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R・D・オールティック 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 村田靖子 訳 (クラテール叢書)

「新聞やブロードサイドを買って読んだ人びとを魅了したのは別の話だった。それは、グリーンエイカーが語った犯行後の遊覧のくだりだ。彼はハナの頭を絹のネッカチーフに包み、それをもって乗合馬車(オムニバス)に乗り、シティ区のグレイスチャーチ通りまで行った。そこでこんどはステップニーのマイル・エンド行きの乗合馬車に乗り換えた。馬車の中ではずっと、その丸い包みを膝の上に置いて、平然としていた。」
「どの乗合馬車だったか、グリーンエイカーは包みをかかえて降りる段になって、車掌に向かって剽軽にこういったという。「ほんとうなら、ふたり分払わなきゃいけないところなんだよ。」」

(R・D・オールティック 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 より)


R・D・オールティック 
『ヴィクトリア朝の
緋色の研究』 
村田靖子 訳

クラテール叢書 11


国書刊行会 
1988年7月30日 初版第1刷発行
465p 索引viii 
四六判 丸背並装上製本 カバー 
定価3,200円
装訂: 中島かほる



Richard D. Altick: Victorian Studies in Scarlet, 1970
著者オールティックは1915年生。「おもにヴィクトリア朝文学を研究。社会・風俗史的関心も強い」(カバーそで紹介文より)。国書刊行会からは『ロンドンの見世物』(全三冊)が刊行されています。
本文中図版(モノクロ)多数。


オールティック ヴィクトリア朝の緋色の研究 01


帯文:

「われらが殺人
黄金時代!
殺人が大衆娯楽として制度化されたのは、ヴィクトリア朝初期のことだった……人びとは血なまぐさい事件に一見然るべき恐怖感をもって接している風なのだが、よく調べてみると、これは何やらお祭り気分に近い感情であった。」



帯背:

「殺人事件
の社会史」



目次:

まえがき
序論

第一章 大衆むけ殺人のはしり
第二章 「大評判の殺人が起きた」
第三章 血まみれ文学
第四章 流血演劇とその他の娯楽
第五章 殺人と文学者
第六章 スタンフィールド館の悲劇
 ジェイムズ・ブロムフィールド・ラッシュ 一八四九年
第七章 「医者を信用するなかれ」
 ウィリアム・パーマー 一八五六年
 トマス・スメサースト 一八五九年
 エドワード・プリチャード 一八六五年
第八章 ヘンリー・ジェイムズ好みの完璧な事件
 マドレイン・スミス 一八五七年
第九章 世にも恐ろしい犯行
 ジェシー・マクラフラン 一八六二年
第十章 サッカレーが預言した殺人
 フランツ・ミュラー 一八六四年
第十一章 ロンドン橋をひとまたぎ
 ヘンリー・ウェインライト 一八七五年
第十二章 召使いには御用心
 ケイト・ウェブスター 一八七九年
第十三章 チャーリーの離れ業
 チャールズ・ピース 一八七九年
第十四章 ピムリコの寝室
 アデレイド・バートレット 一八八六年
第十五章 砒素とアラバマから来た女
 フローレンス・メイブリック 一八八九年
第十六章 ペンと毒薬
 トマス・ニール・クリーム 一八九二年
第十七章 ジョージのアメリカン・バーでの殺し
 ジョージ・チャップマン 一九〇三年
第十八章 ヌードの自転車乗りを訓練した男
 サミュエル・ドゥーガル 一九〇三年
第十九章 殺人とヴィクトリア朝精神 

文献注

訳者あとがき (村田靖子)

索引




◆本書より◆


「まえがき」より:

「ヴィクトリア朝の殺人事件に関する厖大な資料を読んだことがある人なら、わたしがどれだけ「英国著名裁判」シリーズに負っているかにすぐ気づくことだろう。これは内容にぴったりの血の色をした布装幀本で、二十世紀前半にエディンバラのウィリアム・ホッジ社が出版したものである。ほかにも多くの資料を使ったが、ヴィクトリア朝のいくつかの有名な殺人事件のあとでおこなわれた裁判の全筆記録は、状況を物語る詳しい事実が詰まっているという点で、不可欠なものであった。もしこの筆記録がなかったなら、本書も存在しえなかった。
 また、これと同じくらいわたしが世話になったのは、イギリス最高の犯罪史家ウィリアム・ラフヘッドである。かつてラフヘッドがいったように、出版された裁判記録のおもな価値は、「人類の社会史の、あまり感心できない暗い側面に光を投げかけるという点にある。」現代の歴史記録者は、いく人かの同胞、それも縛り首になったか、自然死かはまちまちだが、ずっと昔にこの世を去った者たちの殺人行為を吟味するとき、善悪を判断する義務は負わされていないが、それはほかのだれよりも、この賢明なるラフヘッドの模範があるおかげなのだ。ありがたいことに、歴史家の役目は記録することで、譴責することではない。事実はこのとおり、教訓づけの好きな読者の方々は、どうぞお好きなように解釈して下さい、というわけだ。」
「本書は事実上、知的普遍主義の産物だということを喜んでここに記しておきたい。(中略)本書のテーマは犯罪学と社会史の両方にまたがり、執筆者のわたしの本業は英文学を教えることである。」



「序論」より:

