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高橋巌+荒俣宏 『神秘学オデッセイ』 (新装版)

「ルドルフ・シュタイナーは人智学を認識の山の中腹にたとえたことがある。その山の裾野には人類学の分野が拡がり、その山頂には神智学の叡智が輝いている。人智学はその麓(ふもと)から頂上までの間に道をつける仕事を受けもっている、というのである。実際、「道をつける」という言葉は人智学の本質をいちばん適確にいいあわらしているように思われる。その本質はいわば認識における菩薩行とでもいうべき態度であって、別の世界観、人生観もしくは価値観を批判して、自分の立場を主張しようとすることに、人智学は関心をもたない。(中略)『自由の哲学』の根本思想に従って語れば、問題なのは、全く自由な態度で道のない地点に立つことなのである。そして人智学の本質はひとえにこのことの意味を明らかにしようとすることの中にある。なぜならそのような地点に立つときにのみ各人の内にひそむ「直観」の能力が目覚めてくるからである。そして「直観」による創造的な行為、いわば人生における美的芸術的な行為だけが、たとえ個々の場合にそれがまちがった方向に行ったとしても、個人の尊厳を保証してくれるのである。」
(高橋巌 「人智学」 より)


高橋巌+荒俣宏 
『神秘学オデッセイ
― 精神史の解読』

Odyssey through Occult Philosophy | Deciphering the Spiritual History of Man


平河出版社 
1982年12月10日 第1刷発行
1988年10月20日 新装版第1刷発行
240p 目次2p 図版(カラー)2p 折込1葉
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,500円
装丁: 中垣信夫+早瀬芳文



神秘学対談。



高橋巌 神秘学オデッセイ 01



帯文:

「人類の隠された
もう一つの歴史をたずねて、
われわれは、今、大いなる航海に出る。
好奇心を道連れに!」



カバーそでには高橋・荒俣両氏紹介文。


目次:

第一章 総合の学
 幻想文学からヨーロッパ精神へ
 神秘学への架け橋
 月光派志願
 コンピューター世界に調和美を見る
 脱パートタイマー神秘主義者
 人間を読む読書法
 かけがえのない人生
 部分の学から総合の学へ
 「目醒め」と「ボケ」の二方向性
 菜食主義者の意外な側面
 十九世紀オカルトシーン
 東と西の循環潮流
 「魂」の新局面
 シュタイナーの「人智学」
 人類文化のルーツ探し
 革命思想の輸出入
 日常の中で「普遍」と出会う

コラム
 菜食主義+動物保護+反生体実験運動史[西洋]
 実現されなかったユートピア
 十七+十八+十九世紀の時代精神比較表[神秘学関係]

第二章 精神史の解読
 シュタイナーの原点とは
 神話復興運動と十九世紀精神
 シュタイナーの歴史観・七つの文化期
 一般と個別の対応式
 フランス精神対ドイツ精神
 生まれながらのロマン派・シュタイナー
 徹底した勉学と多彩な交遊
 オカルティストとしての出発
 自大を見つめつづけた壮絶な人生
 シュタイナーの日本への影響
 民族と地霊
 近代精神の原風景
 ユニバーサリズムと薔薇十字
 フリーメーソン・真理の伝承者
 ロマン主義・根源への回帰
 博物図鑑から時代精神を読む
 近代における集団の論理
 未来に向かうスクールの精神

コラム
 神秘的生物分類法[二例]
 人智学 (高橋巌)
 神智学協会史 (高橋巌)
 哲学的言語・人工言語創造史
 ロマン派図版集
 博物学図版集
 近代ユートピア建設・思想年表

折込
 世界の革命運動史と秘密結社関連表

第三章 神秘学待夢(タイム)
 隠れた賢者
 ファンレター少年の軌跡
 時代で変わる本の運命
 戦争を超える道
 オカルティストの人脈図
 埋もれた名著

日本最近十年間 神秘学関連年表

参考文献
引典一覧
脚注索引




高橋巌 神秘学オデッセイ 03



◆本書より◆


「第一章 総合の学」より:

高橋 『神智学』のひとつの大事な問題点は人間関係、つまり相手の運命と自分の運命との結びつきを、どう発展させていくかという点にあると思います。しかしこの問題は決して容易なことでは解決できません。(中略)おそらく私たちは皆、この問題をかかえたまま何度も何度も輪廻転生を繰り返すことになるのでしょう。けれども輪廻転生という点から見ますと、仮りに今の私にとって、二十世紀に生れあわせたこの人生は一回限りであって、今度生まれたときの私はどこに行ってしまっているのかわかりません。何百年先か何千年先かも、そのときに男になっているか女になっているかもわからないのです。
 そうすると、仮りに輪廻転生をどれほど繰り返すことになるとしても、今の人生はかけがえのないものであり、一度失われた状況を再び取り返すことはできないのだと思わざるをえません。そこでかけがえのない人生を精一杯生きようとして、自分にできるありとあらゆることをやってみるとしても、ゲーテが『ファウスト』の中で書いているように、「人間は努力する限りは迷う」存在ですから、ますます自分をも他人をも傷つけてしまう結果になりかねません。この点は一見どんなに派手な生き方をしても、どんなに地味な生き方をしても、たいした違いはないわけです。たとえばひとりの人を愛しても、百人の人を愛してもたいした違いはなく、ひとつの仕事に就いた場合にも、百の仕事に就いた場合にも同じことがいえるわけです。ある場合にはずっと山にこもったほうが豊かな人生で、いろんな人とつき合っていろんな境遇を経たほうが貧しいということもあるかもしれないのです。そこで考えられるもうひとつの問題は、どんな豊かな人生を送ったかではなく、「迷い」そのものにどこまで神秘学からの「意味づけ」を与えることができるかということなんです。」



