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アンドレ・ブルトン 『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』 巖谷國士 訳 (岩波文庫)

「この夏、薔薇は青い。森、それはガラスである。緑の衣におおわれた大地も、私には幽霊ほどのかすかな印象しかあたえない。生きること、生きるのをやめることは、想像のなかの解決だ。生はべつのところにある。」
(アンドレ・ブルトン)


アンドレ・ブルトン 
『シュルレアリスム宣言
溶ける魚』 
巖谷國士 訳
 
岩波文庫 赤 32-590-1

岩波書店 
1992年6月16日 第1刷発行
286p 
文庫判 並装 カバー 
定価570円(本体553円)



本書「訳注」より:

「本書は、一九二四年十月十五日にパリのサジテール社(シモン・クラ書店)から発行された、『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(André Breton : Manifeste du Surréalisme. Poisson soluble, Éd. Sagittaire chez Simon Kra, Paris, 1924)の全訳である。」


本書「解説」より:

「私が『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』の翻訳をこころみたのは、これで二度目である。(中略)今回は、はじめからおわりまですべて訳しなおした。まったくの新訳といってもよいほどである。末尾には「『宣言』再版への序」を併録した。さらに(中略)五十七ページにもおよぶ「訳注」をつけくわえることができた。」


ブルトン シュルレアリスム宣言


カバー文:

「「シュルレアリスム宣言」こそは20世紀の芸術・思想の出発点である。夢、想像力、狂気を擁護して、現実の奥深くに隠された〈超現実〉を暴きだし、真の生、真の自由に至る革命の必要を高らかに謳いあげる。本書はその原書初版の構成に基づいて、自動記述による物語集「溶ける魚」を併収し、綿密な訳注を付した新訳決定版。」


目次:

シュルレアリスム宣言
溶ける魚
*
『宣言』再版への序

訳注
解説




◆本書より◆


「シュルレアリスム宣言」より:

「人生への、人生のなかでもいちばん不確実な部分への、つまり、いうまでもなく現実的生活なるものへの信頼がこうじてゆくと、最後には、その信頼は失われてしまう。人間というこの決定的な夢想家は、日に日に自分の境遇への不満をつのらせ、これまでに使わざるをえなくなっていた品々を、なんとかひとわたり検討してみる。そういう品々は、無頓着さによって、それとも努力によって、いやほとんどいつもこの努力によって、人間の手にゆだねられてきたものだ。というのは、彼は働くことに同意したからであり、すくなくとも、運を(運と称しているものを!)賭けることをいとわなかったからである。」

「いとしい想像力よ、私がおまえのなかでなによりも愛しているのは、おまえが容赦しないということなのだ。」

「自由というただひとつの言葉だけが、いまも私をふるいたたせるすべてである。思うにこの言葉こそ、古くからの人間の熱狂をいつまでも持続させるにふさわしいものなのだ。」

「現実主義的態度(中略)は、(中略)私にはまさしく、知的および道徳的なあらゆる飛翔に敵対するものだと思われる。私はこの態度が大きらいだ。なぜならそれは、凡庸さと、憎しみと、つまらぬうぬぼれとの産物だからである。こんにちそこらのくだらない書物や、ひとをばかにした芝居を生みだしているのも、この態度である。それは新聞雑誌のなかでたえず強化され、もっとも低俗な趣味の次元で世論におもねることに専心しながら、科学や芸術の道をはばんでいる。」

「私は、夢と現実という、外見はいかにもあいいれない二つの状態が、一種の絶対的現実、いってよければ一種の超現実のなかへと、いつか将来、解消されてゆくことを信じている。」

「不可思議はつねに美しい、どのような不可思議も美しい、それどころか不可思議のほかに美しいものはない。」

「自分の時代の悪趣味のなかへ、私はだれよりも深入りしようとつとめている。」

「シュルレアリスム。男性名詞。心の純粋な自動現象(オートマティスム)であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。
百科辞典。(哲)。シュルレアリスムは、それまでおろそかにされてきたある種の連想形式のすぐれた現実性や、夢の全能や、思考の無私無欲な活動などへの信頼に基礎をおく。他のあらゆる心のメカニズムを決定的に破産させ、人生の主要な諸問題の解決においてそれらにとってかわることをめざす。」

「シュルレアリスムにのめりこむ精神は、自分の幼年時代の最良の部分を、昂揚とともにふたたび生きる。(中略)幼年時代やその他あれこれの思い出からは、どこか買い占められていない感じ、したがって道をはずれているという感じがあふれてくるが、私はそれこそが世にもゆたかなものだと考えている。「真の人生」にいちばん近いものは、たぶん幼年時代である。(中略)幼年時代には、偶然にたよらずに自分自身を効果的に所有するということのために、すべてが一致協力していたのである。シュルレアリスムのおかげで、そのような好機がふたたびおとずれるかに思われる。それはあたかも、ひとが自分自身の救済あるいは破滅にむかって、いまも走りつづけているようなものだ。暗がりのなかで、なにか貴重な恐怖が再体験される。(中略)ひとは戦慄を味わいながら、隠秘学者たちが危険な風景とよぶような場所をつっきる。私は自分の通ったあとに、獲物をつけねらう怪物たちをよびおこす。彼らはまだ私に対してさほど敵意をいだいてはいないし、私も彼らがこわいからといって降参するわけではない。」

「私は純粋にシュルレアリスム的な悦びを信じている。つまり、他のすべてのひとびとのあいつぐ挫折を知りつくしていながら、自分がうちのめされたなどとは思わずに、のぞむところから出発し、理にかなった道とはちがうあらゆる道を通って、行けるところまで行く人間の悦びをである。」

「私の思いえがいているシュルレアリスムは、私たちの絶対的な非順応主義をじゅうぶん明らかにしているので、現実世界をめぐる訴訟にあたって、弁護側の証人として召喚されることなど問題にもならないほどである。それどころか、シュルレアリスムが弁護することのできるものといえば、私たちがこの世でなんとか行きつこうとしている完全な放心の状態だけだろう。」



「溶ける魚」より:

「エレーヌ――窓はひらかれています。花々の香気がただよいます。耳もとの盃のなかで泡だっている日光のシャンパンが、あたしの頭をくらくらさせます。その残酷な日光は、あたしのみごとな体の線をきわだたせます。
サタン――ごらんになれますか、ここにおられる紳士淑女のみなさんのむこうに、ほらサン-ルイ島が見えるでしょう? 詩人の小さな部屋があるのは、あそこなのです。
エレーヌ――ほんとに?
サタン――詩人は毎日毎日、さまざまな滝の訪問をうけていました。なんとか眠りたいと思っていたあの赤紫色の滝や、夢遊病者みたいに屋根づたいにやってきていた白い滝や。
リュシー――白い滝、それは、あたしでした。
マルク――きみだとわかっていたよ、ここでのはげしい快楽のまにまに。たとえきみがきみ自身のレース編みにすぎないとしても。きみはけっきょく役たたずなんだ、魚を洗う女なんだ。
エレーヌ――そのひと、魚を洗う女なんです。」





こちらもご参照下さい:

アンドレ・ブルトン 『超現実主義宣言』 生田耕作 訳 (中公文庫)





























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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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