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「風の薔薇」 5 特集: ウリポの言語遊戯

「風の薔薇」 5 
1991年秋号
特集: ウリポの言語遊戯


書肆風の薔薇 
1991年10月30日 発行
119p 
A5判 並装 カバー 
定価1,545円(本体1,500円)


「本号は、
松島征によって
編集された。」



風の薔薇 ウリポの言語遊戯


カバー文:

「一九六〇年、パリ。ルネサンス期の「大押韻派」のひそみにならい文学的言語遊戯を実践し、新機軸の文学形態を開発するという目標のもと〈潜在文学工房〉なる秘教的集団が誕生した。その略称は〈ウリポ〉。発案者は数学者のフランソワ・ル・リヨネー。呼び掛けに応じたのはシュルレアリスム運動から訣別したレーモン・クノーと、アルフレッド・ジャリを創始者にいだく〈コレージュ・ド・パタフィジック〉の面々。のちにペレック、デュシャン、カルヴィーノらも加わり、〈ウリポ〉の古今東西の言語遊戯の理論的探求と新たな文学的実験の活動は大きく発展した。……厳密な方法論のもと言語のもつ潜在的なテクスト産出の可能性を追求し、言語の自己増殖行為による文学創作を遊戯的に実践する現代フランス文学界のトリックスター、〈ウリポ〉の驚くべき成果を本邦初紹介!」


内容:

冬の旅 (ジョルジュ・ペレック/酒詰治男 訳)
「ウリポ」の遊戯的パフォーマンス (松島征)
ウリポ第一宣言・ウリポ第二宣言 (フランソワ・ル・リヨネー/松島征 訳)
ウリピック・ゲーム (ジェラール・ジュネット/松島征 訳)
レーモン・クノーとの霊界面談 (松島征)
ジョルジュ・ペレックとウリポ (酒詰治男)
リポグラムの歴史 (ジョルジュ・ペレック/酒詰治男 訳)
盛年期(!)のウリポ (ミシェール・メタイユ/松島征 訳)

ウリポ構成員
ウリポ会員の著作目録




◆本書より◆


ジョルジュ・ペレック「冬の旅」より:

「ドゥグラエルが『冬の旅』を読み終わったとき、朝の四時だった。かれはそこに三十ばかりの借用を見つけ出していた。きっと他にもあっただろう。ユゴー・ヴェルニエの本は十九世紀末の詩人たちの驚くべき盗作本、他人の作品の途方もない寄せ集め、ほとんどあらゆる断片が他人の作品から成るモザイクにほかならないものに見えた。だが、自らのテキストの素材自体に他人の作品を汲み取ることを欲したこの未知の作家のことを思い描くことに努め、そしてこの突飛な、賞賛すべき企てのほどを徹底的に想像してみようとしていたまさにその折り、ドゥグラエルはあるとんでもない疑念が湧いてくるのをおぼえるのだった。かれは思い出したのだ。書棚からその本を取りながら、書誌的なデータを調べずには著作というものを決して参照することのない若手研究者の本能に衝き動かされて、その発行年月に機械的に留意したことを。あれは思い違いだったのだろうか? かれは一八六四年という年号を確かに読んだ憶えがあった。どきどきしながら確かめてみた。読み違いではなかった。ということはつまりヴェルニエはマラルメの詩行を二年先だって「叫んで」おり、十年先だってヴェルレーヌの『忘れられた小唄』を剽窃し、四半世紀も先にギュスターヴ・カーンの作品を書いていたことになる。それはすなわちロートレアモン、ジェルマン・ヌーヴォー、ランボー、コルビエールその他の多くの者たちが、天才的かつ世に埋もれた一詩人の模倣者にほかならないことを意味するだろう。かれこそが、のちの三、四代にわたる作家たちが糧とすることになるものの精髄をたったひとつの作品に盛りこむことができたのである!
 もちろん、本に記された印刷の日付が間違ったものでない限りでの話だったが。しかしドゥグラエルはそうした仮説を立てることを拒んでいた。かれの発見はあまりにもすばらしく、あまりにも明白かつ貴重なものだったので、本当でない筈はなかったし、すでにそれがひき起こそうとしている目もくらむばかりの結末、つまりこの「先駆的詞華集」の公表がもたらすであろう途轍もないスキャンダルのことを想い描いていた。反響の大きさ、批評家や文学史家が何年も何年も前から平然と公言してきたすべてについてのおびただしい問い直しのことを。」



