中野美代子 『ひょうたん漫遊録 ― 記憶の中の地誌』 (朝日選書)

「しかるに、後漢の王充が批判するのは、そこらに出現しては人を脅やかす鬼(き)すなわち幽霊なのである。王充は、天地開闢以来の死者の数はいま生きている人の数よりはるかに多い、人が死んでみな鬼となるのなら、道路には一歩ごとに鬼がいることになるではないか、といった旨の面白い発言をしている。これは、裏を返せば、当時の人びとが死後の魂魄の行きつく先としての泰山について、冥界としてのはっきりしたデザインを描けず、身近に鬼がうようよしているように考えていた証拠ではあるまいか。」
(中野美代子 「中国人における死と冥界」 より)


中野美代子 
『ひょうたん漫遊録
― 記憶の中の地誌』
 
朝日選書 425

朝日新聞社 1991年5月25日第1刷発行
304p 目次3p 
四六判 並装 カバー 
定価1,200円
装幀: 多田進



本書「あとがき」より:

「主として一九八〇年代に書き散らした雑文のなかから、私の空間志向気質の赴くままに中国人の空間意識を論じたものをえらんで編んでみた。」
「本書のI及びIIIのほとんどの文章の主題は、ひょうたんである。」
「IIの大半は、私自身の旅の記録をもとにしたものであるが、(中略)北方志向ないし内陸志向を標榜していた私の、おそらく最後の記録となろう。(中略)これからの私は、炎暑と湿潤の土地、つまり中国南部や東南アジア、すなわち中国ふうにいえば南海について、おそらく情熱的に語ることになろうが、本書最後の文章「蓬莱は南海へ」は、その序曲となるであろう。蓬莱がひょうたんであること、本書のいたるところで述べたごとくであり、従って、蓬莱とともに南海をめざす私も、ひょうたんになってしまってもかまわないわけだ。「ひょうたん漫遊録」と題するゆえんである。
 ついでながら、私の仕事のなかで一本の柱をなす『西遊記』も、一個の巨大なひょうたんであり、この小説の方法じたいも、ひょうたん論と等しいと思っている。」



本文中図版(モノクロ)多数。


中野美代子 ひょうたん漫遊録1


「伝説の桃源境を始め蓬莱、崑崙山など、中国古来の理想境に「ひょうたん」のイメージが現われるのはなぜか。中国文化の時空観を解き明かすエッセー集。」


目次 (初出):

I 楽園と地獄
 地上の楽園について――一つの遊戯的社会主義論 (「日本及日本人」 1980年新春特別号)
 ひょうたんのある風景――中国人の宇宙観 (岩田慶治・杉浦康平編 『アジアの宇宙観――美と宗教のコスモス』 1989年、講談社刊。原題「中国人の宇宙観――卵と石のある風景」)
 銅鏡と八卦図――中国のマンダラ的世界像 (『即身――ー密教パラダイム〔高野山大学百周年記念シンポジウムより〕』 1988年、河出書房新社刊。原題「中国のマンダラ的世界像」)
 中国人における死と冥界――地獄をデザインするまで (『仏教思想』 10 『死』 1988年、平楽寺書店刊)
 古代中国人の「あの世」観――地獄の地理学 (木村尚三郎編 『未来論――その過去・現在・未来』 1990年、東京大学出版会刊。原題「古代中国人の「あの世」観――未来論としての地獄の地理学」)
 ひょうたんとしての崑崙――異境の原初イメージ (『西域・黄河名詩紀行』 第1巻 『西域』 1987年、日本放送出版協会刊。原題「壺としての崑崙――異境の原初イメージ」)
 銀漢渺茫――黄河源流は銀河なりしこと (「月刊百科」 1984年5月号)

II 北海と砂漠
 レザレクション湾にて――アラスカ紀行 (「潮」 1975年10月号。原題「北緯六〇度アラスカの旅」。大幅削除)
 オホーツク海の風景――大韓航空機悲劇の舞台 (「中央公論」 1983年12月号)
 砂漠と熱帯雨林――ニュー・ギニアの記憶から (「流動」 1977年9月号。原題「砂漠と熱帯雨林」)
 銀河はロプ・ノールに注ぐ――楼蘭訪問記 (「朝日新聞」 1990年1月9日。原題「楼蘭訪問記」(中))
 幻聴談義――楼蘭怪異譚 (「図書」 1990年3月号)
 楼蘭の詩――詩語としての地名 (水村孝写真集 『楼蘭の詩』 1990年、朝日新聞社刊。原題「楼蘭の詩」)
 空から見たカレーズ――地下水路の旅 (「学士会会報」 No. 788、1990年7月。原題「空から見たカレーズ」)

