でもない、「人間の死 mort de l'homme」(フーコー)そして「動物への生成変化 le devenir-animal」(ドゥルーズ)です。
余談ですが、本書106p の「テイラー」は、訳注では「不詳」となっていますが、ジェレミー・テイラー(1613-1667)です。


バーンズ 夜の森1


帯文:

「愛の幻影に呪われたレスビアンたち
アンドロギュノスの聖なる時を見出すために
〈夜の森〉をさまよいつづける人びと
翼を断ち切られて失墜しつづける、エロスの物語」



帯背:

「頽廃の形而上学」


カバー裏文:

「両大戦間のベルリン、ウィーン、パリ、ニューヨーク――
時間の廃墟を夢遊病者のように彷徨する〈無宿の天使〉ロビン・ヴォート。
流浪するロビンを狂おしく恋するレスボスの愛に呪われたノラとジェニー。
彼女らの夜の告白の懺悔聴聞僧をつとめるソドムの医者マシュー。
ロビンの血をわけた息子で成長の止った白痴のグイードー……
〈昼〉の秩序論理を棄て〈夜の森〉をさまよいつづける魔に憑かれた人びとの孤独と失墜と破滅を、
アール・デコの文様を思わせる華麗で装飾的な文体でえがき、
T・S・エリオットやロレンス・ダレルらの絶賛をあびた幻の傑作。
「私が読者に見出してもらいたいと願っているものは、見事に達成された文体であり、美しい語法であり、
絢爛たる才気と人物造型であり、エリザベス朝悲劇のそれに匹敵するといってさしつかえない
恐怖と運命感にほかならない」(エリオット)」



バーンズ 夜の森2


カバーそで文:

「デューナ・バーンズ
Djuna Barnes
1892年、ニューヨーク州コンウォール=オン=ハドソンに生まれる。
1913年、《イーグル》紙のリポーター兼イラストレイターとなり、
同時に小説を書きはじめる。
1915年、詩集『嫌味な女たちの書』を発表。
1920年、雑誌記者としてヨーロッパに渡る。
以後10数年に亘りパリでボヘミアン的生活をおくり、
〈現代のジョルジュ・サンド〉の異名をえる。
1936年、『夜の森』を出版。
その後はアメリカに帰り世間とは没交渉の
世捨て人の生活に入る。
1982年、マンハッタンのアパートの一室で老衰死。
享年90歳。」



目次:

序文 (T・S・エリオット)

夜の森
 頭を垂れよ
 夢遊病者
 夜番
 「無断居住者」
 斥候よ、夜はなにの時ぞ
 その樹の倒れる処
 行け、マシュー
 魔に憑かれた者

頽廃の形而上学 (野島秀勝/1982年)
新版に際して (野島秀勝/1989年)




◆本書より◆


「医者は続けた。「ひとは自分の個人的な病いを直す必要はない。自分の普遍的疾患こそ、心すべきものなんだ」と。」

「「わたしにはこういうこともわかっている」と医者は言葉を接いだ、「コップの水を別のコップにそそげば、別の水になるっていうこと。(中略)ある男の微笑みも、別の男の口もとに移せば驚きの表情になるだろうよ。」」

「医者は首をふった。「いや、わたしは神経衰弱なんかじゃない。それほど人間を尊敬しちゃいないよ――ついでながらいっておけば、この人間を尊敬するというのがあらゆる神経衰弱のもとなんだよ」。」

「それからなぜか知らぬが、閉ざされた庭のような世界のことを思いはじめた、誰も彼もその狭さと美しさのゆえに考えを高尚にできる庭のことを。
 あるいは心が拡がって、その俗悪さが希薄になる、そのような広い野原のことを。」

「「あの子はほかの子供たちとは違う、残酷でも野蛮でもありません。まさにそれゆえに、あの子は『変り者』と呼ばれているのです。成熟した子、心が成熟しているという意味で成熟している子は、わたしの見てきたところでは、つねに知恵遅れといわれるのです」。」

「医師は突如、得意の霊感が閃いて、男爵のほうに向き直った。「それでいいのだ。グイードーを扱うとき、目の前にいるのは『不適応者』であることを忘れてはならない。いや、待って! なにもそういったからとて、この言葉を中傷的な意味で使っているわけじゃ全然ないよ。事実、わたしの大いなる取柄は、中傷的な言葉を普通の意味では絶対に使わんというところにあるんだから。憐れみというやつは、古い価値世界に新しい意味価値をもって生れあわせた人――つまり、あんたの息子さんみたいな人に対しては、押しつけがましいものにすぎん。」

「「この世には」、男爵は語をついだ、「生きる許可を得なければならないような人がいるものです。家内(バローニン)はそういう許可を与えてくれる人が見つからなければ、自分で無邪気をつくる、一種恐ろしい原初的な無邪気をです。それはわれわれの時代からは『退廃している』と考えられるものかもしれません、が、なにもわれわれの時代が全知であるとはかぎらんでしょう」。男爵はそう言って微笑んだ。「たとえば、グイードー。いったい、あの子の価値を理解する人間がいくたりいるでしょうか? 人の人生は、その人がそれを発明したとき、かけがえのない、彼独自のものです」。
 医師は口もとを拭った。「退廃を受け入れてこそ、過去の意味が十全にとらえられるんだ。廃墟とは、《時》が持続の重荷を解いているさまでなくて、なんだろう?(中略)われわれは高みに、『登ってゆく』のではない、蝕ばまれて、その果てで高みに達するのだ。そうなれば、こぎれいな画一性はもはやわれわれを喜ばさない。人間は清潔さを呪いながら死ぬときに、はじめて生れる。」

「「動物たちは主に鋭い嗅覚でゆく道を嗅ぎあてる」、医師が言った。「われわれ人間は動物の一つであることをやめるために、利く鼻を失ってしまった。そのかわりに、なにを得たのだろう? 精神の強ばりさ、これは自由の萎縮だ。」」

「ロビンは、『人間類型』からはずれた女だった――女の皮をかぶった野生の生き物だった。途方もなく孤独で、途方もなく自惚れが強かった。(中略)またしても彼女は『逃げおおせた』のだ。それで彼女には『他人の身になって考える』ことなんか、できないんだ、彼女自身が唯一の『境遇』なのだ。(中略)彼女はなにをするにしても、自分自身以外の誰とも係わりをもつことができない、だからこそ彼女は自分が無邪気だと感じるんだ。」

「かくして、わたし、ドクター・オコナーはいう、そっと、そっと、忍び足でよけて通り過ぎるがいい、なにも学びとるなと。(中略)心のなかだけで行動せよ、(中略)神が意思したように、塵のごとく謙虚になれ、そして、そっと這ってゆくんだ、ついにはきみは貧民窟のどんづまりにたどりつき、誰からも惜しまれず、大方は忘れ去られることだろう」」

「「どうして、なにもかも終っているのに、それが分かるやつがいないんだ、このおれ以外に?」」
「「おれには分かってる、もう終りなんだ、なにもかも終りなんだ。なのに誰も知らない、知っているのはおれしかいない――(中略)長くつづきすぎたんだ、なにもかも――」」

「彼女はくずおれ、頭が犬の頭とぶつかった。四つん這いになって彼女はいざった。首、耳の付け根、腕の血管がふくれて浮き出た、前にいざるにつれて、指の血管にも血はどくどくと拡がっていった。」







































































































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ひとでなしの猫

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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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