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若桑みどり 『薔薇のイコノロジー』

「ミケランジェロの模範に力を得て、一六世紀ではグロテスクな口をひらく怪物が続出した。フェデリーコ・ツッカロの自宅のファサドの入口と窓も角を生やした怪物の大きな口からできている。(中略)オルシーニ家のボマルツォの庭園のデモンは大地そのものが口を開いているように見える。(中略)これら二つの例は、周辺の《低い》存在が逆に巨大化した特例を示している。再び言うが、怪物が大きな顔をしたのは、まさに、一六世紀だけであった。」
(若桑みどり 『薔薇のイコノロジー』 より)


若桑みどり 
『薔薇のイコノロジー』


青土社 
1984年10月25日 初版発行
1989年2月25日 第7刷発行
382p 口絵8p 
菊判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,500円(本体3,398円)
著者自装



口絵図版(カラー)13点、本文中図版(モノクロ)353点。


若桑みどり 薔薇のイコノロジー 01


帯文:

「イメージの普遍性を求めて
一つのイメージが個人を超え、時代を超え、洋の東西を超え、いわば普遍的な象徴として人類に共有される。薔薇をとおして、人類が共有する〈もう一つの世界〉を照射。」



帯背:

「脱領域の
美術史」



目次:

I 薔薇の聖母
II 薔薇を喰べた驢馬
III レオナルドの庭園
IV 薔薇園にて
V 美しき女庭師
VI 花の道
VII 菊と蓮
VIII グロテスクの系譜一――周辺の豊饒
IX グロテスクの系譜二――笑う牛
X グロテスクの系譜三――花となった人間
XI 花と髑髏――静物画のシンボリズム
XII 刻印された〈詩〉
XIII 石の花――反古典主義的空間の根源
XIV 花の復権――ウィリアム・モリスのパターン・デザイン
終章 生きている花――残らない芸術のために

薔薇のイコノロジー 注
薔薇のイコノロジー あとがき



若桑みどり 薔薇のイコノロジー 02



◆本書より◆


「あとがき」より:

「なぜ私がこの本を書いたか。まず第一に、それは芸術史研究を限定してきたもろもろの境界線を取りはずしたかったからである。今まで、芸術史の研究は古代・中世・ルネサンスといったぐあいに時代別に区分されてきた。またそれはジャンル別に区分されてきた。絵画、彫刻、建築、工芸、あるいはいわゆる大芸術と小芸術、または正統的芸術と民衆的芸術などである。通常、工芸史の専門家は純粋芸術には手を出さず、逆もまた然りであった。またそれは国家や民族によっても区分されてきた。西洋美術と東洋美術、あるいはフランス美術・イタリア美術・日本美術などである。さらにそれは個人によって区分されてきた。いわくレオナルド・ダ・ヴィンチの研究、ラッファエルロの研究。私は二〇年にわたってカラヴァッジォの専門家であった。この間を越境することは危険な行為であった。」
「私はただ一枚の絵を理解するのにさえ人類史を知ることなしには不可能と感じるようになった。私はカラヴァッジォの「トカゲに咬まれた少年」が髪にさしている薔薇の花の意味を探るうちに、それがミケランジェロの寓意画に通じ、ロンサールやマリーノの詩に通じ、ブロンズィーノ、ボッティチェルリ、ティツィアーノと共有され、それがギリシャから古代オリエントにまで遡ることを知った。私は一つのイメージが個人を超え、時代を超え、洋の東西を超えて、いわば普遍的な象徴となって人類に共有されているのを知った。これを予感したとき、私はあえて境界をはずすという危険を冒そうと心に決めたのである。
 従って私の第二の意図は、人類がつくり出したイメージの普遍性を探ることにあった。」

「第I章では、錬金術の思想が美術に及ぼした影響について一六世紀の画家パルミジァニーノの作品に基づいて論じた。錬金術においては薔薇がきわめて重要なシンボルをになっている。私は秘教的図像について研究の一端を開いたつもりである。第II章では、ボッティチェルリの「春」「ヴィーナスの誕生」を中心にして、ルネサンスにおける女性のイメージを古代のそれと結びつけることを試みた。第III章では、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画における植物の象徴的意味について考察し、レオナルドの着想において植物がいかに重要な役割をはたしていたかについて私見を述べた。第IV章と第V章では、今まで美術史において論じられることのなかった「庭園」の図像について何らかの寄与をなしたつもりである。第VI章では、ルネサンスにおける西洋と東方との交流について花のオーナメントを中心にして論じた。一八世紀のシノワズリーや一九世紀のジャポニスムについては研究が盛んであるが、中世からルネサンスにおける東西の交流については、今よりのちますます研究が行なわれるであろう。第VII章では、日本にある花のイメージが世界文化と共有されるものであることを論じた。日本美術の中の国際性の発見が、私にとって最も魅力のあるテーマであった。第VIII章からX章までを、私はグロテスクの思想を論ずることに費した。グロテスクが単なる装飾ではなく、一つの思想をもった芸術様式であることを論じたつもりである。第XI章は、もっとも独立した論文に近いもので一七世紀における静物画の成立とそのシンボリズムについて論じている。第XII章では、紋章における花のシンボリズムについて論じた。同時にこの論は紋章を芸術の重要なジャンルとして認めようという意図を持っている。第XIII章は、反古典主義的建築空間の系譜について論じた。ここでは幾何学と比例に基礎を置く人文主義的空間の対立物として、植物的空間が存在する、という仮説を提出したつもりである。第XIV章は、一九世紀後半におけるオーナメントの復活について、その文化史的意味を語った。私はここで近代のインダストリアル・デザインの傾向についての批判を行ない、ウイリアム・モリスの思想的意義を高く評価した。主題にはならなかったが、それぞれの章において、二〇世紀のシュルレアリスト、パフォーマンスのアーティストたちが、いかに人類にとって原初的なイメージの復活を試みているかについて論じている。最後に、終章において、私はわが国の「いけばな」の普遍性について試論を行なった。私はそれを、原初のアニミスティックな祭祀から、古代のパフォーマンスを包含する優れた芸術様式であると考えた。また、ここで私はきわめて多くの芸術行動がじつは「残らない」ものであることを指摘したかった。美術館に残存しているわずかな作品は、人類の豊饒な創造力の悠久の流れから漂着した漂着物に過ぎない。」
「以上の各主題を一貫して、花がそれをつなぐ役割をはたしている。花は地球上のどこにも生え、人類のすべてにとって親しく、普遍的なイメージであった。」



若桑みどり 薔薇のイコノロジー 03

































































































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Author:ひとでなしの猫
 
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なぜならわたしはねこだから
 
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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

すきなことば: 「だれもいない」「ギブアウェイ」「ウポポイ」「隠密」
きらいなことば: 「人と人とのつながり」「キャリアアップ」「ほぼほぼ」「三密」

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歴史における自閉症の役割。

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