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ガーミニ・サルガードー 『エリザベス朝の裏社会』 松村赳 訳

ガーミニ・サルガードー  
『エリザベス朝の裏社会』 
松村赳 訳

刀水歴史全書 8

刀水書房 
1985年1月20日 初版印刷
1985年1月30日 初版発行
326p 索引12p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,200円



Gamini Salgado: The Elizabethan Underworld, 1977
第一章は概観。第二章は売春と性病について。第三章はフェア(「バーソロミュー大市」)の行商人やスリ、詐欺、見世物について。第四章は白魔術(ホワイト・マジック)と黒魔術(ブラック・マジック)について。第五章はサイモン・フォーマンとジョン・ディーを中心に、占星術と錬金術について。第六章は浮浪者(流れ者、辻強盗、旅女郎、旅乞食)について。第七章は行商人、鋳掛屋、旅役者、手品師等について。第八章はジプシーについて。第九章は監獄について。第十章は矯正院と精神病院について。
本文中図版(モノクロ)多数。


サルガードー エリザベス朝の裏社会 01


帯文:

「“浮浪者文学”“イカサマ読物”とも呼ぶべき膨大なパンフレットやシェイクスピアの作品に現われたロンドンの裏社会、盗賊・スリ・ペテン師・売春婦など。華麗な宮廷文化の時代のもう一つのイギリス史」


目次:

序言
感謝の言葉

16世紀ころのロンドン市街 (地図)
凡例

第一章 ロンドン――すべての都市のなかの花
第二章 悪業の街外れ
第三章 大市の楽しみ
第四章 白魔術と黒魔女
第五章 占星術師と錬金術師
第六章 街道のならず者
第七章 オートリカスとその一族
第八章 お月さまのお気に入り
第九章 カウンター監獄とクリンク監獄
第十章 ブライドウェルとベドラム

参考文献について

訳注
訳者あとがき (松村赳)

索引



エリザベス朝の裏社会 05



◆本書より◆


「序言」より:

「どの時期もそうであるが、エリザベス時代も眼をみはる対照(コントラスト)の時期であった。(中略)社会生活にもこういう対照が満ち溢れていた。社会階層の最上端では、貴族が優雅と贅沢とおごそかな威厳に包まれていた。たとえば、一五九五年サセックス州のカウドレー城館では、モンタギュー子爵アントニーの毎日の正餐は六名の先導係が監督し、料理は、家中(かちゅう)の者どもが威儀を正してもくもくと佇立するなかを、侍従たちに守られてしずしずと運ばれた。厨房係は、子爵の大きな骨つき肉が焼けるあいだ、皿洗いがこれに背を向けて礼を失するようなことを許してはならない、との命令を受けていた。一方、社会の階段の底辺には、家庭のごみの山からパンのかけらを拾いだしてありがたがるような男女、子供がいた。彼らの多くは、物乞いしても無駄となると盗みや詐欺に走った。こういう人びとは、数からすれば貴族やジェントリーよりずっと多く、国民生活に及ぼす影響も同じように大きかった。ただし、それは彼らがなんらかの決定をおこなったからではなく、この国の一般民衆ばかりかお歴々に対しても、無宿者が社会生活の一特徴になり、なんとかしなければならない問題になってきたことを悟らせたからであった。」
「エリザベス時代の流れ者や浮浪者が引き起こした恐怖や敵意の感情が柔らげられて積極的な同情に変るまでには、長い時間がかかった。その間彼らはしだいに数をふやしながら国内を放浪し、法強制機関を――それらは、とくにロンドン外部では、最良の状態でも微々たるものであった――きりきり舞いさせた。泥棒や無宿者は、たくさんの齢裁判所の公記録や似たような文書のなかに登場するほか、多くのエリザベス朝演劇にも登場して、そのしゃべり方や態度や生活習慣によってそれらに活気を与え、当代のもっとも生気あふれる散文のいくつかに霊感を与えた。ナッシュ、デッカーとりわけグリーンといった作家たちの語法にはみな、正真正銘の浮浪者の生活様式であることを示す、機知に富む巧妙さと楽しげな無軌道ぶりがある。路上での働きをこととするようになった連中の大部分は、おそらく洗うがごとき赤貧に追われてそうなったのであろうが、ひとたび街道に出没するようになるや、彼らは、ほとんどいつも極貧とは紙一重、という生活に驚くべき弾力性をもって適応していった。本書において、筆者は、この裏社会の多彩さと活力を伝えようと努めた。すなわち、これらの泥棒、娼婦、不具者、詐欺師らが、時代のきびしい社会条件に対応して、どのように自らの社会と階層組織を発展させ、独自の手のこんだ巧妙な戦略をあみだして、自分たちが締めだされていた社会をいたるところで食いものにしたか、を伝えようと努めた。」



「第一章」より:

