アーウィン・パノフスキー 『ゴシック建築とスコラ学』 (前川道郎 訳/ちくま学芸文庫)

アーウィン・パノフスキー 
『ゴシック建築とスコラ学』 
前川道郎 訳

ちくま学芸文庫 ハ-19-1

筑摩書房 2001年9月10日第1刷発行
227p 付記1p 文庫判 並装 カバー 定価1,000円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 神田昇和
カバー写真: ソールズベリ大聖堂参事会堂天井

「本書は一九八七年八月二五日、平凡社より刊行された。」



モノクロ図版60点、日本語版への付図9点。学芸文庫版では「訳者あとがき」に「編集部註」としてその後に刊行されたパノフスキー翻訳書についての書誌データが追加されている他は、おそらく平凡社版(ヴァールブルク・コレクション)と同一内容だとおもわれます。


本書「訳者あとがき」より:

「本書の原著はアーウィン(エルヴィーン)・パノフスキー(Erwin Panofsky)の中期の著作 Gothic Architecture and Scholasticism である。原著は最初一九五一年に Archabbey Press から出版されたあと、五七年に Meridian Books から再刊されている。」


パノフスキー ゴシック建築とスコラ学1


帯文:

「ゴシックは石造りの大全である
中世の技芸と学知に通底する思考様式を明らかにした図像学的精神史の傑作」



カバー裏文:

「ゴシック建築とスコラ学は中世ヨーロッパ文化の双璧である。飽くなき全体性と明晰への意志、理性と想像力、超越と内在の媒介の仕方、つまりは世界を分節するスタイル……両者には不思議な類似と平行性がある。一見相異なる文化領域を支える共通の論理とは何か。細部に宿る理念と文化史的コンテクストの発見術たるヴァールブルク的イコノロジーの最良の実践であるとともに、ヨーロッパ精神史を貫流するテクネーとロゴスの構築性という問題にも新たな視点をもたらす画期的論考。待望の文庫化。」


目次:

ゴシック建築とスコラ学
 I
 II
 III
 IV
 V
 図録

訳者付論――ゴシック建築論の森の中へ (前川道郎)
訳者あとがき (前川道郎)




