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ロジェ・カイヨワ 『旅路の果てに』 金井裕 訳 (叢書・ウニベルシタス)

「さまざまな石が私に提供してくれたのは、非人間的な不易なるものの典型であり、従ってそれは、人間の弱さとは無縁のものであった。」
(ロジェ・カイヨワ 『旅路の果てに』 より)


ロジェ・カイヨワ 
『旅路の果てに
― アルペイオスの流れ』 
金井裕 訳

叢書・ウニベルシタス


法政大学出版局 
1982年8月5日 初版第1刷発行
iv 215p 
四六判 丸背布装上製本 カバー 
定価1,600円



本書「プレリュード」より:

「ある日、私は自分がこの人生からほぼ完全に切り離されていることに気づいた。アルペイオスの流れのことが、海から出て再び川となる流れのことが想い浮かんだのはこのときのことだった。ギリシアの古伝承は、数行、この流れについて触れている。それによれば、アルペイオスの流れは地中海を横断して後、シラクサの正面に浮かぶオルテュギア島に達するということだが、そのとき罪を贖われたこの流れは、いま私が感じつつあるのとおなじ印象を感じなかったかどうか、私は戯れに自分に問うてみたのである。」


Roger Caillois: Le fleuve Alphée, 1978
著者の没年(1978年)に刊行された自伝的長篇エッセイです。



カイヨワ 旅路の果てに



目次:

プレリュード

第一部
 一 昨日はまだ自然――最初の知
 二 少年時代の豊かな刻印
 三 海――人の耕さぬところ
  イ 書物の世界
  ロ 括弧と裂け目
  ハ 解毒の書
 四 物の援け
 五 イメージと詩
 六 植物の条件
 七 石についての要約

第二部
 一 宇宙すなわち基盤と茨の茂み
 二 水泡
 三 挿話的種
 四 魂の凪

訳註
訳者あとがき




◆本書より◆


「第一部 一 昨日はまだ自然――最初の知」より:

「私は(しかも今だにそうだが)匂には極度に敏感だった。ある種の匂には胸がむかついたものだ。例えば、搾りたての生あたたかい牛乳の匂、砂糖入り牛乳の中にグロ・パンを浸して作る夕餉のスープの匂、あるいはスノコで乳漿を切っているときの白チーズの匂などである。また別の匂には思わず鼻孔が広がったものだ。例えば、驟雨の後の、しっとりと濡れたtポプラの葉の敷物の匂、製材所を横切りながら、その香を吸い込んではうっとりとなった、ま新しい木材の、淡黄色のオガクズの匂、蹄鉄工の作業場の、赤く焼けた蹄の匂である。また私は、強烈な、みだらな(そう、人をよろめかすような)匂が好きだった。こういう匂を好んでかぐといっては批難されたものだった。恐らく、この批難が原因になっていたのだろうが、これらの匂をかいでいると私には何かしら不純なもの、禁じられたものが想い出されてくるような気持になるのだった。例えばそれは、汗だらけの馬の発散する匂であり、水肥溜の、陽の光をあびている堆肥の匂であった。」
「私は永い間、金属性のひとつの道具が欲しくてたまらなかった。それが犬を繋ぐのに使われているのを見たことがあったが、とうとう祖母が私のためにそれを町に注文してくれることになった。それはムスクトンだった。つまり、バネのついた一種の錠のようなもので、それを鎖の先端にとりつけ、卵形の孔を使って動物の首輪に取りつけるのである。キラキラ光る金属性の、ほぼ球形をしたひとつの玉を動かすと、それにつれてムスクトンは開いたり閉じたりするが、この玉が溝に滑り込むと、道具のバネが伸びたりちぢんだりするのである。これは私にとって、ある未知の世界から生まれた、ひとつの不思議な機械仕掛(からくり)であり、子供たちはこの世界に近づくことはできないが、しかし奇妙なことに、ドアの錠前や鋤、あるいは草刈り機といった、ずっと複雑な器具類は決してこの世界の一部ではなかったのである。
 後者の器具類についていえば、子供たちは、それらを操作すれば怪我をする危険――まったく世俗的な危険だ――があると注意されているだけだった。それにひきかえ、ムスクトンの存在そのものは、ある絶対的な沈黙に覆われていた。ムスクトンの中で、私にとりわけ強い印象を与えたひとつの特徴がある。それは幅の広い側面の、やや扁平の卵形の空洞がウサギの腰の骨の空洞に似ていることだった。私たちはウサギの腰部をよく食べたものだが、そういうとき私は、その幅の広い部分にひとつの孔があいていて、スプーンの形になって終っている、この骨の含まれている一片を決まって選んだものだった。ムスクトンは不可解な孔のあいたスプーンでもあったのである。
 私は一般化しようとは思わない。しかし上の事例を考えてみるとき、この突飛な比較こそ、後年私をして、自然のさまざまな産物と産業のそれとを分離している境界をいとも頻繁に、そしていとも無造作に跳び越えるように促した最初の類推であったことを全面的に拒むわけにはいかない。この類推のゆえに、私は、蜜蜂が蜜を作るからには、人間の工場で鉄が溶解されるのもあたりまえのことと思ったのだ。(中略)いずれにしてみても、そこには成長の可能性のあるひとつの胚種が、持続力のある、稔り豊かなひとつの促しがあったのである。ムスクトンは、突飛な類似のゆえに、魔術的とはいえぬまでも、何かしら異常なものを授けられたが、そのためそれは、さまざまの物の世界の中でも一種特別なものであった。」
「木々、昆虫たち、さまざまな匂、動物たち、星々、そしてさまざまの玩具、こうしたものが厳密には神秘的(エルメティック)とはいえないが、しかし完璧な、それでいて開かれたひとつの世界を作っていた。」
「この宇宙は密閉されたものでもなければ、村の目の前の地平線に厳しく限定されているものでも決してなかった。いささか特殊なものであったことは認めるが、それは外部へのいくつかの開口部をもっていたのである。」



