ロジェ・カイヨワ 『妖精物語からSFへ』 三好郁朗 訳 (サンリオSF文庫)

ロジェ・カイヨワ 
『妖精物語からSFへ』 
三好郁朗 訳

サンリオSF文庫 8-A

サンリオ 
1978年10月15日 初版印刷
1978年10月20日 初版発行
178p 
文庫判 並装 カバー 
定価280円
カバー: 東逸子



本書「訳者あとがき」より:

「本書は Roger Caillois : Images, Images: Essai sur le rôle et les pouvoirs de l'imagination, José Corti, Paris, 1966 の全訳である。
 第一部「妖精物語からSFへ」は、『幻想物語アンソロジー』(一九五八、一九六六)の序文、および、サイエンス・フィクションに関する部分はマルセル・ティリー『時間に王手を』再版(一九六二)に寄せた序文をもとに、加筆されたものである。
 第二部「夢の威信と問題」は、アンソロジー『夢の権能』(一九六二)の序文、および、カリフォルニア大学と「ディオゲネス」誌の共催でロワイヨーモンで開かれた研究会『夢と人間社会』での報告論文がもとになっている。」
「第三部「ピュロス王の瑪瑙」は本論集が初出であるが、豊富な写真をそえた美本『石が書く』(中略)のもとになった論文と言えよう。」



本書には他に塚崎幹夫による訳書があります(『イメージと人間』、思索社、1978年)。


カイヨワ 妖精物語からSFへ


カバー裏文:

「SFの根は何処にあるのか? カイヨワはそれに答えて、妖精物語から怪奇小説を経てSFに至る系譜をたどってみせる。妖精物語が発達した中世世界では、魔法さえ日常生活の掟となってしまい、なんの驚異ももたらさない。だが現代のように科学的合理精神に支配された恒常的世界観に、一つの亀裂、一つの不可思議をもたらすこと――それも科学自体のもつ曖昧さと矛盾をつきつめていくことによって――現実界を破壊する妖精物語以来もちこされてきた変らぬ人間の聖なるもの、不可能なものへの信頼と希望がSFに現代的な形で復活するのである。
シュルレアリズム運動による幻想的なものの祝祭を潜りぬけてきたカイヨワは、こうして石の断層に描かれた紋様、コノハ蝶やカマキリの擬態、夢の文法から想像力の核を横断する《昼の論理》と《夜の夢》を綜合する百科全書的な対角線の科学を確立したのである。」



カバーそで文:

「Roger Caillois (ロジェ・カイヨワ)
1913年、フランスのランスで生まれる。1938年、高等師範学校で宗教学の学位を得る。一時期、ブルトンらのシュルレアリズム運動に参加するが、後に訣別。明晰な思考と言語、独自な対角線的研究法をもって神秘的なるものの解明に異色な業績をあげている作家、美学者である。著書に『神話と人間』『人間と聖なるもの』『石が書く』『幻想のさなかで』などがある。」



目次:

妖精物語からSFへ――想像力の機能と役割について
 第一部 妖精物語からSFへ――幻想のイメージ
 第二部 夢の威信と問題――夢のイメージ
 第三部 ピュロス王の瑪瑙――類推のイメージ

訳者あとがき
解説 (荒俣宏)




◆本書より◆


「第一部 妖精物語からSFへ」より:

「幻想とは現実界の堅固さを前提とするものである。現実が堅固であればあるほど、幻想による侵害も威力を増すからだ。(中略)幻想の基本的なやり口は、尋常ならざるものの出現である。つまり、神秘など永久に追放されたと思われる世界、完全に測定しつくされた世界のただ中にあって、特定の地点と特定の瞬間に、到底起こりえようはずのないことが起こるのだ。一切は今日のまま、昨日のままに、穏やかで、平凡で、なにひとつ異常がない。そこに、到底容認しがたいものがゆるやかに忍び込む。あるいは突如としてその姿を繰り広げるのである。」

