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岡谷公二 『殺された詩人 ― 柳田国男の恋と学問』

「うたて此世はをぐらきを
何しにわれはさめつらむ
いざ今いち度かへらばや
うつくしかりし夢の世に」

(松岡国男 「夕ぐれに眠のさめし時」)


岡谷公二 
『殺された詩人
― 柳田国男の
恋と学問』


新潮社 
1996年4月25日 発行
203p 初出1p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,600円(本体1,553円)
装画: 磯見輝夫
装幀: 新潮社装幀室



「新体詩人」であった過去を抹殺して民俗学者になった柳田国男。穏やかでないタイトルはアポリネールの『虐殺された詩人』(Le Poète assassiné)から取ったのだとおもいます。
本書はのちに増補版(『柳田國男の恋』)が刊行されています。


岡谷公二 殺された詩人


帯文:

「藤村も一目おく「恋の詩人」だった国男
だが何故その痕跡を自ら抹殺しようとしたのか
新発見の書簡資料などをもとに
青春彷徨の地を探索し
秘められた恋の相手を発見。
柳田研究宿年の謎を解き明かし
これまでの通説を覆す瞠目の評伝。」



帯裏:

「谷川健一氏「波」書評より
「(本書は)従来の柳田論の通説に根本から訂正を迫る画期的な力作である。柳田の生涯に秘められた魂の渇望を知るのにこれほどふさわしい本はない。(中略)
岡谷氏はそのみごとな推理力によって柳田の内心の欲求がどこにあり、またその発現を妨げるものが何であったかを的確に示した。」



目次:

松岡国男の恋 (「新潮」 1995年2月号)
殺された詩人 (「新潮」 1995年6月号)
『海上の道』へ (書き下ろし)

あとがき
参考文献一覧
人名索引




◆本書より◆


「松岡国男の恋」より:

「国男は、柳田家との養子縁組を決める一方、明治三十三年に大学を卒業するや、農商務省に入って官吏としての道を歩みはじめた。それは、「我が恋成らずば我死なん」と歌った、半ば漂泊の境遇に身を置く恋の詩人の大いなる転換であった。それは、(中略)一部の友人の眼には、裏切りとさえ映ったであろう。」
「国男は、自我や家や社会、広く現実に対して、花袋をはじめとする周囲の自然主義文学者たちとはまったく異なる見方、というよりもむしろ感覚を持っていたように見受けられる。(中略)一言にして言うならば、それは、現実が現実だけで終わらず、この世界が現実を超えたなにものかによって支配されている、という感覚であった。彼の少年時代のいくつかの神秘的な体験にそのあらわれを見ることができる。この感覚こそ、やがて幽冥道や天狗や山人の研究を通して、彼を民俗学へとみちびいていったものである。」
「この時国男が身を置いたのは、きわめて曖昧で、微妙で、危険な、場合によっては命とりになりかねない二股膏薬的な立場である。ごく図式的に言えば、彼は、自然主義を奉じる文学者たちにとって、その敵である社会と家とに内通した人間であり、社会と家の側からすれば、いつまた寝返りするかわからない、いかがわしい前科者なのだ。」
「恋愛とはなにより「私」に属する事柄であり、あくまで「私」に執して「公」を眼中に置かないゆえに反社会的である。(中略)これに対し、養子縁組とは、まずなにより「公」に属する事柄である。それは松岡国男と柳田孝の事柄ではなく、第一に松岡家と柳田家の問題だからである。そして社会の構成単位である家を前提とする以上、養子になるとはとりわけて、社会を是認し、それに順応する行為にちがいない。」
「このようなほぼ一八〇度の転換が、一人の人間の中で、ごく短い期間に、なんの抵抗も躊躇もなく、円滑に行なわれたとは考えられない。そこに或る痛切な断念があったことは明かである。国男の柳田家入りとは、単に姓を変えて別の家に入っただけのことではない。そこで一旦松岡国男は死に、以後彼は柳田国男として別の人生を――余生を、と書きたい誘惑にさえ私は駆られる――歩みはじめるのである。」
「恋愛は国男にとって、それ以後の人生が余生じみたものになってしまうほどの或る決定的な体験であった。「柳田先生の学問というのは、恋愛を抜きにしては語れない」という折口信夫の言葉は、そのことを意味している。それゆえ松岡国男の恋を背景に置くか否かで、柳田学の理解に大きな偏差が生じてくるであろう。それはたとえば、柳田学に一貫する経世済民の志や、「私たちは学問が実用の僕となることを恥としてゐない」という言葉を、その新体詩の基調をなしている、恋愛と一体化した松岡国男の深い現実嫌悪を通して受けとるか否か、ということである。それはまた、柳田国男が終始持ちつづけた現実肯定と楽観を、彼の素質から出たものと見るか、或る断念の上に立った覚悟乃至選択ととるか、ということでもある。松岡国男から柳田国男へ、なんの断絶もないと考えるならば、人は柳田学の奥にひそむ或る微妙なものを見失い、それをまっとうすぎて、いささかよそよそしいものと解するであろう。しかしそこに断絶を見るならば、柳田学を陰翳に富んだ、身近なものとして発見するのである。」
「柳田国男は松岡国男を否定した。そして松岡国男の心にまといついていたすべてのもの、つまり私的にすぎるものや、幼児的なものや、女々しいものや、弱々しいものや、社会に背をそむけがちなものや、暗さや、厭世感といったものを追放した。そして柳田国男の読者は松岡国男を忘れ去る。
 しかし松岡国男は、完全に扼殺されはしなかった。彼は柳田国男の心の深層に生き続け、時折その深みから立ちあらわれる。」
「もう一度松岡国男をよみがえらせ、松岡国男を通して柳田国男を見ることこそ、真に柳田学を理解する道だと私は信じている。」