III 南海の誘惑
 長江をめぐるひょうたんシンボリズム――風水文化試論 (樺山紘一編 『長江文明と日本』 1987年、福武書店刊。原題「長江をめぐる空間意識――風水文化試論」)
 魂はジャワの国に……――南海憧憬小史 (「is」 No. 36 特集「南方楽園」 1987年。原題「南の風――南園緑草飛胡蝶」)
 蓬莱は南海へ――ひょうたんの旅 (『NHK海のシルクロード』 第5巻 『海道の王国・中国の門』 1988年、日本放送出版協会刊。原題「蓬莱は南海へ――中国における南方イメージの変遷」)

あとがき
初出一覧



中野美代子 ひょうたん漫遊録2



◆本書より◆


「地上の楽園について」より:

「いったい、「地上の楽園」のまわりにめぐらされた城壁は、俗界すなわちこの現実との断絶をめざすものであった。ところで、中世の「ホルトゥス」の中に住んでいるのは天使や聖者であったからいいようなものの、想像力の工学によって構築された「無可有郷(ユートピア)」の中に住んでいるのが生ま身の人間であったら、それは明らかに、現実の否定、批判となるのであろう。モアからこのかたの「地上の楽園」プランナーは、サド侯爵を含めて、革命思想家であった。」
「「地上の楽園」は、それが幻想であるだけに、麻薬による幻覚症状によって生まれるべきものではない。幻想を生み出すものは、明晰な理性と意志である。」
「中国では「地上の楽園」がおおむね深山幽谷の奥に設定された。小さな洞(ほこら)や穴(うろ)をくぐり抜けた先にひろがるのどかな楽園――そこを中国人は仙境とか桃源境と名づけた。陶淵明の『桃花源記』に見える桃源境なら、そこから俗界にもどっても時間の流れに径庭はない。ただ、桃源境にいる人びとが俗界の時の移ろいも知らず数百年も昔のままの平和な田園生活をしているだけである。してみれば、仙界も桃源境も、すでに述べたように時間の楽園といえるであろう。そのような楽園に至るには、想像力の工学による認識の飛躍は要らない。俗界とは地つづきなのであるから、何らかの僥倖によって、洞や穴という隘路をくぐり抜ければよいのである。
 桃源境の思想は、従って、国家権力にとっては少しも毒になるものではなかった。(中略)それどころか、この思想は、山水画の主要なモチーフとして、権力者をも含む文人墨客の美学に高い位置を占めていたのである。」
「すべてを管理しつくしたこの体制において人民の不満を抑えつける方法はただ一つ、現在のさまざまな困難は、その先にひろがる(中略)すばらしい桃源境に至る隘路である、と説明してやることだ。桃源境の思想とは、すなわち管理者の思想なのである。
 これに反して、想像力の工学によって海の彼方に「地上の楽園」を構想するユートピア思想は、すでに述べたように、明らかに現実否定の論理の上に成り立っているから、権力者にとっては危険きわまりないものであった。」



「ひょうたんのある風景」より:

「渾天説というのは、ごく大ざっぱにいえば、天地を水に浮かぶ鳥の卵にたとえたものだ。卵の殻(から)が天で、黄身が地である。そして、白身も半ば水である。つまり、球状の地が水に浮かび、それを天がぐるりととりまきながら、さらに天球自体が、水にプカプカ浮かんでいるというのである。」

「ところで、ずっと後世のものであるが、盤古の姿を描いた絵を見ると、盤古が二つ巴(どもえ)の文様のついた球体を捧げている。この二つ巴は、中国の太極図に普遍的な文様で、(中略)陰陽すなわち天地とか男女の組み合わせのシンボルであり、(中略)両性具有(アンドロギュヌス)のシンボルともなっているのである。
 盤古が生まれた鶏卵のような混沌たる天地とは、インド人が「黄金の卵」と呼んでプルシャや造物主プラジャーパティを生みだした、あの宇宙卵とまったく同じものだといえよう。」

「混沌から生まれたものに、ドラゴンがある。原初のドラゴンもまた両性具有であり、その生と死の無限のサイクルは、かのウロボロスに端的に表現されている。
 ところで、あの二つ巴もウロボロスも、これまた同じものではあるまいか。」

「石もまた宇宙卵なのである。」
「石ばかりではない、カチッと堅くまるっこいもの、たとえば貝殻やらひょうたんなども、すべて生殖や再生のシンボルをになった宇宙卵といえる。中国南方の苗(ミャオ)族の洪水神話において、生き残った兄と妹が乗って漂うのは、多くひょうたんである。宇宙卵に拠りつつ、この兄と妹は新たな生命を夢みて交わるのだ。」

