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白川静 『文字逍遥』 (平凡社ライブラリー)

「権威主義と学閥の愚かさをにくむがゆえに、私は今日まで孤独に近い研究生活をつづけてきた。学問の世界はきびしく、研究は孤詣独往を尊ぶ。それぞれの研究者が、それぞれの世界をもつべきである。」
白川静 「漢字の諸問題」 より)


白川静 
『文字逍遥』
 
平凡社ライブラリー し-2-1

平凡社 
1994年4月15日 初版第1刷
2001年6月7日 初版第6刷
443p 字形資料表3p 
B6変型判 並装 カバー 
定価1,359円+税
装幀: 中垣信夫


「本著作は一九八七年四月、平凡社より刊行されたものです。」



本文中図版(モノクロ)多数。


白川静 文字逍遥


カバー文:

「漢字はその構造のうちに、古代の人々の思惟や生活の仕方を豊かに伝えている。
想像を絶するほど広大な漢字の歴史世界をはるかに見渡し、
そこに隠された精神史の諸相を鮮やかに捉えた達意のエッセイ集。」



目次 (初出):

第一章 文字逍遥
 遊字論 (「遊」 1004~1007 昭和53年12月~昭和54年6月)
 道字論 (「遊」 1008~1013 昭和54年8月~昭和55年6月)
第二章 鳥の民俗学
 鳥を食う王の話 (「is」 Vol. 13 昭和56年6月)
 鳥占と古代文字 (書き下ろし)
第三章 漢字古訓抄
 つくる 作・造・為 (「クラフト」 昭和60年11月)
 みる 見・視・察・観・監・窺 (「クラフト」 昭和60年11月)
 きく 聞・聴・聆 (書き下ろし)
 はかる 計・量・度・図・画・諮・謀・訪 (書き下ろし)
 おもふ 思・念・想・懐・憶・欲・以為・惟 (書き下ろし)
 なる 生・成・就・集 (書き下ろし)
第四章 漢字の諸問題
 漢字のなりたち (「書道講座」 五 昭和47年9月)
 漢字の展開 (「漢字の始源」を改題/「書の本」 I 昭和55年10月)
 線の思想 (「バツ」 昭和56年12月)
 文字学の方法 (「文字」 三八巻九号 昭和45年5月)
 漢字と文化 (「アジア文化」 Vol. 11, 2 昭和49年2月)
 国語雑感 (「言語生活」 252 昭和47年9月)
 古代文字と生命の思想 (「日本経絡学会誌」 三巻五号 昭和52年12月)

あとがき
初出一覧
解説――古代風景の遊行 (中野美代子)
字形資料表




◆本書より◆


「遊字論」より:

「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき、神とともにあることの証しであり、またその限られた場における祭祀者の特権である。
 遊とは動くことである。常には動かざるものが動くときに、はじめて遊は意味的な行為となる。動かざるものは神である。神隠るというように、神は常には隠れたるものである。それは尋ねることによって、はじめて所在の知られるものであった。(中略)神を尋ね求める行為として、舞楽が必要であった。それで神事が、舞楽の起原をなしている。祭式の諸形式は、この神を尋ね求める舞楽に発しているのである。」
「遊とは、この隠れたる神の出遊をいうのが原義である。それは彷徨する神を意味した。」



「道字論」より:

「いまでは道は、あらゆる空間を貫いている。海中にも地底にも、あの蒼々として至極するところのない天空にすらも、ニア・ミスの事件が頻発するほど、航空路によってこまかく区切られているのである。そして光と音との、さらに濃密な網がそこにはりめぐらされており、さらには地球と人類との破滅を待つ凶暴な視線が、それを覆うている。それはもはや道ではない。邪悪にみたされている空間である。
 原始の空間も、また異なる意味において、かつてはそのような世界であった。空間はもともと、自由な通路であった。それで神々は、自由に幽顕の世界を遊行し、また邪悪なる霊も、それぞれの変化の相をもって、そこに遍満していたのである。鳥獣草木のすべてが、なにかの化身であり、何らかの霊のあらわれであった。すなわち「草木(くさき)すら言(こと)問ふ」世界であった。邪霊は風に乗じて風行することもある。それは風蠱(ふうこ)とよばれる。ときには地下深くより潜行することもあった。それは埋蠱(まいこ)である。空間は空虚な、あるいは無記的な空白そのものではない。常にあらゆる霊によってみたされているところの、生きた実在の世界である。
 このような世界の生活者にとって、道とはどのようなものであろう。道が外への接触を求める人間の志向によって開かれるものとすれば、それは他から与えられるものではない。その閉ざされた世界から脱出するために、みずからうち開くべきものである。道をすでに在るものと考えるのは、のちの時代の人の感覚にすぎない。人はその保護霊によって守られる一定の生活圏をもつ。その生活圏を外に開くことは、ときには死の危機を招くことをも意味する。」
「識られざる神霊の支配する世界に入るためには、最も強力な呪的力能によって、身を守ることが必要であった。そのためには、虜囚の首を携えて行くのである。道とは、その俘馘(ふかく)の呪能によって導かれ、うち開かれるところの血路である。すなわち道は、その初義において先導を意味する字であった。」





こちらもご参照下さい:

ホイジンガ 『ホモ・ルーデンス』 高橋英夫 訳 (中公文庫)
ロジェ・カイヨワ 『遊びと人間 増補改訂版』 多田道太郎・塚崎幹夫 訳 (講談社文庫)


















































































































































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