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岡谷公二 『南の精神誌』

「なにもない、とは、全き帰依のあかしである。この場合、それは、空虚や欠失ではなくて、充溢であり、透明さであり、きわめて豊かな何かである。無が実となり、有が空虚に転ずるとは、沖縄の人々の信仰の根底にある逆説だと言っていい。」
(岡谷公二 『南の精神誌』 より)


岡谷公二 
『南の精神誌』


新潮社 
2000年7月25日 発行
207p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,600円+税
装画: 田中一村
装幀: 新潮社装幀室


「初出 「新潮」 1999年12月号」



岡谷公二 南の精神誌


帯文:

「神はどこから来て、どこへ帰るのか?
神社の原型は、沖縄の「何もない森」御嶽(おたき)にあった。」



帯背:

「日本人の精神と、
神々の残影を辿る旅」



帯裏:

「神々は、海の彼方から森に降りる
返還以前より幾度となく繰り返された沖縄探求の総決算が、一つの答えを導いた。
沖縄を初めとする南方の島々に存在する、社殿も鳥居もない森の聖域「御嶽(おたき)」。
それこそが、日本人の信仰の原点である。
折口信夫、柳田国男らの足跡を辿りつつ、原初の神の影を追う。」



目次:

第一章 三宅島にて
第二章 八重山の歳月
第三章 旅の印象
第四章 御嶽の思想
第五章 原初の神社を求めて

参考文献一覧



本書より:

「三宅島は二度目だった。最初に来たのは、もう三十年以上前のことだ。
 白んだ空一杯を占め、雨気を孕んだ暁闇をまとい、雄山(おやま)の山頂から漆黒の滝となって船に襲いかかってくるかのような大きな島影――それは、断続してひびきわたる汽笛の音に眼をさまして三等船室から甲板に出てきた私が、はじめて眼にした三宅島だった。こちらを圧倒する、古生代の怪物じみた、得体の知れないなにものかの前に突然引き出されたかのような怖れが、三十余年経った今も、私の中に尾を曳いている。」

「私が島を再訪した直接の動機は、島の式内社を見てまわるのと、亀卜のあとをたずねるためだった。
 私が式内社に関心を持つのは、神社の原初の姿を知りたいからだ。(中略)私は、柳田国男、折口信夫らが究めようとした日本の神々が、今なお私たちの心の奥深くに生き続けている、と考えている。(中略)こうした神々に対する信仰は、勿論今ではあらかた失われてしまっているが、その心性だけはいまだに残っていて、漠として捉えがたい形をとりながらも、私たちの生活をひそかに支配しているように感じられる。
 この信仰には、経典も、聖人伝も、信仰告白の記録も、神像もない。一千年余にわたって脈々と続きながら、これほど可視の痕跡を残さなかった信仰は珍らしい。それは、形あるものをむしろ忌んでいるようにさえ見受けられる。」

「神社において、社殿、いや、社殿を含め一切の人工物が二次的な存在であることを、はっきりと私に教えてくれたのは、沖縄の御嶽(おたき)だった。沖縄では今でも、建物の類が一切なく、クバ、アコウ、福木、ガジュマルなどの茂った森だけを、神を祀る場所としているところが多い。そうした森の中に立っていると、人々の心が神に向って純一になり、透明になってゆくのが実感でき、その一方、神の空間を占有する人工物が、そうした心の動きを妨げ、阻害するのがわかる。
 柳田国男や折口信夫が言うように、沖縄の信仰が古神道の面影を残しているのならば、神社のありようも、かつては御嶽と同じだったはずだ。そしてそうであるならば、何もないことを尊ぶ心の傾きは、たとえ信仰が失われたとしても、私たちのどこかにひそんで、今なお私たちの生活をひそかに導いているはずだ。」

「なにもない、とは、全き帰依のあかしである。この場合、それは、空虚や欠失ではなくて、充溢であり、透明さであり、きわめて豊かな何かである。無が実となり、有が空虚に転ずるとは、沖縄の人々の信仰の根底にある逆説だと言っていい。」

「私一個人の経験について言うならば、御嶽に対して抱く関心の中には、エキゾティシズムに類するものはなにもない。御嶽の森を望み見る時、私の感じるのは、或る言い難いなつかしさ、としか言いようのない感情である。それは、私の心のどこかに深い刻印を残しているのに、長いこと忘れ去っていたものに不意に出会った時の感情だ。東京で生れ、東京で育った私は、沖縄にゆくまで、写真であれなんであれ御嶽を目にしたことはなかったし、知識さえ全く持っていなかった。それなのに初めて御嶽の森の中に入った時、私の体はたしかにその空間をはっきりと覚えていたのである。」