「殺された詩人」より:

「「詩」と「他界願望」が明かに柳田国男の素質であり、欲求であったのに対し、「サイエンス」と「経世済民」は彼にとって、当為であり、あるべき姿だった。」

「漂泊に対し、彼は魅惑と同時に、いや、魅惑のゆえに深い怖れを感じていたと推測される。彼が柳田家へ入ったのは、多分この魅惑を振り切るためだったのである。
 家庭と役所勤めという二重の枠を自らすすんで自分にはめ、一見漂泊とは縁遠い暮しをしながら、彼の心だけはたえず漂泊していた。彼の次女千枝の書いた小説「父」の中の父親のように、「生来浮浪性を持った」彼は、自ら選んだ安住には、なかなか馴染み切ることができなかったようである。
 柳田国男が明治・大正期に扱った漂泊民は、山人と木地屋を別にすれば、大方はなんらかの意味で宗教者であり、この世ならぬ、目に見えない世界との交信者であった。かって漂泊を身近なものとし、心の奥深くに他界願望を隠し持っていた彼が、こうした人々に共感と関心を抱いたのはごく自然のことだったのである。」

「目に見えないもの、無形のものに対する親愛が、この世ならぬものに心をひかれずにはいられない柳田国男の「神秘主義的な気質」のなせるわざであったことは言うまでもあるまい。彼は、断じて実証主義者などではなかった。彼は、民俗学の確立という公のために、みずからの素質も顧みず、すすんで実証主義者たらんとしたにすぎない。
 彼は、その生涯にわたって不可視のものの探究者であった、と私の目には映る。不可視のものの最たるもの、それは神であり、他界であり、信仰である。折口信夫が、柳田の学問の本質は、日本人の「神の発見」であると言ったのは正しい。だから柳田学の本来の姿は、その方面に求めなければならない。」



「『海上の道』へ」より:

「漂着した椰子の実を見たこの時の彼の驚きと感動がいかに大きなものであったかは、それが半世紀の間、少しも衰えることなく彼のなかで持続していたことからわかる。「海上の道」の仮説がこの驚きと感動から生れたとはよく言われることだが、仮説は、そこから生れたというより、この驚きと感動の表現そのものだったのであり、それゆえ、仮説の当否など、或る意味では、彼にとってどうでもいいことだったのである。」

「たしかに国男は、明るい他界を望み、求めた。それは、敗戦後の荒廃した日本人の心を少しでも明るくしたいという願いから出たことであると同時に、彼自身の希求でもあった。そして私は、この希求のかげに新体詩人松岡国男の存在を感じる。「鼠の浄土」の中で、彼が、「少なくとも毎年季節を定めて、向ふからも還つてくることが出来ると思ひ、従つて先祖と子孫とは親しく、又従つて人は百年千年の後の世を、憶ひ又憂ふることが出来たといふ点」に、日本人の他界観の特色があると言う時、これらの言葉には、夕風に向って、他界にいる「母がことの葉」を送りとどけてほしいと願った若き日の願望が、あきらかに一筋の白い糸となって縫いこまれているのである。彼が、これまで採集された多くの民俗資料をふまえて、こうした常民の他界観を実証的に提出しているのはまちがいないけれども、私は、人間は望んだものしか発見しないという言葉にも一面の真理があることを思わずにはいられない。」



「あとがき」より:

「「松岡国男の恋」の章で記したように、中川恭次郎は、国男を『文学界』の同人たちに引き合わせただけでなく、その恋愛には一役も二役も買っていて、国男の青春を語るには、欠かすことのできない存在である。医学を学んだが、ついに医者にはならなかった。(中略)実際は、卒業して田舎へ戻るのがいやさにわざわざ試験を放棄したのだという。表に立つことや束縛を何よりも嫌い、一生宮仕えをせず、(中略)医者のために医学書の代筆をして生計を立てた。(中略)晩年は池上本門寺の中に庵を結び、精神治療法という治療法を編み出し、周囲に信服者を集めた。その中に故森銑三さんがいた。」
「森さんは、柳田国男の一生における中川恭次郎の重要性を説かれた。そして中川翁の娘の深雪さんが伊豆の山の中にいるから訪ねてごらんなさい、と住所を教えて下さった。」
「もう二十年近く前の話なので、その後激変して面影はないかもしれないが、伊豆の奈古谷というのは不思議なところだった。(中略)三方を山にかこまれ、竹林の多い、傾斜のゆるやかな山の裾に、土着の古さを思わせる落着いた家々がひっそりとかたまっていて、隠れ里の趣きがあった。
 深雪さんは別に剃髪しているわけではなく、僧籍に入っているとも見えなかったけれども、この村の松月院という無住の寺を預って、弟の夏樹さんと二人で暮らしていた。(中略)夏樹さんは世間で言う知恵後れだったが、坊主刈で、眼が澄み、声は声変りしなかったかのように甲高く、もう七十近いはずなのに、少年そのものと言ってよかった。」
「その晩私は、中川恭次郎にまつわるさまざまな話をきかせてもらった。奈古谷という場所といい、深雪さん姉弟の醸し出すこの世離れした雰囲気といい、この山寺での一夜は、今なお私の記憶に鮮やかである。それは、私の見た美しい夢だったのではないか、と思うことさえある。」






こちらもご参照ください:

岡谷公二 『柳田国男の恋』






























































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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