中野美代子 『チャイナ・ヴィジュアル』

「かくして、中国には、遺址としての廃墟は存在しても、表象としての廃墟は存在しないことがあきらかとなった。詩的表象においても、植物を介してのレミニサンスにとどまる。ピラネージは、ついに、中国には生まれなかったのである。」
(中野美代子 「中国廃墟考」 より)


中野美代子 
『チャイナ・ヴィジュアル
― 中国エキゾティシズムの風景』


河出書房新社 
1999年5月15日 初版印刷
1999年5月25日 初版発行
321p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,900円+税
装幀: 高麗隆彦



「視覚型人間の私の目に見えたチャイナ・イメージの一断面」(本書「あとがき」より)。
「あとがき」には「はなはだ統一を欠いた雑文ども」とありますが、著者の小説『カスティリオーネの庭』(1997年)の副読本としても利用できるし、本書に収録されたヴィジュアル・イメージのいくつかは、のちの『綺想迷画大全』(2007年)において、今度はカラー図版とともに再び取り上げられています。

本文中図版(モノクロ)多数。


中野美代子 チャイナヴィジュアル


帯文:

「画・庭園・建築・文字・装飾……
豪奢な想像力と倒錯的細密。西洋文化受容で畸型化した「もの」たち。眼の快楽にみちびかれて、摩訶不思議な中国を解剖する。異貌のシノロジー図像学。」



目次 (初出):

Ⅰ エキゾティシズム
 ジュゼッペ・カスティリオーネ――清朝宮廷画家の絵画と円明園 (『チャイナアート』 NTT出版 1999年)
 円明園西洋楼後日譚――廃墟の時間 (『カスティリオーネの庭』 跋 文藝春秋 1997年)
 西方への疾走――カスティリオーネの馬たち (『世界美術全集』 東洋編第9巻 月報 小学館 1998年)
 郎世寧グッズ――よみがえるカスティリオーネ (「日本経済新聞」 1998年2月28日夕刊)
 異教より異宝を――清朝のヨーロッパ受容 (「書の宇宙」 第22冊 二玄社 1999年)
 まぼろしの「祺祥重宝」――香港返還から思い出すこと (「季刊 方泉處」 19号 1997年秋)
 「中国輸出画(チャイナ・エキスポート・ペインティング)」――チネリー派の画家たちと初期香港 (「ていくおふ」 全日空広報誌 第79号 1997年)
 レジデンシーと円明園――インドと中国の西洋楼 (「別冊文藝春秋」 1998年冬)

Ⅱ クロノス・ヴィジュアル
 宋代風俗画の世界――くらしの図像誌 (NHKスペシャル 『故宮―至宝が語る中華五千年』3 日本放送出版協会 1997年)
 中国廃墟考――紙上の楼閣から廃屋まで (谷川渥監修 『廃墟大全』 トレヴィル 1997年)
 天の橋と地の橋――胎内への道 (「日本の美学」 28 特集・橋 ぺりかん社 1998年)
 鳥は鳴き、かつ語る――鳥籠時計やら「鸚鵡地図」やら…… (『鳥かご・虫かご』 INAX出版 1996年)
 パンテオンの日時計――クーポラの穴から陽光が…… (「学鐙」 1996年1月号)

Ⅲ スクリプト・ヴィジュアル
 風景を侵す文字――「自然」を権威づけるもの (「月刊しにか」 1996年10月号 特集: 中国の「書」)
 スクリプト・ヴィジュアル――読めない文字の読みかた (書きおろし)
 ジョットとパスパ文字――文様としての文字 (「月刊言語」 1991年1月号)
 滅びる文字と生きる文字――文化意志の問題として (「朝日ジャーナル」 1976年4月6日 特集: 当用漢字――この非文化的存在)
 四角い宇宙は生きのびる――漢字文化圏の末来 (「月刊しにか」 1990年4月号 創刊号 特集: 漢字文化圏を考える)
 難読字カタログ――中国神怪命名考 (「月刊言語」 1997年4月号)

あとがき
初出一覧




◆本書より◆


「滅びる文字と生きる文字」より:

「文字は、たしかに「人民のもの」であった。しかし、約束された明確な形式をもたない限り、絵とも文字ともつかぬそれぞれ勝手なシンボルは、絶対に文字とはいえぬのである。絵とも文字ともつかぬそれぞれ勝手なシンボルが形式のなかにいったんもぐりこみ、抜け出た瞬間こそまことの文字の誕生であり、その形式をつくったのが、私のいう文化意志ということになる。そして、この文化意志には、すぐれて「意志」的な政治的権力者の選択と決断が参与していた。
 魯迅が、「文字は人民のあいだから芽生えたのだが、芽生える片はしからきまって特権階級の手にとりまとめられてしまった」と述べるとき、人はなるほどと思って古代をふりかえる。ふりかえっても、くだんの文化意志なるものはどこにも見えない。黒滔々たる夜のような暗闇のなかに、人類共通のどろどろとした原質がおぼろに見えるだけだ。そのような原質を素手でさぐりたいという嗜欲を私ももっているけれども、そのような古文字学(パレオグラフィ)への興味とはまたべつに、私の思考の原点は、絵とも文字ともつかぬそれぞれ勝手なシンボルが形式をくぐり抜けて出てきた瞬間の、曙光を浴びた文字の誕生にあるのだ。
 エルンストの《マクシミリアナ》は、はじめからこの曙光を浴びることを拒否していた。決然と、拒否していた。文字がそのもっとも初歩的な機能としていることばの伝達さえ、拒否していた。それは、在野の天文学者としてマクシミリアナ惑星を発見しながらアカデミズムから締め出しをくらったヴィルヘルム・テムペルに捧げるオマージュとしてはふさわしいものであった。」
「エルンストが文字に似た図形を書きつらね、夜の星座に擬したその底には、権力者の強い文化意志によって形式という名のトンネルをくぐり抜けなければその機能を発揮しえない文字にたいする、ひそかな、しかしはげしい抵抗があったと思われる。かれは、そこに大きな文化意志を賭けていた。そして、その文化意志は、文字を成立させるためにはたらいた権力者の文化意志とほとんど拮抗するのである。
 この二種の文化意志は、天と地ほどにへだたって両極に位置しているが、そのなかほどに、あいまいに浮遊している文化意志がある。パスパに文字をつくらせたフビライ・ハーンの文化意志は、まさしくそれにあたるであろう。」










































































































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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

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将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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