「ここでは、人々は、信仰を眼に見えるもの、形あるものにすることを慎んでいる、或いは自らに禁じている。神をはじめ、不可視のものこそ尊いのであって、可視となった途端、一切は価値を失うかのようだ。この場所を支配しているのは、顕在化とは逆の、伏在化への意志である。いや、意志という言葉は当らない。それ以外のありようなどはじめから存在しないかのように、一切がごく自然にそうなっているのだから。」

「南という方角の意味を私に教えてくれたのは、ポール・ゴーギャンである。そのころ私は、彼がタヒチから妻や友人たちに書いた手紙を、出版の当てのないままに訳すほど、その作品と生き方に私淑していた。彼にとって、南は西欧、つまり北の対蹠であった。「ヨーロッパは腐敗している」と彼が断じる時、南はいきいきとした幻となって彼の前に立ち現われる。北が合理であり、秩序であり、計算であり、金銭だとすれば、南は本能であり、快楽であり、想像力であり、アナーキーだ。彼はこうして西欧に背をむける。彼は、北の人間として一旦は死に、南――具体的にはタヒチ――で、野蛮人として、「インディアン」として生れかわろうとする。タヒチは勿論楽園などでありはしなかった。とりわけ第二次のタヒチ滞在は、病気と貧困のため地獄の様相すら呈しており、彼は実際砒素を飲んで自殺をはかりさえするのである。それにもかかわらず、ヨーロッパに戻ってこないかという知人のすすめに対して、彼は断固として言い放つ。「それは、私の名とこれまでつづけてきた私の生涯とをはずかしめることになりましょう。(中略)これまであなたの生き甲斐となってきた考え方を捨てねばならないとなったら、それ以上生きたとて何になります。(中略)」」

「逆説的な言い方をするならば、ゴシック建築に典型的にあらわれているあの堅固さと秩序、物質――石――に対する絶対の信頼が、ゴーギャンをタヒチやヒヴァオア島へ連れてゆき、その生き方を全うさせたのだ。彼は、南を楯にして、北と真に対立することができた。対立の緊張の中に、彼の生と作品のすべてがあった。ゴーギャンは西欧を嫌悪したけれども、彼ほど西欧を体現した人間は稀である。
 私たち日本人は、このような対立を生きることができない。(中略)これまで見てきたように、南は、日本と対立する場所ではないのだから。」

「二十五、六の、小柄な、島の人にしては顔の青白い、生毛めく無精髭をうっすらと生やしたその青年は、言語動作が一寸変っていた。まず驚かされたのは、その足の早さだった。まさに飛ぶが如くで、普段人から足が早いと言われる私でさえ、ついてゆくのに骨が折れた。まるで、機を失すると、ヤガン御嶽に異変が生じて、見ることができなくなるとでも思っているみたいだった。そしてみちみち、右や左を指さして、一切説明抜きで途方もないことを言う。たとえば、樹木の生い茂っている御嶽らしい場所をキリストの墓だと言ったり、遥か彼方の、波しぶきの上っているのが見える西岸の断崖を、猫が自殺するマヤマブシという場所だと言ったりするのだ。こんな孤島にキリストが来たとはとても思えないが、東北の八戸にもキリストの墓があることだし、切支丹にまつわる場所がそう誤り伝えられたとすれば、いくらかは納得がゆく。しかし猫の自殺となると、見当もつかない。
 あとで民宿の主人にたずねると、マヤマブシは、砂糖黍畑に出る鼠を駆除するためどの家でも飼っている猫が死ぬと、首を紐で縛ってさげてゆき、海に投げ棄てる、いわば猫の葬所とのことであった。
 谷川健一氏の『続日本の地名』の中に、沖縄では猫が死ぬと、埋葬はせず、海の見える公園などの樹に死体を吊しておく、という話が記されている。沖縄では、かつては風葬が広く行われていたが、谷川氏も言うように、これは、人間に関してはとうの昔にすたれた葬法の名残りなのであろう。そして実際、粟国島の西岸の断崖にうがたれた洞窟は、かつては人間の風葬の場所だったのである。
 北の海岸へと下りてゆく崖の途中に石の鳥居があり、「洞寺」と書いた額がかかげられ、その少し先に深い洞窟がある。青年の言によると、首里から流されてきた僧侶の死んだ場所で、洞窟の中には今でもその骸骨があるとのことだった。」





こちらもご参照下さい(本書と同時刊行):

谷川健一 『神に追われて』











































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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