ミシェル・レリス 『ピカソ ジャコメッティ ベイコン』 岡谷公二 編訳

「芸術作品によって乗り越えられるとき、きわめてきびしい真実も、別の様相を呈します。絶望の詩は人を絶望させません。すぐれた作品は、決して人の心をくじきはしません。」
(ミシェル・レリス 「人間的苦悩の画家」 より)


ミシェル・レリス 
『ピカソ 
ジャコメッティ 
ベイコン』 
岡谷公二 編訳


人文書院 
1999年2月1日 初版第1刷印刷
1999年2月5日 初版第1刷発行
304p 著者・編訳者略歴1p 口絵(カラー)4p
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,900円+税



岡谷公二編訳によるミシェル・レリス美術論集。本書は全二冊のうちの第一冊です。


レリス イマージュのかげにⅠ 01


帯文:

「現代におけるリアリズムの系譜を
「愛するものだけについて語る」という規則の下に綴った
特異な美術論
人物評から作品論まで、ほぼすべてのテクストを独自編集」



帯背:

「ミシェル・レリス――
稀有な鑑識眼」



帯裏:

「ブルトンやバタイユらと交流していた若い詩人、モースの弟子にして『幻のアフリカ』を残した民族学者、特異な語彙感覚を駆使し遠大な『ゲームの規則』を著した自伝作家……。文学者、民族学者として著名なレリスには、じつは美術評論家としての顔がある。本書は、現代美術のリアリズムの三巨匠――ピカソ、ジャコメッティ、ベイコン――について書かれたほぼすべてのテクストを独自編集し、レリスのこの知られざる一面を初めて紹介するものである。同時代人として、また親しい友人として、その人物や作品を愛情こめて語りながら、三人の本質を大胆かつ的確に描きだす才は非凡である。読者は、偉大な芸術家とすぐれた鑑識眼とのスリリングな出会いという稀有な瞬間に立ち会うことができるだろう。」


目次:

パブロ・ピカソ
 ピカソの近作について
 通知状
 ルイ・カレ画廊でのピカソ展
 ピカソと人間喜劇、或いは大足の災難
 ピカソの初歩読本
 小文字のバルザックと大文字なしのピカソ
 ピカソとベラスケスのラス・メニーナス
 ピカドールのロマンチェロ
 「やあ、レリス! じゃあ君は仕事をしてるんだね?」
 「絵画は私より強い……」
 複製
 「時間の外に、ではなく……」
 画家とそのモデル
 言いあらわすこと
 台座のない天才
 作家ピカソ、或いは忘我の詩
 補遺
  ピカソのデッサン、ガッシュ、水彩
  マックス・ラファエル『プルードン―マルクス―ピカソ』
  言葉の仙境・一九四四年三月十九日……

アルベルト・ジャコメッティ
 アルベルト・ジャコメッティのような人物のためのいくつかの石
 切手やメダルのなかのジャコメッティ
 アルベルト・ジャコメッティ
 他の「石たち……」
 別の刻、別の痕跡……
 語り、書くジャコメッティ

フランシス・ベイコン
 フランシス・ベイコンの絵画が私に語ったもの
 人間的苦悩の画家
 フランシス・ベイコンの現在
 フランシス・ベイコンの大いなる賭
 アウトローの画家ベイコン
 フランシス・ベイコン、その顔と横顔
 リアリズムについて――フランシス・ベイコン宛ミシェル・レリスの五通の未発表書簡

レリスと画家、彫刻家たち――解説にかえて (岡谷公二)

図版一覧
初出一覧
主要人名索引



レリス イマージュのかげにⅠ 02



◆本書より◆


「「やあ、レリス! じゃあ君は仕事をしてるんだね?」」より:

「アストール通り二十九番地二号の画廊にもう一度行ったあと、私はラ・ボエシー通りを上っていた。そのとき私は、同じ歩道を、反対の方向から歩いてくるピカソをみかけた。したがって私たちは、数秒後にはすれちがうはずだった。どうすべきか? 挨拶すべきか(そうなれば、先日のまことに束の間の出会いをいいことにして、大画家に私のことを思い出させる、といった風に見えるだろう)。眼を真直ぐ前に据えたまま歩き、まるで彼の姿が眼に入らないかのようにするべきか(しかし相手がたまたまこちらを見覚えていたならば、途方もなく無礼に見えかねないだろう)。二つの解決法のどちらも気に入らなかった。それで私は、進退谷まってしまった。私はどちらとも決めかねるまま、どちらがいいかをまだ考えていた。そのとき私は、すぐ眼の前まで来たピカソが、私のほうに手を差し出し、まるで昔からの知合いででもあるかのように、「やあ、レリス! 元気かい? じゃあ、君は仕事をしてるんだね?」と言う姿を見た。私はもちろん、ひどく赤くなりながら、はい、と答えた。
 私がこうした逸話を話すのは、それが後に私にとって持つことになる極度の重要性のためだけからではない。それは、ピカソの天才のもっとも感嘆すべき面の一つを示しているように思われるからである。即ち他人がすることに対する無限の好奇心であり、誰をも対等に扱うことのできるすばらしい心の広さであり、台座の上にのってあがめたてまつられるようなことにはならず、探究心を少しも失わないように彼を仕向けた――生涯を通して――一種の方法的懐疑である。」