松島征「「ウリポ」の遊戯的パフォーマンス」より:

「パリ、一九六〇年十一月二十四日。ルネサンス期の「大押韻派」のひそみにならって文学的言語遊戯を実践しさらにはジャリ、ルッセル、クノーらを模範として新機軸の文学形態を開発せんという目標のもとに、「ポテンシャル文学工房」 Ouvroir de littérature potentielle なるグループが誕生した。その略称を「ウリポ」 Oulipo という。発案者のフランソワ・ル・リヨネーの呼びかけに賛同して集まったのは、レーモン・クノー御当人を始めとして、ジャン・クヴァル、ジャン・レスキュール、ジャック・バンス、ノエル・アルノー、ラティスといった「コレージュ・ド・パタフィジック」の面々であった。その後、新会員としてマルセル・ベナブー、ジョルジュ・ペレック、リュック・エティエンヌ、ジャック・ルーボーらが加わり、さらに外国在住の通信会員としてアンドレ・ブラヴィエ、マルセル・デュシャン、イタロ・カルヴィーノらが参加して、「ウリポ」の活動は大きく発展した。その二十年を越す活動の報告書にあたるのが、ガリマール社の「イデー叢書」の一環として刊行された『ポテンシャル文学』(一九七三年)および『ポテンシャル文学図鑑』(一九八一年)である。
 この二冊のポケット・サイズの本は、「言葉遊びと文学的実験の宝庫」と呼ぶにふさわしいものであろう。そこには〈回文〉・〈リポグラム〉のような文字遊びに始まり、韻律法的・統辞論的な変換による言葉遊び形態を経て、トポロジー・組み合わせ・集合論など、現代の数学理論に示唆を受けた実験的試みに至る、言語遊戯の多様な諸様式がちりばめられている。いくつかの愉快なマニフェスト(宣言文)、そしてユーモアにあふれる解説文が、それらの実験的な試みを彩っているのである。
 文学とは作者のなまなましい体験を作品化したものであると考える者、作品のなかに「オリジナルな思想性」を求める者にとっては、「ウリポ」のこのような試みは、文学の本質とは無縁の「お遊び」としか映らないであろう。だが、文芸作品における「オリジナリティ」とはいったい何か。テクストのなかで作家主体はオールマイティの存在なのであろうか。作家主体とテクストとを同一視するのは、むしろ十九世紀的なロマン主義的文学神話の残骸ではあるまいか。「ウリポ」の活動は、ことば自身によるテクストの再生産をめざす集団的な実践である。言語の自己増殖行為とでもいうべきものを、そばに付き添って産婆さんよろしくその出産を助けてやるのが芸術家(というよりむしろ技師)の役割だと、「ウリポ」の会員たちは考えている。」



フランソワ・ル・リヨネー「ウリポ第二宣言」より:

「どんな性質のものであれ、あるテクストを読んだとき、これに筆を加えてもっといい文章に直してやりたい、という誘惑にかられなかった者があるだろうか。このような要求から逃れられる作品はない。世界中のありとあらゆる文学が、適切な考証を経たさまざまの“整形術”の処置の対象となるのである。」
「次のような文章を書いたロートレアモンは、われわれの理想とするところからそんなに隔たっていたわけではない――「剽窃は必要だ。そこにこそ進歩がある。ある作家の文章に肉迫して、かれの表現を利用し、まちがった概念を消去し、正しい想念に置き換えるのだ」。
 そして、剽窃という問題。まったく新機軸の構造だとわれわれが思いこんでおったものが、じつはすでに過去において発見され発明されていた(それも、はるかかなたの昔に)ということを、ときどき思い知らされることがある。このような事態が生じたとき、問題のテクストを「先取りによる剽窃」と呼ぶことにしている。かくて正義は回復され、各人の功績は確証されるのである。」







こちらもご参照ください:

ピエール・ギロー 『言葉遊び』 中村栄子 訳 (文庫クセジュ)
塚本邦雄 『新装版 ことば遊び悦覧記』








































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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