生田耕作 『ダンディズム ― 栄光と悲惨』 (中公文庫)

「実益の分銅にかけてしか天才の重みを量れない連中はおそらく反問するであろう、ブランメルは社会の進歩と福祉のために何をなしたかと。それにたいしては、こう答えるほかはない。彼がなしたもっともすばらしいこと、それはまさしくなにひとつなさなかったことであると。そして、皮肉にも、なにひとつなさないことによって、ブランメルは自らを不滅にしたのである。」
(生田耕作 『ダンディズム』 より)


生田耕作 
『ダンディズム
― 栄光と悲惨』

中公文庫 い-87-1

中央公論新社 
1999年3月3日 印刷
1999年3月18日 発行
212p 付記1p 口絵8p
文庫判 並装 カバー 定価533円+税
カバー絵・装丁: 金子國義


編集部による付記より:

「本書『ダンディズム』は一九七五年、奢灞都館(さばとやかた)より刊行されたものを底本としましたが、「ウイリアム・ベックフォード小伝」と「老いざる獅子――バルベー賛」の二篇は、一九九二年刊『生田耕作評論集成II』(同社)所収の改訂稿と差し替え、また遺された著者のメモ書きに従い、『黒い文学館』(白水社一九八一年)より“Le noir symbolique”を「付記」として追加収録することで、完全版といたしました。(編集部)」



口絵モノクロ図版12点。


生田耕作 ダンディズム 01


帯文:

「元祖ダンディ、ブランメルとは!?
異端の「反時代宣言」がここに復活」



カバー裏文:

「かのバイロン卿をして、「ナポレオンになるよりもこの男になりたい」と述懐せしめ、平民の身で当時の国王や大貴族と対等に付き合い、一世の流行を牛耳った男、ジョージ・ブランメル。彼の極めて個性的な生きざまを通じ“ダンディ”なるものの真髄に迫る、鬼才生田耕作の名著、完全版としてここに復活!(カバー絵は金子國義氏の描き下ろし)」


目次:

ボー・ブランメル
落日の栄光
ブランメル神話
冷たい偶像
ウイリアム・ベックフォード小伝
老いざる獅子
ダンディズムの系譜
付記――Le noir symbolique

後記
主要参考書目



生田耕作 ダンディズム 02



◆本書より◆


「ボー・ブランメル」より:

「バイロン卿をして、「ナポレオンになるよりも、ブランメルになりたい」と述懐せしめ、平民の身で当時の国王や大貴族と対等に付き合い、一世の流行を牛耳り、しゃれ者たちから模範として仰がれ、後世の史家から十八世紀イギリスを通じて最も興味深い人物と評価される、ジョージ・ブランメルとは、そもそもいかなる人物か? 解答を先きに出せば、一介のダンディにすぎない。それ以上のなにものでも、またそれ以下のなにものでもないところに、ブランメルのブランメルたる所以があるといえるだろう。
 筆者が最初にこの異色の人物の名前を強く意識するに到ったのは、かの十九世紀フランスの悪魔主義小説家バルベー・ドールヴィリーの紹介文を通じてであるが、文学とはおよそ無縁の存在であり、一篇の作品すら残さなかった、この海峡の彼方の人物に異例の興味を寄せ、熱烈な讃美の書『ダンディズム、ならびにジョージ・ブランメルについて』を捧げたドールヴィリーは、その中でブランメルの存在意義を見事に浮き上がらせている。「けだし、彼は一個の〈ダンディ〉にすぎなかった。ダンディを取り去れば、ブランメルから何が残るか? 同時代のそしてあらゆる時代を通じての最高のダンディ以上の何物であることにも彼は適していなかった、しかしまたそれ以下の何物であることにも適していなかった。彼はまさしく、混じり気なしにそれであった。(中略)当時の他の多くの連中は、ダンディであるとともに、それ以上の何物かであった。或る者においては、情熱または天才、他の者においては高貴な家柄、莫大な財産であったその何物かを、ブランメルはまったく持ち合わさなかった。その欠如から彼は得るところがあったのだ。というのは自分を際立たせるもののちからだけに還元され、彼は一つのものの高みにまで己れを高めたのである。すなわちダンディそのものになったのだ」。」
「完璧なダンディとは、言いかえれば完璧な演技人ということである。」
「〈不感無覚(ニル・アドミラリ)〉の姿勢(ポーズ)、人工性への執着、さらに寸鉄人を刺す逆説的警句……筆者がとりわけブランメルに惹きつけられる理由の一つは、彼にあっては言葉がもっぱら人を傷つける攻撃武器としての用途にきびしく限られていることである。いうなれば毒舌の刃をふるって、礼節と巧言によどんだ社交場裡を攪乱し、かえって観客の喝采を博し、最後は自らの両刃の剣を受けて倒れた、この一代の驕児の生き方に、わたくしは恋慕にちかい興味をおぼえていることも、最初に告白しておかねばならない。」
「大学時代のブランメルについて、ぜひとも報告しておかねばならないのは、スポーツにたいして彼が最大の軽蔑を抱いていたことである。その第一の理由は、激しい動作によって衣服を乱す危険にさらされること、第二は、賤民のように力をふりしぼり、〈棍棒をにぎりしめ、慌てて駈け出す〉不様さに耐えられなかったことである。
 勉学にたいしても、スポーツ以上の熱意を示さなかったようだ。初歩的なものとかかずらうことは、ダンディの傲慢な自尊心と相容れなかったからであろう。」
「ダンディズムを支える基本的心因の一つがナルシシズム、すなわち自惚れであることは言うを俟(ま)たない。世間流に〈自惚れ〉が〈悪徳〉であるとすれば、ダンディであることはそれ自体すでに不善であり、ダンディズムが常識的見解から白眼視されるのも当然の成り行きであろう。」
「職業を持つことは、とりもなおさず、世俗の塵にまみれることであり、ダンディの資格を放棄することにつながる。今後は、意志的軽蔑を通じて、自覚的嫌悪を通じて、さようなものとは完全に縁を断つことだ。」
「ブランメルが自らに課した粋の原則は中庸に重点が置かれ、知性的に統一されている点が特徴である。」
「ブランメルの衣装哲学を端的に示すものとして、広く知られている寸言がある。いわく、「街を歩いていて、人からあまりまじまじと見られるときは、きみの服装は凝りすぎているのだ」。言葉の使用においては、あれほどの自己顕示的攻撃性を発揮した人間が、服装においては〈中庸〉を第一に重んじたのである。意表外な色彩、大胆すぎる裁ち方は、彼の目には耐えがたい悪趣味として映じたようだ。むしろ控え目であることに情熱を注ぎ、バイロンが名づけた〈衣服の面での高雅な慣習〉の範囲内で、自分を際立たせることをねらったのである。」
「一八〇六年十月、ブライトンの町では、爪先から頭の天っ辺まで緑色をまとって出歩く一人の男の姿が人目をひいた。緑色の服、緑色の手袋、緑色のハンカチ、残りもそれにあわせて。この変人はひとりぼっちで暮らし、誰れとも交際せず、そして自宅の調度は、カーテンも、壁紙も、ソファも、食器やこまごました化粧道具にいたるまで、グリーンの色調の連続を呈していた。ここまでくれば、もはや首尾一貫するしかない。やがて彼は緑色の果物と野菜いがいのものを口にしなくなった。そしてすべては悲劇的な幕切れで終わりを告げる。或る日、〈緑の男〉は――みんなは彼をそう仇名していた――窓から街路へ飛びおりると、一目散に駈けだし、いちばん近くの崖の上からまっさかさまに身を投げてしまった。
 同じく服装に凝ったとはいえ、ブランメルはこの〈緑の男〉とはまさしく対極に位置していたわけだ。」