レリス イマージュのかげにⅠ 03

ピカソによるレリスの肖像。


「別の刻、別の痕跡……」より:

「アルベルト・ジャコメッティのアトリエの貧寒さと殺風景な有様とは、その日常生活のどのような面でも、彼をピューリタンだと思わせるものがなにひとつないだけに、厳格さのしるしとみなすべきではない。そこに吝嗇の証拠を見てとることもできまい。なにしろアルベルト・ジャコメッティは、耐久財に投資する性癖はまるでなかったけれども、束の間のもの――タクシー、レストラン、夜決まって出かけていったバー――には惜し気もなく金を使ったし、場合によっては、人並以上に気前よく振舞ったのだから。認めなければならないのは、この貧寒さが、彼にあってほとんど当初から現れている、どうしても必要なものと彼には思われないものに対する無頓着さ(無関心であって、道徳的な拒否ではない)からきているということだ。それをもってすれば核心に達すると思えるような、きわめて基礎的なものに固有の魅力にとらえられることと、アルベルト・ジャコメッティの芸術の発展とは、おそらく無縁ではないだろう。」


「語り、書くジャコメッティ」より:

「すすんで逆説を弄する一方で、正真正銘心を打ち割って語ることもある、きわめて話好きの人間だったアルベルト・ジャコメッティは、しばしば、弁護しにくいものを弁護する立場をとるのを、そして一般に、人の意見に異を立てるのを好んだ。といって、目立ちたいという気持はそこには微塵もなく、物の考え方にはさまざまな面があるのだという事実を人に感じさせる喜び、これが、(中略)この芸術家の心を駆り立てていたものだった。」


レリス イマージュのかげにⅠ 04

ジャコメッティによるレリスの肖像。


「人間的苦悩の画家」(ジャン・クレイとの対談)より:

「ベイコンにあって私をとりこにするのは――ジャコメッティの場合もそうですが――、彼の絵には有無を言わさぬ、まぎれもない存在感があるからなのです。人々がそれを美しいと思おうと、醜いと思おうと、そんなことはどうでもいい。ベイコンの絵は、人生そのものと同じくらい生き生きとしており、存在し、絵が掛けられている壁から私たちに向かって、比類なく力強く、輝かしく語りかけてきます。画家にとっての真の問題は、絵というこの自然の再現が、独立した生をそなえるようにすること、見る者に伝染し、たとえば一本の樹木や一脚の椅子と同様の、いやそれ以上のリアルな存在感を作品に授ける密度を持つようにすることです。」

「ああ、ベイコンは人を安心させたり、気持を和らげたりはしません。彼は、おだやかな絵画の作り手ではない。しかし先刻言いましたように、時代もそういう時代ではないのです。(中略)彼も戦争を生き、ナチズムや、死の収容所や、広島の話を聞いたのです。彼は事柄の根本を示そうとする。外見のかげには、恐怖があります。間近に見ると、真実は愉快なものではない。それは彼の過失ではない。ベイコンは理想主義者ではないのです。物事を正面からみつめようとしない人たちは、関心に価しません。」

「芸術作品によって乗り越えられるとき、きわめてきびしい真実も、別の様相を呈します。絶望の詩は人を絶望させません。すぐれた作品は、決して人の心をくじきはしません。私について言えば、愉快なものなど少しも必要ではありません。むしろそんなものは苛々させるでしょうね。」



「アウトローの画家ベイコン」より:

「ミリアム・グロスとのインタヴューのなかで、フランシス・ベイコンは、他のどんなつきあいよりも、道楽者とごろつきとのつきあいを好む事実を隠していない。ところでその芸術家としての活動のなかで、彼は、ホールドアップやハイジャックに類する行為を、現実に対し、実際に行っているように思われる。現実を画面に「胸を突き刺すようなかたち」で表現するためには、画家は、尋常の手段では目的とするところのものを手に入れることのできない火事場泥棒さながらの大胆さをもって、表現したいと思うものを鷲づかみにし、場合によっては強奪する必要があるのではあるまいか? それと並行して、(中略)賭博場とカジノの常連であるフランシス・ベイコンが、多くの絵において、しかるべき計画を立てて慎重に行動するよりも、一か八かの投機に出ているように見えることも指摘しておいてよい。」


「リアリズムについて――フランシス・ベイコン宛ミシェル・レリスの五通の未発表書簡」より:

「リアリズムをどう考えているかについて、小生のためにお教えくださり、ありがとうございます。小生も同様に、われわれが現実を把握するのは、われわれの主観性を通してであり、そのことからして、われわれが全く「客観的」になることなど決してありえないばかりか、われわれがトランスクリプトするのは、事物に対して抱くわれわれの知覚であって、事物そのものではないだけに、客観的であろうとすることなど全く馬鹿げている、と考えます。」

「結局小生がリアリズムに関して考慮するのは、外的現実との一致よりは、少なくとも一つの現実と同じだけの重みを持つなんらかのものに達しようとする主観的欲求です。」



レリス イマージュのかげにⅠ 05

ベイコンによるレリスの肖像。



こちらもご参照下さい:

ミシェル・レリス 『デュシャン ミロ マッソン ラム』 岡谷公二 編訳













































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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