「エリザベス朝のロンドンは、現在われわれが知っている都市よりずっと活気があり、ずっと騒々しく、ずっと悪臭がひどく、おそらくはずっと危険で、明らかにずっと生彩に富んでいた。」
「オールドゲイト門の北、現在地下鉄のリヴァプール街駅がある場所には、セント・メアリー・オヴ・ベツレヘム精神病院すなわちベドラムがあり、ロンドンっ子たちは、ここに散歩にでかけては狂人たちの奇行や苦悶を見ておもしろがった。ラドゲイト監獄とニューゲイト監獄は西側の入口にあり、囚人たちはラドゲイト門の鉄格子ごしに通りすがりの人びとに施しを乞うた。
 ロンドンの川〔テムズ川〕はロンドンいちばんの賑やかな交通路で、これにかかる橋はたったひとつしかなかったが、その橋〔ロンドン橋〕はこの都市の誉れのひとつであった。橋には全長にわたって狭い屋根つきの道が通っており、二〇のアーチがこれを支えていたが、その道の両側に並ぶすてきな木骨造りの家、つまり富裕な商人や小売商の住宅は、外国人訪問客の絶讃を博した。それらの訪問客が述べているもうひとつのロンドン橋の見物(みもの)は、門楼の上の晒棒(さらしぼう)で、先端には処刑された反逆者たちの首が飾ってあった。一度に三〇から三五もの首が腐るがままに晒され、上空を旋回する清掃係の鳶(とび)が、その腐りかかった肉を貪欲についばんだ。罪人たちはまた、川の土手にも鎖でつながれた。」


「劇場や裏社会の話となると、「巾着切りのモル」とか「鉄火娘」とか呼ばれたメアリー・マーカムことメアリー・フリスの生涯と悪行の数々を省くわけにはゆかない。「鉄火娘」というのは、一六〇七年ごろに上演されたミドルトンとデッカーの共作戯曲の題で、このなかで二人は、実生活では巾着切りで娼婦で置屋の女将で盗品故買人で、そのほかにもいくつかの悪名をつけられる資格のあるこの女性を、大いに美化して描いている。彼女は、何よりもまず、服装と行儀作法の面における女性解放運動の草分けの一人であって、普段着には胴着(ダブレット)とズボンを好み、悪態つきと喫煙にふけっていた。彼女が登場するもうひとつの戯曲、ネイサン・フィールドの『貴婦人への償い』(一六一二)のなかでは、彼女は、女主人公グレイス・セルダムから歯に衣を着せぬ言葉で酷評される。
 さて、みだらで恥しらずで、
 私には、お前を、男か女か、どう名づければいいのか、分かりません。
 それというのも、自然の神がお前をどちらかにはっきりさせることを恥じて、
 性のないままこの世に送り出されたからです。
 ある人はお前を女だと言い、ある人は男だと言いますし、
 男と女の両性だという人も大勢います。
 でも私は、むしろどちらでもなく、
 昔のケンタウロスのまねをした半人半馬だ思っています。
鉄火娘の劇場とのつながりは、単に、二つの戯曲の登場人物で他のいくつかの戯曲でも言及されている、ということに留まるものではない。実は彼女自身が実際に舞台に立ったと信ずべき理由があるのであり、そうなると、彼女にはイングランド最初の本職女優とみなされる資格があることになる。というのは、一六〇五年『ロンドン主教区法廷懲罰記録』は、メアリー・フリスが男の衣裳をまとって幸運座(フォーチュン)に出演し、いかがわしい話をしゃべり、リュートを奏しながらみだらな歌を歌ったことを白状した、と伝えているからである。」



「第四章」より:

「カトリック教会に関して重要であったのは、公式教義よりも霊験あらたかな魔術への権利だったように思われる。その権利がエリザベス朝の国教会によって断固退けられるや、別の男女がこれを取り上げ、かつてカトリック教会が与えたのと同じ約束を与え、同じサービスを提供した。この種の人たちは、「魔法使い(カニング・マン)」「女魔法使い(ワイズ・ウーマン)」「お祓い師(ブレッサー)」「まじない師(チャーマー)」「呪術師(コンジュアラー)」「妖術師(ソーサラー)」「魔女(ウィッチ)」などさまざまな名で呼ばれ、エリザベス朝イングランドでは事実上どの村落共同体でもおなじみであった。」
「実際のところ、がっかりするかもしれないが、イングランドに関する限り、魔女集会、(中略)深夜酒宴、空中騎行を伴なう組織的魔女熱のようなものの存在を暗示する証拠は全然ない。記録に見いだされるのは、近所の人たちから物乞いをする状態に追いこまれることもしばしば、というくらい赤貧洗うがごとき生活をしていた孤独な老婆である。近所の人たちは、彼女たちを猜疑と敵意をもって眺め、おそらく、そのために良心の呵責に大いに悩んだことであろう。魔女が女性であったという事実も、老婆と子供のいない寡婦とが、経済的にも社会的にも小農村共同体のもっともひよわな構成員であったからこそ、なるほどと思われるのである。往々にして、彼女たちには、ペットの猫、ヒキガエル、イタチだけが友であった。ときにはそれらのペットを毛織りの容器に飼い、グリゼル、パイウォケット、サック・アンド・シュガーなどと愛称で呼んだ。ところが、告発者の頭のなかでは、それらは、悪魔が老婆に猫背とか顎先の毛とか脇の下の「悪魔の乳首」とかの顕著な目印があったりすると、疑惑はほとんど確信になった。」
「自らあえて魔女と名乗った人たちの動機には多くのことが考えられようが、浮浪者として道端にさまよいでた人びとの場合と同じで、貧困から逃れたいという物質的欲望がもっとも重要なものであったろう。エリザベス時代の村で独り暮しをしている老婆にとって、なんとか生き残ってゆくことと耐えきれない貧乏との差は、わずかに一握りの豆や一袋の穀物や二、三個の卵の問題であったであろう。妖魔術に通じているとの評判は、隣人たちが彼女をしょっちゅう手ぶらで立ち去らせはしないという保証をうる有効な方法だったのかもしれない。つきあう仲間も多くはないという女性に、魔女であると思いこませたもうひとつの理由は、わたしは罪深い人間なのだ、という極端なまでの信念であった。世捨人にとって、許されえない罪を負っているという意識から、もし自分の魂はどのみち悪魔のものになるのなら、こちらのほうから悪魔の一味になってこれと知合いになってもかまわないではないか、という気持ちに達するのは、長い道のりではなかった。」
「おそらく、それよりももっと有力な動機は、通常の報復手段――法、富、体力、社会的地位、その他――を閉ざされている者が、自分を虐待していると感じた共同体に対して抱いた復讐の望みであったであろう。」
「一般的にいって、魔女狩りは、当局関係者からの圧力の結果として起こったものではなく、庶民大衆から湧き起こったものであった。ギフォードの『魔女と妖魔術に関する対話』に出てくる女性の話し手の一人は、「あたしは薪をたった一束しか持っていなくても、魔女を焼くためだったらそれを肩にかついで一マイルでも運びますよ」と言う。単に魔女として告発されるということが、いったいどういうものであったのかは、アグネス・フェンの運命からうかがい知ることができる。一六〇四年、九四歳の彼女は、ジェントルマンのサー・トマス・グロースも加わったグループによって、棒でつつかれ、なぐられ、突かれ、顔をナイフで刺された。「魔女」は自宅から身体ごと引きずりだし、街頭で蹴とばし、ぶんなぐり、ひっかいてもかまわなかった。」



エリザベス朝の裏社会 03


「水上歩行法」


「トマス・ロス(中略)の『自然と人工の結論』(一五六七年)(中略)のなかで彼はつぎのような指示を与えている。
 「まことの秘術、水上歩行法。これを行なうには、小さなタンブリン二つを両足裏にしばりつけ、竿の先にも別のタンブリンをしっかり結びつける。これでもって水上を安全に歩き、見守る全員を驚嘆させることができるであろう。そうなれば、心臓の強さと身の軽さをもって、たびたびこれを実行したまえ。」」



「第五章」より:

「エリザベス時代とジェイムズ一世時代のイングランドでは、占星術は、(中略)社会全階層の信仰の一般構造の一部であった。レスター伯は、ジョン・ディー博士に対し、エリザベス女王の戴冠に縁起のいい時間を決めるため星に伺いをたててくれ、と頼んだ。」


「第九章」より:

「エリザベス時代には、男も女も、事実上どんな犯罪ででも監獄に放りこむことができた。放浪罪、小窃盗罪、合法的理由も明白な生活手段もなく教会区を離れる罪、口頭誹毀(ひき)罪、負債、暴力行為、治安紊乱行為、魔女の嫌疑――挙げてゆけば、事実上きりがない。しかし、もっともありふれた二つの投獄理由は負債と暴力行為であった。てっとり早い金儲けの誘惑が社会全階層に蔓延していたように思われ、ひどく手の込んだ一獲千金の企画が満ち満ちていた都会のこととて、大勢の人間が借金で首が回らなくなったのは異とするに足りないし、一方、暴力行為は、法執行力が有効・適切になるまでは、例外というよりも通例であった。人びとが投獄される方法はといえば、これほど簡単なものはなかった。金さえあれば誰でも、宣誓をして誰か他人に対する令状を出してもらい、逮捕させることができた。」


「第十章」より:

「エリザベス朝裏社会には、見世物風でもありまがまがしくもあって、しかも、おそらく誰もエリザベス朝のこととは夢にも思っていないであろう一面があった。それは、ベツレヘム慈善病院の悪名高き精神異常者保護施設、すなわち、ベドラムの名でずっとよく知られている施設のことで、そこでは、狂人見物はエリザベス時代人の普通の気晴らしであり、熊いじめや芝居見物と同等の(中略)娯楽の一部であった。」




こちらもご参照下さい:

John Dover Wilson 『Life in Shakespeare's England』 (Pelican Books)
R・D・オールティック 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 村田靖子 訳















































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好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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