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ローデンバック 『死都ブリュージュ』  窪田般彌 訳 (岩波文庫)

「毎日が万霊節の日のようなブリュージュの街々の、この灰色にそまった憂愁! (中略)しかもその灰色はこの都ではたえず流れただよい、滲透していく。永遠の半喪期から脱しえないこの灰色の神秘!」
(ローデンバック 『死都ブリュージュ』 より)


ローデンバック  
『死都ブリュージュ』
窪田般彌 訳 
 
岩波文庫 赤/32-578-1

岩波書店 
1988年3月16日 第1刷発行
191p 
文庫判 並装 カバー 
定価350円



本書「解説」より:

「拙訳『死都ブリュージュ』は、一九七六年に冥草社から刊行されている。この書物の邦訳は、拙訳以前には江間俊夫訳(春陽堂、一九三三)、黒田憲治・多田道太郎共訳(思索社、一九四九)があり、以後のものに田辺保訳(国書刊行会、一九八四)がある。このたび岩波文庫収録という機会にめぐまれたので、全面的な加筆訂正をこころみてみた。(中略)著者名の表記も現代の慣行にしたがい、ジョルジュ・ローデンバックとした。しかし、矢野峰人博士の「ローデンバッハの思い出」(『去年の雪』所収)という一文によってこのサンボリストの魅力を知った私には、今でもいささかローデンバッハに未練がある。」


George Rodenbach: Bruges-la-morte, 1892
本文中図版(モノクロ)35点、解説中図版(モノクロ)5点(「中央広場とベフロワ」「ベギーヌ会修道院」「ジョルジュ・ローデンバックの肖像(リュシアン・レヴィ=デュルメ)」「ブリュージュの思い出(フェルナン・クノップフ)」「みすてられた町(フェルナン・クノップフ)」)。


ローデンバック 死都ブリュージュ 01


カバー文:

「沈黙と憂愁にとざされ、教会の鐘の音が悲しみの霧となって降りそそぐ灰色の都ブリュージュ。愛する妻をふしなって悲嘆に沈むユーグ・ヴィアーヌがそこで出会ったのは、亡き妻に瓜二つの女ジャーヌだった。世紀末のほの暗い夢のうちに生きたベルギーの詩人・小説家ローデンバック(1855-98)が、限りない愛惜をこめて描く黄昏の世界。」


目次:

はしがき

死都ブリュージュ

解説 (窪田般彌)



ローデンバック 死都ブリュージュ 02



◆本書より◆


「はしがき」:

「この情熱研究の書において、ともかく私はとりわけ一つの「都市」を呼び起したいと思った。人々の精神状態と結ばりあい、忠告し、行為を思いとどまらせ、決心させる一人の主要人物のような「都市」を。
 かくして、私が好んで選んだこのブリュージュは、現実のなかにほとんど人間そのものとして姿を見せる……その影響力はそこに滞在する人々に及ぼされる。
 この都市はその風光と鐘(かね)とによって彼らを育成する。
 私が示唆しようと願ったもの、それはまさにある行為をみちびく「都市」であって、その町の風景は、たんに背景とか、少々独断的に選ばれている叙景の主題としてあるだけでなく、この書の事件そのものと結びつく。
 ブリュージュの書割(かきわり)は事件のやま場に力をかすものであるから、したがってページのあいまには書割を挿入し、ぜひともそれを再現させなければならない。河岸、ひとけない通り、古い家屋、掘割(ほりわり)、ベギーヌ会修道院、教会、礼拝用の金銀細工、ベフロワ。そうすることによって、本書を読む人たちも、この「都市」の姿に魅せられ、その影響力を受け、いっそう身近な水の流れに感染し、読者自身、高い塔が本分にながながと投じている影を感じとるにちがいない。」



「死都ブリュージュ」より:

「すでに傾きかけた陽(ひ)は、窓ガラスに紗(しゃ)の日除けのかかった、森閑とした大邸宅の廊下を暗くしていた。
 ユーグ・ヴィアーヌは外出しようとしていた。夕暮れが近づくと、外に出ていくのが彼の日課だった。仕事もせず一人ぽっちの彼は、自分の部屋にしている二階の広い居間で一日をすごした。居間の窓はロゼール河岸に面し、その掘割にそって立っていた彼の家は、影を水に映していた。
 少しは雑誌や古い書物も読んでみた。煙草(たばこ)を何本もすった。そして、どんよりとした曇り空のもとに開かれた窓辺に寄ってとりとめもない空想にふけり、思い出のなかに沈んでいった。」

「ユーグはこう思っていた、類似というものは、なんという不可解な力を持っているのだろう! と。
 それは人間性の相(あい)矛盾する二つの要素、つまり慣習と新奇さに応えるものである。一つの掟である慣習は生の律動そのものなのだ。ユーグはそれを、救いようのない彼の運命を決定したきびしさで経験したのだった。永遠になつかしい一人の女のそばで十年も暮してきたために、彼はもはや彼女なしの慣習になじめず、いまは不在の女をたえず思い、別の女の顔にその面影を求めつづけたのだ。
 他方、新奇さへの好みも本能的なものである。人間は同じ宝を持つことに厭(あ)きる。人は幸福というものを、健康と同じように対比によってしか享受しない。そして愛もまた、それ自身の断続のなかに存在する。
 ところで、類似はまさしくこの二つのものをわれわれの内部で和解させ、双方に等しい分け前を与え、はっきりとしない一点において結びあわせる。類似は慣習と新奇さとの地平線である。」
「彼は《類似の感覚》と呼びうるようなものを持ちあわせていた。それは補足的な、脆(もろ)く貧しい感覚だが、幾千もの微細な紐で事物を互いにむすびあわせ、空中に浮遊する蜘蛛(くも)の糸で木々を縁組みさせ、彼の魂と嘆き悲しむ尖塔とのあいだに無形の通信をつくりだすものであった。
 そうしたことのためにこそ彼はブリュージュを選んだのだ。一つの大きな幸せと同じように海の潮が引いていったブリュージュを。
そこにはまた、すでにある類似の現象もあったのだ。というのは、彼の思いは、灰色の都のなかの最たるものであるこの町と完全に一致していたからである。
 毎日が万霊節の日のようなブリュージュの街々の、この灰色にそまった憂愁! 尼僧たちの頭巾の白と司祭の長衣(スータン)の黒をもってつくられたようなこの灰色、しかもその灰色はこの都ではたえず流れただよい、滲透していく。永遠の半喪期から脱しえないこの灰色の神秘!」

「彼が妻の形見として大事にしていたものは、こまごまとした小さな物、つまらない品々、肖像だけではない。彼は妻のものならばいっさいのものを、まるで彼女がちょっと家を空けただけにすぎないかのように、そっくり残しておきたかった。なに一つ粗末に扱われたり、人に与えられたり、売られたりはしなかった。妻の部屋はいつでも彼女が戻ってこられるように、つねにその準備がととのえられ、整頓はゆきとどき、なにもかもがもとのままで、(中略)彼女の昔の肌着もそっくりそのまま残され、引きだしのなかにつみかさねられていた。しかも引きだしには匂い袋がいっぱいつめられていたので、多少黄色くなったものの、いたむこともなく手つかずのままで保存されていた。衣服も、ありとあらゆるかつての衣裳類も箪笥(たんす)にかかっていたが、それらの絹もポプリンも今は身ぶりの伴わないもぬけの殻(から)だった。
 ときおりユーグは、なにも忘れたくない、自分の哀惜を永遠なものにという思いにかられて、それらの品々を見たいと思った……」
「ところである日、奇妙な欲求が頭をかすめ、たちまちその欲求にとりつかれた彼は、ぜひそれを実現させたいと思った。それはこの衣服の一つを、亡き妻が着こなしたと同じようにジャーヌにも着せて、その姿を見てみたいという欲求だった。」



ローデンバック 死都ブリュージュ 03



こちらもご参照下さい:

『夢人館 5 フェルナン・クノップフ』
岡部紘三 『フランドルの祭壇画』
沈復 『浮生六記』 松枝茂夫 訳 (岩波文庫)






































































































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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

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