『新装版 現代詩読本 宮澤賢治』

「あいつはこんなさびしい停車場を
たつたひとりで通つていつたらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか」

(宮澤賢治 「青森挽歌」 より)


『新装版 現代詩読本 
宮澤賢治』


思潮社 
1983年8月1日発行
302p 
A5判 並装 カバー 
定価1,600円(本体1,553円)
表紙・目次・本文レイアウト: 菊地信義



現代詩読本宮沢賢治(1979年)の新装版。
ページ数には別丁口絵(モノクロ)8pが含まれます。ほかに本文中モノクロ図版多数。


宮沢賢治 現代詩読本 01


カバー文:

「こんなにみんなにみまもられながら
おまへはまだここで
くるしまなければならないか
ああ巨きな信のちからから
ことさらにはなれ
また純粋や
ちひさな徳性のかずさをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅を
あるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
「無声慟哭」より」



宮沢賢治 現代詩読本 02


目次:

討議
大岡信・入沢康夫・天沢退二郎 「四次元幻想の宇宙――改稿追跡が明らかにしたもの」

論考
岡井隆 「「文語詩稿」の意味――摸索と象徴」
内村剛介 「透明に閉じて在り、残る――賢治のオノマトペ」
菅谷規矩雄 「「雨ニモマケズ」再読――思想の方法としての宮澤賢治」
飯吉光夫 「死後に棲む場所――宮澤賢治のユートピア」
芹沢俊介 「賢治詩の独自性――像以前の像について」
長光太 「賢治詩の音紋――春と修羅一序」 (『「春と修羅」研究I』 1975. 10)
寺田透 「宮澤賢治論――詩と童話の間で」 (『校本宮澤賢治全集』14 1977. 10)
梅原猛 「宮澤賢治と諷刺精神――燃やし尽した精神」 (「文学」 1966. 12)
尾崎秀樹 「修羅の世界――宮澤賢治と中里介山」 (「文学」 1970. 3)
松本健一 「透明な場処――〈修羅〉の意識」
中村稔 「私の宮澤賢治体験――賢治像と作品」 (『詩・日常のさいはての領域』 1976. 8)
北川透 「『農民芸術概論』をめぐって――啓蒙家賢治との分裂」 (「ユリイカ」 1977. 9)
福島章 「宮澤賢治の宇宙――比較病跡学的研究」 (『天才の精神分析』 1978. 6)
金井美恵子 「歌っているのは誰か――非人称の声」 (「国文学」 1978. 2)
坪田譲治 「宮澤賢治の童話について――描写力とユーモア」 (『宮澤賢治研究』 1958. 8)
遠藤周作 「「グスコーブドリの伝記」――子供のリアリズム」 (『宮澤賢治研究』 1958. 8)
大庭みな子 「「風の又三郎」――風に似た他者の認識」 (「国文学」 1978. 2)
谷川俊太郎 「「銀河鉄道の夜」再読――幻想の生起するリアリティ」 (「国文学」 1978. 2)
松谷みよ子 「私にとっての一粒の胡桃――賢治への憧憬」 (『校本宮澤賢治全集』10 月報 1974. 3)
黒井千次 「ブドリとネネム――非在者の伝記」 (「ユリイカ」 1977. 9 臨時増刊)

代表詩50選
大岡信・入沢康夫・天沢退二郎 編

エッセイ
大岡昇平 「宮澤賢治と中原中也――名辞以前の世界」 (『校本宮澤賢治全集』10 月報 1974. 3)
清水徹 「プルーストと宮澤賢治――あるいは書物の不在」 (『校本宮澤賢治全集』11 月報 1974. 9)
串田孫一 「小岩井農場と種山ヶ原――詩による優れたスケッチ」 (『「春と修羅」研究I』 1975. 10)
井上ひさし 「風景はなみだにゆすれ――下根子散歩」 (「国文学」 1975. 4)
野呂邦暢 「イワテケン――意志的生活の本拠」 (「ユリイカ」 1977. 9 臨時増刊)
林光 「ロマチック・シューマン――「セロ弾きのゴーシュ」」 (『ひとりのゴーシュとして』 1979. 10)
唐十郎 「ズボンを脱いだ風の又三郎――引越し回転装置」 (『校本宮澤賢治全集』10 月報 1974. 3)
吉本隆明 「イギリス海岸の歌――幼児性の調子」 (『詩的乾坤』 1974. 9)

