ホフマンスタール 『チャンドス卿の手紙 他十篇』 (檜山哲彦 訳/岩波文庫)

「なにかしら奇異な事柄にだれよりもはやく気がつくというのは容易なことではないものである。概して人間には、あるがままにものを見る力はそなわっていないのだ。」
(ホフマンスタール 「ルツィドール」 より)


ホフマンスタール 
『チャンドス卿の手紙 他十篇』 
檜山哲彦 訳

岩波文庫 赤 457-1

岩波書店 
1991年1月16日第1刷発行
320p 
文庫判 並装 カバー 
定価570円(本体553円)



本書「解説」より:

「ホフマンスタールの初期から中期にかけての、主として短い散文の作品を集めた。(中略)まず小説を四篇、ついで架空の手紙と対話とをそれぞれニ篇ずつ、さらに紀行文およびそれに類するものを三篇、あわせて十一篇の作品を、ほぼ発表年代にしたがって並べてみると、ごく自然に、フィクションからノンフィクションへのゆるやかな移行、とでも呼ぶべきかたちの構成になった。」


ホフマンスタール チャンドス卿の手紙


カバー文:

「何ごとかを語ろうにも「言葉が腐れ茸のように口のなかで崩れてしまう」思いに、チャンドス卿は詩文の筆を放棄する。――言葉と物とが乖離した現代的状況をいち早くとらえた「チャンドス卿の手紙」こそは、新しい表現を求めて苦悩する20世紀文学の原点である。ホフマンスタール(1874―1929)の文学の核心をなす散文作品11篇を精選。」


目次:

第六七二夜のメルヘン
騎兵物語
バッソンピエール元帥の体験
ルツィドール
   *
チャンドス卿の手紙
詩についての対話
恐れ
帰国者の手紙
   *
道と出会い
美しき日々の思い出
ギリシャの瞬間

解説 (檜山哲彦)




◆本書より◆


「ルツィドール」より:

「フォン・ムルスカ夫人は真の教養を身につけた人であり、しかもその教養にはいささかも浅薄月並なところはなかった。(中略)ところが、その頭のなかは、さまざまな体験、臆測、予感、錯覚、激情、見聞、不安といったものでひどく入り乱れており、本から得たことなどにかかずらわっている暇はなかった。夫人の話はひとつの対象から別の対象へとギャロップで進み、まったく思いもよらない飛躍をみせた。その落ちつきのなさは同情をもひきおこす底のものであり――話を聞いていると、本人みずからがことさら言わなくとも、彼女が狂わんばかりの不眠症に悩まされていて、気がかりなことや不安なことや実現しなかった願望のために憔悴していることがよくわかった。とはいえその話に耳傾けているとじつに楽しく、またじっさいそれはふしぎな体験でもあった。みずから望んで慎みを忘れるというわけではないながらも、ときとしてすさまじく無分別になることがあった。(中略)とても気立てがよく、とどのつまりはチャーミングであり、けっして並みの女性ではなかったのだ。しかし、生活の苦労に堪えきれないままに頭が混乱してしまい、四十二にしてはや夢幻(ゆめまぼろし)めいた人物になりおおせてしまっていた。夫人の下す判断や抱いている観念のほとんどは独特なもので、魂の繊細さをよく示していたが、ほとんどの場合、いま話題にのぼっている当の人物ないし状況へのかかわり方がひどく誤っているために、その判断や観念はまったく見当ちがいになってしまうのである。」


「詩についての対話」より:

ガブリエル (中略)象徴とはなにか、君は知っているか。……犠牲がどんなふうに生じたのか、想像してみる気があるかな。前にいちど話しあったような気がする。ほら、生贄(いけにえ)の動物、犠牲として捧げられる牛や牡羊や鳩の血と生命(いのち)のことだ。どうやって思いつくことができたのだろうか、犠牲を捧げることによって怒った神々を宥(なだ)めようなどと。そうしたことを考えるには、ふしぎな感覚が必要だ。朦朧(もうろう)として生命(いのち)に酔い痴れるオルフェウスめいた感覚が必要なのだ。最初に生贄を捧げた男の姿が眼に浮かぶような気がする。その男は神々が自分を憎んでいると感じた。(中略)そのとき男は、狭苦しい小屋と心の不安の二重の闇のなかで、そりかえった鋭いナイフに手をのばし、この眼に見えぬ恐ろしいものを喜ばせるために、自分の咽喉から血を流そうと覚悟をきめた。不安と激情とまぢかな死とに興奮して、そのとき男の手はなかば無意識のうちに、いまいちどあたたかくゆたかな牡羊の毛をまさぐっていた。――この生き物、この生命(いのち)、闇のなかで息づき、血の温(ぬく)みをもったこのものが、自分にかくも身近に、かくも親しく……と、とつぜんナイフがこの動物の咽喉にさっとひらめき、温かな血が、牡羊の毛を、男の胸を、腕をしたたり落ちた。そしてその一瞬のあいだ、男はそれが自分の血だと信じたにちがいない。肉体の歓びに満ち足りて自分の咽喉からもれてくる声と、牡羊の死にぎわの呻き声とがまじりあうその一瞬のあいだ、高潮した生存の快楽を、迫りくる死の最初の痙攣(けいれん)だと思ったにちがいない。その男は一瞬のあいだ、その動物のなかで死んだにちがいない。ただそのようにしてのみ動物は男の身代りとなって死にえたのだ。動物が身代りとなって死にえたという事実が、偉大なる秘儀となり、神秘にみちた大いなる真理となった。それ以来動物は象徴的な犠牲の死を身に受けることになった。しかしすべては、男もまた一瞬のあいだ動物のなかで死んだ、ということにかかっていた。男の存在がひと呼吸のあいだ他の存在のうちに溶けあったという事実に。――これがあらゆる詩(ポエジー)の根源だ。」

クレメンス 男は動物のなかで死んだ。そしてぼくらはさまざまな象徴のなかに溶けこむ。そう言うんだね。
ガブリエル そうだ。ぼくらを魅惑する力が象徴にそなわっているかぎりにおいては。
クレメンス その力はどこから象徴にやってくるんだ。どのようにして男は動物のなかで死ぬことができたんだ。
ガブリエル それは、ぼくらと世界とが別々のもの異なったものではない、ということからだ。
クレメンス その考えにはなにかしら奇異なところがある。不安な気持をおこさせるものがある。
ガブリエル 逆だよ。限りなく心安らかなるものだ。自分の重さの一部がなにものかにゆだねられているのを知ることは唯一心地よいことなのだ、たとえそれがほんのひと呼吸の限られた神秘の時間であるにせよ。ぼくらの肉体のうちには息苦しくなるくらい宇宙万物森羅万象が凝縮されている。この恐るべき重さからいくえにいくども解放されるのはなんという歓びだろう。」

ガブリエル (中略)ぼくらの魂を養い育むもの、それこそが詩なのだ。刈ったばかりの牧場(まきば)をなでる夏の夕風のように、詩にあっては生と死の息吹きが同時にぼくらへと吹き寄せてくる。開花の予感が、死滅の戦慄が、「今」が、「ここ」が、そして同時に、彼岸が、おそるべき彼岸が吹き寄せてくる。完璧な詩は予感であると同時に現在、憧憬であると同時に充足なのだ。」



「帰国者の手紙」より:

「ラーマ・クリシュナという名をこれまでに聞いたことがあるだろうか。なくてもいっこうにかまわないが。(中略)その生涯については少なからず知ってはいるが、なかでもいちばん心を打つのは、その悟りないし覚醒がいかにしておこったか、つまり、ラーマ・クリシュナを人々のうちから選び出し聖者とならせるにいたった体験についての短い言い伝えだ。要はただこういうことだ。十六歳の少年の頃、畑のあいだの田舎道を歩きながら眼を空に向け、はるか高みを一列になった鷺が横切ってゆくのを見た。ただこれだけのことなのだ。まさにこの紺碧の空のもとを羽ばたきゆく生き物の白、まさにこのふたつの色の対照、この永久に名づけうべくもないものが、その瞬間クリシュナの魂のなかへはいりこみ、結ばれていたものを解きほぐし、解かれていたものを結び合わせたのだ。」



こちらもご参照下さい:

川村二郎 『チャンドスの城』

















































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本