「第二章 精神史の解読」より:

高橋 戦前に岩波の哲学講座で本多謙三という人が「有機的自然観」というたいへん優れた論文を出していました。そこでは、ヘルダーとゲーテとシェリングとを取りあげていまして、ドイツにおける有機体思想の展開を整理したものなんです。そういう人たちの中に明らかにあらわれているのは、宇宙もしくは大自然をどこまで生命体として考察できるか、もしくは大宇宙と小宇宙との照応関係をどう論理化するかという点をめぐっての強い問題意識です。その際、生命を対象とするうえで、最小の単位となりうるものは分子や原子や素粒子ではなく、それ自身のうちに一般を内包する個体なんです。ですから、ライプニッツやジョルダーノ・ブルーノのモナドにはるかに近いわけです。モナド理論はさかのぼればエピクロスからアリストテレスまでいくんですが、モナドとはアリストテレス以来、「一般」と「個別」とをともに生かしながら、その時々の時点でその都度かけがえのない独自な存在方式を生みだしていく内的固有性――つまりシュタイナーのいう「魂」にほかなりません。これが有機的世界における最も基本的な構成要素となっています。」

高橋 右翼思想とシュタイナーの関係でひとことだけつけ加えますが、シュタイナーは「民族」というものをたいへん重要視していて、オカルティズムの究極の目標は個人が民族に還ることだとさえいっているんです。(中略)しかし、シュタイナーのいう民族に還るということは、仮りに過去に栄光を背負ったある民族が今は衰退していても、霊性を発達させた人がその民族の中に己れを同化させることによって、その民族が新たな生命を得て甦り、再び新しい文化を生みだす能力を獲得するようになるその過程の問題なのです。ですから保守主義的態度をとるわけではありません。人類の未来のために、ある民族の創造性をいかにして甦らせるか、ということなのです。」
荒俣 民族という概念は、最初はやっぱり土地から出てきますね。(中略)ところが人間の生活様式は「土着」を必要条件としなくなって以来、科学や技術も、民族概念すらも変化しました。占星術が忘れられ、血統などという生物的な縁起が重視されるようになるのは、そのせいでしょう。たしかに占星術は「全体」を研究するシステムではありますが、同時に自分がそのなかでどこにいるかということをつねにアイデンティファイしなくてはいけないわけです。ある一定の土地で行なわれている神聖な儀式に参加すれば、それで民族の成員となる資格を得るわけですね。(中略)自分が地球のどこにおさまるべきかという居場所(アドレス)の問題、さらにいえば民族の所在は、本来そういうものだったはずです。(中略)生物学的な血統のつながりは、むしろ仮りのものにすぎません。そういう点では民族主義がユニバーサリズムと対立すべきいわれはないともいえるのです。(中略)では儀式にはどういう意味があるのかと考えますと、それはやはり、自分たちを創造した根源的な存在との交通だと思うんです。意識とか自我とか地位とかは、われわれがこの存在から仮りに借り受けるだけのことです。」
高橋 私たちが特定の土地の人種や文化に深く関わりをもつとき、それが人間のどの部分で関わるのか――肉体の次元なのか、エーテル体の次元なのか、アストラル体の次元なのか、または自我の次元なのか――ということを考える必要があります。肉体の次元では私たちは特定の民族の一成員ということになると思いますが、エーテル体の次元あたりからだんだん漠然としてきて、区別が不明確になっていきます。そしてアストラル体の感情のはたらきになると、民族間の区別はあまり決定的ではなくなってきます。そして自我は全く個人の問題としてしか捉えることはできません。ですから人間の意識が進化するにしたがって、血統よりは霊統による区分の方がこれからは重要になってくると思います。日本人の中のこの人(またはグループ)とアメリカ人の中のこの人(またはグループ)との関係のほうが、日本人の中のこの人やこのグループと別の人や別のグループとの関係よりももっと親しくなりうるということです。ではそこで最後に残る最大の障害は何かというと言語ですから、その問題をどう考えるかが今後の課題となってくるわけです。」