「博山炉の形態は、やがてその不安定な細い柱をとりはずしつつ、後世の玉器(ぎょくき)や陶器による山水の立体的なミニチュアへと発展していった。(中略)のこの小さな玉(ぎょく)すなわち石のかたまりは、おのがじし陰陽のシンボルを秘めた両性具有の宇宙卵である。龍穴にひっそりとたたずむ人びとは、山中の険しい隘路をへめぐって、天地と陰陽とを象徴するこの宇宙卵すなわちひょうたんの中に閉じこめられたのだった。」
「人はだれしも一度はこの宇宙卵を手にし、その中に閉じこめられるのを夢見るのだ。」



「銀漢渺茫――黄河源流は銀河なりしこと」より:

「漢武帝の時に張騫といえる人を召して天の河のみなかみ尋ねて参れとつかはしければ、うき木にのりて河のみなかみ尋ね行きければ、実も知らぬ所に行きてみれば、常に見る人にはあらぬ様したる者の機をあまた立てゝぬのを織りけり。又しらぬおきなありて牛をひかへて立てり。是は天の河といふ所なり。此人々は、たなばたひこほしといへる人々なり。さては我はいかなる人と問ひければ、みづからは張騫といへる人なり。宣旨ありて河のみなかみ尋ねてきたるなりと答ふれば、これこそ河のみなかみよといひて、今は帰りねといひければ、帰りにけり。(略)まことにや張騫帰り参らざるさきに、天文の者参りて、七月七日に今日天の河のほとりにしらぬ星いできたりと奏しければあやしびおぼしけるに、この事をきこしめしてこそまことに尋ねいきたりけれと思召しけり。」
(『俊頼髄脳』より)

「七月七日は牽牛と織女が天河で会する日である。旧説では、天河は海と通じていた。すなわち、むかし海辺にいた人のところへ、毎年八月になるときまって浮槎(いかだ)が流れつく。そこでその人、奇特な志をいだき、槎(いかだ)の上に飛閣を立て、たくさんの食糧を積んで乗りこみ出かけた。十月(とつき)あまりで、とあるところに着いたが、そこは城郭らしく、家屋はまことに立派である。はるか宮中をながめやると、織婦がいる。また、渚辺(なぎさべ)で牛を牽き水を飲ませている男がいる。その男がびっくりして、どうしてここへ来たのかとたずねるので、かくかくしかじかと答え、ついでにここはどこかときいた。すると、もどってから蜀の都に行き厳君平を訪ねるとわかるはずだ、との答え。(中略)のち、蜀に行き君平にたずねたところ、君平がいうのに、某年某月、見知らぬ星が牽牛星に近づいておった、と。その某年某月こそ、その人が天河に至った時なのであった。」
(『荊楚歳時記』より)

「漢の使節が河源を窮(きわ)めた。河源は于闐(うてん)(コータン)より発するという。その山には玉石が多く、採取してきた。天子は古書を案(しら)べ河源の山を崑崙と名づけた。」
(『史記』「大宛伝」より)

「むかし、ある人が河源をたずねたところ、紗(きぬ)を浣(あら)っている婦人に出会った。きくと、ここは天河です、とて石ころを一つくれた。もち帰って厳君平に問うてみたら、これは織女が機(はた)を支えるのに使う石だ、とのことであった。」
(『集林』より)



「砂漠と熱帯雨林」より:

「あの太陽! 肌をガリガリと齧るようなあの太陽――。汗はしたたる間もなく蒸発し、からだの周辺から強(きつ)い塩分のにおいが立ちのぼる。メラネシア系の原住民たちは、その太陽のもと、ポート・モレスビー中心街のアスファルト道の上をも、のろのろと跣(はだし)で歩いていく。かれらの蹠(あしのうら)は靴底よりも堅く厚く、またコンクリート塀に走るような深い罅(ひび)われがいく条も走っていた。
 密林(ジャングル)は? ジャングルは、私の想像をはるかに超えたものだった。ただもう、むちゃくちゃな繁茂というほかはない。あれほどの太陽の光のひと条すら雰(ふ)らぬ下生えから、波のようにうねるはるかの梢まで、むちゃくちゃに植物がたかっている。そんなフローラの王国に、人間の存在を無視した太古の記憶だけがうごめいている。そして、スコールが来た!」
「砂漠の地平線を眺めながら、ニュー・ギニアの熱帯雨林を思い出していたこと言うまでもない。どちらも、人間の平和な、調和のとれた生活の営みを拒否していることにおいては選ぶところがない。片や有機物と水の氾濫であり、片やその全き欠如――そして、私たちは、その中間のほどほどのところに、ほどほどに生きているのだった。」























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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