「幻想小説にとっての枠組は、《眠れる森の美女》のあの魔法の森でなく、現代に特有の現代に特有の陰欝な管理社会である。中世世界や古代世界に移されたのでは、幻想小説はその力を失なってしまう。そうした枠組の中では、超自然がずっと自然なものに見えてくるからだと言ってもよかろう。
 それとは逆に、平々凡々たる現代社会という枠組の中へ、不吉な亡霊を闖入させるかわりにいたずらっぽく好意に満ちた妖精物語の奇蹟を移し入れてみたとしても、やはり同じことが言えるだろう。最近のアメリカの短篇に、『三つの願い』とそっくりのものがある。もっとも、願いの数は三つでなく二つなのだが、(中略)妖精物語の要素を現代に移し入れるとどのような雰囲気が生じるか、その好例となっているのだ。」
「海岸から遠く離れたアリゾナの小さな町で、町営プールの管理人が、明け方の人気のないプールの水を溢れさせ、潮の香と海草の香をただよわせながら、噴水孔から騒々しく呼吸している不可解なクジラを発見する。管理人は自分の眼が信じられない。しかし、現実は動かしようがないのだ。そこで彼は証人になってくれる人間を探しに行く。戻って来ると、クジラの姿は消えていた。管理人は夢をみたのか。しかし、「あたりには、浜辺に打ち上げられた海草の臭気と塩くさい泥の跡がひろがっており、プールの殺菌された水の面にも、はるかな海からやってきた褐色の海草がただよっている」のであった。ところで、子供が一人、問題のクジラを夢中になってながめていたはずなのだが、その子の姿もやはりプールから消えてしまっていた。実を言うと、その子は、妖精を捕えるのに成功し、紙袋に閉じ込めて、無理やり願いをかなえてもらおうとしたのだった。そして、その子の一番の願いというのが、生きたクジラを見ることだったのである。魔法の力が介入したのはほんの一瞬にすぎない。世界はたちまちにもとの姿をとりもどし、結果的にはなんの悲劇も起こりはしなかった。」
「要するに、たとえ現代風な道具立ての中に導入されようとも、妖精とその魔力は、あくまで不思議なものであるにとどまる。幻想に特有のあの戦慄を出現せしめるには至らず、楽しい驚きとでもいったものを誘うにすぎない。」

「サイエンス・フィクションは、それ以前の非現実的物語を継承し、全く同じ機能を果している。かつての妖精物語は、いまだ支配しかねる自然を前にした人間の、素朴な願望を表現するものであった。次に来る恐怖小説は、理論的探究と実験諸科学の努力の末にようやく確立され、証明された世界の秩序とその規則性が、突如、悪魔的で憎しみに燃えた暗黒の力の攻撃を受け、敗れ去るのを見る恐怖を表現していた。そして、サイエンス・フィクションは、理論と技術の進歩に対して恐怖を覚えた時代の苦悩を反映しているのである。(中略)科学はもはや真理と安寧をもたらすものではなく、不安と謎を惹き起こすものになったと言えるかも知れない。妖精物語でも、幻想小説でも、サイエンス・フィクションでも、それぞれの作品群に共通する一般的雰囲気、主だったテーマ、基本的着想等はそれぞれのジャンルが花開いた時代の潜在的関心事からこそ生じているのだった。」



「第三部 ピュロス王の瑪瑙」より:

「昔から人間は、(中略)たえず変ったところのある石を探してきた。風変りな特徴をもった石がみつかると、(中略)自然の法則に反する奇蹟のごとくみなされた。そうした特徴が、およそありそうもない偶然の業であることだけはたしかで、そのことが精神を魅了してやまないのだ。(中略)中国では、十六世紀に編集された李時珍の著作に、並の石でも硬玉でもありえない瑪瑙のことが語られている。それによると、この種の鉱物群の中でも最高のものは、人の姿、動物の姿、物の形などが浮き出して見える石だという。(中略)石の内部に閉じこめられたこの種のイメージは、本当らしさに対する一種の挑戦である。だからこそ、模様石と呼ばれたこの種の石の収集が人気を呼び、十六世紀から十七世紀にかけて、王侯貴族や富裕階級の陳列室を一杯にしていたのである。
 すでに大プリニウスが、その『博物誌』の中で、エペロスの王ピュロスの瑪瑙のことを語っている。それによれば、この石にはいっさい人の手が加わっていないのに、それぞれの象徴を身につけた九人のミューズにかこまれて竪琴を弾いているアポロンの姿が見えたという。(中略)ところで、この石のことを語っている者は多いが、実際に見た者は誰もいない。しかも、何世紀にもわたってこの石のことが語りつがれてゆくのだ。十六世紀の中頃には、ジェロラーモ・カルダーノが、この現象に合理的説明を加えようとしている。彼の推測によると、ある画家が問題の場面を大理石に描いた。ところが、故意か偶然か、その大理石画がくだんの「瑪瑙の出土した場所に」埋もれてしまい、「ために瑪瑙へと変化した」。(中略)この突拍子もない説明が、四分の三世紀の余も、そのまま受け入れられていたらしい。一六二九年になって、なかなかの権威であったガファレルが、ほかの多くの石に認められる紋様と同じく、自然のみがこの傑作の作者であると主張する。」
「想像力がその気になれば、石の表面に認められないものなどありはしない。」
「しかしながら、これらの例がすべて漠然とした類推の話でしかないのだとしたら、類似を発見することが人間にとって、強力かつ恒常的な情熱となってきたということで簡単に説明がつくだろうし、このような問題があれほど論争のまとになることもなかったであろう。ところが、一方で、動物や植物の化石が発見されていたのだ。それが本物に似ていることは当然とはいえ、やはり驚きのまとであった。(中略)当時は、まことに正確なこの似姿が、太古に生きていた動物の残した刻印だとは知られていなかったのである。そこで、なんとなく漠然と似ているだけで、ほんのわずかな類似点しかないのに、観察者の熱意のあまり何かにみえてくるような紋様とも、特に区別されてはいなかった。」
「石化作用、すなわち化石の理論は、ライプニッツによって検討されるまではほとんど支持をえられずにきた。十八世紀の中頃になってはじめて、科学は、化石というものが滅亡した動植物の痕跡であり、生命の歴史の証拠として学問の対象となりうること、いかに人の心をとらえようと偶然にできた自然の紋様とは全く異なったものであることを、堂々と主張するようになる。そのことで科学は、自然の紋様を、偶然が生んだ珍品の部類へ追いやってしまった。そうした珍品も、軽薄な精神を楽しませたり、詩人の夢想に満足を与えることはできよう。しかし、正当な科学の対象にはなりえないというのだ。こうして、もはやピュロスの瑪瑙が話題になることはなくなり、フィレンツェの大理石をはじめとするあらゆる形象石(ガマエ)が、これ以後、科学からの手ひどい拒絶を蒙ることになるのである。
 厳密な研究として言うのならその通りであって、問題は決定的かつ見事に結着がついたといえよう。しかしながら、類推の悪魔の絶えざる誘惑は、そのような裁定が下ったからといって一向に衰弱をみせず、その力は手つかずに残されてゆくのである。
 一例をあげるにとどめるが、いたって極端な、錯乱と隣りあわせの例である。今世紀のはじめごろ、ジュール=アントワーヌ・ルコントという隠者がいて、流行の交霊術に病みつきとなり、道ばたで燧石を拾い集めては、洗い、磨き、そこに、複雑で感動的な無数の情景を発見する。彼にしてみれば、そうした場面をほかの連中が見わけられないことの方が驚きであった(習練が足りないせいだと彼は言う)。彼はそうした情景を分類し、スケッチし、中でも素晴しい場面を集めて『紋様石(ガマエ)とその起源』という小冊子を刊行した。彼はこの小冊子の中で、これらのイメージは人間の強烈な感動から生じ、それが精神の照射現象によって石の中へ固定されたものだと説く。」
「ジュール=アントワーヌ・ルコントなる人物が、単に模様石だけでなく、およそ目に入るものならすべて、倦むことを知らず、確固たる信念をもって、解釈しようとしていたこともわかる。「私は、うずくまって右手を差し出している人間の形をしたジャガイモを所有している。床板に親戚の女性の顔を認めたこともある」。
 たえず何かを同定していたいという誘惑は、この燧石愛好者の場合のように、ひとつ間違うと、偏執的で滑稽きわまるものになってしまうが、その実、非常に一般的な誘惑なのである。それは、いわば精神機能の一部をなしている。この種の誘惑を感じないと言える者はいないのであって。大切なのはむしろ、そうした欲求を抑制し、制御することなのである。ピュロスの瑪瑙のアポロンとミューズ以来、石の紋様に認められてきたイメージは、すべて、そうした精神的磁化作用への服従を通じてのみ出現しえたものなのだ。学問や厳密な研究がそうした誘惑に懐疑的なのは当然である。(中略)これに反し、詩はそこにこそ源を発している。詩はこの誘惑に依って立ち、そこから格別に豊かで確実な効果を汲みとっている。詩にとってもまた、あらゆる類推と隠喩は隠された関係を啓示するものであり、それが見えないというのは、想像力の無力のゆえでしかないのである。」
「そのようにして認められる情景が複雑であればあるほど、類似が明確であればあるほど、陶酔も一層大きなものとなる。壁の亀裂、押しつけられたインクのしみ、樹皮の表面などに認められ、解読されるイメージについても、同じことが言えるだろう。かけ離れた二つの事物の間に未開の関係をきらめかせようとする詩人たちのイメージも、また、およそ予想もしないところに類似を――漠としたものであることもあろうし、明瞭なものであることもあろうが――感じ、発見し、確認した精神にとっての、あの満足感にかかわっているのだ。あたかも、人間の精神が、何ひとつ表象しえぬものの内にもなんらかのイメージを求め、何ひとつ意味しえぬものにも意味を与えずにはおかれぬかのようである。決定的なものなど何ひとつ呈示しているように見えない線と形、光と影の構成体にまで、精神は、たえず何かしら見慣れたもののフォルムを読みとり、投影することになる。このような精神的傾向は、心理学にまで利用されているほどなのだ。人の心にひそむ強度の偏愛、隠された性格などを発見しようとする心理学者たちは、被験者に対し、わけのわからぬ漠然としたしみのようなものを見せる。このしみからどのようなフォルムを読みとるかによって、直接被験者の口から聴取するよりも、はるかに確実な結論がえられると考えられているのである。
 私には、これほど恒常的で強力な精神作用のことをないがしろにしてよいとは思えない。ことに、それが、一種の興奮状態からめまいまで惹き起すほどのものであってみれば。」






















































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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