荒俣 余談なんですが、私はロマン主義時代のヨーロッパ各国の博物図鑑に興味があって収集に精を出しているのですが、じつはこれを見ると、国別の表現の特徴がかなり正確につかまえられるんです。たとえばフランスの博物図鑑の場合、たいへん正確で色もはっきりしていて美しいものが多いのですが、ひとくちにいえば剥製の描写なんですね。生きていないといいますか。(中略)一方、イギリスの場合は非常に不思議な図鑑をつくっていて、十八世紀の終わりから十九世紀の初め頃にかけて、とくに面白いのが出ています。イギリスの図鑑はひとことでいえば、完全なロマンチック絵画なんです。有名なものに、(中略)『花神の殿堂』という花の図鑑があるのですが、植物図というよりそれぞれが一幅の絵画になっています。その背景がまた非常に不思議で、たとえば夜に咲く月下美人の類の花ですと、画面のまん中に咲く花の絵が大きく描かれていて、その背後は、うらぶれたイギリスの片田舎の真夜中の時計台の風景なんです。月が耿々と照っていて、時計は真夜中を指しているんです。(中略)もっと凄いのはドラゴン・アルムという植物の図でしてね。これは当時、毒があるとされていた花なんですが、これが荒びた山の中に咲いているんです。ところがこの山には雷が落ちているんです。ちゃんとそう描いてあるんですね。ピクチュアレスクからゴシックへの気分の転移が、ここにみごとに表現されています。(中略)図鑑の製作者によれば、われわれはこの植物図鑑をつくるにあたり、植物がどのような状況の下にあるのかを重視した。植物は単なる景物ではなく、周囲に雰囲気を醸しだす「影響力ある存在」だ、そこでそれぞれに非常に相応しい背景を選びとった、と記してあります。
 この本だけでなく、当時のイギリスの植物図鑑の決定的な特徴は、対象が生きているという点です。(中略)こうした生物に対するロマンチックな捉え方が絵画となって図鑑にあらわれてくる――これはたいへん面白いことだと思うんです。」

荒俣 十九世紀の天才数学者でガロアという人がいましたね。彼は二十歳そこそこで決闘で死ぬわけですが、決闘に際してはもうはじめから死ぬ覚悟でいたらしいです。ですから彼にとって問題だったのは、自分の「群論」、あるいは革命理論をいかにして後世に伝えるかということだったんです。そこで彼は三つの方法を考えるんです。ひとつは、その時代の権力者が強権的に自分の理論を呈示する方法で、たとえばナポレオンのように王権を手にして自分の思想を民衆に展開する方法です。二つ目は全人格的な堅固な組織をつくって、教祖と弟子という関係を結び、ひそかに理論を伝播させていく方法です。弟子をもっていますから、教祖としての予言は長く受け継がれるわけですね。範囲は狭いが確実です。三つ目は時代に流され、なおかつ力がないにもかかわらず、時代の中でつねにその思想を叫び実践していく方法です。もちろん弟子なんか取りません。一般の人に呼びかけつづけるのです。おそらくこの第三の生きかたというのは、思想などを世に広めようとするうえでもっとも効率の悪い方法であり、最も馬鹿げた方法である、と彼はいっています。しかし、ガロアはそれをやるしかない、なぜなら権力はないし、かといって宗団の教祖となるほどエソテリックな才能ももってはいない。したがって自分は時代の中で叫びながら、その流れに消されてしまう人間にちがいない。しかしそれしか道がない――こうガロアがいっているのを読んで、たいへん感動したんです。
高橋 私もその第三の道がいいと思います(笑)。
荒俣 私もこの第三の道を選びたいと思ってるんです。
全くガロアの手記には泣かされました。友だちに宛てた最後の手紙に、どうか私を忘れないでくれ。なぜなら私は権力者でもないし教祖でもないから、死んでしまえば誰も私のことを覚えていてくれないだろう。私の数学論も誰も覚えていないだろう。だから、せめてあなただけは死ぬまで私の名を覚えていてくれ。これだけが私の遺言である――と友人に宛てて書いているんです。」

高橋 私の考えでは伝授は必ず一対一でなされるということ、そしてあるグループが存在するなら、そのグループにはいることがはいる以前よりも自分をより自由に感じさせてくれること。そしてグループの存在理由は外にある何かのためであるというよりも、それぞれのメンバーの自己実現のためであるという三点なんです。
荒俣 それは非常に重要な点ですね。一般的な組織ではそうはいきませんね。むしろ全部逆ではないでしょうか。
高橋 もしも、そのスクールがエソテリックなものでありながら、しかも逆になってしまうなら、グループ活動などやらずに一匹狼の方がいいと、私は考えています。」




高橋巌 神秘学オデッセイ 02


フリードリヒ「月を眺める二人」(1819年、部分)。



高橋巌 神秘学オデッセイ 04







こちらもご参照下さい:

間章 『時代の未明から来たるべきものへ』
荒俣宏 『アラマタ図像館 4 「庭園」』



















































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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