資料
草野心平 「賢治に関する初期の断章――詩史線上の大光芒」 (「詩神」 1926. 8/「文芸」 1934. 6/「日本詩壇」 1933. 12)
佐藤惣之助 「十三年度の詩集――気象学、鉱物学で書かれた詩」 (「日本詩人」 1924. 12)
富永太郎 「〔書簡〕――「春と修羅」の発見」 (大正14年1月15日付 正岡忠三郎宛)
吉田一穂 「虫韻草譜――一個の自然体」 (「岩手日報」 1933. 12. 27)
高村光太郎 「宮澤賢治について――コスモスの所持者宮澤賢治/宮澤賢治に就いて/宮澤賢治の詩」 (『宮澤賢治追悼』 1934. 1/『宮澤賢治研究』 1935. 6/「婦人の友」 1938. 3)
逸見猶吉 「小稿――賢治追悼」 (『宮澤賢治追悼』 1934. 1)
萩原恭次郎 「宮澤君に就いての感想――芸術と生活」 (『宮澤賢治追悼』 1934. 1)
中原中也 「宮澤賢治全集――十年来の愛読者として」 (「作品」 1935. 1)
稲垣足穂 「銀河鉄道頌――「東北のイナガキタルホ」」 (「ユリイカ」 1970. 7 臨時増刊)

アンケート 「私が選ぶ宮澤賢治の詩の世界」
高橋新吉・小野十三郎・寺田透・宗左近・生野幸吉・山本太郎・長谷川龍生・黒田喜夫・鈴木志郎康

評伝 
兄賢治の生涯 (宮澤清六)
 
年譜 (堀尾青史)
著作目録 (堀尾青史)
参考文献目録 (堀尾青史)



宮沢賢治 現代詩読本 03



◆本書より◆


「四次元幻想の宇宙――改稿追跡が明らかにしたもの」より:

入沢 一九七三年から七七年にかけて出た『校本宮澤賢治全集』で、賢治の詩について明らかになったことの中心をなすのは、各作品について数段階、場合によっては十数段階の先駆形が存在しているということでしょう。具体的には清書の繰り返しと、同一紙面上で幾重にもなされている手入れ、書き直しが、その実体を成すわけで、しかも賢治のメモやなんかから判断すると、彼の文学観、作品観では、そうした各段階それぞれがみんな一つの作品のその時その時の顔であるということになる。われわれは賢治の詩を読むとき――もちろん一番最後の形を読むだけでもいいわけだけど――さらに読みを深くしてみようとか、もっと内面に触れてみたいという時に、その先駆的な諸段階を次々と辿って読むことも、かなりの程度可能になったのです。もちろんいろんな考え方はあって、そんなのは余計なことで、詩は作者が一番最後に残した形でよめばいいという考えをお持ちの方も相変わらずあるだろう。しかし、こと賢治の作品については、やはり先行する逐次形態の存在は無視するわけには行かないと思う。さて、賢治の詩における手入れは、どうだったかというと、だいたいにおいて、手を入れることによって元よりもずっと形が引きしまったり、詩想が整理されて良くなるケースが多いんです。もちろん、何番目かの段階で止めておいたほうがよかったのではないか、と思うような作品もあります。ただ、賢治の場合、そうしたことを一般の推敲と同じように扱って云々していいかどうか、それがすでに問題になると思う。いずれにせよ、校本全集は、作品に加えられた手入れや改稿のあとを、逐一記録・公開したわけですから、それにもとづいて、すべてを根本から確め直す作業が、これからの課題となるでしょう。」


宮沢賢治 現代詩読本 04



































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ひとでなしの猫

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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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