「第一部 二 少年時代の豊かな刻印」より:

「私にとって一個の廃墟と化した町は、完全無欠な町以上にとはいわぬまでも、すくなくともそれとおなじように自然なものと見えたものだが、それほどまでに私は廃墟に慣れっこになっていたのだ。これについては、現在の私の感受性の一特徴を与えるのにやぶさかではない。(中略)雑草と小灌木との生い茂ったこれらの廃墟は、厳かなものでもなければ、日常生活から切り離されたものでもなかった。それらは日常生活そのものだった。」

「私はこれまで、ほとんど人の住まぬ地方へ何度も旅をしたが、これらの旅は、短い間ではあっても、(中略)研究の、やがては仕事の日々の単調さよりもずっと強い印象を私に与えるのだった。私は(中略)記念建造物も歴史もない、ほとんど無人の地方への遠出の機会を何とか工夫して作ったものだが、それは、人間の存在が不確かで何も語らず、ほとんど沈黙している地方であった。いずれにしろ、人間の前に存在する自然は、今日でもなお、指のひとはじきで人間を除去してしまうことができるのである。しかも自然にとっては、闖入者の手ぬかりを利用すれば足りるのである。」



「第一部 三 海――人の耕さぬところ」より:

「そんなわけで、文字が読めるようになってからというもの、私はひたすら読書に耽った。もしさまざまな事物に対する私の子供じみた、絶えることのない好奇心がなかったならば、そしてまた、私の注意力が最初に出会った事物の虜になる可能性がなかったならば、私はただ書物の仲介によってのみ生きたことだろう。書物が言葉を使うことによって、しかも無理強いすることによって、現実に対する自然発生的な知覚にとってかわりがちであるということに私はすぐには気づかなかった。」

「私は石が、その冷やかな、永遠の塊りの中に、物質に可能な変容の総体を、何ものも、感受性、知性、想像力さえも排除することなく含みもっていることに気づきつつあった。
 と同時に、絶対的な唖者である石は私には、書物を蔑視し、時間を超えるひとつの伝言を差し出しているように思われるのだった。」
「いかなるテキストももたず、何ひとつ読むべきものも与えてくれぬ、至高の古文書、石よ……」



「第一部 四 物の援け」より:

「ムスクトンに魅せられてから十年後、水銀がムスクトンよりもずっと有無をいわせぬやり方で私を捉えて離さなかった。」
「私はいくつかの温度計の中に水銀を見たことがあった。ガラスの牢獄に閉じ込められて、水銀は動けなかった。(中略)リセの化学実験室で、水銀が何の束縛もうけずに、消えやすい、キラキラ光る、捉えどころのない姿で私の前に姿を現わしたとき、それはひとつの啓示であった。私は最初の瞬間から、それが私の上に及ぼした牽引力に抗うことができなかった。何故なら、《物》に対する情熱は決して罪のないものではないからだ。必要とあれば人から盗んででも、それらを所有することが不可欠なのである。」
「私は矛盾した金属を相手に、しきりに、そして注意深く遊んだものだった。それがキラキラ光る小さな水滴となって、ときにはすばやく、ときには躊躇いがちに分散してゆき――しかもあたりを濡らすことがないのを、私は感嘆して見守っていたものだった。」

