末永照和 『ジェームズ・アンソール』

「オステンドの両親の店で、美しい貝殻の波うつ線や蛇状の形、虹色の焰のように輝く真珠母、美しい中国陶器のゆたかな色合を私は見た。そしてとりわけ、すぐそばの巨大な永遠の海が私に強い印象を与えた……そう、私は海から多くのものを借りたのだ。」
(ジェームズ・アンソール)


末永照和 
『ジェームズ・アンソール
― 仮面の幻視者』


小沢書店 昭和58年12月20日初版発行
263p 口絵24p(カラー12p/モノクロ12p)
20.6×15.2cm 丸背クロス装上製本 カバー 
定価2,500円



末永照和(すえなが・てるかず)は1931年生、美術評論家。
初出は雑誌「みずゑ」1980年9月号から1981年12月号まで、「屋根裏の幻視者ジェームズ・アンソールの世界」として16回にわたって連載された。
口絵図版カラー11点、モノクロ24点。


末永照和 ジェームズ アンソール1


帯文:

「仮面と髑髏とカーニヴァルの画家アンソール。鮮烈な画面に蠢く世紀末の仮装人物たちは、現代人の不安を告知するものなのか。しかし画家は生涯、生地であるベルギーの港町オステンドを離れなかった。周到な調査によって作品と生活からその特異な世界を解読する。」


帯背:

「仮面と髑髏の画家
世紀末ベルギーの
幻視者アンソール」



帯裏:

「――近代的な思念に本能的なまでに目覚めていたこの単独者は、たとえば『キリストのブリュッセル入城』の大群衆に囲まれて登場する二人のアンソール、すなわちキリスト=アンソールと道化師=アンソールの分極化ともども、解体された自我から再構成される自我への、いかにも近代人のとまどいを予告していたのである。
(本文より)」



目次:

仮装舞踏会は終わらない――はじめに
I オステンドの海と貝殻と家
II ブリュッセルそして暗色の時代
III 失意と反抗あるいは仮面の登場
IV 夢遊と光芒
V キリストのブリュッセル入城
VI 仮面の誘惑
VII 仮面にかこまれた自画像
VIII 死、わが友
IX アンソールによるアンソール
X スカトロジックな政治学
XI 殺意と花
XII 版画へのデモン
XIII 使いすぎた男
XIV 新しい家・友・女
XV そして死
貝殻は海の仮面――おわりに


参考文献
あとがき



末永照和 ジェイムズ アンソール2



◆本書より◆


「IX アンソールによるアンソール」より:

「アンソールほど自分の姿を、自分のおかれている状況を、攻撃的に、神経質に、陰惨に、執拗このうえなく描きとどめた画家もめずらしい。(中略)画架の前のアンソール、デッサンをするアンソール、花飾りの帽子をかぶるアンソール、仮面にかこまれたアンソール、海水着のアンソール、ピアノをひくアンソール、論争をするアンソール、批評家に首をしめられるアンソール、小便をするアンソール、裁かれるアンソール、磔刑にされるアンソール、料理されたアンソール、地獄送りのアンソール、骸骨になったアンソール、亡霊になったアンソール、昆虫になったアンソール…」

「アンソールは聖書を愛読したと伝えられる。だが(中略)むしろ反教権主義や無神論に組していたことは容易に想像できる。事実それは研究家たちの一致した意見でもあるのだが、おそらくアンソールには、人間キリストが嘲笑と侮蔑のさざめきに囲まれながら、たたかいへの意志を秘め、おのれの使命の前に静穏と不偏の精神をつらぬこうとしたことだけが、彼の夢想や想像力に奇妙な羽ばたきをあたえるのである。」

「アンソール自身の相貌を洒脱な自画像として再現しながら、同時に彼の対人関係をキリスト伝の現代的な寓話化のなかにとらえたのは、一八九一年の油彩『この人を見よ(エッケ・ホモ)』(あるいは『キリストと批評家たち』)である。数年前の内的緊張にひきつった幻視性は消えたが、キリスト=アンソールとパリサイ人=批評家との対決の図式が鮮明に表現されている。(中略)アンソールはすでに数年を経てもなお、自尊心を傷つけた画壇の権威者を、自己像の表現のために道連れにしようというのであった。」

「アンソールの一八九一年は複雑な年であったかも知れない。キリストとの自己同一を、厚塗りの画面、血と怒りの色彩による最強のアクセント、苦痛と醜悪をあばき出す表現主義によって仮面化した『苦悩の男』がある。他方キリスト・ロマン主義を画面からほとんど消し去った『燻製にしんを奪いあう骸骨たち』がある。後者は『この人を見よ』の戯画的意図をさらに抽象し、(中略)――アンソールはまぎれもなく郷国の先達、ボッスの後裔なのだ――卓抜なメタファーに移し変えたのである。全画面に雲のカーテンを降ろしたような空を背景にして、一匹の燻製にしんの両端に噛みつく二人の骸骨が浮かびあがる。(中略)しかし見る者が無視するかも知れないその硬直した棒のような燻製にしんこそ、アンソール自身、あるいはアンソールの芸術を象徴する仕掛けなのであった。すなわち、燻製にしん(hareng-saur, アラン・ソール)とアンソール芸術(Art Ensor, アール・アンソール)との地口による意味の変換が行なわれる。骸骨化した批評家たちがアンソール芸術に噛みついている、あるいは死が彼の芸術を侵食する、という意味が明らかになる。
 だがこうした言葉の遊戯や洒落によって確かめられる意味とは別に、今日ではもうひとつの重層する意味が、このにしんを鍵として解読できそうだ。一八八七年、英国漁船とオステンドの漁船との間に、にしんをめぐる政治的トラブルが発生した。オステンドの漁民は英国船のにしん陸揚げを妨害、作業中止のストライキを強行したため、官憲が発砲、二人の漁民を射殺、さらにベルギー国民軍が召集されてオステンド漁民を弾圧した。英国人の息子であることを決して忘れなかったアンソールは、この事件で反英感情が高じたオステンド民衆によって、なんらかの制裁を受けるのではないかと脅えていたかも知れない。この社会的背景にもかかわらず、激烈なる自己中心者アンソールはすべてを自分に戻す。英国のにしんは、すなわち英国人アンソール、敵意ある国への移住者アンソールなのである。
 自分が食われるというオブセッションは、さらに皮肉の度をまして、料理され、皿の上に盛られて会食者の前に差し出されるという作品を発想した。オブセッションの昂進というよりは、すでに陽性のユーモアに居直ったというべきだろうか。実在人物による狡猾な集団肖像を意図した、一八九五年の油彩『危険な料理人たち』がそれである。」




ensor ecce homo

「この人を見よ」。


ensor hareng-saur

「燻製にしんを奪いあう骸骨たち」。


ensor les cuisiners dangereux

「危険な料理人たち」。
































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本