「カイエ 特集: エドガー・アラン・ポオ」 (1979年9月号)

「しかしこのほかならぬ外界とのコミュニケーションの欠如こそポーにおいては力を発揮する手段となる。」
(フリオ・コルターサル 「詩人および短篇作家としてのポー」 より)


「カイエ」 
特集: エドガー・アラン・ポオ
1979年9月号(第2巻第9号)

Cahiers de la Nouvelle Littérature

冬樹社 1979年9月1日発行
258p 出版図書案内8p
22×14cm 並装 
定価760円
編集人: 小野好恵
表紙・目次・扉作品・特集カット: 古川タク



図版(モノクロ)多数。


カイエ ポオ1


目次:

◆手帖
海外文学 ボルヘスと映画 (鼓直)
現代音楽 批評の規準は何か――劉詩昆の演奏を聴いて (安芸光男)
美術 サーカスの美技を見るような戦慄と興奮――荒川修作展 (鈴木志郎康)
◆詩
花鳥画 (渋沢孝輔)
病院にて(二) (吉原幸子)
◆短篇
ずいずいずっころばし (宗谷真爾)
◆対話
ジャズ・文学・放浪 (青野聰/山下洋輔)
◆連載
同時代を読む 那珂太郎と山口昌男または祝祭としての虚無 (今井裕康)
劇場と歯ブラシ 狼なんて怖くない (佐藤信)
いつも音楽があった 潜水艦の唄 (倉本聰)
らくがき帖 釈迦に説法 (樹木希林)

特集: エドガー・アラン・ポオ
◆詩
エドガー・アラン・ポー (ホルヘ・ルイス・ボルヘス/訳: 土岐恒二 )
◆エッセイ
追跡者 (大庭みな子)
階段の横の壁 (山野浩一)
殺人者のいる夜 (中井英夫)
崩壊のイメージ (山田智彦)
◆評論
劇作家失格 (佐伯彰一)
眼への偏執 (富士川義之)
「アッシア家の崩壊」――ポーの作品群というコンテクストの中で (島田太郎)
SFとしての『ユリイカ』 (八木敏雄)
密閉空間の芸術 (酒本雅之)
ポーの家 (亀井俊介)
落差の効果 (富山太佳夫)
◆翻訳
『鴉』――ギュスターヴ・ドレの挿絵について (ラフカディオ・ハーン/訳: 富山太佳夫)
ユリイカ・ポー――探偵小説の父 (エラリー・クィーン/訳: 佐藤良明)
◆小論
ポーの初期物語の読み方――「ペスト王」を一例として (島田謹二)
詩学のファウスト――ポー私観 (磯田光一)
『アルンハイムの地所』傍註――The landscape garden について (小野二郎)
タンタロスの悲しみ (中田耕治)
◆評論
機械学的退行 (種村季弘)
もう一つの「ユリイカ」 (池内紀)
ポーの庭園ものをめぐって (中井久夫)
◆翻訳
忘れられた百年祭 (ジョージ・バーナード・ショウ/訳: 諏訪部仁)
詩人および短篇作家としてのポー (フリオ・コルターサル/訳: 土岐恒二)

◆評論
四都市物語 パリIII――パリ深夜案内 (海野弘)
聴力レッスン PART 1 (河内紀)
◆新連載
アフター・アワーズ しなやかな馬のように (桃井かおり)
◆グラビア
アルタミラ (武田秀雄)
◆短篇
猫 (エンリケ・A・ムレーナ/訳: 鼓直)
◆連載
犯罪調書 信濃川バラバラ事件 (井上ひさし)
パンドラの匣 愛犬の友あるいは犬を姦した男たち (寺山修司)
小林秀雄を歩く 14 (高橋英夫)



カイエ ポオ2



◆本書より◆


種村季弘「機械学的退行」より:

「一口にごろりと寝転がると言っても、かならずしもクッションのきいたベッドの上で手足を伸ばしながらうつらうつらと惰眠をむさぼっているのが寝そべっていることになるとは限らず、ポオの『陥穽と振子』の主人公のように、下を向けば底無しの落し穴、上を向けばじりじりと落下してくる三日月形の鋼刃、という絶体絶命の窮地のなかで渾身の力をふりしぼって闘っている緊張の極地もまた、その姿勢だけから言えば、寝転がっていることにちっとも変りがありはしないのだから、いやはや、実に、どうも、ややこしい。」


カイエ ポオ3


フリオ・コルターサル「詩人および短篇作家としてのポー」より:

「ポーは『グロテスクな物語とアラベスクな物語』への序言の中でこう書いた。「ただひとつの例外を除いて、これらの物語には、ドイツ文学のまたの名がその愚劣さと同一視されるようになってしまっているというだけの理由でわれわれがドイツ的と呼ぶように教えられているような類の恐怖まがいのものの特色を、批評家たちが認めるようなものは一篇もない。もしかりに私の書き上げた多くの作品の中で恐怖が主題であったとすれば、私は、恐怖とはドイツの専売ではなく魂に属するものであり――私はただこの恐怖をその正当な原因から引き出して、それをその正当な結末へと推し進めただけだと申し上げたい。」
 以上のように述べたあとでは、容認こそが雄弁になる。「魂の恐怖」は「私の魂の恐怖」と読み替えられなければならない。ポーは他人の心に入りこむことにかけてまったく無能だったために、しばしばこの手の一般化に落ちこんでいる。彼自身の法則が彼には種の法則と見えるらしい。しかも微妙なことに、彼は間違っていない。なぜなら彼のかずかずの短篇小説は、その類推の懸橋によって、谺を喚び起こし昏い欲求を満足させるその能力によって、われわれを巻きこんでしまうのだから。にもかかわらず、その精神分裂症は彼の作品と外界とのコミュニケーションの驚くべき欠如をはっきりと浮かび上らせる。それはカフカやダンセイニ卿の場合のように、彼が幻想の世界を現実の世界の代りにしているといった問題ではない。むしろ、過剰で息のつまるような舞台背景の中に(中略)、あるいは貧相で図式的な舞台背景の中に(中略)、あるいはつねに、またはほとんどつねに、人間的背景の一変形である舞台背景の中に、ポーは完全に非人間化された人物たち、人間の通常の法にではなくむしろ人間の、ごくめずらしい特異な例外的メカニズムである法に従う存在を、位置づけ、かつ操っている。彼がいつもきまって天使と悪魔の二陣営に分けた仲間の人たちに対する知識を欠くために、彼はおよそ正常な行為や心理について無知である。彼はただ、いかに明瞭にであれ、自分の内心に生起することがらしか知らない。彼の魂の恐怖が魂の恐怖となるのはこのためである。」

