ミシェル・レリス 『デュシャン ミロ マッソン ラム』 岡谷公二 編訳

「私は、七十歳まで、正道をはずれた、全くどうしようもない画家とみなされてきたんです。」
「私はフランスで、フランス芸術の癩病患者とみなされている、という印象を、一生持ち続けてきました。」

(アンドレ・マッソン)


ミシェル・レリス 
『デュシャン ミロ 
マッソン ラム』 
岡谷公二 編訳


人文書院 
2002年9月20日 初版第1刷印刷
2002年9月30日 初版第1刷発行
251p 著者・編訳者略歴1p 口絵(カラー)8p
A5判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,900円+税



「レリスとマッソン、ラム――解説にかえて」より:

「本書は、『ピカソ ジャコメッティ ベイコン』に続く、ミシェル・レリスの美術評論集の第二弾で、シュルレアリスムの画家たちに関するものを選んで、訳者が編集したものである。」


レリス イマージュのかげにⅡ 01


帯文:

「イマージュのかげにⅡ
シュルレアリスム
オートマティックな奔流
「愛するものだけについて語る」という規則の下に綴った特異な美術論」



帯背:

「イマージュのかげに**
ミシェル・レリス」



目次:

マルセル・デュシャン
 マルセル・デュシャンの工芸
 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも
 キュビスム展

ジョアン・ミロ
 「ジョアン・ミロをめぐって」、付載「修正と加筆」
 ジョアン・ミロ
 ミロのための彫刻した栗(マロン)
 ジョアン・ミロ
 バレエ「子供たちの遊び」の舞台装置

アンドレ・マッソン
 伝記 抄
 アンドレ・マッソン
 闘牛士(マタドール)の画家アンドレ・マッソン
 『アンドレ・マッソンとその世界』から
  アンドレ・マッソン
  手の砂漠
  アンドレ・マッソン
  スペイン (一九三四~一九三六年)
  大地
  神話
  偶像
  肖像画
 マルティニク島、蛇使いの女
 アンドレ・マッソンの想像世界
 手綱をはなたれた線
 アンドレ・マッソンとともに祝祭を
 ブロメ通り四十五番地
 演劇人アンドレ・マッソン

ウィフレード・ラム
 ウィフレード・ラム
 ウィフレード・ラムに
 ジレンマ
 ウィフレードのために
 穂、或いは墓碑銘

レリスとマッソン、ラム――解説にかえて (岡谷公二)

図版一覧
初出一覧
主要人名索引



レリス イマージュのかげにⅡ 02

口絵: ラム「蠅の皇帝ブリアル」(1948)



◆本書より◆


「闘牛士(マタドール)の画家アンドレ・マッソン」より:

「時代錯誤の衣裳、硬直化した儀式、姿勢を規制するさまざまなしきたりにもかかわらず、闘牛は、いま現在だけが価値を持つ芸術の好例である。(中略)予測できないものをすすんで認めるような部分がないため、生気を失っている多くのスペクタクルのなかで、闘牛(コリーダ)は、真の悲劇であるというはかりしれない長所をそなえているように見える。(中略)死と危険という高い代価で、一切が現金で、しかも一括で即金払いされねばならない闘牛という芸術のなかに、私たちが信用取引を認めるからこそ私たちに対してなにがしかの力を持つ多くの嘘っぱちで類型化したたくらみとは雲泥の違いのこの芸術のなかに、アンドレ・マッソンのような画家が、その天才にきわめてふさわしい、踏み台にすべき素材の一つを見出したとしても、そこには、単なる「幸運な偶然」といったようなものはなにもなく、むしろ、なんらかの宿命のしるしでないようなものはなにもないのである。」


「手綱をはなたれた線」より:

「マッソンにあって、線は、自分のやりたいようにしかやらない。(中略)めくら滅法に進むことを苦行として選んだマッソンにとって、線はアリアドネの糸以上のものでさえある。それは、迷宮の中でどこに自分がいるかを知るための手引だけでなく、刻々否応ないものとなって、測量士たる彼をひきずってゆく力でもある。」
「このことは強調しなければならない、線はここではおのれの思うままに振舞っていると。反復することもなく、悔いることもなく、決して「打ち消される」こともなく。その飛翔や、迂回や、気まぐれや、矛盾に委ねられて、線は自由に進み、こうして画家を、彼自身のもっとも内奥の部分まで連れてゆく。」

「流星、花押、泡の渦。直線であろうが曲線であろうが、線が自分のために切り開く道は、小学生たちの道、いたずら遊びをしながら行くのに好都合な唯一の道だ(ニーチェがダンスや鳩の歩みについて語ったのにならい、ここで、学校をさぼっての(エコール・ビュイソニエール)野歩きを云々してもいい)。
 それは、どんなに広かろうが、箱のような硬直した空間ではなく、これらの軌道を容れてくれる、ぽっかりとあいた、方向づけさえされていない空間だ。」