「ひとははるか旧約の時代から殺人に魅せられてきた。そもそも、創世記がよく読まれるのは、エデンの園の出来事もさることながら、つづく第四章に誌された人類初の殺人という行為のためではないか。ハムレットも口にする古い言い伝えによると、カインはロバの顎骨で弟アベルを殺害したというが、それ以来、たしかに殺しの手段は着々と創意工夫をこらされてきた。しかし、殺人が人間の原初的な情動や想像力を魅惑する力は、社会から社会へ、時代から時代へと受け継がれてきた。そして、ジョージ・オーウェルが「我らの殺人黄金時代、いってみれば、我々のエリザベス朝」と呼んだ時期の大部分を占めていたヴィクトリア朝ほどその力が顕著にあらわれた時代はない。
 本書の目的は、ヴィクトリア朝の社会史という織物の中に通っている緋色の糸を辿ることである。」
「殺人が大衆娯楽、つまり見るスポーツとして制度化されたのはヴィクトリア朝初期、もしくはその直前のことだった。現代でも、何百万という人びとが、リリントン・プレイス事件、A6事件、ムーア殺人事件(中略)についての、細部にわたる身の毛もよだつ報道を貪り読んだ。が、彼らの先達ともいうべきヴィクトリア朝の人びとは、何世代にもわたって、一見然るべき恐怖感をもって薄気味悪い事件を見ている風だが、よくよく調べてみると、何やらお祭り気分のようなもので接しているのがわかる。(中略)同情と恐怖の感情は湧き上る喜びの情とそれほどかけ離れたものではない。
 わたしは社会歴史心理学という思弁的な学問には深い不信の念を持っているので、極力この危険な領域には足を踏み入れないようにする。それでも、ヴィクトリア朝大衆が殺人に抱いていた熱狂には、経済的・社会的状況にがっちりと枠をはめられ、しかも知的には空虚で、情緒的には萎縮した生活から生まれた部分もある、と説明することもできる。そのころ社会で起きた殺人の中に、彼らは恐怖、病的な共感、自分に代って表現された攻撃性など根源的な情念の捌け口を、そしてまた、もっと面白いもの、知的にもっと昂揚させてくれるものがないために、空虚で覇気のない状態に陥りやすい精神をせっせと働かせるための格好な捌け口を見出したのである。次々に起る殺人はブロードサイドや新聞、時にはスタッフォードシャー陶器人形という形で家庭に送り届けられ、また、ガス灯照明のメロドラマから覗き見見世物(ピープ・ショー)や蝋人形など巷での娯楽にもとり入れられた。こうした殺人は、ヴィクトリア朝の人びとに考えることを、そしてたとえ卑俗な形ではあっても、自分たちの感情をぶつけるものを与えてくれた。彼らがきまって見せた反応は、身震いというよりは甘美な戦慄であった。あえてこういう区別をするなら、の話だが。
 ヴィクトリア朝の社会の全般的な趨勢の中で、この飽くことを知らぬ殺人への熱中は、生彩を放つ無視できない意味を持つ要素であった。一章から五章では、この熱狂が驚くほど広範囲にわたっている事実と、それを育んださまざまな媒体について述べる。ここでは、いや本書全体にわたってそうなのだが、わたしの興味は殺人行為そのものではなく、殺人がもたらした波紋と、その波がうち寄せたはるかかなたの思いもよらぬ岸辺に向けられている。
 それだけではない。死に様を詳細に研究することにより、人びとの生き方のほうに関心がある歴史家なら、ヴィクトリア朝の殺人記録のうちに、他の資料から知るとしたら並大抵なことではない、偽りなき社会生活の細部が宝物として眠っているのに気づくはずだ。特に出版公開されている裁判記録についてそれがいえる。本書の六章から十八章でとりあげた事件は、裁判記録が残っているからこそ選んだものである。」
「この本の登場人物には二通りある。一方には、実際に起きたいくつかの有名な殺人ドラマに出演した人びと。そしてもう一方には、観客、つまり、死体の発見から犯人の絞首刑まで、くる日もくる日も貪るように裁判の成り行きを追い、その話とそこに出てきた人物の重要なことは生涯覚えている、英国中の数百万人という読者がいる。双方が残した記録から、わたしたちはヴィクトリア女王の時代の人びとの暮しぶりの、非常に生き生きとした偽りのない、もうひとつの様相を知ることができるのである。」



オールティック ヴィクトリア朝の緋色の研究 02


「流儀に従ってかならずブロードサイドの冒頭に飾られた粗雑な木版画は、だいたい殺人の場面そのものか、背景に一段高く絞首台、そして前景に帽子やボンネットをかぶった大勢の見物人がおおよその形でシルエットで描かれている処刑の瞬間かどちらかだ。こうした木版は便利なように一般的なものだけを描き、同じものを何度もくり返し使った。印刷技術が発明されてからはじめの一世紀の間は、ほとんどの挿絵が同じように何度も使われたが、この巷の文学はその慣習をいちばん長く保っていた。(中略)ある時は殺人犯の似顔絵だというのが、別の時には絞首刑執行人となる。それでもいっこうに構わんじゃないか、とヴィクトリア朝に街をうろついていた浮浪者ならいうはずだ。いずれにしろ、殺人犯も死刑執行人も、どっちも人相が悪い。」




こちらもご参照下さい:

仁賀克雄 『ロンドンの恐怖 ― 切り裂きジャックとその時代』 (ハヤカワ文庫)
松村昌家 編 『『パンチ』素描集 ― 19世紀のロンドン』 (岩波文庫)
































































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