「しかしポーは彼自身の存在様式が彼に押しつけるものをこうして黙って受けいれるだけにとどまらず、それを正当化し、合理化しようと明らかに努力するだろう。だから彼の短篇小説や短い批評文の中には、よく理解できることだが彼に深大な影響を及ぼしたベイコンの一文が、しばしば反復されて現われるのである。「いかに絶妙なる美といえどもそのプロポーションになんらかの異常を秘めていないものはない。」この文は「リジーア」の中で女主人公の肉体的特徴について用いられているものだが、他の多くの短篇におけると同様、その短篇でも、それはもっと一般的な意味を荷っている。ポーは、その真実味が別次元の世界から彼にせまってくるような事件へと意識的に傾斜する。彼にとっては、何ものも、そのプロポーションにあの「異様さ」を持たないかぎり、あの規範からの離間、あの共通の特徴からの距離をもたないかぎり、重要ではないのだ。」

「しかしこのほかならぬ外界とのコミュニケーションの欠如こそポーにおいては力を発揮する手段となる。彼の短篇小説は、到達不可能な中心に透明な、動かし得ぬ光景を提示するガラス鉢か水晶玉がそうであるのと同じように、われわれを魅惑する。突然の効果を生み出す完璧な仕掛けである短篇小説は、スタンダールが小説をそう理解したように路上を移動してゆく鏡になろうとするのではなく、むしろただ異様なもの、普通ではないもの、運命的なものだけを映す、あのお伽の国の鏡たろうとする。ポーはその短篇小説において、世界を必要とせず、人間界を無視し、笑いや情熱、人物の葛藤や行動を無視することができる。彼独自の世界が多様性と緊密性を保っており、文学ジャンルとしての短篇小説の構造にあまりにもおどろくほど見事に適合しているので、逆説的に、こういうことが言えるかもしれない。もし彼がおよそ自分の無能力ぶりをすべて装っていたのだとしたら、彼は、それ独自の次元内で、独自の資源だけに頼って満足な成果をあげた自分の作品の正当なる防御のために、そうしていたのかもしれない、と。結局、彼のきのうの敵きょうの敵は、散文小説(中略)の敵、あの「人生の断面」に熱心な連中なのだ。ポーは人生の価値を違ったふうに理解していたから、創造的散文というものを別の形で理解していた。そうして彼は、その文学によって、人生が完全であり得るなどという幻想を与えることは決してなかった。」



カイエ ポオ4


中井久夫「ポーの庭園ものをめぐって」より:

「ランダーの別荘に至る途は、もはや、あらかじめしつらえられた道ではない。「舟」の力を借りずにみずからの足で歩むのであるが、はじめから意図して行くのでさえなく、「森の中に道を失って空地から空地を辿るうちに」道らしきものを見つける。しかし、遍歴はもはやなく、ほとんどただちに霧のヴェイルに掩われた谷間に行きつく。谷間はひどく狭いのみならず、地図に描いて愕然とした形をしている。それは母胎への入り口に、控え目に言っても、かなり似ているといわざるを得ないだろう。(その比例はポーが数字で与えたものである)。多くの墳墓がそのような形(あるいは母胎そのものの形)をしていることは、前方後円墳や沖縄の墓室を持ち出すまでもあるまい。そして、そのほぼ中央の床さえ白い部屋で主人公はランダー夫妻に会う。ランダー氏はほとんど「アニー」が人妻であることを示すためにいるのだろう。アルンハイムにも出てくる、日没後もう一度姿をみせる太陽は、かすかな再生、しかし、ほんものではない再生を意味するのかも知れない。
 とにかく『ランダーの別荘』の前半は、アルンハイムの地所へ至る道の名残りをとどめているが、家に近づき、入る後半は、私にはほとんどただちにピラミッドの棺室へ至る道程を思わせた。その中で再会するポーのベアトリーチェ、女性アニーは、アニー・リッチモンド夫人なのであろうか。同じ年にかかれた詩『アニーに寄す』をみればそうであるようにも思える(「ありがたい! 危機は、/危険はもうすぎた、/長(なが)のわずらいは/とうとう終わった――/「生」と呼ばれる熱病が/ついに今癒えたのだ」)。」
「ポーの女性神話に深く分け入ることはひかえたい。そもそもポーの女性との関係は稀薄である。ポーの対象とされる女性の名がしばしば類音を持つ現象は、フロイトがみずからについても語るところであるが、フロイトも現実の女性には淡白な人であった。」



カイエ ポオ5

裏表紙。














































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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