「擬態をする昆虫、石の異常、不可侵の個人的領土に対する一般的な(中略)嗜好、仮面ないしは麻薬から、あるいは機械的な方法で手に入れた眩暈と陶酔に対する嗜好、豪華と名誉、形と色の時宜を得た展開、また宇宙の秩序のあらゆる水準に存在する豊かな反対称、こういったものの中に私は共有の共犯関係が存在することを示す明白な徴しを書物の外に、さまざまな物と対象との中に追求して来たともいえるだろうが、人類は虚栄心からこの関係を認めようとはしない。それほどまで人類は、その天与の才と功績とでおのれが世界の他のものとは別のものであると思っているのである。」

「子供じみたムスクトンから珍らしい一角の突起にいたるまで、私は多様な物だけが道しるべとなっているひとつの道程の諸段階をはっきりと示すように努めてきた。これらの物にひとつの共通の分母をみつけだすことは、私には不可能とは思われない。(中略)私はそれら相互の独立性を強調し、それらが決して芸術作品に同化されうるものではないことを(中略)主張する機会があった。なかんずく、ある種の特異性、何かしら周縁的性質といったものがこれらのものを共通のものから遠ざけたのであり、その結果、これらのものは学問ないしは歴史のカテゴリーの中に入ることはむつかしくなり、人類の共有財産の古文書の中にも位置づけられず、美術館の目録あるいは百科全書の欄にも姿を見せることはなくなったのである。これらのものについていいうる最低限度のことは、それらがほとんど通貨ではないということである。その外観からして明らかな不思議な孤立は、それらとしきたりとの間に解消困難な距離を置くが、この距離こそそれらの力なのである。それらは観察を強要する。それらは生まれつき《開かれた》ものなのだ。
 あらためていうまでもあるまいが、これらの物は想い出でもなく、何ものも想い起こさせず、その用途が不明であればあるほどいっそう効果のあるものでさえあるのだ。その秘密は、徐々にこれを見破らなければならない。(中略)それらは一切の崇拝を拒否しており、いかなる敬愛心をも勧めてはいないのだ。それらは象徴ではない。つまりそれ以外の何ものも意味してはいない。それらが促す言葉(ディスクール)は密やかなものであり、そして言葉は、つねに新たなる驚くべき沈黙から生まれる。
 私は、この沈黙の証言を取りおさえ、暴露してやりたいと思う。そして自分でもわからない何かを告白させてやりたいと思うのだが、それは世界の統一性についての、証拠とはいわぬまでも、必ずやひとつの手掛りであるだろう。これらの証言に対する賭は、私がいささか大胆に、錯綜した宇宙に対して本能的になす賭とおなじようなものである。私の身体をも貫いている普遍的な生命力との一致、そこから私の引きだす悦び、つまり富ないし名誉よりも、あるいは最も羨望の的であるさまざまな免状よりもずっと貴重な、秘密の承認。この種の同意を得るためならば(よしんばそれが偽りのものであっても、私は満足だ)、私は一切を与える用意があるような気がするし、実際は、すでにすべてを与えてしまったのだという感じがする。」



「第一部 五 イメージと詩」より:

「ある種の絵(イマージュ)は、あたかも《魔法のランプ》のような、あるいは宝の入っている洞窟を開けることのできる《胡麻》のような働きをする。」


「第一部 七 石についての要約」より:

「石にとって、真の奇蹟とはとりどりの擬物(まがいもの)の驚異ではなく、結晶の幾何学的完璧さである。それは不純物を取り除かれて透明になった物質であり、そしてまず第一に、極度に純化され、秩序立った物質である。それはいかなる妥協も認めない。その形の一部分は偶然の情況に左右されるが、しかし情況は本質的な影響は与えない。形は契約を守る。これほど堅固な忠誠というものはこの世に存在しない。もちろん、結晶はその成長をおしとどめる何らかの障害には従わなければならない。ときには、偶発的な、予測できぬ、異質の要素を、要するにひとつの刺を吸収してしまわなければならないときもあるが、しかし力ずくでなければ改悪されることは決してない。その上、生体がそうするように、結晶は闖入者を排除する性質をもっている。闖入者を受け入れることが稀にあるとしても、それはただ一時的に黙認することのできるひとりの新参者としてだけなのだ。恐らく、その情容赦のない構造が最後には勝利を収めることになるだろう。」