「落日の栄光」より:

「いずれにせよ、敗退の日はやってきた。ダンディの前には借財による投獄が待っていた。」
「かくして、たちまち持ち金を使い果たしたあとには、ダンディにとって致命的な打撃である、無一文に近い困窮生活が待っていた。」
「幾人もが証言するように、その気にさえなれば、彼は芸術家としても優に一家を成すことができたであろう。ただ彼はダンディズムを一切の価値のうえに置き、この至難の芸術に挑戦したまでだ。けだしダンディの生き方こそ「彼を卓越した照明のうちにすえることを、そして彼が軽蔑しきっている並の人間の群から自分を引き離すことを彼に可能にする唯一のもの」であるからだ。」
「ブランメルの自尊心は、最後に差し出された機会までもはねつける。」
「かつてのダンディはいまでは道行く連中の嘲罵の的にすらなっていた。「いつしか街の子供たちは、彼が壁にそって身をささえながら、暖かく迎えてくれる住居を求めて、苦しげにからだを引きずっていくとき、この保護者のない存在を辱しめることをおぼえだした。或る一家だけが最後まで彼に忠実だった……彼のために常に暖炉の片すみに席を用意していた、そして彼はお茶の時間を待ちながら静かに居眠りするために、そこへやってくるのだった」(キャプテン・ジェス)。
 さいごに彼は完全な老衰状態におちいった。もはや自分の部屋から離れられなかった。」
「かつてジョージ・ブライアン・ブランメルであった男は、一八四〇年三月三十日、養老院で息を引きとった。」



「ブランメル神話」より:

「およそ文学者は、しょせん完璧なダンディたりえないのだ。バルベーの如く、或はボードレールのごとく、ブランメルの行状を讃え、ダンディズムの理論と実践を志す場合ですら、文学という不粋なわざに手を染めたという一事からして、すでにダンディたる資格の第一条件から外れたものと見てよいだろう。文学者のうちにダンディを認めることは、矛盾命題にほかならない。物を書く人間、言葉や情念をいじくり回す作業に打ちこむ性格は、必然的に〈不感無覚(ニル・アドミラリ)〉というダンディズムの理想の対極に位置するわけだ。実業はもちろん、芸術にせよ、政治にせよ、スポーツにせよ、学問にせよ、何ごとにもあれものごとに執着する人間はすべて同断である。ダンディズムはその信奉者にたいして、他の一切の能力の放棄を要求する、絶対的にして排他的な価値基準であるからだ。」
「ブランメルの離れ技は、いうなれば負数を正数に変えたことである。取るにたらぬものと見做される諸価値の上に、社会から付属的なものとして蔑視されるものの上に、〈伊達者〉はそのちからの基礎を築いたのだ。」
「無から支配の道具を引き出すこと、無価値なものを至高の価値に逆転させること、これこそブランメルが演じ遂げた驚異的な奇術であった。この空虚性のうちにブランメルのダンディズムの比類ない純粋性が宿されているといってよいだろう。軽薄の勝利、空無の果実。」
「実益の分銅にかけてしか天才の重みを量れない連中はおそらく反問するであろう、ブランメルは社会の進歩と福祉のために何をなしたかと。それにたいしては、こう答えるほかはない。彼がなしたもっともすばらしいこと、それはまさしくなにひとつなさなかったことであると。そして、皮肉にも、なにひとつなさないことによって、ブランメルは自らを不滅にしたのである。」














































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本