「ブロメ通り四十五番地」より:

「アンドレ・マッソンを通して、私は、ジョアン・ミロ(中略)だけでなく、私同様、ブロメ通り四十五番地の常連だった作家たちとも親しくなった。アントナン・アルトー(中略)、ジョルジュ・ランブール(中略)、といった人たちである。その一方少し後に、当時古代学の研究をしていたものの、そのような学問に少しも満足しておらず、そしてその優雅な、ブルジョワ的な外貌からは、タブー侵犯の精神などは毛ほどもうかがえなかったジョルジュ・バタイユの紹介者になったのは、私であった。」

「私たちはお互いにどれほど異なっていようと、そこには共通のトーンがあった。それは、驚異に対する激しい希求、日常の現実と縁を切ろうとする、或いはともかくそれを変容させようとする欲望から(と私には思われる)生れていた。少なくとも当初は、私たちにとって、改革するための改革も、なんであれ、革命を起こすことも問題にはなっていなかった。労働、家族、祖国、私たちを教育した人たちが認めていたこれらの価値観を、私たちは忌避――公然と、或いは暗黙裡に――した。だからといって私たちは政治家ではなかった。直接、或いは芸術的活動を通しての詩の探究が、私たちにふさわしい唯一の生活様式であり、加えて、社会が私たちに押しつける論理的な規則や道徳上の制約の束縛をこんな風にして振り払う――たとえ想像上だけのことであろうと――ことを楽しんでいたのだった。それを乗り越えるのが私たちの作品の目的だったこのような偏狭な文化の支配に対して、マッソンは、猛然と立ち上がっていたが、このような態度は、負傷兵として入院しているあいだ、狂人扱いされたほどの激しさで、西欧文明に対する否応ない嫌悪を表明した折に、すでに彼が示したものである。」



レリス イマージュのかげにⅡ 03

マッソン「賭をする男――ミシェル・レリスの肖像」(1923)


「ウィフレード・ラム」より:

「この時期を通じ、ウィフレード・ラムは、子供のときにかいまみ、いまでは一層よく知るに至った呪術と、同時に古典神話および西欧のオカルティスム(彼にとって無縁ではない。なにしろ彼は政治のうえではマルクシストであるにもかかわらず、その精神は、いかなる教条主義にもとり憑かれておらず、至るところに幸便を求めるのだから)が行った綜合の試みにも依拠しつつ、人間としてのあらゆる権利を要求するアンティル諸島の有色人種たる彼の運命と、同じように、人類が他の類よりまさっているといういわれはないのだから、もはや見下してはならない動植物のあいだにあって、一連のたえざる変動と破局に巻きこまれている人類の運命とを明らかにしようと企てたかのようだ。「一時期のあいだ、私は木であり、鳥であり、海底の黙した魚であった」、これは、アレホ・カルベンティエルがウィフレード・ラムに捧げた一文のなかで引用したソクラテス以前の哲学者エンペドクレスの言葉だが、ラムがこの時期に描いたすべての絵――そしてそれらに続く絵も――は、この言葉を、鋭い、或いは消えがての線と、或るときはおぼろな色彩による言葉、時によって変化はするが、習得した知識を越え、スタイル上の一切の先入観の外にあって、おのれの限界をとりのぞきたい、そして、宇宙においてまでも、単にアンティル諸島だけでなく、ほとんど至るところにおいて人間の生活を窒息させている障壁が消え去るのを見たいという同じ熱烈な欲求が画家に書きとらせた言葉によって翻訳したもののように見える。」


デュシャン ミロ マッソン ラム 5

ラム「蠅の皇帝ブリアル」(部分)。


岡谷公二「レリスとマッソン、ラム――解説にかえて」より:

「日本におけるマッソンに対しての無理解には、おそらく本国での評価も影響しているのであろう。実はフランスでもマッソンがピカソと並ぶ二十世紀の大画家と認められるようになったのは、比較的近年のことなのだ。晩年に行われたジルベール・ブロウンストーヌとの対話のなかで彼は言う。

  掛値なしに、呪われた画家を気どることなしに、国立近代美術館での回顧展のときまで、このような無理解が続いたと言えます。ですから私は、七十歳まで、正道をはずれた、全くどうしようもない画家とみなされてきたんです。

  私はフランスで、フランス芸術の癩病患者とみなされている、という印象を、一生持ち続けてきました。

 このような無理解はどこから生れたのか? 彼の描いた多くのエロティックな絵画やデッサン、虐殺といったテーマが一因をなしているのはたしかであろう。しかしそれは、表面的なことにすぎない。真の理由は、彼が、理性、秩序、均衡というフランスの伝統に真向から逆ったからである。」




こちらもご参照下さい:

ミシェル・レリス 『ピカソ ジャコメッティ ベイコン』 岡谷公二 編訳






























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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