「第二部 一 宇宙すなわち碁盤と茨の茂み」より:

「私自身は夢想を精神の漂流と呼んだが、そうはいっても夢想は、(中略)不可避の、ひとつの方向に従っているのである。私が好んで鉱物界を引き合いに出すのは、それが想像力の世界と最も矛盾したものであるからであり、もろもろの困難さをあたうる限り正確に理解するように私に強いるからなのである。」


「第二部 二 水泡」より:

「さまざまな石が私に提供してくれたのは、非人間的な不易なるものの典型であり、従ってそれは、人間の弱さとは無縁のものであった。」

「当時、私は美学的観点からのみ鉱物に関心を寄せていたにすぎなかった。鉱物は私の幻滅を和らげ、いくつかの武器を提供してくれるのだった。当時、石の取引をしていたわずかばかりの店に行って偶然手に入れたさまざまな石を憂鬱な気分で眺めていると、当然のことながら私には次のような考えが浮んでくるのだった。すなわち、石の形や構造は芸術家たちの作品にまさに匹敵するものだが、彼らは(中略)革新に対する熱中ぶりにそそのかされて、自分たちの絵を自然がいわゆる自然発生的に生みだす作品に近づける。とはいってももちろん、それらの作品が、幾千年にわたる手さぐりの、宇宙的な経験の、そして原子分裂がその恐るべき例を与えてくれたばかりの破壊力の、帰結であると思ってみることはないのである。
 世界は恐らく、これらの作品をもって始まったのだ。いまだに生命のない星々には、ただこれらのものだけが存在している。私の悲しい気分はこれらのものの平静さを、一匹の野心的な動物の喧騒ぶりに好んで対置させるのだった。記憶に絶する遠い昔の無感不動、功績の、功績に対する要求の明らかな不在、こういったものと、地球それ自体にとっても危険でなかったわけではない勝ち誇っている喧騒とをひき比べてみるのだった。私は生命を、再生を、人間と作品との無益な増加を、ほとんど不愉快なものとみなしたい気持だった。私は不敬とはいわぬまでも、挑発的な一句を書いたが、恐らくそれを公にすることはしなかった。(中略)「私は鏡が、生殖が、小説が大嫌いだ。こういうものこそ、無益にも私たちの心をかき乱す冗漫な生物どもで宇宙の場所ふさぎをしているのだ。」



「第二部 三 挿話的種」より:

「長いあいだ私は自分のために小旅行の機会を用意していたものだが、そこには自然への回帰といったようなロマンチスムはすこしもない。遅れてやって来た、しかも器用な人類、この人類に恐らくはさし迫ったものである宿命的な滅亡という観念に慣れっこになっていた私にとって、できうる限り前方に自分をおしすすめ、人類がもろもろの事物の力にもかかわらず、他所よりすこしは大地と空と戦いながら、とにもかくにも存続することのできた所にまで行くことが何よりの願いであった。私は、人類がまず最初に滅び去るであろうと信じていたし、今でもそう信じているが、それは最後に現われた固有名詞の記憶が、まず最初に消えてしまう記憶でもあることにいささか似ている。それに、その猶予期間がどんなに先に延ばされようと、期限はいつでも明日なのだ。こういう考えから、とうの昔に私は一種超俗的態度を引きだした。私がものを書く気持になれたのは、私のしていることはいずれにしろ無益なことだと意識して書き始めたその瞬間にだけ限られていた。」


「第二部 四 魂の凪」より:

「石を凝視めることによって得られる静かな熱狂の状態を指すものとして、私は「唯物論的神秘神学」なる表現を提出した。(中略)いくつかの相違にもかかわらず、オーストリアの詩人の打ち明け話(引用者注: ホフマンスタール「チャンドス卿の手紙」)との共通点は、私たちが感じ取ったおなじような感動の無神論的性質、絶対的に非宗教的な性質の中にこそ存するのである。これらの感動は彼には書くことを放棄する作家を想像させたが、反対に私には書く理由を与えてくれたのである。」


















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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

すきなことば: 「だれもいない」「ギブアウェイ」「ウポポイ」「隠密」
きらいなことば: 「人と人とのつながり」「キャリアアップ」「ほぼほぼ」「三密」

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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