◆本書より◆


「盛期スコラ学が〈マニフェスタティオ〉(顕示)という原理によって治められていたのと同様に、盛期ゴシック建築は(中略)「透明性(トランスペアランシー)の原理」とでもよびうるようなものによって支配された。ロマネスクの建造物は、われわれが建物の内部にいようと外部にいようと、明確に限定されて貫入できない空間という印象を与えるが、それと全く同様に、前スコラ学は透過することのできない障害物によって信仰を理性から隔離した。神秘主義は理性を信仰のなかに溺れさせることになり、唯名論は両者の結びつきを完全に断ち切ることになった。そして、これら二つの態度は後期ゴシックのホール式教会堂に表現を見いだしたといってよかろう。その納屋風の外被(シェル)は、しばしばやたらに(ワイルドリ)絵画的で、かつ、いつでも見かけ上は限界のないように見える堂内を囲っており、このようにして外部からは明確に限定されて貫入できないが内部からは明確に限定されず貫入可能な空間をつくり出している。しかしながら、盛期スコラ学は信仰という聖域と合理的知識の領域との間をきびしく限ったが、しかしこの聖域の内容は明瞭に識別できることを主張した。同様に、盛期ゴシック建築も室内のヴォリュームを外部の空間から限ったが、しかしいわばそれがとり巻く構造体を通して自らを投射するのだと主張した。だから、たとえば身廊の横断面を正面(ファサード)から読みとりうるのである。
 盛期スコラ学の〈大全(スンマ)〉と同様に、盛期ゴシックの大聖堂は何よりも「全体性(トータリティ)」を目指し、それゆえ、削除と綜合によって一つの完全で最終的な解決に近づいていった。それゆえわれわれは、他の時代においてなしうるよりもはるかに確信をもって、盛期ゴシックの平面というものとか盛期ゴシックの体系というものについて話すことができよう。その彫像群においては盛期ゴシックの大聖堂は、キリスト教の神学的な、道徳的な、自然的な、そして歴史的な知識の全体を具現することを求め、その際、それぞれをそれぞれの場所におき、もはやその場所を見いださないものは削除した。建物のデザインにおいても同様に、それは別々の経路によって伝えられた主要なモティーフのすべてを綜合することを求め、ついには、バシリカと有心式平面型の間に比類のない均衡を達成した。そしてその際、クリプトや階上廊(ギャラリー)や正面の二塔以外の塔といったこの平衡を危うくするような要素はすべて削除してしまった。
 スコラ学の著作の第二の要件「相同な(ホモロガス)部分と部分との、一つの体系に従った配列」は全構造の一様な分割と細分割においてきわめて図示的(グラフィカリ)に表現されている。ロマネスクではしばしば同じ一つの建物で西と東のヴォールト形式が多様(中略)なのに対し、ここではもっぱら、新しく発展したリブ・ヴォールトだけが用いられており、そこで、アプスや祭室や周廊のヴォールトでさえも、もはや身廊や袖廊のヴォールトと違った種類のものではない。」
「理論的には際限のない建物の細分化は、スコラ学の著作の第三の要件すなわち「明確性と演繹的説得性」に対応するものによって限られる。古典的盛期ゴシックの基準によれば、個々の要素は解体不能な全体を形成しながらも、互いに――小柱は壁や大柱のコアから、リブは隣りのリブから、すべての垂直材はそれの受けるアーチから――はっきりと分離されていることによってそのアイデンティティを主張しなければならないのであり、それらの間に明白な相互関係が存在しなければならないのである。どの要素がどれに属しているのかを言うことができなければならない。そこから「相互推論可能性という基本原理」――古典建築の場合のように寸法においてではなく、形態構成において――とでもよびうるであろうものが生じてくる。」
「われわれは純粋な意味における「合理主義」と対面しているのでも、近代の〈芸術のための芸術》(l'art pour l'art)という美学の意味における「幻影(イリュージョン)」と対面しているのでもない。われわれはトマス・アクイナスの〈感覚もまた一種の理性である〉(nam et sensum ratio quaedam est)を図解する「視覚論理(ヴィジュアル・ロジック)」とでもよびうるようなものと対面しているのである。スコラ学的習慣に染まった人間は、文字による表現の様態を考える場合と全く同様に、建築的表現の様態を〈マニフェスタティオ〉(顕示)という観点から考えたのであろう。彼は、〈スンマ〉を構成する多数の要素の第一の目的が当然妥当性を確かなものにすることであると考えたのと全く同様に、大聖堂を構成する多数の要素の第一の目的が当然堅固性を確かなものにすることであると考えたであろう。
 しかし〈スンマ〉の構成要素化(メンブリフィケイション)が思考作用の過程そのものの再=経験を可能にするのと全く同様に、建物の構成要素化(部材化)(メンブリフィケイション)が建築的構成の家庭そのものの再=経験を可能にするのでなければ、彼は満足しなかったであろう。部(parts)、区分(distinctions)、問題(questions)、項(articles)という慣例的な道具立てが彼にとっては理性の自己分析と自己説明であったのと同様に、小柱とリブと控え壁とトレーサリーとピナクルとクロケットという具足揃いは、彼にとっては建築の自己分析と自己説明であった。人文主義(ヒューマニズム)の精神が最高度の「調和」(中略)を要求したところに、スコラ学の精神は最高度の明示性(エクスプリシットネス)を要求した。それは、それが言語を通しての思想のむやみな明瞭化(クラリフィケイション)を容認し、かつ主張したのと全く同様に、形を通しての機能のむやみな明瞭化を容認し、かつ主張したのである。」



パノフスキー ゴシック建築とスコラ学2


「ソワソン大聖堂。第1次世界大戦で被災した身廊北壁面の断面。」






















































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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